たまりば

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Posted by たまりば運営事務局 at

医療用語なんだけど。

会社の帰りに同僚と図面の話をしていた私が
「そういえば、プラントでドレーンって配管ででてくるやん。
あれと同じもんを、手術の後にお腹に穴をあけられて、じかにつけられてるんよね。
それもドレーンっていうねんで。
ドレーンって配管だとドレーン配管って溜まった水を流すけど、
手術のあとの腹水たまったのもドレーンっていって出すんよね」と話をしたら
「えええーーー、怖い。大丈夫なの?」と聞かれ「うん。大丈夫大丈夫」って言いながら
ふと、そういや私も最初はいろんな意味で大丈夫かな?とかって思っていたけれど
一回自分が体験して、他の人のをみると、案外冷静だったりするんよね~~って思った

ただ、ドレーン配管と医療用語?で使っているドレーンが同じって面白いなって思った
とはいえ、人の体につけるものと機械につける配管が同じ名称というのは少し不思議。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ドレーン留置(ドレナージ)の目的

ドレナージとは、体内に貯留した消化液、膿、血液や浸出液などを体外に排出することです。排出されたものを通して、創傷部の状態を観察、確認し、治癒を促し、感染を早期に発見する目的で行います。目的や部位により、ドレーンの種類やドレナージの方法は異なります。

1)予防的に行うドレナージ
手術創の縫合部が開いて感染の危険性のある場合や、身体の内部に空洞があり、浸出液の貯留が予想される場合に行います。
2)診断的に行うドレナージ
術後出血、消化液(胆汁(たんじゅう)や膵(すい)液など)の漏れなどを早期発見するためや、貯留物を知るために行います。

3)治療として行うドレナージ
血液、消化液(胆汁や膵液など)、尿、膿、浸出液などを排除するために洗浄したり、薬液を注入するために行います。  
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  • 2018年09月15日 Posted by すもも at 21:04Comments(0)がん

    10年目

    このブログを最後に書いたのはいつだろう?と思ったら、すでにもう2年も経過していた
    その時に「もうこれで仙台に行くのは最後かな」と言いながら、結局は、今年2018年が最後になりました

    なんだかんだと10年間、仙台に通い続けました
    後半の2、3年は婦人科に行くのは、正直な気持ち「自分自身の意地」だったかな?って思います
    自分で行くと決めた病院に10年通う。という一念でやってこれた気がします

    今は、婦人科には何も未練がないかな
    入院中にお医者さんの卵にもなっていない学生さんとの面談があって
    その時に感じた「人ではなく病気を見ている」という違和感をこの数年、ずっと診察室で感じていました
    だからかな。結局、後半の婦人科の先生には誰にも愛情も持てなかったし
    早く診察終われって思いながら、診察室に入っていました
    それは、自分自身が病気や病院から遠くなったからだという理由だとは思えないようなものがあります

    診察台でも痛いことが多くて、終わった後で何だか切なくなっていました

    ほんの少しの優しさや思いやりを感じることが出来なくなって、それが言葉は優しいけれど
    患者と向き合っているようには思えないマニュアルどうりの応対が変な空気感や気持ちの寒さを感じました

    きっと10年前に話していた人たちが、今の診察室の先生たちなのかなって思いました

    人ではなく、病気を見ている

    少しだけ、残念です

    来週は、仙台です

      
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  • 2018年09月11日 Posted by すもも at 22:34Comments(0)がんとこころ

    次の検査

    22日に仙台に行きます

    もう、これで仙台に行くのは終わりになるのかな?って思ってます

    この1年半くらい婦人科の外来で言われるのは、検査の結果よりも東京への転院の話ばかりでした

    先日、5年生存率がでて、多分私の場合だと5年生きれば「卒業」でもいいのかな?って思った

    最後の診察は、手術をしてくれた先生に「卒業です」と言ってもらいたいなって思ってます

    手術を受けて、いつの間にか自分の知っている先生が外来にいなくなってしまってから、多分、自分の通う婦人科では1度も信頼できそうな先生に出会うことがなかったのは、なんだか残念だけど、それでも仙台まで通い続けたのは、きっと最後くらいは手術をしてくれた先生に会えるかな?と思っているからなのかなって思います

    手術と追加治療の放射線を受けたから、外来では婦人科と放射線科のお世話になっているけれど、不思議なくらいに自分の中の先生に対する信頼感が違っているのがわかる

    それは、どこから来ているのかな?って思った

    自分が相手を受け入れようとしているから、相手も答えてくれているって考えると私自身が婦人科の先生に対して、ずっと不信感を抱いているからなのかなとも思った

    退院してから、今まで1人でやっていけたのは、どこかで「怒り」があったからなんだろうなって思う

    病気になった自分にもだし、うまくいかない家族との関係だったり、もういなくなった彼に対しても、そして友人にも・・・

    誰かを、何かを非難することで自分がこれから生きる力になっていたんだと思う

    でも、もうそれが必要ではなくなった時に何かを伝えたいという気持ちも段々と無くなっていっているのかなって

    生きていくって、病気でなくてもつらいことだと思う

    でも、病気になって生きていくことは、もっとつらいことだと思う

    でも、病気になったから、生きることを考えなおす機会でもあるし・・・


    病気になった時から退院して数年は、自分の中で病気が1番でその他の自分はどこかで後回しになっていた

    それが、段々と病気<普段の自分になって行って、今年は自分が告知された日を忘れていました

    ふと「そっかぁ、告知された日を忘れてたな」って思った時に、もう病気からの卒業を考えてもいいのかな?って思った


    今は、嬉しいような、でも、どこかで淋しさもある不思議な感覚です



      
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  • 2016年04月13日 Posted by すもも at 05:22Comments(0)がんとこころ

