たまりば

多摩の地域情報 多摩の地域情報三鷹市 三鷹市

スポンサーリンク

上記の広告は、60日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by たまりば運営事務局 at

君たちとタバコと肺がんの話



喫煙防止教育指導パンフレット

青少年の皆さんicon_bikkuri2

タバコを吸うのは絶対に止めようicon_bikkuri
肺がん物質は、君たちの年齢の肺が一番好きなのだ!
我が国の死因の1位はがん、がん死亡のトップは肺がん。


厚生労働省が、2010年に発表した人口動態統計によると、がんによる死亡者は年々増加し、2009年の死亡者は344105人(前年より1142人増)で、全死亡者の30%を占めています。すなわち、全死亡者のおよそ3人に1人は、がんで亡くなっています。また、その中でも肺がんは死亡者は67583人(前年より734人増)で、前年に引き続いて1位となっています。

近年における「がんの主な部位別死亡率」の推移は、男性の肺がんは特に顕著な増加傾向を示しております。

我が国の肺がんの死亡が急速に増加しているのは、1950年以降に我が国に普及した紙巻タバコによると考えられています。1950年に約500億本だった販売本数は、2009年には2339億本と60年間で5倍に増加しております。

この結果、1960年にはわずか5000人だった肺がん死亡は、2009年には67000人と13倍に膨れ上がったわけですが、この増加のほとんどはタバコによって説明できると考えられています







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

病院で見つけた「喫煙防止教育指導パンフレット」です
何だか、とっても怖い中身でした

若い肺がんの体験者の方と話す機会はなかなかないですが、以前、50歳の体験者の方と話したことがあります。独り暮らしだったので手術後がとても大変だったと話されていました
傷跡の大きさや手術の大変さだけでなく、その後の生活もかなりつらいという事でした

最近は、タバコを吸える飲食店も減ってきているし、喫煙者には肩身の狭い世の中になっている気がします
これを機会に禁煙というのは、難しいです
それなら若い人は、最初から喫煙しないようにするのは、どうかな?と思ったりします

禁煙してから、長い時間が過ぎたせいかもしれないけれど、最近は喫煙する人と一緒にご飯を食べる気持ちにはなりません。せっかくの料理が不味くなる・・・というのが、正直な意見です
確かに吸っている人には、食後の一服は美味しいかもしれないけれど、吸わない人にはこれほど迷惑な1本はないかな
せっかくの美味しさがタバコで打ち消されてしまう気がしてしまいます

同じ店内にいて、自分の友人でもない人が吸っていてもやぱり同じです

段々と肩身の狭い喫煙環境です。いっそのこそ禁煙してみては?
  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月29日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)お知らせ

    チョコ募金が始まります!





    子どもの命を救いたい。

    今年もチョコレート募金の季節がやってきた。バレンタインデーに向けて、12月1日から受付を開始する。集まった資金は、イラクの白血病やがんの子ども達の医療費に充てる。ぼくたちJIM-NETの大きなプロジェクトの一つだ。
    イラクでは、劣化ウラン弾が落とされた地域に小児がんや小児白血病が増えている。劣化ウラン弾と病気の因果関係をつかむために遺伝子の研究をするイラク人医師の支援もしているが、まだはっきりしていない。
    このプロジェクトは、多くの人の協力によって成り立っている。チョコレートは、北海道を拠点と展開する六花亭に、利益なしで作って頂いている。チョコレートが入る小さな缶には、イラクの子ども達自身がイラストを描いた。自分も病気でありながら、ほかの病気の子どもを救う活動に参加できることを誇りに思っている。
    今年15歳のハウラは、小児白血病を克服した。自衛隊が派遣されたサマラに住んでいる。
    ハウラは、東日本大震災が起きたときにはこんなメッセージをくれた。
    「イラクから皆さんへ 私は地震の話を聞いて日本の皆さんのことがとても心配になりました。
    早くよくなるように祈っています。皆さんのことを思って、たくさんの赤い花の絵を描きました。
    皆さんに赤い花を届けたいのです。私の心はいつも日本の友人の皆さんとともにあります。ハウラ・ジャマル」
    今年のチョコレートの缶は、彼女の書いた花のイラストをプリントすることにした。
    昨年は12万個のチョコレートを用意し、すべてなくなった。今年は14万個、7000万円の募金を目指している。福島の子どもたちの支援にも充てるため、数はかなり多めとなった。
    缶の制作は、草加市の中小企業にお願いした。不景気の中でありがたいと喜んで受けてくれた。大変な作業になるが、仕事ができるのがうれしいと言ってもらえた。
    みんなのあたたかさでつながっている。
    あなたもこのつながりに加わっていただけると本当にうれしい。

    JIM-NET代表:鎌田實

    チョコ募金の受付は2011年12月1日からです。いましばらくお待ちください。

    詳しくは、こちらから:http://www.jim-net.net/choco/  
    タグ :チョコ募金
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月28日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    東北大学病院がんセミナー開催のお知らせ



    平成23年度第9回東北大学病院がんセミナー開催のお知らせ

    日 時:12月15日(木)
         午後6時30分から午後7時30分
    場 所:東病棟4階 第5会議室
    講 師:石巻赤十字病院 乳腺外科部長 古田 昭彦先生
    演 題:「災害時における癌診療~石巻赤十字病院の取り組み」
    担 当: 乳腺・内分泌外科 甘利 正和
    連絡先:東北がんプロフェッショナル養成プラン(内線7087)

    http://www.hosp.tohoku.ac.jp/release/index.php?e=623  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月25日 Posted by すもも at 00:00Comments(2)お知らせ

    微小がん、スプレーで蛍光

    微小がん、スプレーで蛍光=内視鏡手術の成功率向上期待―東大と米国立研が試薬開発
    時事通信 11月24日(木)4時4分配信

    がんの外科手術の際、スプレーすると数分後に微小ながんが緑色の蛍光を発し、見分けられる試薬を開発したと、東大大学院医学系研究科の浦野泰照教授や米国立がん研究所の小林久隆主任研究員らが23日付の米医学誌サイエンス・トランスレーショナル・メディシンに発表した。内視鏡などを使ってがんを切除する際、取り残しを防ぐことができ、手術の成功率が高まると期待される。
     研究チームは、正常な細胞には少ないが、がん細胞には非常に多い物質を探し出し、この物質にだけ蛍光試薬を結合させて光らせる方法を考案。健康診断の際、アルコール性肝障害などの指標として利用される「ガンマGTP」によく似た酵素「GGT」を見つけた。
     GGTは、肺や肝臓、乳、卵巣などさまざまながん細胞の細胞膜上に多く存在し、がん細胞のエネルギー生産に必要な「グルタチオン」を外部から取り込む役割を果たしている。研究チームは、GGTに結合すると、蛍光物質を生成し、がん細胞内に蓄積される試薬「gGlu―HMRG」を開発した。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    立川談志さんが喉頭がんで亡くなられました。
    私は関西なので、談志さんの落語はほとんど見たことがありませんが
    落語家さんらしい人生を送られた方だなと思いました
    1997年に食道がん、そして、咽頭がん。
    何度かの再発を繰り返しているようなので、再発・転移がんだったのでしょうか?

