心病む母が遺してくれたもの: 精神科医の回復への道のり

すもも

2013年11月01日 00:00



心病む母が遺してくれたもの: 精神科医の回復への道のり

・・・・・「『ラジオ深夜便』聞いて。ほんとに毎朝、大晦日も元旦も雨が降っても雪が降ってもここへ来て、ちょっとシャキッとすんの。もうなんにも楽しみないからね。そうそうあんた、〈深夜便〉でなんども繰り返し放送された話。あれは泣けた。もういっぺん聞きたいんだけどな」

 あとで調べた。4時から放送される「明日へのことば」というコーナーで紹介された話だった。タイトルが『統合失調症の母との歩み』という。

 私が2歳のとき母は「発症」した。父は外に女をつくり帰ってこない。娘の私は母の料理をいちど「美味しい」といった。母はそれを8年間毎日つくりつづけ、自分はせんべいだけを食べ、ひたすら煙草をすいつづけていた。

 夜は寝ずに闇のなかをのそりのそり歩きまわり、わけの分からないことをぶつぶつ呟く。家は貧しい。中学になって、母が制服をつくってくれた。できあがったのは変なもので、あちこち針が残っていた。学校ですさまじいいじめにあった。踊り場から突き飛ばされた。

 転げ落ちて、スカートがめくれ、下着が丸見えになった。落ちた痛みより、そのことが恥ずかしかった。私は、突き落とした5人の男女を階段の下から見上げて、心に決めた。「あいつらより絶対にいい人生を生きてやる」

 同時に母への怖れが憎しみに変わった。身なりが貧しいからこんな目に遭う。母を恨んだ。見返してやる職業をめざす。医学部に合格し、精神科医になった。精神科の勉強で、母の病気は〈統合失調症〉だったと知る。

 だが同時に思う。目的を達成しても、動機が復讐だと心は救われない。私の過去はボロボロだ。そしていまは孤独。母とはまったく会わなかった。もう1分1秒も生きたくない。2度の自殺をはかる。

 助かったが、しょんぼりと生きていた。人にいわれた。お母さんとこのまま会わなかったら、あなた自身が幸せになれない。そうだ、母を見捨てたままでは、自分はどうせろくな人生しか生きられない。札幌の奥の方に住んでいた母親に会いに行く。

 母は空港まで迎えに来ていた。1台1台のバスに首を突っ込んで、私の名前を呼びながら探している。「いっちゃん、いっちゃん」その姿が目に飛びこんできて私は驚く。なんてちっちゃくなったんだろう。再会への不安も恨みもすべて消し飛んで私は声をあげた。

「お母さん」

 ひとり暮らしの家に入ると、あの8年続いた料理が出てきた。母の私への思いは子どものころに止まってしまっていた。

 私は50歳を過ぎている。人が回復するのに、締切はない。「もう遅い」といってしまってから、可能性はしぼんでいく。精神科医、夏苅郁子さんの話は、圧倒的な共感を呼んだ。中村プロデューサーも驚いた。

「別の枠で再放送したらまた要望があって再々放送。〈深夜便〉だから長いお話を静かにお届けできて。この時は、若い人からも痛切な感銘が寄せられました」

※週刊ポスト2013年11月1日号
http://www.news-postseven.com/archives/20131027_223487.html

統合失調症の母との歩み 児童精神科医が本出版
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20120815152049067

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この記事を読んで、この本が読みたくなりました

少し前に岡田尊司先生の「シックマザー」「母という病」という本を読んでから、私の中で「心を病んだお母さんに育てられるというのは、どういうことなんだろう?」と思っていました

そんな時に出会いました

文章は正直、上手ではないと思いました。そして、少し押し付けがましい部分も感じました

でも、読み終わった後で少しだけホッとしている自分がいました

関連記事