    かつらは取り時がある

    かつらは取り時がある

    病院の待ち時間がとっても長いので、少し前から限界を感じていたので
    院内美容院に行ってきました

    院内には理容院と美容院があって、最初はカットのみがある理容院をこっそりみたところ
    待ち人もいたりして、これは無理だって思って、美容院に行きました

    美容院で髪をすいてもらって、カットしてもらっている時に
    抗がん剤治療で抜けた髪が生えてこない人がいるという話になった

    その時に美容師さんいわく「かつらには取り時っていうのがあるの」ということでした
    ある程度伸びてくると、例え、短い髪が抜けてもそれを繰り返すことで
    前のよう に髪が生えてくるようになるそうです

    でも、まだ短いからとか、また抜けてしまうからもうちょっととかつらをつけ続けていると
    毛根が死んでしまって、新しい髪の毛が生えなくなってしまうそうです

    なので「取り時」があるということでした

    どうしても、女性は髪の毛のないのを見られるのはいや。とか恥ずかしい。となかなか外せないそうですが
    できれば、自分の髪が少しでも伸びてきたら、帽子に変えるとかして
    できるだけ、かつらはやめたほうがいいそうです

    かつらって、本当に高価なものです

    治療を受けながら、そのお金を払うのはとっても大変だと思う
    そして、思ったよりも 長く身に着けるものでもないっていうのが、
    今回の話でもよくわかりました

    今は、かわいいデザインの帽子もたくさんあるし、そういうものが身近な病院内で手に入ればいいのにって思います

    どうも病院の売店で売っているものや、相談室に置いてあるものは「いかにもいかにも」って感じがします

    自分でも100均のタオル2枚で作れる帽子もあるので、気に入ったタオルや肌触りのいいもので作ってみるのもいいかなって思いました

    そして、どうしても長期に抗がん剤治療を受けなくてはいけなくなった時に、
    一生の友達として、かつらを真剣に選ぶという考えでもいいように思います

    髪は長い友っ ていうのは、抗がん剤治療にはあてはまりません

    みんな終わったら「あっという間に終わった」って言います
    しんどくて、出歩けないのでそんなに活躍してくれないようです
    それに、院内なら恥ずかしくもないし、本当に少しだけです

    当然、その後使っているって人もあまり聞かないです

    脱毛は、女の人にはつらいことだけど、気分によって帽子変えてみるという選択肢でもいいかなって思いました



      
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  • 2015年11月05日 Posted by すもも at 12:00Comments(0)がんとこころ

    6年目検診

    6年目検診が無事に終わりました

    マーカー値も3月に比べて下がっていたし、大丈夫でした

    この頃、婦人科の先生ときちんと話すことがない

    どこかに垣根があって、そこをお互いに越えようとしないような感じがある

    今の私にとっては婦人科の先生は、ただ検査の数字を見て、結果を報告してくれる人という位置づけでしかなくなっています

    今回も「6年目なので」という話があった
    でも、私としては前回も前々回も「最後は、主治医に『卒業です』といって、この病院を去りたい」と話した

    もう、何度も同じことを話しています
    申し送りもなければ、相手の言 葉の意味も理解して聞いてないんだろうなと淡々と話しています

    東京から三鷹まで通うことの大変さは私が一番、感じています

    でも、ずっと今までそうだったように最後の日まで通いたいという気持ちはある
    でも、もうこの先生たちにいうのは、面倒だし嫌だなって思ってきた

    どこかで、言葉だけを理解して心を理解していないように思う

    最近、こういう人が増えたなって思う

    優しい言葉だし、いい人っぽいけれど、どんなに本心で話しても言葉の通じない人たち

    不思議なくらいにうちの婦人科の先生には多いな~。

    どこかで、ココロを忘れてきちゃったのかな?




      
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  • 2015年11月04日 Posted by すもも at 12:00Comments(0)がんとこころ

    切りたいところは、あてたいところ

    放射線科の先生と「放射線科の先生って変な人が多いよね」という話をした

    私が治療中にみてくれていた先生も、どっちかというと「変人」でした

    でも、先生いわく「婦人科もなかなか」ということ
    何かに極めた人って、どこかでいびつなところがあるのかもしれない

    ただ「医学部に入って、切る訳でなく人に放射線を当てて治そうなんて考えているんだから放射線科の医師のほうが、変かもね(笑)」ということでした

    そうそう、変だよ絶対(笑)

    ただ、言えるのは婦人科の先生に感じる妙な壁は、ない。

    そして、婦人科で切りたいところは、放射線をあてたいところ。だ そうです

    切れる=当てて治せるではあるけれど、臓器やもろもろが残っている分、
    そこから、また再発する可能性はある。だから、手術と同等の治療結果はでても
    それ以上にはならないというのが、放射線治療。ということでした


    でも、それなら例えば高齢の人や、持病のある人などには
    同等の成果であれば、放射線を受けるという選択肢もありということだと思います
    あとは、手術の後遺症がかなり残る場合などは、放射線のほうがいいのかもしれない

    このあたりのことが、いまいち知られてないと思った

    ただ、患者としては「悪いものは取ってもらいたい」「残しておいてほしくはない」という気持ちが ある

    そこも放射線治療が、追加治療という考えが強いのかなって思いました




      
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  • 2015年11月03日 Posted by すもも at 19:50Comments(0)がん

    ピアサポーター仲間

    5月の末に1年間、ずっと一緒にピアサポーター養成講座で勉強していた人が亡くなったと聞きました

    彼女は余命5年と医師から宣告されていた3年目にピアサポーターの勉強を始めたそうです
    抗がん剤治療を受けながら大阪から名古屋まで通っていました

    名古屋駅の新幹線乗り場で、私は東京、彼女は大阪へと別れてホームから手を振っていました

    1度だけ、風来坊で私の友人と一緒に手羽先を食べたことがあります
    彼女は、いつも授業が終わるとすぐに帰っていくので、私が「名古屋で手羽先食べた?」って聞くと「食べてない」とのこと。私が「せっかく、大阪から名古屋まで通っているんだから風来坊の手羽先食べなきゃ!」と言って駅の地下で食べました