    『がん治療は最初の治療が肝心』と、私が治療を受ける時に体験者の友人から言われた言葉です
    最初にきちんとした治療をしておくと、再発・転移の確立がぐっと下がるそうです

    談志さんが最初に手術を受けた頃よりも、現在では食道がんも見つかりやすくなっているそうです
    そして患者さんは、大変な手術をしていたそうですが、段々と早期で見つかるようになると
    内視鏡手術もできたりと比較的体に負担のないようになっているそうです

    『微小がん、スプレーで蛍光』というのは、すごい事だと思います
    私自身、微小浸潤がんということでお腹の中に取りこぼしのがんがあるかも知れないということで
    追加の放射線治療を受けているので、もし手術だけでがんが取り除けていればと思います

    がん治療の進化は、目覚しいものがあります
    できるだけ患者の負担にならないものを望みます  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月24日 Posted by すもも at 12:00Comments(2)ニュース・・・がん

    わたしの心と色の歴史



    9月にカラーセラピーで『怒り』を表現する「ぬり絵」を塗りました
    『怒り』や『悲しみ』『辛さ』といったマイナスな感情を表現した後は
    自分自身で選んだ『癒し』の「ぬり絵」を塗って、プラスの感情にします

    「ぬり絵」は、自分自身で選んで塗りますが
    人は、どんな時でもマイナスな出来事があると無意識にプラスに向かう力があるような気がします



    先日の『わたしの心と色の歴史』を作成している時の事です

    これを書くのに、ほぼ1ヶ月かかったのですが
    終わると、何だかかなり凹んでいる自分がいました
    その後、自分のマイナスにいった感情をどうやってプラスに持って行くかを考えていました

    その時に、ふと思い出したのが『旅行日記』です

    いつも旅行に行くと、自分なりの『旅行日記』を作っていました
    友達に「OOに行ってきたよ」といって写真を見せても
    なんとなく全体像がわからないような気がして、人に見せるのが4割。
    あとの6割は自分自身が楽しむために作っていました

    元々は、ベトナム旅行に行った時に作ったのがきっかけで、思ったよりも友達受けもよく
    その後、韓国旅行と台湾旅行も作りました

    修学旅行で押したスタンプみたいなものでも、ちゃんとしたノートだと
    お洒落に見えるし、それにイラストを描いたり、レシートを貼ってみたり・・・
    街角で見かけた「変なもの」をこちょこちょと書いていると、結構楽しかった

    ふと、それを思い出したら自分の歴史とも言える思い出のパンダ写真を貼ってみたり
    京都の千本鳥居の写真や、お祭りの写真などをネットで探していると
    段々と自分がそれを楽しんでやっているのに気がつきました

    そういえば私って、闘病日記もこんなだったな~~なんて思ったり・・・
    『どんな事であっても自分にとってマイナスな出来事なんてない』と思って
    手術後のICUの写真だって「ああ、この時弟とこんな会話したわ~」とか
    お腹のホッチキスの写真だって「この時、マニアックな先生だったのよね」とか色々。

    そして、元気になっていくと忘れている出来事を思い出すことで
    本当の意味で自分は元気になっているんだと知る事もできる気がしました
    人は色々な方法で自分が元気になる方法を知っている気がします

    迷った時は、自分の心の声を聞いてみるのも大切なのかな。と思いました  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月24日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)カラーセラピー

    オウム裁判が終結



    オウム裁判が終結=強制捜査から16年―遠藤被告の上告棄却・最高裁

    地下鉄、松本両サリンなど4事件で殺人罪などに問われ、一、二審で死刑とされたオウム真理教元幹部遠藤誠一被告(51)の上告審判決で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は21日、被告側の上告を棄却した。死刑が確定する。これにより、1995年の地下鉄サリン事件発生や教団施設への強制捜査から約16年半を経て、計189人が起訴された一連の事件の裁判は全て終結した。
     事件ではこれまで、元教団代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)を含む11人の死刑が確定した。今月18日には元幹部中川智正被告(49)=一、二審死刑=の上告が棄却されており、中川、遠藤両被告の死刑が確定すれば計13人となる。 

    時事通信 11月21日(月)10時59分配信

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    オウム事件がこれで終わるのでしょうか?

    1995年3月に地下鉄サリン事件が起きました

    この事件が起きた、同じ年の1月17日に『阪神淡路大震災』が起きました
    連日のように放送されていた神戸の地震が、この事件でまるで何もなかったように
    「サリン」「オウム」「サティアン」「麻原」と言った言葉にとって変わりました

    今でも、あの事件は一体、何だったのだろう?と思います

    そして、2011年3月の東北の地震。
    この年に、オウム裁判が終結する。
    なんだか因縁めいたものを感じます

    オウムは名前を変えて、まだ活動しているそうです

    16年という年月は、長いと思います
    でも、今でも神戸もそして地下鉄サリン事件の被害者の方も苦しんでいます
    そして、東北も・・・

    この事件をもう一度、私たちは真剣に考えてみなくてはいけないのかもしれない  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月23日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    うちのお父さん

    いつも『がんと家族』というと母親との関係を書いていることが多かった気がしますicon_maro

    でも、自分の色と歴史で親との関係を考えた時に、どうしてもお母さんの色が見つからなかった
    子ども時代の私にとって、母は近くにいて一番遠い人だったと思います

    反対に、お父さんはすぐに「青」って思いました

    そして、私の一番最初に好きな色で選んだ色が「黄色」と「青」でした

    私が生まれた時に1800グラムしかなくて、しかも敗血症を発症してしまい
    医師からは「あきらめてください」といわれたそうです
    その時に、3日間血小板交換をして助かったそうです

    小さくて保育器の中に入ってた私は、母乳を飲むこともできなくて
    注射器でミルクを飲んでいたそうです

    お母さんが言うには、小さくて抱っこすることができなかった私のお風呂はお父さんの仕事だったそうです
    そして、お父さんが言うには、小さかった私はお父さんの片手しかなかったそうです

    私が具合が悪くなった時に病院に連れて行ってくれるのも父親で
    ある日、背中に水がたまって「痛い、痛い」という私を
    家から少し離れた大きな病院に連れて行ってくれました
    その時に先生に「背中に水がたまっているので、注射器で抜きますね」と言われて
    先生が、すごく大きな注射器を出したら
    父親が「可哀想で見てられへん!」と、部屋から逃げてしまいました
    子ども心に「なんちゅう、お父さんやねん・・・」と思ったけど、看護婦さんに「大丈夫?」と聞かれて
    「大丈夫です」と答えたのを、よく憶えてます
    で、無事に処置が終わった私に、お父さんが「大丈夫か」と行って、帰り道におんぶしてくれました

    うちの父親は、関西人らしく「鉄板のお笑いネタ」の沢山ある人で、色んなものがあります

    ある日急に「姫路城が見える家に引越しする」といって、
    私が中学2年の3学期に山の上に家を建てて、転校させたり・・・
    かと思ったら、自分の定年まじかになると「こんな山の上には住まれへん」と
    またまた引越しを決めてしまったり・・・・
    さすがに、この時ばかりは母親が「私が家を決めます」と引越し先を決めたけれど、
    母が言うには「お父さんに決めさせたら、とんでもないことになる」といっていました

    父親の「OOしちゃる宣言」は、子どもの私には「とんでもないこと宣言」でした

    ある日「魚取りに行くぞ!」と言い出したと思うと、田舎の川に行って(母の実家の前にある小川)
    私たちが網を持って(ご近所の友達も連れて行った)「わーーーーい!!」と川に入ろうとすると
    「川に入るな!」と怒られて、子どもたちは「なんで??」状態でした
    そしたら、父親と叔父さんが川に電気を流してました
    しばらくすると魚が、プルプルしながら浮いてきて父親が「ほら、すくえ」って・・・
    「おいおい・・・これって、魚取りと違うやん・・・」と思いながら、すくってました

    またある時には「今日はわしがめっちゃ美味しい蒸しパンつくっちゃる!宣言」
    で、山のように作った蒸しパンを「ご近所に配ってこい」と言って
    配り終わってから、さあ、みんなで食べようって「ぱくっ」
    「えええ!何、この歯が折れそうな蒸しパン!」「あっ、膨らし粉忘れてた!」
    ご近所に配ってもたやないの・・・と、後の祭りでした

    「カレー作っちゃる宣言!」もあって、食材を全部ミキサーにかけて
    「これですぐに煮込めるからええんや」と言って、少しだけ煮込んで食べたら
    口の中がザラザラして、食べれたものではなかったり・・・

