たまりば

多摩の地域情報 多摩の地域情報三鷹市 三鷹市

スポンサーリンク

上記の広告は、60日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by たまりば運営事務局 at

『ストップ性暴力!STAND!』

お友達から『よかったら、行ってみて』と頂いたチラシです




『ストップ性暴力! STAND!』
レイプ神話って知ってる?
「夜道を歩くから、被害者にスキがあった!」
「レイプするくらい元気な方が男らしい!」・・・これってなんか可笑しくない?
性暴力被害は今まで闇に葬られていましたが、勇気をだして語り始める人が出てきて決して個人の問題ではなく、社会問題なのだと認識されるようになりました。支援や取組みも広がり始めています。
この講座では、性暴力とは何なのかを学び、根絶に向けた活動の輪を広げたいと思います。
『STAND!さあ一緒に立ち上がろう!』


講座について
--------------------------------------------------------------------------------
性暴力被害は今まで闇に葬られていましたが、勇気をだして語り始める人が出てきて、決して個人の問題ではなく、社会問題なのだと認識されるようになりました。支援や取り組みも広がり始めています。
この講座では、性暴力とは何なのかを学び、根絶に向けた活動の輪を広げたいと思います。
『STAND!さあ一緒に立ち上がろう!』

講座内容
--------------------------------------------------------------------------------
■第1回:2011年7月3日(日) 13:00~16:30
「性暴力被害の実状を知る」
●大藪 順子さん (在米フォトジャーナリスト) ★写真展も開催されます。 ⇒詳細はこちら
●井上摩耶子さん (フェミニストカウンセラー)

■第2回:2011年7月16日(土) 13:30~16:00
「医療の現場から性暴力被害を考える」
●加藤 治子さん (性暴力救援センター・大阪【SACHICO】代表・産婦人科医)

講師について
--------------------------------------------------------------------------------
【大藪順子(おおやぶのぶこ) さん】
フォトジャーナリスト。
シカゴのコロンビアカレッジをフォトジャーナリズム専攻で卒業後、アメリカ中西部の3つの新聞社で働き2002年にフリーに。実体験をもとに2001年より始めたプロジェクト「STAND 性暴力サバイバーたちの素顔」が反響を呼び、全米で講演会と写真展を展開。米政府やケーブルテレビのCMに出演。全米性暴力調査センター名誉役員。2008年度やよりジャーナリズム賞受賞。アメリカバージニア州アーリントン在住。
著書「STAND 立ち上がる選択」(フォレストブックス、2007年)

【井上摩耶子(いのうえまやこ) さん】
「ウィメンズカウンセリング京都」代表。日本フェミニストカウンセリング学会認定フェミニストカウンセラー。日本フェミニストカウンセリング学会代表理事。
カウンセリング、サポートグループ活動とともに、性暴力被害者、ドメスティックバイオレンス被害者のための法廷での代弁・擁護活動に取り組んでいる。
編著『フェミニストカウンセリングの実践』(世界思想社)、著書『フェミニストカウンセリングへの招待』(ユック舎)、その他。

【加藤治子(かとうはるこ) さん】
阪南中央病院産婦人科医として、早くから「女性の一生を生活背景も含めて診ることのできる科」を目指す。DVや性的虐待に関心を持ち、支援にかかわってきた。
2004年から「はるウィメンズクリニック」を開設。2010年4月からは「性暴力救援センター・大阪【SACHICO】」の代表をつとめている。ウィメンズセンター大阪スタッフの一人でもある。

詳しくはこちらのHPから:チラシもダウンロードできます
http://www.minato-libra.jp/article/14002729.html  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年06月30日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)お知らせ

    『いい人』と『人のいい人』

    飲み会の席であった『いい人事件』です



    40代の私、50代の男1人、女1人、60代の女1人の4人で、飲みに行った時の話しです

    50代の女性が、自分と同世代の女性に(そう思った)『年齢はいくつ?』と聞きました
    そしたら相手が烈火のごとく怒り出して『なんであなたにそんな事を言わなきゃいけないの!』と言われたという話になりました
    聞いたほうの女性は自分は年齢を聞かれても平気だったので『自分は同じくらいの年齢だし、私は年齢を聞かれても平気だから聞いてしまったのよね・・・』と反省をしていました