    今考えても、彼女の状態は決して、いいとは言えませんでした

    最後にメールを送ったのは、今年に入ってすぐでした。その時に「先生とこれからの治療について話し合ってみます」とのこと。

    娘さんと話した時に、「母は誰かに必要とされていることが、とてもうれしかったと思います」と言っていて、地元でピアサポーターの募集があった時に、ほとんど立ち上がることもできなかった体で面接に行ったそうです。最後まで、誰かの役に立ちたいと思い続けていた彼女らしい姿だったなと思います。

    私は、がん患者が嫌いです

    どんなに生きてほしいと願っていても、亡くなってしまうから。。。

    そして、そういう人は、いつも私が「もっと生きていてほしい」と思う人ばかりだからです

    彼女は、医師が告げた5年目に亡くなりました

    そんなとこまで、きちんと守らなくてもいいやん・・・

    がん患者さんや体験者の人と話していて感じるのは、違和感のない人と違和感のある人。
    どんなにいい顔をしていても、どんなにいい話をしていても、何か話に違和感を感じる人がいます

    そういう人はどこかで自分を裏切っている人のように思います
    そして、そういう人は他の人も裏切ります

    自分の死がわかっていても、最期の瞬間まで誠実な人もいる

    私は、彼女のようになりたい

    本当に楽しい時間でした。ありがとう。



      
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  • 2015年06月21日 Posted by すもも at 00:21Comments(0)ピアサポーター

    半年毎の検診

    3月に半年毎の検診に行ってきました

    今回は、血液検査(腫瘍マーカーSCC)と細胞検査を受けて放射線と婦人科外来に行って来ました

    2月から1ヶ月以上ずっと残業続きで、土曜日も必ず出勤という中での検査だったので「絶対に悪いだろうな」って思っていました。検査の結果、腫瘍マーカーが今までの検査の中で一番高かった・・・

    あ~~あ、予想していても、やっぱり嫌なもんだなって思った

    とはいえ、私のマーカーのSCCは皮膚の炎症や花粉症などのアレルギーがある時にも高くなるので以前から春先は、マーカー値が高くなっていました。不思議なもので、忙しかったせいか変な夢を見ていたので、ちょっと嫌な予感もしていたし・・・仕方ないなって思ってます

    来月からは新しい会社で働きます

    また新しい人間関係ができるまで、ちょっとつらいかなって思うけれどがんばって働きゃなって思ってます

      
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  • 2015年03月29日 Posted by すもも at 19:38Comments(0)腫瘍マーカー退院後の検査

    うつ病ってなんでしょうね

    私が今の企業さんに派遣で働くきっかけになったのは昨年の4月から「うつ病になった女性社員のかわり」でした

    彼女は色々な社員さんから聞いた話では、うつになる前にも育児休暇で休んでいて(2人のお子さんがいるので2回)、その後も時短で4時までの出勤だったそうです。それが定時まで働くようになったくらいからずるずると休み始めて、一昨年の11月に医師の診断書を持ってきて「うつ病になったので休ませてください」といって、休み始めたそうです。彼女は図面をしているので、年度末の忙しい間、他の階の人まで手伝って彼女の仕事をしていたそうです。

    それが、昨年の10月に復帰するにあたって、会社としては忙しくなると休むので事務系に配置換えをしたいといったところ、産業医から精神的な負担になるので「以前のままの仕事をさせるように」と言われ、本人も事務はいやとかほかにもいろいろな希望をいったらしく結局は、元の職場に戻ってくることになったそうです

    当然、彼女がいない間大変だった人にしてみれば、いきなり休むような人に仕事はお願いしたくないということになったのですが、本人はやる気満々で「大丈夫です」と言っているので、戻ってくることになったそうです

    今回、4月からの人事異動が発表になって、うつの彼女に嫌がらせをしていた人の異動が決まりました

    結局、本人が「大丈夫です」といっても、お局さまがいる限り戻ってきても元の木阿弥になるだろうからということのようです

    確かに、ここのお局さまはなかなかいない迫力の人なので、まあお局様がいる限りはねっていうのはわかります

    でも、ちょっと感じたのは「これって、何もかもが彼女のために動いているんだ~~~」ということでした

    彼女がいないために、図面にしても何にしても全く教えてもらえなかった私も含めて(図面の管理等は全て彼女がしていて、説明できる人がいなかったため)、お局様以外の迷惑を受けた社員さんのことはどうでもいいのかな?って思った

    しかも、産業医のすすめもあってか「やりたくないこと」などの権利を振りかざしているらしいという話もあって、彼女が戻ってくる階の人の話を聞くと私が聞いた限りでは彼女を褒めたり、よく言う同僚は誰もいなかったです

    結局、お局様がいようがいなかろうが「すぐに休む人」の彼女を擁護するのは、彼女と一緒に働いたことのない彼女が休んでから異動してきた部長だけでした

    今のところ、復帰してきた彼女に仕事を依頼する人もあまりなく、私の仕事が手一杯になったので課長が「何も働いてないんだから、仕事してもらえ」と言って、図面をお願いしているようです

    確かに「うつ病」って大変だと思う

    私も退院後、うつ状態になったことがあるのでわかる

    でも、だからといって働き始めたらそれは言えないと思う
    図面は期限のあるもので、それは自分だけの問題ではなく対企業の問題なんだけれど・・・と思った

    たまの体調不良というよりは、計画的にすら思えるような休み方をしているとも言われていた彼女。

    彼女の復帰が決まって私がいなくなるのがわかってから、社員さんが彼女に図面をお願いしなくてもいいようにと変化をしてきているのが私にもわかるようになりました。図面やCADについて聞かれるようになって、私がいなくなって彼女が帰ってきてもお願いしなくてもいいように・・・という人もいました