    私のアトピー性皮膚炎に効くからといって、マムシを焼いて食べさせたり・・・

    そんな事は、日常茶飯事でした

    本当に、家族みんなを振り回して生きている人だし、反発したりもしました
    でも、嫌いではなかったんだろうなって思います


    母曰く「小さくて既製服がなかった私」に、母が服を作ってくれていました

    そして夏休みになると、お父さんが「布買ってきちゃったぞ」といって
    私とお父さんとお母さんにお揃いの洋服を作ってくれと言って布を買ってきました
    それで、お母さんが、私とお母さんにはお揃いのワンピース、おとうさんにはズボンを縫っていました
    1枚ですが、白地にブルーのヨットの柄を着た私の写真が残っています
    写真が好きだった父親が、色んな写真を撮っていました

    私が一番好きな写真は、新幹線のホームでパンダのぬいぐるみを抱っこしている私です

    ぬいぐるみは、ある日いきなり母に捨てられて泣いて文句を言ったけれど
    父がこの写真を撮っておいてくれてよかったなって思いましたicon40



    でも、この「パンダちゃん」を買ってくれたのは、父のすぐ上の兄(叔父さん)でした
    叔父さんが「女の子がいないので遊びにおいで」といって
    父が新幹線のホームで私を乗せて叔父さんが私を受け取ってくれました

    私にとって新幹線の「青」は、自立の色でもあるような気がします

    お父さんが買ってくれたのは「キティちゃん」というと「ミッフィーちゃん」になったり
    「りかちゃん」というと「チューリーちゃん」に変化したりと
    子ども心に「なんでやの・・・」と思っていましたicon_maro06
    それなら一緒に買いに連れて行ってくれればいいのに「驚かしてあげよう」とか
    「喜ぶ顔が見たい」と思っている人だったので、喜ばないと大変でした・・・face07

    でも不思議なくらいに父親に似ている私は、お父さんが脳腫瘍になった後に、がんの告知を受けました
    同じように放射線治療を受けたり・・・不思議なものだなって思いました


    絵本を紙芝居にして色々なところで披露している父と久しぶりに話をしたら
    「今、泣いた赤鬼の絵本を書いてる」と言っていました

    昔々、父親が私に読んでくれた絵本です。

    でも、本人はすっかり忘れていたみたいで「私、泣いた赤鬼の絵本好きやったわ」と言ったら
    「そうやったんか」と言って、私が「あの、立て札のところが悲しくて・・・」というと
    「そうやな。『私は心の優しい鬼です』ってところやな」と言っていました
    どこかで似ているんだろうなって思いました

    愛すべきキャラだった父親も今は、普通の人みたいになってますmomiji

    現在の父の色は、ちょっと元気がなくなってしまったので以前よりも暗めの「青」です  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月22日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)がんと家族

    ハートのメモリー(わたしの心と色の歴史)



    20日にカラーセラピーの集大成ともいえる
    「わたしの心と色の歴史」の発表がありました


    最初に、自分と色の歴史を書いていくと思ったよりもマイナスな事を書いている自分がいて
    書き終わった時には、どっぷりと「ネガティブオーラ満載icon15icon15」って感じになっている自分がいて
    そんな自分に対して、どこかで「やだな・・・face07」って思っていました
    確かにお父さんやお母さんとの関係や病気の事を考えると、それはマイナスかもしれない
    でも、果たして自分は本当にそれでいいのかな?という疑問が湧いてきて
    「私って、そんなにネガティブじゃないやんicon_bikkuri」と思っていました


    人生40年も生きてたら、嫌な事がないわけないやんicon_maro07
    でも、それをポジティブにとらえてきたからこそ、自分は仙台まで行ったんと違うやろか??とか・・・
    それを考えていると、何かマイナスに向かっていた自分の感情blue_downをプラスに向ける方法blue_upを考えていましたface09


    そのきっかけが「みどり」という色でしたyotsuba
    みどりがお洒落だと自分が感じた日も覚えているけれど、それが20歳で「そんなに遅いかな?」と
    疑問に思ったことが自分の色の考え方を見つめ直してみようと思ったきっかけになりました
    「みどり」は、専門学校の時に、クラスの中で一番お洒落だった友達が好きな色で
    彼女が被っていた「ベレー帽」が「みどり」でした
    それまで「みどり」を身につけたことがなかった私としては、その色がとても新鮮で「いいな」って思いました
    その後、照明デザイナーをしていた友達が「みどりは再生の色だから生まれ変わろうとしてるのよ」と
    教えてくれたのもあって、「みどり」っていいかもって思いました

    それで「みどり」=お洒落な色。というポジティブなイメージが定着しましたhinode

    でも、もっと身近に「みどり」ってあったような気がするなって思いました

    自分の色々な言葉や記憶をたどっていくと「みどり」は「蛙」と「亀」がでてきます
    確かに「アマガエル飼ってたしな?」とか「ミドリガメも飼ってたよな?」とか思いました

    その最初に好きだったカエルって「ケロヨン」だったかもって思いました
    ケロヨンの椅子が好きで、自分が大きくなって座れなくなってしまった時に
    とても悲しく感じたことなどを思い出しました
    それが、自分の中の「みどり」の始まりだったと思いますicon18



    でも「みどり」が「好きな色」として登場するのは、もっと後になります

    そして、自分の中で「みどり」=「赤」という印象があって、不思議と緑と赤を合わせていました

    そのイメージの原点は、京都でした
    父方のおばあちゃんの家が京都で、夏の京都には行きたくないと言っていた母のせいで
    いつも秋やお正月になると京都に行っていました
    その時に、よく行っていたのが「苔寺」です
    そのイメージの色が緑。そして、椿の赤。
    後は「千本鳥居」と呼ばれていた鳥居が重なっている色のイメージです
    「妖しい」イメージがありました
    でも、嫌ではないなと思いました

     

    そして、田んぼのあぜ道に生えた「彼岸花」だったりも私の記憶の緑と赤のコントラストです
    「彼岸花」が綺麗だから家に持って帰ったら母親に「家が火事になるから」と怒られました
    なんで??と思ったけれど、泣く泣く捨てに行きました
    だから、彼岸花は綺麗だけれど外で見る花だと思いました



    色々な色があって、自分にとっての緑は再生の色だと思いますwakaba_mark

    離婚を決めた時に見た「長崎の夜景の色」だったり、がんを告知されてここで治療を受けると
    決めて行った仙台の町の色もやっぱり緑でした
    自分にとって、切っても切れない色なのかなと思います

     

    発表を終えてみて感じた事は、自分が話し終えて「ポジティブな感情」で終われれば
    それは、受け取った側もポジティブな感情になるのではないのかな?と思います

    細かい部分を読んだとしても(私は細かい部分はほとんど、すっとばしてました)
    本当の部分や伝えたい部分は、なかなか伝わらないと思います

    でも「ああ、満足」とか「ああ、よかった」と笑って言えれば、相手にも伝わると思いました

    そして、例えば「みどりが嫌い」としても「みどりが苦手なの」でもいいし
    「みどりよりも赤のほうが好きかな」でもいいのでは?と思ったりします

    同じ事を伝える時にマイナスのイメージで伝えるよりも、そんなにマイナスじゃなく伝える
    それだけでも相手が受ける印象は随分違うかな?と思ったり・・・

    そして自分自身が「自分の人生は、プラスマイナスで考えたら、やっぱりプラスかもicon14」と
    自分が思えばいいだけなんじゃないのかなって・・・


    私の「告知体験」や「手術のこと」「治療のこと」「後遺症のこと」なんて、大変じゃないわけないもの
    でも、それを共有するのは「がん友」さんでいいと思います

    「あの時、つらかったよね」「うんうん、私も」と共感してもらえる人と分かち合えばいいと思う

    そしてマイナスなものを伝えるために、自分の人生を語りたくないというのが私の考えなのかな?と思います

    どんな事であっても最後は笑って「あなたと話ができてよかった」とか「あなたの話が聞けてよかった」と
    思ってもらえる人でいたいなって思います


    で、私のハートのメモリーは自分自身の消化のためにですが、しばらく続きます。。。

    今日は「みどり」の日でしたyotsubayotsubayotsuba
      
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月21日 Posted by すもも at 00:00Comments(2)カラーセラピー