    で、50代の女性が『私、あの人「いい人」だと思っていたから、余計にショックだったのよね』というと、それを聞いていた60代の女性が『あの人のどこが「いい人」なもんか!人の話は聞かないし、自分の事しか言わないし、今回の事だって本当に「いい人」なら「答えたくないの、こめんなさいね」とかって言えばいいじゃないの!』と怒りました
    その時に、50代の女性が『私は人をすぐに「いい人」って思ってしまうのよ。だから今までもよく騙されたの・・・』という話になって、私が『じゃあ、その怒った人のどこが「いい人」だと思ったかを教えて』って聞いてみました
    そしたら、彼女は考えて『自分が感じたから「いい人」って思っただけで、具体的な事実はない』という話になった
    それで私と60代の女性が『人が相手を「いい人」って思うのは自分の感想でしかなくって相手を納得させる理由にはならないよ』という事を言いました
    どちらも自分の感じたことだけれど、60代の女性が言った事例がある話のほうが、聞いていて『そうなのね』って思うし相手を冷静に見ていると思う気がするよって。

    私が思うのは、これは私の感想でしかないですが、人を疑えとは思わないけれど相手をすぐに「いい人」っていう人は本当はどこかで自分が「いい人」と思われたいからかな?って思います
    その一番の近道が「相手を褒めること」なんだと思います
    『彼女は「いい人」だから』っていうのは、実は何も具体性もないし事実もない話だけれど、そう言われた人も言った本人も傷つかないし、むしろ『褒めてもらった』という気持ちになるのではないでしょうか?
    だからこそ、具体的な事柄もなくて『相手を褒めること』ができるのだと思いました

    でも、本当に褒めるというのは、相手の人となりを褒めることで、例えば「いい人」というのではなく『感じのいい人』『人の嫌がることを率先してできる人』『人の話をよく聞いてくれる人』『信頼できる人』『約束を守る人』『人の悪口を言わない人』などなど、実は色々あるのではないでしょうか?
    また、あまり具体的な事実を知らなくても『第一印象のいい人』や『初めて会ったのに話しやすい人』っていうのも、相手を「いい人」って思う理由なのだと思います
    それらの事をきちんと伝えてこそ、相手を「いい人」といえる気がします

    趣味でクラシック音楽を聴く人などは、よくわかると思いますが『指揮者』『演奏者』『ホール』など色々なものが違うと同じ音楽なのに全く違うもののように聞こえることがあります
    それと同じなのではないでしょうか?
    同じように見えても、同じ音楽は2度とない
    人もそうだと思います。それが個性なんだと思うし・・・
    その違いを知る事で、より深く物事を知る事ができるような気がします

    その時に、もう1人40代の男性の話がでました
    その人の事も50代の女性が『彼も私は「いい人」だと思ったんだけど・・・』という話になって、今まで何も言わなかった50代の男性が『いや、彼は違う』と言いました
    私も彼に関しては「いい人」ではないな。って思っていたので「私もそう思うよ」と言って『彼は、自分と話をしている人ではないのに、勝手に話しに参加して自分の事を話して終わってしまう』とか『年配の方が話している時にも扇子で扇いでいてやめようとしないし、失礼な事を平気でする』とか『自分の主体性がなく、すぐに人のことを真似する』などを話しました
    その時に、自分が感じた事は主観でしかないけれど、事実をだして客観的にみたら彼の「いい人」は実は「人のいい人」なのだと思いました
    それは『信念がない』『他人に誠実な関心を示さない』『生き方に対する自分なりの考えがない』『自分自身に対しても責任が持てない』『優柔不断』『行き当たりばったりである』などだと思います
    「いい人」と「人のいい人」は似ている気がします
    でも、実はとても違うのだと思います
    「人のいい人」は、一見、とても人付き合いがいいし、楽しい人が多いように思います
    でも、それだけなのではないでしょうか?
    それに対して「いい人」は、厳しいこともいうかも知れません
    でも、信頼できる人なので長く付き合うことができる人なのではないでしょうか?

    しばらく、他の事例も出して「いい人」とは何?って話をしていて、最後に彼女が『そうね、そうやって考えていくと相手を冷静に見れるかもね』という話になりました

    『いい人』と『人のいい人』
    私は「いい人」になりたいです  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年06月27日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    カラーセラピー~オーラぬり絵~

    カラーセラピーでオーラぬり絵をやってきました
    『現在の私』です


    テーマは『再生を待っている私』『新しい体の私』です
    ・体は真っ裸で、蚕の繭の中にいる私で黄色のオーラに包まれているイメージ
    ・オーラの色の1つ1つに薄い膜があって1番上と2番目の紫の膜だけが
    ちょっと外の世界に向かって開いているイメージ
    ・周りのブルーは、みんながいるところの色
    ・色のイメージは、自分に一番近いところにある色が好きな色

