川島「福島を救って」涙目会見で訴え
【リエージュ(ベルギー)18日=益子浩一】日本代表のGK川島永嗣(29=スタンダール)が当地で、東日本大震災の被災地に向けた会見を開いた。フランス国営テレビが、川島の腕が4本ある合成写真を映し「福島(第1原発事故)の影響」と発言したことに対して「冗談にもならない」と反発。さらに「福島には、いまだに家に帰れない人もいるんです。世界中の人々が日本を救って欲しい」と訴えかけた。
初冬を迎え周囲の木々が紅葉した練習場から会見室に入ってくると、川島はしっかりした口調で語った。日本代表として出場した12日フランス戦後、フランス国営テレビが、自身の腕が4本ある合成写真を放送。司会者が「福島(第1原発事故)の影響ではないか」と発言したことは現地でも大きな波紋を呼んでいる。
川島 私たち日本人にとって、それは冗談では済まされないことです。非常に悪いジョークだ。福島には今でも家に帰れない人がいる。家を失ってしまった人もいる。私だけでなく、日本にとって、重要な問題なのです。世界中の人々に、日本を救って欲しい。
被災地の光景が浮かんだのだろう。英語で話すと感極まった表情になり、目頭を熱くした。昨年夏に仙台、冬には原発から近い福島県相馬市、今夏にも岩手を訪問。帰国すれば、必ず被災地へ足を運ぶ。
川島 原発の被害は、目に見えるものではない。常におびえている人がいる。子供たちは外で遊ぶこともできず、心おきなく(サッカーの)練習もできない。当たり前のことが、当たり前にできない。復興だけでなく、心の傷は簡単には癒えないのです。
この日の会見は、自ら希望して開いた。自分の口で言いたかったのだという。
川島 今回の出来事は、日本人がどうあるべきかを示す機会にもなる。僕がどう考えているか、しっかり主張をする。今まではなかったことかも知れませんが、これからの日本人はどうあるべきか。それを伝える責任がある。サッカー以外でも、行動を起こしたい。
最後に、被災地への思いも残した。
川島 常に一緒だということを忘れないでほしい。日本人のメンタリティーは世界に誇れるものですから。
遠いベルギーから発信した言葉の数々。それは、心から伝えたい思いだった。
[2012年10月19日8時46分 紙面から]
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中学1年の夏休みの前に、一斉に廊下に「ヒロシマ・ナガサキ」の写真が貼り出されました
真っ黒でまるで棒きれのようになった人や背中の皮膚が焼け爛れた人たちに廃墟になった町・・・
どれもが、この世のものとは思えない写真でした
でも、先生がその事に何かをいうことはなかったと記憶しています
だからなのか、私の一生のテーマが「ヒロシマとは」「ナガサキとは」そして「戦争とは」でした
そんな私が、まさか治療で放射線治療をするとは思ってもいませんでした
放射線治療を受ける時に、放射線科の医師に「日本は唯一の被爆国です」という話をしました
そして、きちんと向き合って治療を受けると決めました
私の父親は原発の技術者でした。
父の自慢は「六ヶ所村以外のほとんどの原発に行った」という事でした
そして、私の姫路の親友は被爆2世です
彼女のお父さんは、ヒロシマに原爆が落とされた後すぐに被爆地に入って片付けをしたそうです
どんなものにでも負の面はあると思います。
大切なのはどんなものであっても完全なものはないということ。そして「何かが起きた時にどのように対処するかをきちんと決めておかなくてはいけない」という事だと思います・・・
でも、どんな時でも希望はあると思います
私の親友は、今ではとっても元気な3人の男の子のお母さんになっています