    杏林大学病院でランチ~日比谷・松本楼~



    杏林大学病院の外来6階の『日比谷松本楼』のランチに行きましたicon01

    偶然、ネットで見た三鷹ニュースで杏林大学病院の6階に日比谷松本楼のランチが美味しい
    というのを見たので、友達に外来日を聞いたら「明日だよ。」ということで、早速、行ってきました

    私は、和風スパゲティーicon28



    友達は、オムレツライスのハヤシソースicon28



    で、ビール好きの2人なので『病院なのにね~~』と言いながら
    生ビール飲んでましたicon14icon14

    6階の展望フロアは、お天気もよくて、すごく綺麗でした
    通院するのは「・・・・・」だけど近くに行った時には、ぜひ利用してみてくださいface02  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月17日 Posted by すもも at 00:00Comments(2)その他

    100倍のがん検出感度でも発見できない理由



    島津製作所、がんの目印検出感度100倍に
    2011年11月8日 日本経済新聞

     島津製作所は8日、病気の目印になる分子を従来の100倍以上の感度で検出できる技術を開発したと発表した。検出に使う抗体たんぱく質の構造を、目印分子に結合しやすいよう改良した。ノーベル化学賞受賞者でもある同社の田中耕一フェローは記者会見し、「がんなどの目印を血液1滴から検出できるようになる。病気の診断や原因解明に役立ち抗体医薬の改良にもつながる」と期待を語った。

     抗体は体内で免疫反応を担う。アルファベットの「Y」に似た形のたんぱく質で、2本の“腕”を使って特定の分子に結合する。田中フェローらは腕の付け根部分に、ばねのような形のポリエチレングリコールを組み込んだ抗体を設計した。2本の腕は通常、固定されほとんど動かないが、新しい抗体では回転や伸び縮みするため、目的の分子とより結合しやすい。

     アルツハイマー病の原因物質の一つとされる「アミロイドベータ」を使って実験し、結合能力が従来の100倍以上に高まることを確認した。ごく微量しか存在しない分子も検出できるようになる。血中の微量なたんぱく質を検出し、がんやアルツハイマー病などを早期診断する技術につながる。少ない投与量でも高い効果が得られる抗体医薬を開発できる可能性もあるという。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    『100倍のがん検出感度でも発見できない理由』という見出しに「なんだろう?」と思ったのは
    どんなに性能のいい機械が出てきたとしても「検診率」の低さが早期発見につながらないということだと思います
    私自身がそうですが自覚症状がでて初めて重い腰を上げて病院に行きました
    子宮頸がんや子宮体がんは、比較的自覚症状がでても早期がんの可能性もありますが
    すい臓がんや肝臓がんといった「自覚症状の少ないがん」は早い検診が大切です

    どんなにすごい機械ができても、最後は自分自身の行動力だと思いますicon_maro  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月16日 Posted by すもも at 00:00Comments(2)ニュース・・・がん

    もっと知ってほしい卵巣がんのこと





    「もっと知ってほしい卵巣がんのこと」は、東京慈恵会医科大学の落合和徳教授の監修のもと、卵巣がんのこと、診断、治療ガイドラインにより標準化されている治療、サポート体制のことなど、患者が納得いく治療を受けるために知っておくべき“正しい”情報を全16ページで掲載しています。

    ・卵巣がんとは、どのような病気ですか
    ・どのような検査が行われ、卵巣がんだと確定されるのですか
    ・卵巣がんの進行期(ステージ)について教えてください
    ・卵巣がんでは、どのような治療が行われますか
    ・手術後、体にはどのような変化が現れますか
    ・初発がんには、どのような化学療法(薬物療法)が行われますか
    ・再発がんには、どのような化学療法(薬物療法)が行われますか
    ・抗がん剤の副作用には、どのようなものがありますか
    ・再発・転移とは、どのような状態になることですか
    ・体や心の苦痛を和らげてくれる専門家がいます


    卵巣がんの疑いがあるといわれても、決してあわてないでください。
    卵巣にできる腫瘍は多種多様あり、卵巣がんとの鑑別は難しいのです。
    手術で摘出した腫瘍を顕微鏡で調べる病理検査を受けないと診断は確定しません。
    もしも卵巣がんだったとしても、気を落とさないでください。
    卵巣がんは抗がん剤がよく効くがんです。
    科学的データにもとづいた標準的な治療も確立されています。
    治りにくい卵巣がんにも、より効果のある新しい治療法の開発をめざした
    臨床試験が全国のさまざまな医療機関で行われています。
    さらに、卵巣がんを治療する担当医だけでなく、看護師も、薬剤師も
    体の苦痛や心のつらさを和らげてくれる専門家もあなたをサポートします。
    たった独りで卵巣がんと闘うわけではありません。どうか安心してください。
    納得のいく治療を受けるために、今、あなたができること―。
    それは正しい情報を集めることです。そして、卵巣がんのこと、標準治療のこと、
    サポート体制のことなどをよく理解することが、卵巣がんと闘う勇気を与えてくれます。
    あなたの力に少しでもなりたいと、私たちはこの冊子をつくりました。
    どうぞ、ご活用ください。

    こちらからダウンロードできます
    もっと知ってほしい卵巣がんのこと:http://www.cancernet.jp/ransogan

    卵巣がん体験者の会スマイリー:http://ransougan.e-ryouiku.net/index.html  
    タグ :卵巣がん
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月15日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)がん

    やまなし



    やまなし                 宮沢賢治 作

     小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です。


         一 五月

     二ひきのかにの子供らが、青白い水の底で話していました。
    「クラムボンは 笑ったよ。」
    「クラムボンは かぷかぷ笑ったよ。」
    「クラムボンは はねて笑ったよ。」
    「クラムボンは かぷかぷ笑ったよ。」
     上の方や横の方は、青く暗く鋼のように見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗いあわが流れて
    いきます。
    「クラムボンは 笑っていたよ。」
    「クラムボンは かぷかぷ笑ったよ。」
    「それなら、なぜクラムボンは 笑ったの。」
    「知らない。」
     つぶつぶあわが流れていきます。かにの子供らも、ぽつぽつぽつと、続けて五、六つぶあわをはきまし
    た。それは、ゆれながら水銀のように光って、ななめに上の方へ上っていきました。
     つうと銀の色の腹をひるがえして、一ぴきの魚が頭の上を過ぎていきました。
    「クラムボンは 死んだよ。」
    「クラムボンは 殺されたよ。」
    「クラムボンは 死んでしまったよ・・・・・・。」
    「殺されたよ。」
    「それなら、なぜ殺された。」
    兄さんのかには、その右側の四本の足の中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら言いました。
    「分からない。」
     魚がまたつうともどって、下の方へ行きました。
    「クラムボンは 笑ったよ。」
    「笑った。」
     にわかにぱっと明るくなり、日光の黄金は、夢のように水の中に降ってきました。
     波から来る光のあみが、底の白い岩の上で、美しくゆらゆらのびたり縮んだりしました。あわや小さな
    ごみからは、まっすぐなかげの棒が、ななめに水の中に並んで立ちました。
     魚が、今度はそこらじゅうの黄金の光をまるっきりくちゃくちゃにして、おまけに自分は鉄色に変に底
    光りして、また上の方へ上りました。
    「お魚は、なぜああ行ったり来たりするの。」
    弟のかにが、まぶしそうに目を動かしながらたずねました。
    「何か悪いことをしてるんだよ。取ってるんだよ。」
    「取ってるの。」
    「うん。」
     そのお魚が、また上からもどってきました。今度はゆっくり落ち着いて、ひれも尾も動かさず、ただ水
    にだけ流されながら、お口を輪のように円くしてやってきました。そのかげは、黒く静かに底の光のあみ
    の上をすべりました。
    「お魚は・・・・・・。」
     そのときです。にわかに天井に白いあわが立って、青光りのまるでぎらぎらする鉄砲だまのようなもの
    が、いきなり飛びこんできました。
     兄さんのかには、はっきりとその青いものの先が、コンパスのように黒くとがっているのも見ました。
    と思ううちに、魚の白い腹がぎらっと光って一ぺんひるがえり、上の方へ上ったようでしたが、それっき
    りもう青いものも魚の形も見えず、光の黄金のあみはゆらゆらゆれ、あわはつぶつぶ流れました。
     二ひきはまるで声も出ず、居すくまってしまいました。
     お父さんのかにが出てきました。
    「どうしたい。ぶるぶるふるえているじゃないか。」
    「お父さん、今、おかしなものが来たよ。」
    「どんなもんだ。」
    「青くてね、光るんだよ。はじが、こんなに黒くとがってるの。それが来たら、お魚が上へ上っていっ
    たよ。」
    「そいつの目が赤かったかい。」
    「分からない。」
    「ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。かわせみというんだ。だいじょうぶだ、安心しろ。おれたちは
    かまわないんだから。」
    「お父さん、お魚はどこへ行ったの。」
    「魚かい。魚はこわい所へ行った。」
    「こわいよ、お父さん。」
    「いい、いい、だいじょうぶだ。心配するな。そら、かばの花が流れてきた。ごらん、きれいだろう。」
     あわといっしょに、白いかばの花びらが、天井をたくさんすべってきました。
    「こわいよ、お父さん。」
    弟のかにも言いました。
     光のあみはゆらゆら、のびたり縮んだり、花びらのかげは静かに砂をすべりました。

