生きてるだけでいいんです。

すもも

2012年09月09日 10:00



生きてるだけでいいんです。

この生きづらい時代。悩みや苦しみとうまくつき合い、日々を楽しく過ごすには?「毎日新聞」連載の人気コラムを一冊に。“笑う哲学者”土屋賢二氏と著者香山リカさんの対談つき!

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ブログを書いていて、気になることがあります

私自身は「どんなことでも自分らしく」と思っていますが、実際に会った人が感じる「すもも」がどんな人なのかはわかりません。
とってもいい人だと思ってくれていたのに「こんな人だと思わなかった」と失望されてしまうかもしれない
ええかっこうしいだと感じる人もいるだろうし、嫌な人かもしれない・・・
そんな私は、仕事で日常で嫌な事があると「あ~~仕事行くの嫌や~~(泣)」と思ったり、イライラしたりもするような人間です

でも、それも「すもも」だと思っています

本の中でブログで優雅な生活を書きながら、殺人で起訴された女性のことを書いているところがあって「そうそう!」と思いました

・・・・・・いまブログが大流行で、誰もがより多くの人に見てもらうための工夫をこらしながら、自分の毎日をつづっている。
しかし、いったん理想の自分の姿をつづってしまうと、それを保つために今度は現実のほうを変えなければならない場合も出てくる。
人間の生活や人生は、それほど整合性があるものではない。やさしい人にも残酷な一面があり、上品な人にも世俗的な顔が隠れている。
もちろん、今回の事件の原因がブログだ、というつもりはないのだが、そこに描かれている「理想の自分」にこだわりすぎると、思わぬ方向に突っ走ってしまうこともある。というひとつの例になるのではないか。
ブログは書いたり中断したり、ときには内容やトーンが変わったり、というくらいが、ちょうどよいのだと思う。・・・・・本文より。

自分の身近な人のブログを読んだ時に、身近な人だからこそ感じる「違和感」があったりします
そういう時の感覚って、「その人らしくない」からなんじゃないかな?って思います

どんなに綺麗な言葉で日常を綴っていてもそれは、やっぱり「借り物」でしかないと思う

それなら完全に作家のように自分では無い人を作ってしまって、自分とは切り離してしまうしかないのかな?って思った
ブログに振り回されているような人を見ると、しんどいやろなって思うしもっと素の自分を出したほうが楽やろうに・・・。と思ったりします

ブログのための日常ではなく、日常の中のブログやないとね。。。

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