    カラーセラピーって、今はわからなくても続けていくことで
    見つかるものがあるそうです

    色によって自分の内面を表現していることが沢山あるようです
    今は見えていないことが少しずつ見えていくといいなって思っています
      
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年06月26日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)カラーセラピー

    OneWorldプロジェクトのその後

    以前、私のブログでも紹介したOneWorldプロジェクトの
    「ウィッグ&ケア帽子のご提供をお願いできませんか?」という呼びかけの
    その後を聞いてきました

    私が通院している病院の化学療法室で、受け入れをしていたそうですが
    実は、この申し出を受けた時は皆さんの善意を誰がどうやって配布していくか
    また、どういう人を対象にするかなど決めていない状態での受け入れだったそうです
    病院内でも、頂いても届ける交通手段などがなく、どうすればいいのか?という中での
    受け入れ決定だったそうです

    その後、帽子やウィッグが届いて『さあ、どうしよう』ってことになってから
    婦長さんが、看護師さんに「車で被災地に入って届けなさい」という指示をしたそうです
    その時に、現在、治療で髪の毛が抜けている人を優先にして今後の治療で抜けるであろう人は
    今回は配布しないなどを決めたそうです

    仙台市内からでも、被災地の病院に入るのはとても大変だったらしく
    また、病院も被災していることもあって、実際に本当に欲しい人にウィッグが届くかどうかは
    行って見ないとわからない。という状態だったそうです
    その中で、現地に届けることができて本当によかったし、皆さんの善意を無にすることなく
    できたことがよかったと言われていました

    そして、今でも被災地で必要なものが刻々と変化していくのに病院でも対応ができないと言われていました
    一体、今、一番必要なものは何だろう?というのが、なかなかわからないと言われていました

    病院は、外来はほとんど無事でしたが本館の老朽化がひどく
    また耐震に問題があるらしくて、使えなくなっていました

    神戸の震災の後、ブルーシートをかけた家が沢山ありました
    今回、新幹線に乗った時に同じような光景を見かけました
    それを地元の友達に話をしたら「そういえば、神戸のブルーシートって無くなるのに1年くらいかかったよね。あれが無くなった時に、やっと震災が終焉したと思ったけれど、実際は10年以上かかったよね・・・」って。。。
    そうだったよねって思いました

    まだ3ヶ月。これからですね

    OneWorldプロジェクトの活動はこちらから: http://oneworldpro.jugem.jp/  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年06月23日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)東日本大震災

    知っています。わかっています。

    先日、カウンセラーを目指しているという人に、私の下痢の話をした時に家族の方がお腹の手術をしてから下痢をしているという話になりました

    『私の母もそうなので、わかります』と言われました
    ふと『それは、わかります』なのだろうか?と思いました
    言葉の表現が違うだけだよ。と言われれば、そうかも知れませんが・・・

    『わかります』って言えるのは、当事者のお母さんなのではないでしょうか?
    そして、その家族は『知っています』なのではないかな?って思いました

    これは、私の母がよく言います
    『あなたの事は、私が一番よくわかっているから』って・・・
    自分が『がん』だとわかってから、母がいう『わかっているから』という言葉にずっと反発していました
    『なんで、わかってもいないのにそんな事いうの?』って

    先日、母と話をした時に『私ももう少ししたら70歳になるのよね』って改めて言われた時に、もしも順番通りに母が死んでしまったら私は今のままでいいんだろうか?って思いました
    私が先に死んでしまったら、その時母は『私は、あの娘のことを本当にわかってあげていたのかしら』って思うのでは?って思いました
    でも、もしも私よりも先に母が死んでしまったら、私は『なんであの時、そうだよ』って言ってあげなかったんだろうって後悔しないだろうか?って思った
    母はたった1人の母にはかわりないのに、その人に娘の私が『なんでわかってくれないの』って言ってしまったら、母の気持ちはどこに行けばいいんだろう?って思った
    確かに、母の『わかっている』は私にとってはむかつく言葉であっても、それでもいいんだって思いました
    自分では理解してくれていないと感じても、母が私のために一生懸命言ってくれているのは、かわらないんじゃないのかなって思った
    それなら、その一生懸命な気持ちをわかってあげればいいんじゃないかな?って思った

    『知っています』と『わかっています』は同じ言葉ではないと思います

    でも、許してあげたい時もあるんだって思いました

    ただ、言葉を大切にしていかなきゃいけない人が、それを同じにしてしまうのはどうなのかな?って思いました  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年06月17日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    同じでないといけないのかな?