         二 十二月

    かにの子供らはもうよほど大きくなり、底の景色も夏から秋の間にすっかり変わりました。
     白いやわらかな丸石も転がってき、小さなきりの形の水晶のつぶや金雲母のかけらも、流れてきて止ま
    りました。
     その冷たい水の底まで、ラムネのびんの月光がいっぱいにすき通り、天井では、波が青白い火を燃やし
    たり消したりしているよう。辺りはしんとして、ただ、いかにも遠くからというように、その波の音が
    ひびいてくるだけです。
     かにの子供らは、あんまり月が明るく水がきれいなので、ねむらないで外に出て、しばらくだまって
    あわをはいて天井の方を見ていました。
    「やっぱり、ぼくのあわは大きいね。」
    「兄さん、わざと大きくはいてるんだい。ぼくだって、わざとならもっと大きくはけるよ。」
    「はいてごらん。おや、たったそれきりだろう。いい かい、兄さんがはくから見ておいで。そら、ね、
    大きいだろう。」
    「大きかないや、おんなじだい。」
    「近くだから、自分のが大きく見えるんだよ。そんならいっしょにはいてみよう。いいかい、そら。」
    「やっぱりぼくのほう、大きいよ。」
    「本当かい。じゃ、も一つはくよ。」
    「だめだい、そんなにのび上がっては。」
     また、お父さんのかにが出てきました。
    「もうねろねろ。おそいぞ。あしたイサドへ連れていかんぞ。」
    「お父さん、ぼくたちのあわ、どっち大きいの。」
    「それは兄さんのほうだろう。」
    「そうじゃないよ。ぼくのほう、大きいんだよ。」
    弟のかには泣きそうになりました。
     そのとき、トブン。
     黒い丸い大きなものが、天井から落ちてずうっとしずんで、また上へ上っていきました。きらきらっと
    黄金のぶちが光りました。
    「かわせみだ。」
    子供らのかには、首をすくめて言いました。
     お父さんのかには、遠眼鏡のような両方の目をあらん限りのばして、よくよく見てから言いました。
    「そうじゃない。あれはやまなしだ。流れていくぞ。ついていってみよう。ああ、いいにおいだな。」
     なるほど、そこらの月明かりの水の中は、やまなしのいいにおいでいっぱいでした。
     三びきは、ぼかぼか流れていくやまなしの後を追いました。
     その横歩きと、底の黒い三つのかげ法師が、合わせて六つ、おどるようにして、やまなしの円いかげを
    追いました。
     間もなく、水はサラサラ鳴り、天井の波はいよいよ青いほのおを上げ、やまなしは横になって木の枝に
    引っかかって止まり、その上には、月光のにじがもかもか集まりました。
    「どうだ、やっぱりやまなしだよ。よく熟している。いいにおいだろう。」
    「おいしそうだね、お父さん。」
    「待て待て。もう二日ばかり待つとね、こいつは下へ しずんでくる。それから、ひとりでにおいしい
    お酒ができるから。さあ、もう帰ってねよう。おいで。」
     親子のかには三びき、自分らの穴に帰っていきます。
     波は、いよいよ青白いほのおをゆらゆらと上げました。それはまた、金剛石の粉をはいているようで
    した。

     私の幻灯は、これでおしまいであります。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    小学校の教科書にのっていた『やまなし』です
    最近までずっと「やまなし」という題名だとは知らずに「クラムボン」だと思っていました

    私は「クラムボンは かぷかぷ笑ったよ。」というところが一番好きです
    「かぷかぷ笑う」って、どんなだろう?って思った
    小学生の私はクラムボンは「蟹の子どもが吐いた泡」だと思っていました
    どうやら、検索してみると色々な説があるようですが、ずっとそう思っていたので
    私は泡でいいやって思っています

    宮沢賢治の中で一番好きなのが、この文章でした
    私にとって、とっても落ち着く「音」です  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月14日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    『個室がいい?』



    入院中に婦人科の婦長さんと話をしていた時に『海外だと個室が多いけど、どう思う?』と聞かれました
    私は『個室は寂しいから、大部屋がいい!』と答えました
    この話は、以前にも書いたと思いますが、先日、コメントを頂いてずっと考えていた事がありました
    私の入院した病院では、最後まで「戦うことができる病院」でした
    今では、緩和ケアも多いし、もちろん、そちらに行く事もできますが、最後を病棟で過ごすことができる病院でもありました
    私が退院してから、私と同室だった方が個室に移動されて亡くなりました
    その後にも何人かの方が、亡くなっていました

    同室だった人は、再発を繰り返しながら抗がん剤治療を受けられていました
    その時に言われたのは『私、死なない癌なの』でした
    卵巣がんで再発をするけれど「死なないのよ」って。
    それを医師から告げられた時に「あなたの癌は再発するけれど、抗がん剤治療を受ければ、今は、完治はしないけれど死なない。でも、この先、あなたの癌をやっつけてくれる抗がん剤が出来るかもしれない。だから、大変だけれど、それを信じて抗がん剤治療をやっていきましょう。」と言われたと教えてくれました

    退院してからわかったのは「ドラッグラグ問題」でした

    日本のワクチン問題は、北朝鮮と同じと言われています
    なぜそんな事になってしまったのか?
    それは「ワクチンが100%ではない」という正しい知識を私たちが持っていなかったからではないでしょうか?
    100%ではないから、そのリスクを考慮してもワクチンは大切であると理解していれば、今のように諸外国では認可されているワクチンが日本では個人輸入や病院がリスクを負ってでも輸入しなくてはいけないなんて自体にはならなかったのではと思います
    ワクチンを認可しないのではなく、何かがあった時には適切な対応なりを国に求めるようにしなければいけなかったのだと思います
    ただ「ワクチンは危ない」とか「リスクがあるんだから認めない」では、今のように海外で新しいワクチンができても沢山の患者の命が失われないと認可されないなんて事になるのだと思います

    正しい「知識」「理解力」そして「判断力」が必要なのだと思います

    確かに日本の技術はテレビ番組で見ると「すご~~い」かもしれません
    でも、果たして私たちは諸外国の治療がどういったものか知っているのでしょうか?

