ひとの縁

すもも

2010年09月09日 00:00



今日、出かけていて帰ってきたら封筒が届いていました
開けたら、ちょっと癖のある文字で書かれた手紙が入ってました
差出人は、伊勢真一監督。
先日、武蔵野公会堂で見た『風のかたち』の監督さんでした

私が書いた手紙を見て返事を書いてくれました

私が出した手紙です
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先日は、ありがとうございました。武蔵野公会堂でお会いした、がん患者の者です。
沢山、お話したい事はありましたが、なかなかああいった場所では難しいので残念でした

柳原和子さんを悼む 「がん 薄っぺらい同情 笑う」▼作家 田口ランディ
「がんになってわかったことがたくさんある」
初めて会ったとき、柳原さんはこう言った。「がん患者はね、がんになった瞬間から
マイノリティになるの。突然に不幸を背負った人間として扱われる。びっくりするわよ。
あなたも一度なってみれば?」
答えに窮した。その目がいたずらっぽく笑っている。不思議な女性だった。辛辣で理論家。
そのくせ、純真でナイーブ。大人と子どもが一人の人間のなかに同居している。
でも、それが快感だった。柳原さんとつき合うと、自分がわかる。他者への理解の浅さ、
おためごかしな態度、うすっぺらい同情心で病者に接していたことに気づかされる。
彼女には嘘偽りがなかった。まっさらで正直で、怖いほどありのままの自分をさらけ出していた。
再々発のときは脅えていた。落ち込むと電話にも出なかった。長い闘病生活のなかで書き上げた名著
「がん患者学」は、がんを患う者のバイブルとして、多くの読者に生きる希望を与えてきた。
だが、希望を語る彼女もまた、がんを病む一人の患者であったのだ。
金欠と恐怖のなかでのたうちまわりながら、書くことを宿業としてきた柳原さんの生き方は、
私に「作家とは何者か」を問いかけてくる。
「文学者はがんを物語の装置として消費している」
そう語った彼女の言葉は図星だと思った。では私はなにを書いたらいいのか。
がんそのものを描くことができるか。そう思って『キュア』という小説を書いたが、
もう末期に入った彼女は「さすがに、がんの小説なんて読みたくないわ」と病室に飾ってくれた。
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がん患者にとって、柳原和子さんという作家は特別な人なのではないかと思います
私も彼女の言葉に助けられた1人です
がん患者は、がんと告げられた瞬間からマイノリティになる。わたし自身もそうでした。
そして、小児がんというのはがん患者の中でもとてもマイノリティだと思います。
子供はがんにならない。がんになったら死んでしまう。などといった偏見や差別もある。
でも、当の子供たちは誰よりも純粋な目で命を見つめている 。
そして「誰かの役に立ちたい」とこたえてくれる。すごいなって思った。
誰よりも命の大切さを知っているのかもしれないなって「風のかたち」を見てそう思いました
がん患者を偏見を持たずに見るというのは、実はわたしたち患者でも難しいことだと思います
でも、社会のなかでもっとがんを知ってもらわなければいけないんだと思います
がんを知る。それが今一番必要なことなんだと思っています
今、私は三鷹市の中でがん患者さんをサポートする方法がないかと考えています
といっても、何をすればいいのか、お金をどうすればいいのかなど問題は沢山あります
なにができるかわかりませんが、がんばってみます。また、どこかでお会いできるといいですね

お送りしたフリーペーパーは小児がん体験者の人たちが作ったものです。
「風のかたち」の子供たちの未来がここにあります
よかったら読んでください

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伊勢監督の手紙には『風のかたち』を見てくれてありがとう
STAND UPを送ってくれて、ありがとうと書いていました

そして柳原さんが二十年来の映像助手であったこと
いい飲み友達であったことなどが書かれていました
読んでいてなんだか涙が止まらなかった・・・

手紙には柳原さんが『風のかたち』を見たら、なんていっただろうって想像しながら
ひとりで飲むことにします。と締めくくられていました。

『ひとの縁』とは不思議なものだなって思いました

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