    今日、メンタルトレーニングの講義を受けました

    その時に思ったのが、人は同じでなくてはいけないものなのかな?という事です

    先々週から、寝る前に『今日はいい日だった、ありがとう』という事と
    起きた時に『今日もいい日だ、がんばろーー』というのをやってみるというのを実践しています

    ただ、私は体調の悪い時は週3~4日の下痢、または腹痛があるので
    その効果があるとは思えない日々を送っています
    先週は、その悪い週でした

    私は、グループでの話し合いで、それをそのまま伝えました
    私としてはそれも個人的な感想だし体調が悪い時に無理やり『今日はいい日』と言っても
    体調が悪いのに、効果があったとはいえないと思うしそれもいいのではと思います

    ただ、その効果を発表する時に全員が『よくなっていることを実感しています』という流れを感じました
    実際、私のグループでは私が効果を感じられなかったというと『それは体調が悪かったから』といって
    私の意見は、排除されていました

    その時に、なんとなくですが『人と違うことを認めない』というような雰囲気を感じたし
    また『誰かを喜ばせるための感想』のように感じました

    私はこういう時に、少し怖いと感じてしまいます
    みんなが同じ方向にしか考え方が向いていないのって、どうなんだろう?と思います
    『人は人』だと思います
    みんなが別々の体を持ち、みんなが違う考えを持っているからこそ個性があるのに
    それを1方向に考えを持っていかなきゃいけないのって、まるでカルトみたいって思った
    『私は効果があったと思う』というのも『私は効果がなかった』というのも両方を受け入れることでこそ
    相手を受け入れていけるんじゃないのかな?って思います

    もし、これがあと1週間、2週間と続くことで『効果があった』という答えしかでなくなって
    それが当たり前というか、それ以外の感想を持つ事ができなくなっていくってどうなのかな?
    いい事であっても、悪い事であっても同じ考え方しかもてないっていうのは変じゃないのかな?
    と考えてしまった私です
    また効果の出方も同じではないと思います

    たった1日でも寝つきや寝起きがよかったら、それはいいと言えるんでしょうか?
    今までもそういう事はなかったんでしょうか?

    私は体調が悪いです。
    どんなに私が前向きに願っていてもそれが叶わない時もあります
    でも、それであっても受け入れていこうって思っています
    だからといって私は不幸でもないし、後ろ向きに生きているわけではないって言いたいです

    なぜ同じでなくてはいけないんでしょう?
    なぜ違うと言ってはいけないんでしょう?

    まるで補完代替医療をしている人みたいって思った
    『自分には効果があった。だからあなたもやってみなさいよ』といって断ると豹変する人たち。
    なんだか、せっかくのメンタルトレーニングが後味の悪いものになってしまってとても残念な気がしています  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年06月16日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    褒めること 2

    人を褒めるということ

    ・褒める相手に興味があるか?
    ・相手の発言に対して、Noといわない、間違いを訂正しない
     ⇒方言や言い回しなどがあるので、話の前後で判断する
    ・自分が相手に対して好きなところをいう
    ・わかりにくい事を長く言ってもわからない
    ・否定はしない(肯定的に話す)
    ・上から目線で話さない(同じ目線で話す)
    ・具体的事実を含める
    ・他者と比較しない(自分とも比較しない)
    ・心象風景で褒める
    ・知らない人を褒めるのではなく、目の前の人を褒める
     ⇒知らず知らずにけなしているのと同じ(家族なども)
    ・~さんが言いました。は、自分の言葉で褒めていない
    ・相手の「今」で、褒める
    ・「見た目」では褒めない(相手に色々な受け取り方ができるような話はしない)
     ⇒「見たとおり」「ご存知のとおり」
    ・受け手になって考える
    ・「意外性」という言葉は、褒め言葉ではない(受け取り方が色々できるから)

    とりあえず『褒める』という事を書き出してみました
    書いてみて、なんだろうな~~って思いました

    例えば、相手の親を褒めたりする場合で喜ばれることもあるけれど、人によっては
    両親が立派すぎて辟易している。なんて人もいるかもしれません
    そしたら、いくら『ご立派な両親ですね』と言われても相手には嬉しくないことかもしれない
    でも、それを嬉しいという人もいます