    最近、がん治療でも早期がんの方はクリニックで手術される人が多いという事でした
    入院期間が短い人は、クリニックで他の患者さんとは出会わないで治療が受けれるというのが「売り」だそうです
    でも、果たしてそれがいいのでしょうか?
    私がブログを始めた理由は、亡くなってしまった、私と同室だった人の『1日でも長く生きていきたい』という言葉からでした
    それ以外にも彼女は私に沢山のことを教えてくれました

    『私、死なない癌なの』と言ってくれた卵巣がんの彼女もそうでした
    私は、再発の人といつも「普通」の事を話してました
    もちろん、その時は色んな事を理解していなかったところもあります
    でも、自分の病気や自分の治療を理解するには、先輩患者さんと話をする事が一番だと思います
    こういうとダメなのかもしれないけれど「自分がいかに恵まれているか」を実感してもいいと思います
    そして「がんばって生きていこう」「その人のためにも恥じることなく生きていきたい」でもいいのでは?

    それが先に旅立った先輩患者さんが一番喜んでくれることだと思います

    私のこんなブログだって彼女達なら「あらあら、あなたったら」って笑って言ってくれる気がします
    今でも彼女達の事を思い出すと、涙がでます
    どんな人が亡くなったよりも、つらい出来事でした
    何も知らなかった私は「いつか退院できるんだ」って思っていました
    でも最後まで立派に戦い、とうとう力尽きてしまいました
    婦長さんが「最後まで立派だったわよ」と教えてくれました
    がりがりに痩せてしまってたけれど、凛とした彼女達の姿を思い出します

    以前、抗がん剤治療で入院されていた人が「抗がん剤で吐いてる私に舌打ちする人がいたの・・・」と、言って私たちに「申し訳ない」と謝っていました
    何もくちにする事もできなくて、吐いていて、見るからにつらい治療を受けている人になんちゅうこと言うねん!と思った
    でも、もしも私が個室にいたらどうだったんだろう?と思いました
    抗がん剤治療を、その人がどういう気持ちで受けているなんて考えないで「辛い治療」「吐いて嫌だわ」と「私は違う」としか考えなかったんじゃないのかな?って思った
    そして例え大変な手術でも手術が受けれるだけでも「自分がどれほど恵まれているか」を知ることもなかったのかな?と思います

    誰とも一緒にならない治療は、そんな貴重な機会も摘み取っているのではないでしょうか?

    こんなに「ピアサポーターが必要」と叫ばれている時代に、なんだか時代錯誤な気がします
    もちろん、お見舞いの方が多いとか色々な理由はあります
    でも、ただ「人に会いたくない」だけの理由だったら、どうでしょう?
    人に知られたくないから。というのであれば、ずっと隠していくのでしょうか?

    私は『個室にしますか?大部屋にしますか?』って聞かれたら
    『みんなと一緒にしてください』って答えます
    そして、どんな病室であっても「笑っていたい」と思います

    病室の雰囲気は入院している人が作るものだと思います
    看護婦さんや入院患者さんが居心地のいい部屋だと思えるのは、患者さんが作るものだと思います
    「嫌な病室だったわ」という前に「じゃあ、自分はいい患者だったかしら?」と考えてみてくださいね  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月11日 Posted by すもも at 00:00Comments(2)がん

    マザーテレサの言葉



    考える時間を持ちなさい
    祈る時間を持ちなさい
    笑う時間を持ちなさい

    それは力の源
    それは地球でもっとも偉大な力
    それは魂の音楽
     
    遊ぶ時間を持ちなさい
    愛し、愛される時間を持ちなさい
    与える時間を持ちなさい

    それは永遠につづく若さの秘密
    それは神が与えてくれた特権
    自分勝手になるには、一日は短すぎる

    読書する時間を持ちなさい
    親しくなるための時間を持ちなさい
    働く時間を持ちなさい
     
    それは知識のわき出る泉
    それは幸福へつづく道
    それは成功の価値
     
    施しをする時間を持ちなさい
    それは天国へと導く鍵

    マザーテレサ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    友達のブログで見つけた『マザーテレサの言葉』です
    あまりに素敵だったからのせてみました  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月10日 Posted by すもも at 00:00Comments(2)その他

    もっと知ってほしい 大切な人ががんになったとき



    もっと知ってほしい 大切な人ががんになったとき
    女性のがん:乳がん、子宮頸がん、子宮体がん、卵巣がん


    大切な人を支えるときに知っておきたい7か条

    第1条:よりよいサポートのためにあなたの健康を守りましょう
    あなたが心身ともに健康でなければ、大切な人を支え続けることはできません。
    「あなた自身を大切にする」ための秘訣を最初に知っておきましょう。

    第2条:患者さんの心の変化を知りましょう
    がんと診断されて、患者さんの心にはさまざまな思いが去来します。落ち着いて対
    応するために患者さんの心に起こる変化や陥りやすい精神症状を理解しましょう。

    第3条:がんのことを知っておきましょう
    がんになった人を支えるためにも、がんがどんなものか、どのようにできるのか、
    その特徴を理解しておきたいものです。基本的な医学知識を学びましょう。

    第4条:がんの治療について知っておきましょう
    がんの治療は多種多様あり、現在も新しい治療法が次々と開発されています。患
    者さんの治療選択をサポートできるよう、がんの治療の現状について知りましょう。

    第5条:治療選択・意思決定を支える方法を知っておきましょう
    患者さんの要望を引き出し、それが実現するようにサポートしたり調整したりする
    のが治療選択におけるあなたの役割です。そのために役立つ情報を集めましょう。

    第6条:医療スタッフの役割や制度について知っておきましょう
    さまざまな職種の医療スタッフがあなたと大切な人を支えます。医療費の負担を
    軽減できる制度もあります。リソースを上手に活用する方法を知りましょう。

    第7条:周りの人に上手に助けてもらいましょう
    あなたを助けてくれる人に遠慮なく頼ることは、大切な人を支え続けるうえで必要
    なことです。周りの人に上手に助けてもらう方法やコツについて学びましょう。

    CaregiversVoice×PatientsVoice
    どのようにして気持ちのバランスを保っていますか?
    助かったことやうれしかったことを教えてください
    がんになって、つらかったことは?
    治療を選択するとき、どんなことを感じましたか?

    ※Caregiverとは、患者さんを支える家族、親類、友人、知人のことです。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    『もっと知ってほしい 大切な人ががんになったとき』は、埼玉医科大学国際医療センターの大西秀樹教授と国立がん研究センターがん対策情報センターの若尾文彦副センター長の監修のもと、女性のがんに罹患した患者さんを支援する方を対象に、手術、薬物療法、緩和ケア等の医療情報に加え、治療法を決めることなど意思決定をする際のサポートの仕方、医療スタッフや社会保障のこと、周りの人に上手に助けてもらう方法やコツを全32ページで掲載しています。

    もっと知ってほしい 大切な人ががんになったとき~女性のがん~
    こちらからダウンロードできます:http://www.cancernet.jp/caregiver_women  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月09日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)がんと診断されるまでの流れ

    Dr.中川のがんの時代を暮らす



    Dr.中川のがんの時代を暮らす:/13 見直し進む食の安全基準

     内部被ばくの恐怖が収まりません。お母さん方の心中を思うと、僕もつらい気持ちになります。ただし、半減期30年のセシウム137を摂取しても排せつによって、子供は数週間、大人も約3カ月で体内の量自体が半減します。

     実際、福島の住民を対象とした検査の結果、セシウムによる内部被ばくも、危惧されたレベルではないことが明らかになりつつあります。9月末までに検査をした福島県民4463人の内部被ばく量は、生涯で約3ミリシーベルトと推定される2人の値が最大でした。そのほか、8人が2ミリシーベルト、6人で1ミリシーベルト、残りの4447人は1ミリシーベルト未満でした。いずれもがんが増えるレベルではなく、ほっとしました。

