「ストーカー殺人」と「診察室」

すもも

2012年11月15日 00:00

ストーカー殺人:「警察動いてくれない」…被害女性が悩み

神奈川県逗子市で元教員の容疑者が、以前交際していた女性を殺害し自殺したとみられる事件。彼女は事件の3カ月前、「警察が動いてくれない。対応が変わってほしい」とカウンセラーに訴えていた。警察は自宅周辺のパトロールを続けていたが、結果的に凶行を防げなかった。

また警察が逮捕状を示す際、被害者の女性の現姓を読み上げたことを知り「警察から謝罪を受けた」と不安を訴えていた。その後、彼女は再び、容疑者から短期間に1000通以上のメールが来たため、警察に行ったが「ストーカー規制法違反に当たらず何もできないと言われた。」そうです。

彼女は「本当に警察が動いてくれなくて困るんです」と嘆いていた。と同時に「加害者に対する不安と同時に、警察が危機感を共有してくれない不安を抱えていた」

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>逮捕状を示す際、自分の現姓を読み上げたことを知り「警察から謝罪を受けた」と不安そうだった。

この記事を読んで不思議でたまらなかったのが、この部分でした

ストーカー加害者の前で被害者の名前を読み上げる。
そんな馬鹿げたことがあるんだろうか?って思った

そのせいで彼女は、旦那さんを残して命まで奪われるようなことになってしまうなんて・・・


「ストーカー殺人」と「診察室」って、なんで??と思うかもしれません

でも、こういう『ありえないこと』というのは、残念ながら外来の診察室でも行われています

私が入院していた時に一緒だった彼女が「今でも許せない」と言っていたのが「末期がん」と告げるときの医師の冷酷さだったそうです・・・そして、彼女は「余命3ヶ月の末期がん」といわれるのと同時に「あなたが、私たちの進める治療を受けなかったからこうなったのよ」と女性の医師に言われたそうです

彼女は、その後、あまりのショックに病院に入院する気持ちにもなれずに免疫療法を受けたそうです

そして、私が入院した時に一緒になりました

彼女は、私が追加の放射線治療を受けると言うと「あなたは、ちゃんと治療を受けてよかったわね」と言ってくれました。そして「もしも、あの先生がここにいたら『わたし、まだ生きてます』って言ってやりたかったわ」と、そして、余命よりも2年以上も長く生きているのよ。と教えてくれました

彼女が、私と同じ医師に出会っていたらどうだったのだろう?と思います

「あるいは」「もしも」という言葉は人の命に当てはめてはいけないと思いますが、同じ病気を戦った彼女の事を思い出すと、やっぱりそう考えてしまいました。

沢山の患者さんが医師の心無い言葉で傷つけられているという現実があります

もしかしたら医師は、助けられた命を助けられなかった無念さを彼女に伝えたかったのかもしれません。でも、彼女がそう受け取れなかったのであれば、やはり違うと思います

そして、亡くなった後では何も伝えられません

本当は、診察室は密室であってはならないと思います
診察室にも取調室と同じような透明さが欲しいと思いました

医師も「指名制」にすればいい。といった患者さんがいました
私もそう思う時があります

5年生存率の時に書いた話を教えてくれた「がん友」さんが、そういえば・・・と教えてくれました

彼女のカルテを見た医師が「そういえば、OO病院に同じがんの人がいたな~~。亡くなったのかな?」と言ったそうです。彼女は「それって私のことです。ちゃんと生きてます」と怒ったそうです

人の命を何とも思っていないような先生っているんだな~~って思った

>「加害者に対する不安と同時に、警察が危機感を共有してくれない不安を抱えていた」

残念だけれど、きっとそういう医師にも警察の対応と同じものを感じたように思います

がん患者をみる医師なら、患者の不安を自分のものと同じように考えられるような感覚を持って、医学的知識で導いてくれないと嫌だなって思った。そうでなければ、患者はきちんと自分の命と向き合えない気がしました。

そして『普通の感覚』を持っていること。って大切なんだと思いました

ある本の中でそういう医師の事を「共感性の乏しさをスキルで補っている」と書いてあるものがありました
確かに、コミュニケーションスキルは勉強で補えるものかもしれません

でも、そんなん「にせもの」やん・・・


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