    ただ、昨日これを考えてみて自分が親に言われて『嫌やな』って思ったこともあるなって思いました
    友達と比べられて「なんで比べるんよ」と思ったように、誰か対象者がいて褒めてもらうよりも
    自分自身を見ていて欲しいって思ったような気がします
    でも、例えばクラスでいつも2番目だったのが、1番になったとかだと○○ちゃんに勝ったって
    それがやる気になることもあるだろうし・・・

    ううう~~やっぱり難しいですね

    私は子供がいないから実感としてわからないけど、褒めたり叱ってあげたりしなきゃいけない親って大変なんだろうなって思いました  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年06月11日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    褒めること

    人を褒める事って、実は難しいんだなって思いました

    今日『本人のかわりに自己紹介をする』というのをしました
    その時に『相手を褒めること』という基本設定があったのですが・・・

    例えば「Aさんは、とても器用な人で、私にはとても真似できません」と言ったとします
    これって、一見、褒めてるんじゃないの?って思ったのに、これは比べているそうです
    この場合は「Aさんは、手先がとても器用で、自分でマフラーを編んだりする事ができるそうです」
    これならいいそうです
    最初「これって何が違うのかしら?」と思わなくもなかったんだけれど、色々な人の話を聞いて
    訂正箇所や訂正された理由を聞いていくと『納得かな』って思いました

    その時に、自分が思う先生の評価。もそうだなって思いました
    『うちの先生は、B病院の先生よりも、いい先生だよ』といっても、それはどうして??と思うけど
    『うちの先生は、診察の時に私の話を真剣に聞いてくれるし、とてもわかりやすく説明してくれるの』
    だと、なんかわかりやすいんじゃないかな?って思いました

    具体例を出していく。

    でも、それって実はとても言葉が必要な作業なんだなって思います
    1つの事柄を、誤解されることなく相手に伝える技術って、ほんと大変です
    どうも医療現場での医師と患者の食い違いもここらへんに問題があるんじゃないかしら?
    と思ってしまった私です。

    で、とことん医療現場で考えてしまう私って・・・とも思ったけれど。

    今度子供を褒めてあげようって思った時は、ぜひ誰かと比べないで言葉を捜してみてください  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年06月10日 Posted by すもも at 00:00Comments(2)その他

    がんと就労 働きたい:1 順調に出世していたのに

    2011年5月13日

    午前7時半に起床。ゴミ出しをして、天気がいいと家の周りを30分ほど歩く。自宅に戻り、新聞を読みながらパンと冷蔵庫の残り物で朝食を済ませる。

     そこから1時間ほど、パソコンでハローワークの求人情報を検索する。月給15万円以上、職種は事務職……。希望に合う仕事が見つかっても、なかなか次の行動に移せない。

     「今は気持ちがなえていて。すぐに仕事は見つかると思っていたんだけどね」。これまでに20社以上を受験し、落ちた。

     千葉県に住む男性(54)は2006年2月、肺がんと診断され、手術を受けた。術後も抗がん剤治療を続けながら、仕事と闘病の両立を図ってきた。しかし1年半前、治療に専念するため、約30年間勤めた東証一部上場の会社を退職した。

     妻(53)と、大学4年生の息子(21)の3人家族。失業保険も切れ、貯金を取り崩しながらの生活が続く。

     大学を卒業後、九州の小倉を振り出しに全国各地の支店を回った。30代前半での支店長就任は、同期の間でも早い方だったという。

     「自分で言うのも何だけど、部下の適性を見抜き、育てるのがうまかった。できの悪い社員がいると、『あいつの所に送れ』なんて言われたもんです」

     朝8時過ぎには出社し、仕事が終わると取引先や後輩と飲みに行った。順調に出世を重ね、がんが見つかったときは、本社の地域統括部の副部長の役職にあった。

     「このままいけば、役員の一歩手前ぐらいにはいけるかな」。そんなことを考えていた矢先、人間ドックで、肺に小さなかげが見つかった。

     3日に1箱のペースでたばこを吸ってきたが、大病の経験はなかった。ただ今にして思えば、人間ドックの直前は風邪が1カ月間近く治らなかった。

     半信半疑で会社近くのクリニックを受診すると、「東京都内の大学病院で精密検査を受けるように」と言われた。

     大学病院でCTや肺の組織を調べた。検査結果を見て、年配の医師が申し訳なさそうに告げた。「左肺の上にがんがあります。手術で切りましょう」。肺がんの中で最も多い、腺がんだった。(岡崎明子)

    http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201105130244.html

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    友達から『朝日新聞に、がんと就労ってテーマの連載をしているよ』って教えてもらいました