     チェルノブイリでは、事故の公表と食品規制が遅れたため、放射性ヨウ素による小児甲状腺がんが増えましたが、放射性セシウムが直接原因となった発がんの増加は、これまでのところ確認されていません。チェルノブイリと比べて、福島での被ばく量は少ないので、福島では放射性物質が直接原因となるがんは、どんながんでも増えないだろうと思います。

     さらに、セシウムによる内部被ばくにつながる食品の放射性物質について、安全基準がさらに厳しくなります。小宮山洋子厚生労働相は10月28日、「年5ミリシーベルト」としている放射性セシウムの暫定上限を「年1ミリシーベルト」に引き下げる方針を明らかにしました。

     これは、内閣府の食品安全委員会が、食品から受ける被ばくについて、放射線による健康への影響が見いだされるのは「生涯の累積線量が100ミリシーベルト」とする評価書を出したことを受けたものです。

     食品安全委員会の議論には、僕も、専門参考人として参加しました。100歳まで生きる人を想定すると、「生涯100ミリシーベルト未満」を目指すためには食品からの被ばくの上限は年1ミリシーベルトになります。例えば、野菜の現在の暫定規制値は1キロあたり500ベクレルですが、単純に5分の1にするならば100ベクレルが上限になります。これは、米国の基準の12分の1に相当し、生産者にとっては非常に厳しい数字となります。一方、この見直しによって、内部被ばくの心配はさらに少なくなりますから、国民の安心は広がるはずです。(中川恵一・東京大付属病院准教授、緩和ケア診療部長)

    毎日新聞 2011年11月6日 東京朝刊

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    最近、毎日のように「セシウムが・・・」というニュースが流れています
    「どこにいても安全なんてないんだな」と思う日々です
    私は、治療でも放射線を受けているので「もし癌になっても、すでに体験者の私じゃな・・・」
    なんて思ってますが、小さいお子さんがいるお母さんや
    妊婦さんは「どうしたらいいの・・・」と不安になる一方だと思います

    不安をあおる専門家も多いような気もしますが、中川先生は医師の立場から
    放射線の安全性を発信されています。
    といっても「不安がないわけではない」と思います
    でも「大丈夫だよ」と、きちんとした知識を持った人から言ってもらえるって安心できますよね

    そして放射線だけからではなくても、現在は2人に1人は「がんになっている時代」なのだと
    正しい知識で「がん」を受け止めて欲しいと思います

    Dr.中川のがんの時代・・・はこちらから読めます:
    http://mainichi.jp/select/science/news/20111106ddm013070007000c.html?inb=yt

    写真は、イチゴミルクウミウシです。あまりに綺麗な配色なので載せてみました  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月08日 Posted by すもも at 00:00Comments(3)がん情報

    共感覚~音楽に色が見える~



    200人に1人が『共感覚』という音楽や
    文字に色を感じる人がいるそうです


    みんなが同じではないそうですが、ざっとこんな感じに見えるそうです

    ハ長調・・・ざらっとした白
    ニ長調・・・ギラギラしたオレンジ
    ホ長調・・・リッチな緑
    ヘ長調・・・マットなピンク
    ト長調・・・クリアな空色
    イ長調・・・真っ赤
    ロ長調・・・地味なえんじ色

    ド・・・無彩色(白・黒)又は赤
    レ・・・ほとんどが黄色
    ミ・・・黄色・オレンジ・緑
    ファ・・・青、またはオレンジ
    ソ・・・青、または緑
    ラ・・・赤、または紫
    シ・・・無彩色、または紫

    また、食事をした時に『形』を感じたり、『痛み』に色を感じたり
    色んな感覚と感覚の混線を『共感覚』というそうですicon_maro04

    ・音を聴くと色や形を感じる
    ・黒い文字に色が付いて見える
    ・月日や曜日が空間のある位置を占める

    音楽以外にも、文字に色がついて見えたりするそうです
    見える色は後天的なもので知らない文字には色がつかない

    こんな感じに単語として、文字に色がついて見える人もいれば
    みかん トマト きゅうり

    こんな感じに文字自体に色がついている人がいるそうです
          

    面白いな~って思いました
    音に色がついて見えると好きなアーティスト選びも「この人の出す『色』がいいの」とか
    選ぶ理由も変わってくるのかな?と思ったり。。。

    有名な人としては、宮沢賢治やアルチュール・ランポーなども共感覚の持ち主と言われています
    それで思ったのが宮沢賢治の『やまなし』にでてくる「クラムボン」って
    もしや、彼にはとっても可愛い色だったりしたんだろうか?って思った
    小学校の教科書に出てきた時に、とても面白い音だけど思ったのですが
    「なんで、クラムボン?」って思ってました
    クラムボンに色がついてる世界を見てみたかったな~~face02

    では、なぜ『共感覚』が生まれるのか?
    赤ちゃんのころは皆、共感覚だったのでは。
    赤ちゃんのころは脳が未発達なので「音」と「色」感覚が同じようなネットワークを持っていたのが
    成長するにつれて、そのネットワークが独立してしまって「音」=「色」という感覚を
    忘れてしまったのではないか?という『余剰配線説』です
    脳の働き方が違うのではないか?という『脱抑制説』などです

    ふと『目が見えない人はどうなんだろう?』と思いました
    以前「目が見えない人に絵を教える」ことができる学芸員さんと話をしたことがあります
    一言で『目が見えない』といっても、中途失明者と生まれたときから目が見えない人がいます
    中途失明者には、そのまま色を表現すれば伝わるけれど、ずっと目が見えなくても
    色を表現する時に「赤です。太陽に手をかざして暖かいなって思った時の色です」
    「青です。水を触った時の色です」というような表現をしていくと
    ほとんどの人がわかってくれるそうです
    そして、感覚として色を理解してもらえる。ということでした

    『共感覚』をもう1度取り戻せることができたら、きっと楽しいだろうなって思います
    「音に色がついている世界」を体験してみたかったな。。。
    ただ、プラスの面だけでなく「嫌いな色」があったりすると、それがストレスになる場合もあるらしく
    全てがいいわけではないそうです

    でも、もしもみどり」「あか」「きいろって見えたら、ややこしいface07

    色聴:http://www.isop.co.jp/main/sikicho.htm
    日本共感覚協会:http://synn-japan.candypop.jp/whatssynesthesia.html
    色聴者判定テスト:http://www.synaesthesia.jp/index.php  
    タグ :共感覚
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月07日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)カラーセラピー

    幸福とは何か



    心理テストの中で、一番テストが難しいのが『幸せについて』だそうです
    人の幸せは、人それぞれ違う。
    その価値観は多彩で一言で「幸せって何ですか?」と聞いても、その答えは十人十色。
    その中で自分が「幸せ」と思うものは何だろう?と考えてみるもの楽しいかもしれません