    彼女が本当にうつ病だったかは、私にはわからない

    でも、仕事が忙しい間だけ休んで、その後は必ず時短で働く。
    そして、毎月、産業医のところにだけいって診断書を書いてもらうけれど、実際にはカウンセリングにも病院にもかかってないし、薬も飲みたくないので飲んでいなかったそうです。

    そして、自分の権利を振りかざしているようにしか思えないのって、本当に病気?と思った

    うつ病は、本人もつらいんですっていうけれど、実際にはその人の仕事まで負わされているほかの社員のほうがもっとつらいと思うんだけど・・・

    そして、真面目な人がなるって言っているけれど彼女が復帰の時に言ったのは「まだ体調が万全ではないので、時短で働きます」という言葉だけで「休んでいる間、ご迷惑をおかけしました」なんてのは、一切、ありませんでした

    そこは、どうなんでしょうね

    うつ病って言えばいい。休むのも社員として当然の権利。って何かが間違っているように思った私でした






      
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  • 2015年02月11日 Posted by すもも at 20:36Comments(0)その他・・・病気

    点と線

    先日、あるピアサポーターさんについて話を聞きました

    相談者がひとしきり話した後で、そのピアさんが「不安なんですね」と聞いたそうです

    すると、相談にこられた方が一瞬、考えて「そうです」と言ったそうです

    実際にはその相談者が何かを言った訳ではなかったそうですが、その人が話しているのを聞いてそのピアさんは、相談者の本当の気持ちに気がついたということだと思います

    ついつい、私たちは人を「点」でみてしまいます

    何か出来事が起きてそこについてだけでみてしまう。それが「点」

    でも、実際には色々なことがあってその人がそのことを言っているんだということです。それが「線」

    そのピアサポーターさんは、相談にこられた人の話を聞きながら、その方の「線」の部分を感じていたということだと思います

    人は「線」について、気づいてもらえると相手に対して「わかってもらえた」と思うそうです

    たまに、「あんなに真面目な人が」という人が、急に切れるという場面に出くわすことがあると思います

    なんで?と思ったことはないでしょうか?

    切れるという行為だけを考えると、その人が悪い気がします。「そんな簡単なことで」と感じる場合が
    それが相手を「点」でみているということです

    その人は我慢して我慢して、切れたのかもしれない

    人をきちんと見ていない人は、その「点」だけを見て相手を判断しようとしてしまい切れた人を「批判」してしまいます

    がん患者さんと話していると、つい「がん」のことを考えてしまいます

    でも、実際にはがん患者だからではなく、その前のことがあってがんがあって・・・なんじゃないかなって思います

    相手の「線」をみる

    難しいけれど、私もがんばってみます





      
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  • 2015年02月08日 Posted by すもも at 20:44Comments(0)がんとこころ

    上から目線な同僚さん

    今の企業さんでは、私と同じCADの派遣さんが2人います

    私よりも1階上の階にいる派遣さんとたまにですが帰りの電車で一緒になります

    その時にその方がびっくりするくらいに「上から目線」で、ちょっと面白いなって思いました

    基本的には「自分はどこの企業で働いても『社員にならない?』と声を掛けられているんだけれど、全部断っているの」ということから、その他いろいろ・・・・

    最初のうちは「すごいね~」と言っていたんですが・・・正直なところちょっと、飽きてきた

    基本的に彼女は私が何を話しても最終的には、自分のところに話を持っていくし「そうだよね」というのがないので、話していても全くつまらない。先日も、会社についたら何故か指先が切れていて血が出ていたので会社の薬箱からバンドエイドを探していたら、後ろに『お局さま』が立っていて、びっくりした上に「会社のだから、コンビニで買ってきて」と言われて、しかも薬箱を隠されたと言ったら「私は、そういうことはしないから」に始まって、いかに自分がきちんとティッシュやバンドエイドとかを持ってきているかの話になった。私としては、それよりはとりあえず「怪我したの?」って聞くものじゃないのかなって話だったんだけれど・・・。

    なぜか、話が横道にそれてしまう

    しかも晩御飯を食べに行きましょうと言われていったり、ランチに一緒に行ったりもしたんだけれど、とりあえず、食べる速度が異常に早い!しかも、食べたらすぐに「出ましょう」と言われて出たらすぐに「次の店に行きましょう」と言われるんだけれど、私はとてもじゃないけれど食べれないし、動けない・・・

    彼女いわく「私は1食で3合食べる」そうです

    女の人でそんなに食べるなんて聞いたことがないし、もう一緒にご飯に行くのは無理かなって思った

    私はとてもじゃないけれど、彼女とご飯を食べてからだとお茶も喉を通らない・・・

    そんなこんなで、最近は微妙に帰り時間をずらしている私です

    そんな彼女と最後に話した時に私がカラーセラピーで使う500色色鉛筆の写真を見せたところ「それを塗らせてるんだ」って言われました

    え??塗らせてる??

    う~~~ん、それはさすがにないわ。と思って、会わないように決めました

    なかなか手ごわい人でした



      
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  • 2015年02月05日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)がんと仕事

    自分の家族ががんになってしまったら

    『もし、自分の配偶者ががんになってしまったら』の記事を読んで、思い出したことがあります

    先日、以前の同僚が離婚したと聞きました

    その人は、私が始めて友人以外の「がん体験者」と話した人でした

    私が「がんになった」と言ったところ「女の人なのに傷跡が残るから大変だね」と言ってくれました

    その時に私が「親に話したけれど、何だか変なこと言うし、わかってもらえなくて・・・」というと「そうそう、家族は気を使ってくれるんだけど、何か違うんだよね」という話をしました。

    その方は、食道がんでステージ3で5年生存率は50%以下と医師から言われたそうです

    かなり大変な手術だったようで、その後の抗がん剤治療からご飯(白いご飯)が食べれないや色々なことがあるらしく「こんなに大変だとは思わなかった」と言っていましたが「まあ、生存率50%だから、好きなタバコはやめないでおく」と言ってるし、家族なら大変な人だろうなって思ったのを覚えています