    昨年くらいからHOPEプロジェクトの桜井さんの活動からでしょうか『がんと就労』について
    色々な場所で、色々な取組みがされているのを見かけます
    そのせいもあったんでしょうね
    先日の「心理カウンセラー」の方の対応が、なんか今の社会とちぐはぐな気がしました
    でも、実際はこういうものなんじゃないのかな?とも思います

    そして一般の人は、今でもやっぱり、がん=死。なんですよね
    私はがんにならない。とか検査を受けたって死ぬときは死ぬんだから受けない。などなど
    色んな事をいう人がいます
    がんになって、気がついたら末期ですぐに死ぬ。と思っている人がいかに多いかということです
    自分はそれでもいいと思います。
    でも、残された家族はそれを受け入れられるんでしょうか?
    治せるなら治してあげたいと望むのが家族だと思います

    そして、そういう人は自分が手術して後遺症を抱えたり、ストーマにしたり・・・
    なんて想像力が全くないんですよね
    でも果たしてそうでしょうか?
    自分がどんながんになるかは決まっていません
    がんだけでなく、他の病気になるかもしれません
    その為の検査でもあるんじゃないでしょうか?
    その時に果たしてどうやって仕事をしていくのでしょうか?

    がん患者だから特別なのではないと思います
    病気を体験した人は、みんな同じです
    でも、今は患者数がとても多い。そして、老いも若きも隔てなくなるのががんなんです
    がん体験者が受け入れられる社会は、どんな病気の患者であっても受け入れていけるのではないでしょうか?
    その為にも、患者に関わる仕事をしている人にはきちんとした社会性を持っていて欲しいと思います

    私のこの講師の方に対する対応は『あなたの事はこれからも見ていきます』という発言はパワーハラスメントとして受け取ったという事と『がんと一緒に働こう』の本を読んでもらうつもりです
    何がどうパワーハラスメントであったかを理解してもらうには、がん体験者の置かれている社会を知ってもらうことだと思います  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年06月06日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)ニュース・・・がん

    外見の症状でいじめ、差別 理解訴え、当事者ら連携

    2011年6月2日(木)13:00
     あざや白斑、脱毛症など外見に症状が表れ、好奇の視線にさらされる人への支援が広がっている。孤立しがちな当事者向けの情報誌を発刊したり、トークショーを開くなど、ありのままの姿を見せ理解を得ようという試みだ。【下桐実雅子】

     埼玉県の大沢優子さん(27)は、まぶたが下がる「眼瞼(がんけん)下垂」という病気で、12歳から4回手術した。06年、会員制サイトに自分の写真やコメントを公開すると、相談メールが相次いだ。会員数は約600人。大沢さんは「こんなに同じ病の人がいるのかと反響の大きさに驚いた」と振り返る。

     転校した小学校でいじめに遭い、中学校にはほとんど行っていない。腫れてみえる目を「おいわさん」と言われるのがつらく、人前に出られなかった。

     17歳のとき飲食店のアルバイトの面接を受けたが、「目どうしたの。困るよ」と断られた。何カ所か回って採用された飲食店では、客の言葉に傷つきもしたが、収入を得て自信がついた。今年、結婚した。

     「将来が見えなかったし、生きている価値がないと思っていた。同じ病気の人が、『自分だけじゃないんだ』とか『仕事や結婚もできるんだ』と思ってもらえたら」と話す。

     皮膚が部分的に白い「白斑」、顔面神経まひ、やけど痕など、外見に症状のある人がぶつかる問題を「見た目問題」と名づけ支援するNPO法人「マイフェイス・マイスタイル」(電話03・6658・5580)は、5年前に発足した。

     外川浩子代表(43)は、「見た目問題を抱える人は日本で100万人といわれる。約20の当事者団体があるが、横のつながりはなかった。悩みは共通しており、連携することで当事者の声を社会に発信したい」と訴える。

     ジロジロ見られたり、「うつる」と避けられるだけでなく、就職活動の面接では「取引先が嫌がるから雇えない」と言われることもあるという。当事者が相談できる場も少ない。同NPOでは昨年から年4回、情報誌「マイ・フェイス」を発行し、当事者のインタビューや各団体の紹介記事を掲載。写真展やトークショーなどのイベントも開催する。

     外川さんが支援を始めたのは交際していた人の顔にやけどの痕があったことや、当事者たちの本に衝撃を受けたからだ。「社会はすぐに変わらなくても、楽に生きられる手伝いがしたい」と話し、当事者が集えるサポートセンターの設立を目指す。

