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10年目
このブログを最後に書いたのはいつだろう?と思ったら、すでにもう2年も経過していた
その時に「もうこれで仙台に行くのは最後かな」と言いながら、結局は、今年2018年が最後になりました
なんだかんだと10年間、仙台に通い続けました
後半の2、3年は婦人科に行くのは、正直な気持ち「自分自身の意地」だったかな?って思います
自分で行くと決めた病院に10年通う。という一念でやってこれた気がします
今は、婦人科には何も未練がないかな
入院中にお医者さんの卵にもなっていない学生さんとの面談があって
その時に感じた「人ではなく病気を見ている」という違和感をこの数年、ずっと診察室で感じていました
だからかな。結局、後半の婦人科の先生には誰にも愛情も持てなかったし
早く診察終われって思いながら、診察室に入っていました
それは、自分自身が病気や病院から遠くなったからだという理由だとは思えないようなものがあります
診察台でも痛いことが多くて、終わった後で何だか切なくなっていました
ほんの少しの優しさや思いやりを感じることが出来なくなって、それが言葉は優しいけれど
患者と向き合っているようには思えないマニュアルどうりの応対が変な空気感や気持ちの寒さを感じました
きっと10年前に話していた人たちが、今の診察室の先生たちなのかなって思いました
人ではなく、病気を見ている
少しだけ、残念です
来週は、仙台です
その時に「もうこれで仙台に行くのは最後かな」と言いながら、結局は、今年2018年が最後になりました
なんだかんだと10年間、仙台に通い続けました
後半の2、3年は婦人科に行くのは、正直な気持ち「自分自身の意地」だったかな?って思います
自分で行くと決めた病院に10年通う。という一念でやってこれた気がします
今は、婦人科には何も未練がないかな
入院中にお医者さんの卵にもなっていない学生さんとの面談があって
その時に感じた「人ではなく病気を見ている」という違和感をこの数年、ずっと診察室で感じていました
だからかな。結局、後半の婦人科の先生には誰にも愛情も持てなかったし
早く診察終われって思いながら、診察室に入っていました
それは、自分自身が病気や病院から遠くなったからだという理由だとは思えないようなものがあります
診察台でも痛いことが多くて、終わった後で何だか切なくなっていました
ほんの少しの優しさや思いやりを感じることが出来なくなって、それが言葉は優しいけれど
患者と向き合っているようには思えないマニュアルどうりの応対が変な空気感や気持ちの寒さを感じました
きっと10年前に話していた人たちが、今の診察室の先生たちなのかなって思いました
人ではなく、病気を見ている
少しだけ、残念です
来週は、仙台です