    その話を教えてくれた人が「きっとそれは、がんになったから。じゃなくって、その前の関係性が大きく関わってくるんだろうね」と言っているのが印象的でした。その人は、小さい頃にお母さんをがんで亡くしていて自分はお母さんの記憶が全くないこと、その後、お父さんが再婚もせず男手1つでお兄さんと彼を育ててくれたそうです。

    がん体験者やがん家族。色んな人と話をしてみると、色々な話を聞くことができます

    みんな同じではないんだなと思うこともあるし、同じだなって思うこともあります

    若くしてがんになった人が、その後で家族をがんで亡くすこともある

    介護をしながら、がんになって「申し訳ない」と介護施設にお姑さんを預けた人
    娘さんがいなくなって、孫を育てている人
    家族ががんになった時に「がんになった」と近所の人に言えずに「鬼嫁」と言われながらも別居を決めた人

    家族ががんになっても、自分ががんになっても、どっちもつらいんだと思った

    そして、そのことで人生が変わることもあるんだなって思いました


      
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  • 2015年02月02日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)がんと家族

    もし、自分の配偶者ががんになってしまったら

    もし、自分の配偶者ががんになってしまったら――。NHKの朝の情報番組「あさイチ」(1月28日放送)で、がん患者の夫を持つ妻の悩みが紹介された。

    夫ががんになると、生活の変化や治療費の問題など大変なことは多々あるが、周囲の何気ない言動によって苦しむこともあるという。番組には40~50代のがん患者の妻3人が登場。夫ががんになってからの「人付き合いのストレス」について語った。

    「なんで息子だけ、がんにならなきゃいけないの?」

    40代の女性は、夫が入院すると、夫の友人たちが次々と見舞いにやってきた。次第に見舞いが夫の負担になってきたので「面会謝絶」にしたが、それでも「俺は一番仲がいい親友だから。俺だけは大丈夫」と言って勝手に病室に入り込む「友人」に悩まされたという。

    治療法の押し付けも対応が困る。がんが治った人から治療法を紹介されても、実行するのが現実的に難しいこともある。しかし、それをやらないと「嫁が悪い」「嫁が見殺しにした」と思われてしまう。

    夫ががん治療中の50代の女性は、親戚の法事に一人で参加したところ、夫の病状について質問攻めにあった。そこで気持ちを抑えて気丈に振る舞うと、「あなた何で明るく笑って喋れるの?」と言われて閉口したという。

    姑の言葉も強烈だ。13年前に夫をがんで亡くした50代の女性は、姑に言われた言葉を今でも覚えている。

    「あなたたちと同じものを食べているのに、なんで息子だけがんにならなきゃいけないの?」

    何気なく言われた言葉だったが、自分が「すごく悪いことをしてしまったのではないか」と感じてしまった。

    妻としては夫の家族に言われたことは印象に残るようで、番組に寄せられた視聴者メッセージの中にも、夫の妹に

    「こんな病院じゃ治るわけないじゃない。私の家族だったら日本一の病院に入れるわ」

    と言われたという話があった。「傷口に塩を塗られたようでした。一生彼女を恨んでいきます」とかなり根が深い。

    家族は「第2の患者」。ストレスで体調崩すことも 埼玉医科大学国際医療センターの大西秀樹教授(精神腫瘍学)は「こういう悩みは非常に多い」と語る。周囲からのストレスによって不眠や食欲不振など心身に不調が出ることがあり、家族が「第2の患者」といわれる所以になっている。それを見ている患者本人も辛いので、家族をケアすることが必要だとする。

    とはいえ、周囲も決して悪意があるわけではなさそうだ。大西教授によると、周囲も患者の家族を援助したいと思っている。しかし「どう援助していいか分からないので、結果、不適切な行動や言葉が出てきてしまう」という。

    では、具体的にどうすればいいのか。大西教授は「有害な援助」として、「安易なアドバイス」のほか、「大変な人はほかにもいる」「私はあなたの気持ちが分かる」といった言葉をあげる。相手の事情や気持ちを深く考えない言動はダメ、ということなのだろう。

    一方の「有用な援助」には、「思いを吐き出してもらう」「誠実な関心を示す」「そばにいる」の3つがあげられていた。患者の家族にアクションを起こすというよりも、寄り添う気持ちが大事なようだ。スタジオでは子宮頸がんを経験した女優の原千晶さん(40)が、

    「自分も患者だったときに、有用な援助に沿った対応をしてもらって嬉しかった。吐き出すのは凄く大事」

    と話していた。番組によると、日本人男性が生涯がんになる確率は60%。夫をがんで亡くした妻がそれだけ多いことになる。自分や家族ががんにならなくても、がん患者家族への接し方は覚えておいた方がいいだろう。


    http://yukan-news.ameba.jp/20150129-11/


      
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  • 2015年02月01日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)がんと家族

    久しぶりのピアサポーター仲間

    久しぶりにピアサポーター仲間とあって話をして感じたのは

    1年という長い間、ただただ自分とみんなの「がん体験」を聞けたことの大切さでした

    がん治療から5年。

    色々な患者さんや家族と話しました

    何だか違和感のある人に出会うことがありました

    そんな時に「どう思う?」と聞くことができる人たちができたってよかったなって思いました

    例えば自分の告知の時に、自分の感情ではなく家族の話ばかりする人。「自分はどう感じたか」を話さない人、話せない人はもしかしたら自分自身の病気を受け入れていないのかな?と感じることがあります

    普通であれば「私は死ぬのかな」とか「なんで私が」といった気持ちがあって「家族のことをどうしたらいい」といった感情がでてきます。そもそも「自分が死ぬかもしれない」ことがあるから不安になって「家族をどうすればいいだろう」という気持ちになるような気がします