     20歳ですべての毛髪が抜けた岡村信子さん(36)は「円形脱毛症を考える会」の会長。普段はかつらを付けているが、マイ・フェイスの表紙ではありのままの姿を見せた。「命に関わるわけではないので、見た目問題は軽視されがち。一般の人に病気を知ってもらいたいと勇気を出した」と話す。

     髪や肌が白い「アルビノ」は、生まれつき体の色素を作りにくい病気だ。千葉県袖ケ浦市の当事者、石井更幸(のぶゆき)さん(37)は5月26日、東邦大佐倉看護専門学校の「医療と倫理」の講義で、看護学生を前に「当事者への何気ない言葉がどん底へ突き落とすこともあるし、立ち直らせる力にもなる」と訴えた。

     石井さんは化学工場で働く傍ら、講演や全国の当事者のもとを訪れる交流会活動に飛び回る。会った当事者は約300人。「傷つき外に出るのも怖いという人がたくさんいる。自分も仲間に出会えず孤独だったから、苦しむ人の聞き役になりたい」と話す。

     医療従事者への理解を深めようと、自分の講義に石井さんを招いた石井拓磨医師(小児科)は「日本ではまだ支える態勢が十分でない。海外のように、医師やカウンセラー、教員など幅広い立場の人が支える努力が必要だ」と指摘する。

    NPO法人「マイフェイス・マイスタイル」(電話03・6658・5580)

    http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20110602ddm013040015000c.html

    以前、ユニークフェイスについて書かれた本を読みました
    詳しくは、こちらから。

    http://miyabimari.tamaliver.jp/e153997.html  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年06月04日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    自己紹介

    今日で3回目の自己紹介でした



    1番最初に自己紹介した時は、手探りな感じで「とりあえず頑張ってしゃべらなきゃ」という感じでした
    でも、2回目3回目と回を重ねるごとに、明らかにみんなが上手になっていきました

    そしたら、面白いことに気がつきました
    「この人、あんまり話ししなさそう」とか「話が上手そう」とかって勝手に思っていた人が
    実はとっても話が長いとか、あまり話が得意ではなかったりして、びっくりでした
    また趣味と服装のギャップを感じたりする人も・・・
    アウトドアな趣味を話す人が、とても女の子っぽい洋服だったりすることもあります
    人って見かけにはよらないものなのかもしれないな~~なんて思いました

    多分、あと2回は自己紹介をすると思っています
    1回目、2回目、3回目と自己紹介をしましたが、私のテーマは2回同じことは言わない。です
    聞いている人はいつも一緒ですが講師の方は違います
    その時に「以前もいいましたが」というのは、ちょっといやだなって思っています
    もちろん、出身地など変わらないものは別として他の事は出来るだけ違うことを言おうって思ってます
    自己紹介は、少しでも違う私を知ってもらういい機会なのではと思っています

    人の話を聞くこと。は実はとても難しいと思いました
    よくドラマで「どういうことですか?」とかって相手に詰め寄って聞いてる記者のシーンとかあるけど
    あんなんじゃ絶対に話なんてしないよ・・・と思ってたけど、本当にそんな気がしました
    話を聞くというのは、文章を書くよりも難しい行為なのかもしれないなって思います

    毎日、朝と講座の最後にA41枚ずつレポートを書いています
    書くことでしか、文章力や聞く力はつかないそうですが・・・
    私は、これがなかなか楽しくなっています
    中には大変といっている人もいますが、上手に書かなくていいのならこんなに楽しい事はない?
    これを1ヶ月も続けていれば、不思議と「聞く力」もついていくそうです
    でも上手にかかなきゃいけないとか、何か調べて書くのって結構時間がかかります
    そういうのって、ちょっと疲れてしまいます

    今のところ下痢などの体調を壊してないので、がんばってます
    ただ、腰痛と腰痛からくる頭痛に悩まされてますが・・・  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年06月03日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    第一印象

    イメージトレーニングの講座の時にグループで『第一印象について』というのを話しました



    以前、他の場所で60人で相手の第一印象を付箋に書いて、貼って行く。というのをやった事があります
    その時は「リーダーシップを取るようなタイプ」「一歩下がって秘書的なイメージの人」といった職業的な印象だったのですが、ただ、ほんの数秒で59人の相手に付箋を書いて渡していくので楽しかったです
    「渡しました」「いいえ」「じゃあ、書きますね」「はい、どうぞ」と1言2言交わしながら
    みんなに付箋を体に貼ってもらっていきます