    1:幸福と思うが、幸福のもとなり・・・松平定信

    2:幸福とは最高の善なり。幸福なる生活とは徳に即しての生活と考えられる。
      幸福は満足できる人間に訪れる。幸福は自主自足のうちにある。
      
      幸福は人生の意味および目標、人間存在の究極の目的であり狙いである。・・・アリストテレス

    3:感情を離れ、理性に伴う生活 理性にしたがい、徳を高めること・・・ストア派

    4:幸福は対抗の意識の中にない。協調の意識の中にある

    5:幸福になりたければ、人に尽くすことだ・・・D・カーネギー

    6:快楽を得ることが幸福である 感覚的な快と精神的な快・・・エピクロス派

    7:人間最後の幸福は、自分の好きな仕事に就くことだ

    8:個人の幸福は感性的な快が得られ、苦痛がない状態で、
      最大多数の最大幸福の実現が社会の目的だ・・・英国功利主義

    9:幸福は物的なものでなく、精神的なものによって充実される

    10:目先の環境に振り回されるのでなく、すべてはみなしいと知り、
       精神的落ち着きをうべきだ・・・ショーペンハウエル

    11:健全な身体によって心の平静を得ること

       幸福というもののなかには、人が考えるよりも意志の力が働いている・・・アラン・幸福論

    12:自己の関心を外部に向け、活動的に生きること他人との比較はやめること・・・ラッセル

    13:神のそば近くにあることが、永続的な幸福を約束する・・・カールヒルディ・幸福論

    14:幸福は遠くにあるのでなくごく身近にあるものだ

    15:物事を永遠の相で見ることが幸福への道である・・・スピノザ


    ちなみに私は、11番と12番でした

    11番は、今は自分の体調に自分の精神的な部分が左右されている気がします
    「痛い」とか「下痢してる」とか苦痛がある時以外でも、どこかで考えています
    そんな時に「あ~あ」って思ってしまう自分がいる
    せめて何もないときくらい病気の事やいろんな事を忘れてくれたらいいのにな・・・って
    「健全な肉体に健全な精神が宿る」って、まるで生活指導の先生みたいだけど
    あたってるかしらね。と思ったり

    12番は「ないものねだりな自分」だと思います
    元気なときの自分。だったり、健康な時の自分、病気になっていなかった自分。など
    子どもがいる人を見たら「やっぱり子どもがいたほうがよかったかな」とか
    「あの時、結婚しておけば」とか「もっと早く検査しておけば」とか
    後悔していないと言えば、それは嘘になる。やっぱり後悔はしてるとこがいっぱいある

    でも、まあそれはそれ。とりあえず今の自分を生きていかなきゃ。って思います  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月04日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    がんと食事



    私のブログの検索結果を見てみました
    すると『腸閉塞の食事』というキーワードがとても多いというので驚きました
    私としては、子宮頸がん、もしくはセンチネルかと思っていました

    でも、考えると食事って毎日の事だと思います
    普通にしていても食事の献立って大変なのに、腸閉塞の心配があると余計に大変だなって思いました
    私自身、ここ何日か下痢をしています
    というか、退院してから、週のうち3日~4日が下痢です
    先日の検査の結果から、腸の癒着と腹水があるらしくて
    ご飯を食べると、それに伴う腸の運動で痛みや下痢がでるそうです

    そんな時に見つけたのが、このサイトです
    サバイバーシップ:http://survivorship.jp/index.html

    ここだと『症状で選ぶ! 抗がん剤・放射線治療と食事のくふう』で、自分が食べたいものや
    症状:食欲不振、吐き気・嘔吐、味覚の変化、臭覚の変化、などからや食材からも選べます
    抗がん剤治療をおこなうと「ご飯の炊ける匂いがいや」とか「醤油味の煮つけがダメ」とか
    色々な症状がでてきます

    そんな時に、ご飯がダメならパン食で。とか、嚥下障害があるなら、片栗粉でとろみをつける
    などなど、ちょっとした工夫でご飯が美味しく食べれたりします

    また、口内炎などがあるので、しみるようなものは避けたほうがいいなどというのもあります
    そういった時にも症状別やレシピが役に立つと思います

    どんなに大変でも、ご飯は美味しく食べたいですものねface02  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月02日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)食事

    ニシキヘビの脂肪酸で心臓が大きくなる



    少なくともニシキヘビには、
    脂肪が心臓によいとする新しい研究が発表された。


    長期の絶食後に食事をしたニシキヘビは、血液中の脂肪酸、つまり脂質のレベルが高くなり、心臓などの臓器が2倍近くの大きさなることが実験によって明らかになった。

    コロラド大学ボルダー校の分子生物学者レスリー・ラインワンド氏らの研究によると、一般に食事の回数が少ないニシキヘビは、1回の食事の量が多く、食後は臓器が大きくなって消化のスピードが速くなるという。

    このような「離れ業」をニシキヘビの体がどのように実現しているのかは、これまで科学的に謎だったとラインワンド氏は話す。

    「ニシキヘビから血液を採取した際、臓器が大きくなる原因は循環血液中にあると考えた。食事後に脳以外のすべての器官が大きくなっていたからだ」。

    また「(採取した血を)見ると、濁るほど脂肪でいっぱいだった。まるでミルクのようだった」という。

    ◆ニシキヘビの血液で科学が「大きく前進」

    ニシキヘビの臓器の拡大を調査するため、ラインワンド氏のチームは研究室にビルマニシキヘビのすみかを用意した。「普通に使われる実験動物ではない」と同氏は言う。

    女性であるラインワンド氏は2005年に、枕カバーに入ったニシキヘビの赤ん坊20匹を受け取ったとき、気を失いそうになったという。それでも、研究チームは5年間にわたる実験をやりとげた。

    研究を率いたセシリア・A・リケルメ氏は早い段階で、培養中のラットにニシキヘビの血液から得た血漿を与えると心臓細胞が増殖することを発見した。

    「あれは大きな前進だった」とラインワンド氏は述べている。生きた動物なら、この種の増殖で心臓全体が強化されるはずだ。

    次のステップは、臓器が増大する原因の解明だった。天然タンパク質など原因である可能性のあるものを徐々に除外していくと、最終的に脂肪酸だけが残った。

    そして研究チームは、ニシキヘビの血液中で食事後に増加する3種類の脂質を特定した。生きたマウスにこの3種類の脂質を注入すると、実際にマウスの心臓が大きくなった。

    ◆心臓病にならないニシキヘビ

    「ニシキヘビで特に興味深いのは、血液中の脂肪酸のレベルがこのように並外れて高く、それでいて病気にならないことだ」とラインワンド氏は話す。

    対照的に人間は多くの場合、血液中の脂肪が多いと、心血管が深刻な病気になる危険性が高くなる。

    「ニシキヘビがそうした心臓病にならないのはなぜなのか」とラインワンド氏は問う。3種類の脂肪酸の組み合わせに病気を防ぐ何かがあるのかもしれないと同氏は示唆している。

    そして最大の難問は、これらの脂質がニシキヘビの臓器を大きくする仕組みだとラインワンド氏は話す。「今のところ、わかっているどんなパラダイムにも当てはまらない」。

    ラインワンド氏によると、総合的にみたとき、この研究が人間の心臓を強化する治療につながるとの期待は尚早だという。

    しかし、吉報がもたらされる可能性はある。研究チームは現在、心臓に病気のあるマウスに3種類の脂肪酸を投与して、病状の抑制や緩和、さらには病気からの回復を実現できないか実験を続けている。

    今回の研究結果は「Science」誌2011年10月28日号に掲載されている。

    Christine Dell'Amore for National Geographic News:
    http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111031-00000002-natiogeo-int
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    先日は、毒へびやサソリの毒からでしたが、今回はニシキヘビです

    うちの田舎には、家の中に大きなアオダイショウがいて、たまに出てきていました
    庭にも田んぼにも河原にも、ヘビがいました
    ホタルを見に行く時に、竹ぼうきを持って出て行くと
    父親から「ホタルは点滅するけど、2つ並んで点滅しないのはヘビやから捕まえるな」と言われていました
    また、田んぼのあぜ道にはネズミが通るからマムシがいると言われたりしました
    だからサンダルとかで歩いてはいけないので、長靴でした
    そして、家の中にいるヘビは守り神なので、絶対に殺してはいけないと言われたし

    人は人の領域があって、ヘビにはヘビの領域があったしそれを守っていたような気がします
    きちんとした領域を分けていると必要以上にヘビを怖がったりしなくなるのでは?とも
    確かに色んな場所で遭遇していたから、怖いけど向こうも怖がっているんだって思うし。。。

    ヘビやカブトガニ以外にも、ワニの胃液から抗生物質を研究していたりするそうです
    これからも、面白い記事があれば紹介しますface02  
    • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2011年11月01日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)ニュース・・・その他