    それは、どちらかだけではなく、どちらも。のように思います

    でも、自分の感情ではなく家族だけに目が向いているのはちょっと違和感があります

    そういう方は、ちょっと気をつけなくてはいけないのかな?って思ったりします

    じぶんの病気ときちんと向き合えていない人がピアとして活動されていたりすると
    患者さんの気持ちがわかっているようで、どこかでちぐはぐなことになっていたりします

    でも「私は体験者だから、患者さんの気持ちは誰よりもわかっている」という勝手な思い込みを持っていたりします

    実際には1年間、延々とピアサポーター仲間と赤裸々な会話をしていた私としては「がんって、本当にみんな違うんだ」と改めて思ったし「自分はこうだから」っていうのは当てはまらないというのだけがわかりました。

    ただ、その時に感じたのは「がん体験があったから」ではあるけれど、そもそもその人のそれまでの生き方があって「がん体験」をしたということです。がんが全てではないということだということ。

    だから、自分にとって『違和感』のある人は少し気をつけたほうがいいのかな?って思います

    「がん体験者」だから、何でもわかりあえる。なんてのはないです

    でも、少しでもわかりあえたら嬉しい。くらいの気持ちでいいのかなって思います



      
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  • 2015年01月30日 Posted by すもも at 10:03Comments(0)がんとこころ

    がん体験者のためのカラーセラピー




    coco color 123
     のがん体験者のカラーセラピーです

    ピアサポーター仲間と一緒にカラーセラピーをしました

    最初に「右脳のワーク」として「さかさま文字」と鏡文字を書いてもらいました
    「さかさま文字」はひらがなで「鏡文字」は漢字ですが、ほとんどの方が漢字がわかりやすいといいます
    ひらがなは「左脳」で漢字は「右脳」と言われています
    漢字のへんやつくりは、図形として認識しているので鏡文字にし易いようです

    このワークは、自分の考え方のクセを知ることができます
    「間違えないように」とか「まっ、いいか」と参加してくれた方それぞれの性格がよくでます

    ちなみに私は間違えても一回書いたら、そのままで見直しもしないようなタイプです・・・

    メインのワークでは、128枚のカラーカードを使ってお題にあわせてカードを選んで頂きました

    その時に「がんのイメージは何色?」というお題がでて、みんなで選んでみました

    「色だから話せること」を実感したワークでした


    ココカラー123:http://cococolor123.jimdo.com/


      
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  • 2015年01月26日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)カラーセラピー

    モラルハラスメントって?

    ここのところちょっとした話題になっている「モラルハラスメント」

    テレビで「5分でわかるモラハラ」っていうのをしていました
    直接的に相手を侮辱する言葉を言うのがモラハラって感じでしたが
    本当に相手を馬鹿にする言葉だけが「モラハラ」なのかなって思いました

    ハラスメントは連鎖する。といわれています
    「お局さま」のいる職場では、そのお局様がいなくなってもその後も「新お局様」がでてきます

    それは、お局さまにいじめられた人が自分を正当化するために次の人も同じようにいじめるからです
    そのほとんどが「モラハラ」です

    「あなたのためを思って言っているのよ」と後輩に言っているのは、実は自分自身のため。

    これって学校生活で先生から言われた時に一番、反発した言葉だと思います

    でも、これを社会の中で言われると不思議と拒否できない

    こころのやさしいひとに限って「これだけ私のためを思って言ってくれているんだから」って
    「できないのは、自分のせい」と思ってしまう

    それに、もしそこで「何だかイヤだな」って思って同僚に言っても
    「あんなにあなたのためを思って言ってくれているのに何を言っているの」と反対に批判されます

    そこが「モラハラ」の加害者の思う壺。

    実は「自分が上司に怒られるのがイヤ」なだけだけれど、それを後輩のせいにしているんだけれど
    言葉は好意的に「あなたのためなのよ」ってつけるだけで、いい人みたいに見える

    できないのは、教え方の悪い自分のせいではなく、覚えてくれない後輩のせいということです

    そんな人に限って「あいつのせいで」と飲んでる時に愚痴をこぼしているような気がします

    これが恋人同士で別れる時に使うと「私のことはいいから、あなたは幸せになって」という
    一瞬、いい人?って思う言葉にその人のモラハラが含まれています

    もし、本当にその人が相手の立場にたって言うのであれば「私も幸せになるから、あなたも幸せになってね」かな
    お互い、幸せになりましょうって言われたほうが、別れるにしても気持ちが楽になるということです

    モラハラの加害者は本当は心の中では相手と別れたくない、でも「私はいいから」ということで
    別れた後でも相手が「罪悪感」を抱くように心理的にしむけているということです

    そしてこの被害者は、自分が被害者なのに加害者のような錯覚を起こしてしまいます
    だから、別れようが別れまいが相手に対して「申し訳ない」と感じてしまうということです

    たぶん、こっちのほうが断然、怖いかな

    このモラハラをとても上手に、しかも効果的に使える職業の人たちがいます

    それが「弁護士」と「医者」と「教師」と言われています

    確かに~~~~!!