    その時の私のイメージは「秘書タイプ」でした
    いいイメージでは、計画的に見える。とか冷静な雰囲気。だったりしたのですが
    悪く言えば、冷淡かも知れないですよね

    今回は、好奇心が旺盛なタイプという分類でしたが、その印象を言ってくれたのは
    1度ご飯を食べて話をした人だったので、第一印象とは違っていて趣味なんかも話した後でした

    その中で1人だけあまり話したことがない人がいて、彼女の私のイメージは計画的なタイプでした

    第一印象って、実は変えることができる。と言われた事があります
    自己紹介の時に、笑って話をしてみるとかだけでも違いますよと言われた事があります
    後は女性なら「メイクをかえてみる」とかも・・・

    今日、教えてもらったことで面白いなって思ったのは

    寝る時に『よかった』『ありがとう』『明日もいいことがある』
    起きた時に『よく寝た』『今日もいいことがある』

    と思うそうです。くれぐれも、忘れないように。

    私の知り合いにも寝る前に「今日はいい日だったわ」という人がいました
    私のブログのタイトルの「今日はいい日、明日はもっといい日」もその人からの受け売りですicon37  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年06月02日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    心理カウンセラーという仕事

    心理カウンセラーという方と話をしました

    心理カウンセラーの講座を受けています
    その時に、実際、カウンセラーとして働いている先生に、手術・放射線治療の後遺症がある私は「急な下痢があるので、その時はすみませんが途中で退室します」と伝えました
    私が上手に伝える事ができなかったせいもあるのかもしれませんが『企業で働くという事は、あなたがどういう状態かは関係ないし、自分で出来る対応は何かあるのでは?』と言われました

    わからなくはないけれど、ひざ掛けに湯たんぽも上着も持ってきて
    その上、できるだけ空調の吹き出し口から一番遠い場所を選んだ私に
    「その場所にいて、本当に努力したことになるのかしら?」と言われました
    「私だったら、出入り口に近い席を選ぶわ」と言われ
    「空調が寒いので、出入り口の近くにはいけません」というと
    「私も昨年、足の骨を移植する手術を受けました。でも、もし私が足が痛いからとかいって座っていたら
    どう思いますか」という言い方をされた
    わたしとしては、どうしてもつらいならそれは座って講義してもいいのでは?と思います
    また、いつ下痢が起こるかわからないなら生理用品を使っていればいいんじゃないの?とも・・・
    確かにそうかもしれないけれど、果たしてそうなのでしょうか?

    私の言い方かもしれないけれど、精神論を説いているような気がしました
    また、その前に講義中ずっと居眠りをしていた人がいて、その人に「自己管理が出来ていないんじゃないの」という話をしました
    「もしも私が眠いからと、講義中に居眠りしていてもいいのかしら?」と
    その後の私の事だったので、私の事も自己管理がなってないといいたかったのでしょうか?
    後遺症は、いつ起きるかわからないものです
    その為に、ずっと出入り口のしかもクーラーの吹き出し口にいる事がいいのでしょうか?
    手術後、体温調整が上手くできない私にとって、それほどつらいことはありません
    でも、その講義を受けるためには、そこまでしなくてはいけないのでしょうか?

    企業で働くという事は。という言葉の意味はわかります
    でも、私が働いていた企業や現在、私のがん友さんたちが働いている職場でもそこまで
    精神論に近いことを聞いた事がありません
    もちろん、全てに対応するのは難しいけれど「つねに」起きる事柄以外でもそこまでやらなくてはいけないものでしょうか?
    少し違和感を感じました

    心理カウンセラーという職業は人の言葉に耳を傾けるのが仕事だと思っていました
    それは、どんな立場の人であってもだと思いました
    それが違っているんだと知りました

    また、これこそががん体験者が直面している問題なのかもしれないとも思います
    きちんとした医療知識を持っている人ではない人が精神論として対応する
    患者は、誰かに頼らずにできるだけ自分でやりたいと思っています
    がん体験者を特別視して欲しいといっているのではありません
    でも、どうしてもできないからこそ話をするのだと思います

    精神論ではなく、きちんとした対応をしてもらえるカウンセラーに出会いたいなと思いました
    また「私は、これからのあなたの対応を見ていますから」と何度も言われました
    正直、とても迷惑だと思いました

    とりあえず、今回の件で講師の方に話をするのは止めようと思いました

    私にとって今回の心理カウンセラーの対応は、パワハラと呼べるものだと思います  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年06月01日 Posted by すもも at 00:00Comments(2)その他