がんの最後は痛くない

すもも

2011年01月26日 00:00

がんの最後は痛くない
大岩 孝司・著
800人を看取ってきた在宅ホスピス医の証言
痛みで七転八倒というがんの終末像は大誤解。
患者の半数は痛みが出ず、痛む半数も薬で和らげられる。
苦痛なき大往生は可能なのだ
初版発行日:2010年08月30日



内容紹介
がんの最後は痛みで七転八倒する、と思っている人が医者を含めて沢山いるが、それは誤解だと在宅緩和ケア医の著者は言う。9年間で約800人のがん患者を看取ってきた経験からすると、患者の半数は痛みが出ず、痛みの出る半数も麻薬で充分緩和できるからだ。だが、現実には七転八倒する患者がそこかしこにいる。本来そうした痛みは起こらないはずなのに何故? 著者はこの問いへの答を探る中、現在のがん治療のあり方に大きな疑問を突きつける。

「がんの最後は痛くない」これは、どういう事なのかな?って読んでみました

実際に去年、友人の親が、がんで亡くなった時の話を聞いたら
「痛そうではなかった」と言われていました

私たちは、ドラマのせいなのか昔の話とかで「痛い、痛い」って体にチューブをつけられている
イメージが強すぎるのかもしれないですね

スキルス性の胃がんが見つかった友人のお父さんは、なんの治療をする事なく
亡くなるぎりぎりまで自宅で過ごしたそうです
そして、最後は緩和ケアで看取ってもらったそうです
でも、痛い痛いとは言っていなかった。って言っていました
年齢の事もあったし、スキルスという事もあって治療をしない。と言われた時は
「なんで」と思ったと言ってくれました
でも、実際には苦しむ事もなく最後まで自宅で孫と一緒に過ごせたから、
それでよかったと思っているって教えてくれました

この本の中で、すごく不思議だったのは、こちらの在宅緩和ケアを受けている方の半数の方が
終末期のモルヒネを受けていないという事でした
日本は海外に比べてモルヒネの使用量が少ないと問題視されています
もっと早い段階でモルヒネを使えるようにと、2006年のがん基本対策法で決められたそうです
モルヒネ=がんの痛みを取る。そして、それが緩和ケアの主流というイメージがありましたが
そうではないんだって驚きました(もちろん痛みのある方にはモルヒネを使います)
そして、この本の中で何度も書かれていましたが「痛み」は、がんによるものではなく
ほとんどが患者が不安や不満によって生み出していくもの。だそうです
また、謝った知識を持った家族によって助長されていくようです

私も入院中に言われましたが、回診の時に医師や看護師の方かたに「痛くないですか?」と聞かれる
そして、毎日の検温表にはフェイススケールというのもがあります
こちらは基準のフェイススケールです



痛みを上手に表現できない場合は、これを指差して伝えます
これは、とてもよく出来たものだと思います
ただ、これを見てもわかるように「痛い」から、こういうものがあるんだって思ってしまう
また、患者さんが「私、どこか痛くないかしら?」って探してしまう
そして「痛み」を作り出してしまう。という事があるそうです

こちらは、私が入院中に使用していた検温表です
検温以外に、食事やトイレの回数を書いています



在宅緩和ケアでは「いつ」「なぜ」その痛みが出てきたかを考えていくそうです
がんとは関係のない痛み(椎間板ヘルニア)だったりもするし、本当にがんかもしれない
または、患者さんが不安の中で生み出したものかも知れない

ただ、患者さんが痛いという時は、やはり本当に痛みがあるのだから、それをどういう方法で
取り除いていくかを考えていく
それが、疼痛治療になる。という事でした

痛みがある事で眠れない。眠れないからイライラする。でも、誰にもわかってもらえない
そういう痛みは、患者にとって痛みだけでなく家族にも医師にも看護師にも不信感が
芽生えていくような気がします
そういう事がないように、きちんとした判断をしてもらいたいと思います

患者にとって、死を受け入れること、そして、自分の状態を受け入れることは大変だと思います
でも、時間をかけて受け入れるかもしれないし、家族が考えているよりも早く受け入れてくれるかも
しれません。それはその場になってみないとわかりませんが、それにも信頼関係が必要な気がします

ただ、在宅緩和ケアという事は「治療をしない」という事です
それを告げられた時の、患者の気持ちはどういうものなんだろうって思います
私の知り合いの方が、乳がんで奥さんを亡くしました
医師には「治るから」と言ってくださいとお願いしていたのに、たまたまかわりに来た医師に
「治らないから」と言われて、その2日後に亡くなりました
末期がんである事を考えれば、いつ亡くなってもおかしくはなかったかも知れません
でも、その方は「あの時、医師が治らないなんて言わなければ、妻はもっと生きていたはず」と言われていました
1日でも長く生きて欲しいというのは、家族の気持ちだと思います
そして、どんな時であっても希望をもっていたいのが患者だと思います

自分が看取る立場になるのか、もしくは自分を看取ってもらうのかは誰にもわかりません

この本で書かれていた事で、印象的だったのは、
全ての人がそうかはわかりませんが、ほとんどの方は、いきなり容態が急変する事はなく
医師にはこの先、患者さんがどういった状態になっていくかの予測がつくそうです
それを介護されている家族の方に伝えてあげる事で、体調に変化があっても慌てることなく
対応する事ができるそうです

私は、これを読む前は「容態が急変したら、家族はどうすればいいの?」って思っていましたが
そんなに神経質に考えなくてもいいのかも知れないと感じました
そして、病院はどんなに長く居ても患者の家ではありません
病院は医師のものであり、医療従事者のものです
患者にとって一番安心できるのは、やはり家だと思います
家に医師が来てくれるというのは、医師はあくまでお客さんで、患者が家長です
そういう関係で話をしてみると、また違ったものが見えてくるのではないでしょうか?

死は、いつかはみんなが通る道です(致死率100%です)
もちろん、事故で亡くなる方もいますが。。。
がんは、今や、なんていっても3人に1人です

昨年、友達2人が次々とがんで親を看取りました
その友人に聞くと、「がんでよかった」と言われました
反対に、何年か前に看取った方、または看取るまでに時間がなかった方などは
「ああしてあげればよかった」「がんは嫌」と言われる方が多いです
それほど、今の医療現場が変化して行っているのかもしれません
最後の瞬間を迎えた時に、患者さんも家族の方も「がんでよかった」と言えるような
病院や在宅介護のシステムが出来てくれるといいですね

そして、この本はぜひとも医療関係者に読んでもらいたいと思います
また、現在、在宅緩和ケアを考えている方や、実際にされている方の家族にも読んでもらいたいです

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