クリティカル進化論―「OL進化論」で学ぶ思考の技法
以前、「批判的思考」について話を聞いたことがあったのですが、その時に私はどうもその「批判的思考」が本来の意味ではなく、ただ相手を「批難している」ようにしか聞こえないことがありました。
でも、具体的な例として「批判的思考」を説明するのはとても難しくて何かいい本はないかな?って考えていた時に図書館でこの本を見つけました。
なんでもさがせばあるもんやわ~~~と驚きましたが、私にとって難しいと思っていたものが4コマ漫画の『OL進化論』をつかって書かれているので、とてもわかりやすい1冊でした。
「批判的思考」というと、ワンマン社長みたいに相手に厳しく言うように感じますが、1番大切なのは「自分の物の見方を知る」ということだと思いました。人は自分のみたいように人をみています。自分で決めたスキーマ(枠組み)で自分自身がそれに囚われてしまうことがあります。そんな時に、できるだけ、正確にきちんと理解し、自分の力で考え、適切な判断ができること。そして、自分のまわりにいる人に、自分の意見がきちんと言え、有意義な提案がどんどんしていくことができる。ようになることができる大人な思考といえます。
アサーション(自己主張)やクリティカル思考(批判的思考)のように、英語をそのまま日本語にしてしまうと本来の意味からちょっとずれたように感じてしまうところがあって残念ですが、きちんと理解すると今の社会で必要なスキルのように感じました。
クリティカル思考の中で、すごくわかると思ったのは「ポジティブ思考」について、ただポジティブな言葉を言っていても、それはポジティブ思考ではなくそこには「クリティカル思考」があってこそ本来のポジティブ思考になる。ということでした。
最近、少し感じていたのは「ただ、前向きな言葉を言えばいい」的なポジティブ思考もどきちゃんが沢山いて違和感を感じていました。
わたしたち「がん患者」が「再発の可能性」をいくら考えても仕方がないからと最終的に「まっ、なんとかなるよね」というのならわかる。それは悩んでもどうしようもないことなのだから。
でも、そうではない努力しなくてはいけないことまで中途半端に投げ捨てておいて「まっ、いいか」といっている人まで「私はポジティブ思考だから」というのを聞くと、その使い方は違うんじゃない?って思う。
自分がやるだけやって、もうこれ以上はできない。というところまできてからいう「まっ、いいか。なるようにしかならないよね」なら納得もする。でも、あきらかにそこまでやっていないのは、ただ「投げ出している」だけのような気がします。
私が手術をする時に先生から手術後の追加治療についての話もありました。
術後の検査で追加治療があるかもしれないと聞いた時に私は「先生が私にとって最良だと思うのであれば、私はどんな治療でも受けます」と話しました。
例え髪の毛が抜けてしまっても、1%でも再発の可能性があって抗がん剤治療が必要だというのであれば受けるつもりでした。
それでもしも再発しても、それは自分がやれるだけやった結果なのだからと思っていました。
その時は、自分に運がなかったと思えばいいって思った。でも、やれることをやらないで後悔するようなことだけはしたくないと思っていた。
もし、抗がん剤治療を受けようかどうか悩んでいる人がいたら、私は「自分が後悔しないなら受けなくてもいい」と言います。医師の中でもベストセラーを出している先生が「抗がん剤は効かない」と言ってたりするし・・・でも、もしも後悔するのであれば私は受けて欲しいと思います。
それで再発したら、その時はどこにでもいい家族でも先生でもあたれる人にあたってやればいいっておもいます。(このあたりは子どもな私)
でも、きっと腹が立っても文句を言っても「受ければよかった」という後悔ではないから・・・
やれることを全部やらなかった後悔のほうが、やった後悔よりもはるかに大きなものだと思うからです。
冷静に客観的に自分自身をみて結論をだす。そんなクリティカルな人になりたいです