    お医者さんが「あなたのために」っていうと、患者は「先生!ありがとうございます!」って言いそうだし、先生が「あなたたちの将来を考えているのよ」って言えば「なんていい先生」って思います

    でも、実際には「あなたのために」って言う医師に限って、症例数を気にしていたり、「あなたの将来を考えて」って言っている先生よりも、きちんと自分の話を聞いてくれた先生のほうが大人になって記憶に残っていたりします

    じゃあ「この人は、モラハラ?」って気がつく方法は何か。

    とりあえず「言っていること」と「やっていること」が同じかどうかを検証してみるということです

    医師なら「あなたのために」といいながら、無理な治療をすすめたりその治療を拒否すると怒り出すなんて人は要注意。先生は「あなたたちのことを考えている」と言いながら何もしてくれなかったりするなど客観的に相手をみることです

    そもそも「あなたのために」とかいう人に、本当に考えてくれている人なんていないし、そんな「恩着せがましい人」には気をつけなくてはいけないということです

    それは「これは安いです」とか「これはいいものです」と言って根拠のないもので何かを売りつけようとする人と変わらないからです

    騙そうとする相手に「これは安いですよ」といわれると、いい人は「そっか、安いのか」って思ってしまい、それが「自分にとって安いかどうか」とか考えないし、そもそもそういった相手に対して「いくらで、どう安いのか?」と「せっかくそういってくれているんだから」と、なかなか聞けないということです。

    相手はそれをわかって「安いですよ」とか「いいものですよ」って言っているということです

    これが、相手に対して思い入れがなかったり、怪しい人なら「結構です」「いらないです」っていえるんですが、相手に好意を持っていると相手の言葉を疑っているみたいで聞けない。

    そして、モラハラの加害者は、それをかなりきちんとわかっているということです

    「軒下を貸したら家まで盗られた」

    「軒下を貸してくれ」と言われたら「軒下くらいなら」と思う。もし「貸せない」って言えば「軒下も貸してくれないのか」という。家の持ち主は「軒下ならいいか」と貸す。そうやって、相手に取り入って段々と相手を取り込んでいくらしいです

    今は色々な「ハラスメント」があります

    私はこの「好意的な言葉」のモラハラが一番怖いかなって思いました


    先日のワイドショーで「自由に出かけるのを許している。でも、どこに行くか、いつ帰るのかは聞く。
    だって、家族なんだから当たり前でしょ」と言われていました

    「自由に」だけれど「誰と会うか。どこに行くか。何時に帰るか」を聞くことで、実際には
    「どんな人と会うのか。変な人じゃないか。いかがわしい場所には行かないか。遅くならないか」といった
    「言葉にしていないメッセージ」が含まれているということです

    それを言われた方はその「非言語的メッセージ」を受け取っているから「相手は私を自由にしてくれない」と思う

    そもそも「自由にしていますよ」とわざわざ言っていることが「自由にしていない」ということです
    それに「家族なんだから」ということで、より自分を正当化しているのがわかります

    何も知らない「いい人」が聞いたら「そうだよね、家族だもの。それくらい聞いても良いわよね」と思う

    でも、果たしてそうでしょうか?

    本当に相手を信頼していれば「行ってきます」「今日は寒いから、暖かくして出かけてね」でいいんじゃないかな

    お互い、いい大人なんだから・・・

    人は自分が言っていることほど、できていないからいうと言われています

    「許しています」っていう人は相手を許していないし「別れていいよ」って言う人は「別れたくなんてない」
    でも、言葉で言っているから「こんなに自分はいい人なのに」と自分自身に酔っている人です

    とりあえず、この「モラハラ」は相手を精神的に追い込みます
    どんなに相手から「好意的な言葉」で言われても「逃げるが勝ち」です

    逃げて、逃げて逃げまくって、自分の心を取り戻しましょう!


      
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  • 2015年01月24日 Posted by すもも at 23:51Comments(0)その他

    「幸せ力」をつける、ちょっとした生活術

    お正月になったので年末に借りていた本を読みました

    「幸せ力」をつける、ちょっとした生活術 斉藤茂太著

    ・・・・フランスの哲学者、アランは『幸福論』の中で、「ある人が幸福を求める。するとたちまち彼には幸福を見つけることができないという宣告がなされてしまう」と、人が幸福を探すことのパラドックスを言っている。

    「幸福を世界の中に、自分自身の外に求めるかぎり、何ひとつ幸福の姿をとっているものはないでしょう。要するに、幸福については、論理的に推論したり予見したりすることができたら、それはどういうことかをよく考えて見たまえ、それは今、君にすでに幸福をもっているからだ。期待を抱くこと、それはつまり幸福であるということなのだ」

    私たちは幸せというと、まるで外に「完全なる幸せ」というものがあって、これから見つけ、手に入れなければならないものであるかのように思い込んでいる。そんな幸せなどはないのだ。

    日々、希望を持って生きている、そのこと自体で十分に幸せであるということだ。私たちは明白に期待を持ち日々を生きている。そうである限りは、すでに私たちの幸せを手にしているのではないか。


    去年、ずっと悩んでいることがありました

    自分がどこかで「いい顔依存症」になっている気がして「ほめてもらいたい」「認めてもらいたい」という気持ちに囚われていたように感じました

    でも実際にはそういう関係でなければ、付き合えないのであれば、相手とは本当の意味では付き合っていけないのだということに、心のどこかで気がついていたのに・・・って思いました

    自分の中で無理をして、それでも得たいものって、本当は必要ないものなんじゃないのかなって思った私でした。


      
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  • 2015年01月01日 Posted by すもも at 21:51Comments(0)読んだ本・・・その他

    本当のことと、そうでないこと

    大津秀一先生のブログで、気になるものを見つけたので、よかったら読んでください


    近藤誠さんの、がんは「がんもどき」と「本物のがん」だから放置で良いという「がん放置療法」の弱点

    アメブロ: http://ameblo.jp/setakan/entry-11950871521.html


    近藤誠先生の本は、がん体験者なら誰もが気になったことがある1冊なのではないでしょうか?

