死ぬ瞬間―死とその過程について

すもも

2011年10月10日 00:00



エリザベス・キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』。
名前はとても驚くけれど、内容はとても理解できました
この本は1960年代にアメリカで『末期がん』などの死を宣告された患者が
それをどう考えていくかというものを200名以上の患者にインタビューすることで
わかっていったものをまとめたものです

患者には、否認・怒り・取引・抑うつ・受容という段階を踏むというのがわかっていきました

否認:自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
怒り:なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
取引:なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。
   何かにすがろうという心理状態である。
抑うつ:なにもできなくなる段階である。
受容:最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。

ただ、すべての患者がこのような経過をたどるわけではないとも書いています
患者の中には、自分自身が病気や自分の状態を受け入れられないというのもあるけれど
家族との関わりで受け入れていけないというのもあると思いました
家族が『頑張ってくれ』という気持ちで患者に接していると、患者も『頑張りたい』と思う
でも、実際は治らないという現実がある
その現実をお互いが見つめることができると病気の話や現実的な事が言えるけれど
どちらかが認められないと、お互いがつらい思いをしなくてはいけなくなるのだと思いました

去年、1年目の検診の時に偶然話をした男性が、そうでした
末期がんと言われた奥さんに自分は一生懸命来年の事を考えてくれという。でも妻はそんな先の事はわからないという。なぜだろう?なぜ、もっと前向きに考えてくれないのだろう?と思った。と話してくれました
私は、私は患者だから思うけれど、患者にとって大切なのは「来年」ではなく「今、この瞬間」なのだと
でも、だからといって奥さんはその気持ちはわかっていたと思いますよと話しました
その男性は、泣きながら私に「ありがとう」と言ってくれました

私は奥さんではありません
だから、奥さんが本当のところどう考えていたのかはわかりません
でも、体験者である私が話をすることに意味がある気がしました
奥さんはもう戻ってはこれません。
その人よりは、生きている人を大切にしてあげたいと思います
その旦那さんが奥さんを思っていた気持ちに嘘はないんだし・・・

患者にとっては、自分自身の死は「未来を失うこと」です
だから「ああしたかったな」っていう「未練」だと思います
でも、家族にとっては「ああしてあげたかった」という「後悔」なのだと思います
だからこそ、この本は患者だけでなく家族に読んでもらいたいと思いました

「他人と過去はかえれない」でも「自分と未来はかえられる」
例え、その時間が短くてもです

自分の命の期限を見てしまった人は、その時間の中を必死に生きています
そして、その中で色々な言葉を残してくれます
私がブログを書き始めた理由は、末期がんの方の「1日でも長く生きていたい」という言葉でした
「なぜ、私ではなく彼女なのだろう?」そして、彼女が私に残してくれた言葉を伝えたいと思いました
私のブログの中で彼女が生きているんだって思います

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