    特に「抗がん剤治療は受けるな」とか「がんは消える」とか何だか患者には嬉しいことも書いてます

    でも、果たしてそうなのかな?って思う

    厳しいステージの人でも抗がん剤で、がんが消えた話はよく聞きます

    それを果たして、「そもそも、その人はがんではなく『がんもどき』だった」とはちょっと思えないことがある
    第一、ほっとて亡くなったら元も子もないし

    ただ、以前、ある雑誌で有名な先生と対談をしているのを読んだ時には、もっともらしいことを言われていたりしました

    ちょっと難しいのは「抗がん剤でがんは消える」の定義がそもそも正しいのか?ってところがある

    手術の後の追加治療においてそれは、あると思うけれど、そこそこ進行してからであれば
    医師も「根治を目指すのではなく、延命のため」の抗がん剤だと思っている

    そしたら、そこには消えることを目指してない訳だから、抗がん剤治療を受ける・受けないは患者の選択でもいいように思う

    でも、手術後すぐの追加治療は別じゃないの?ってことになる


    私がいつも感じる近藤先生の問題点は「正しいこと」と「正しいかもしれないこと」と「もしかしたら正しくないかもしれないこと」を
    同じことのように書いていることじゃないのかな?って思う

    最初の治療の方が受ける抗がん剤治療と、末期がんの人が受ける抗がん剤治療では同じ抗がん剤治療でも
    意味合いがまったく違う。それをきちんと書いてないっというか、あやふやにしているのが「ずるい」って思う

    患者は、がん専門医ではないし、がん患者であっても自分のがんがどういうものか理解していない人が多い

    それなのに、がんをひとくくりのように思うようなタイトルだったり、内容を理解してなければわからないようなことを
    わかりやすい言葉で書いてある←でも、そもそも「がんは個別医療である」ということは、なんかわからなくなっている

    近藤先生の難しいところは、先生が日本でも有名な大学病院で、しかもがん専門医だった(現在は違う)ということだと思う

    先生の経歴や勤務先などは、すべて正しい。

    ところが、先生が本当の意味でがんをきちんと本に書いてあるかは、専門医にしかわからないということだと思います
    あと、がんの専門医であっても婦人科や乳腺・肺など細分化されてあるので全てはわからない

    私たちは、人を判断する時に知らない人であれば、その人の経歴を見て判断します

    つまり、近藤先生に対しては「こんな立派な経歴を持っている、しかも現在も患者を診ている方が嘘をいう訳がない」ということです

    しかも「正しいこと」や「正しいかもしれないこと」も一緒に書かれているので、それを専門医でもない患者が区別するのはとても難しいということです

    私が講演会などで話を聞いてことがある、がん専門医(がんセンターの医師もいました)の悩みの中ではっきりと患者さんに
    「正しい知識を持ってください。せっかく治る見込みがあるのに抗がん剤治療をやめないで」と言われた方もいます

    名前を言われた方もいるし、濁した方もいました

    でも、たぶん、今本当に患者さんと一緒に戦っている、最前線でいる医師はそう思っているように思います

    たった1冊の本、たった1人の医師を信じるのではなく、今、実際に自分の目の前にいる先生を信じて欲しいと思います

    それで、どうしても信じられなかったら「私は、あなたが信じられないから、治療を受けたくない」と言って
    別の病院に行ってもいいと思います

    もしかしたら、その先生が自分と合わないだけかもしれないし・・・

    私は顔をみてもいない先生を信じるよりは、きちんと話をしてくれる先生の方が絶対に信頼できる気がします

    生きるか死ぬかを考える病気なのに、いいことばっかり書いてる本なんて信用しないで欲しいと思っています


    そして、何よりもその莫大な印税はがん患者のために生かされているんでしょうか?



      
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  • 2014年11月13日 Posted by すもも at 12:51Comments(0)その他

    治療中のお風呂

    そういえば!と思い出したことがあった

    退院後、お風呂に入るのがとっても大変でした

    退院したのが9月だったので、夕方から夜にかけて寒くなります

    入院中は、お昼に入っていたお風呂。

    治療がすすむにつれて、段々とシャワー室にいる時間が長くなります

    それは、自分の体が思うようには動かないからです・・・

    そして放射線治療の場合は、シャワー室の中でも下痢が始まってしまったりするので
    もう、大変・・・

    そんな中で、頭を洗って体も洗ってというと、洗い終わったあたりでもうヘトヘトでした

    疲れるためにお風呂に入っているような気持ちになる感じ・・・

    退院してからもしばらくはそんな状態が続いていたので、お風呂は昼間に入っていました

    不思議と昼間だと疲れない(まあ、といっても疲れますが)気がします

    あと、夜だと湯冷めしてしまって風邪を引きやすくなります

    ちょっと治療が大変な時は、お風呂にも気をつけてくださいね~~

      
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  • 2014年11月11日 Posted by すもも at 21:41Comments(0)がん

    ピアの存在

    ここしばらく化学療法を受けている友達用に、脱毛後の帽子を探していました

    ですが、私は追加の放射線治療だけで抗がん剤は受けていないので脱毛の経験がない!

    これは困った・・・

    ということで、ピアサポーターの同期の中で抗がん剤治療を受けた3名に聞いてみました

    治療は受けた人しかわからないことがあるので、こういう時は本当に頼りになる存在です

    抗がん剤治療中にお店に出かけて帽子を探して買うのは難しいように思います

    自分の体のつらさもあるのに人ごみに出かけるのは大変です

    といってネットでも探しましたが、見ただけでは素材や使いやすさはなかなかわかりません

    自分で身につけてみることができないので、サイズがわからないし・・・

    入院中に同部屋だった人が使っていたのを思い出してみたけれど、やっぱい細かいところはわからない

    今回、おすすめしてもらったのはニット地で柔らかいふわふわした布地のもの

    洗い易いタオル地のもの

    デザインは、治療で髪の毛が抜けた時にサイズ調整ができるようなものなどでした

    あと、やはり使った人ならではだなって思ったのが、髪の毛がないと皮脂で汚れるから
    洗い替えがいるよ。ということ

    髪の毛がある利点にそういうのもあったんだと、ちょっと驚きでした

    お友達のおすすめのサイズ調整ができるバンダナ帽子です

    可愛いデザインで、お友達用に買いました


    http://www.rakuten.co.jp/actia2013/
      
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  • 2014年11月06日 Posted by すもも at 20:32Comments(0)がん情報