病気を受け入れるということ・・・

すもも

2013年12月12日 00:00

退院してから出会ったがん体験者の中には、違和感を感じる人がいました

「なんやろ・・・?」みたいな言葉には出来ない違和感。

それは「ねばならない」という考えだったりします
「ねばならない」は、そうではない人にとっては「否定されている」という気持ちになります

ただそれは「正しい考え」でもあります

例えば「公務員はこうあらねばならない」とか「学校の先生はこうでなくてはいけない」という事です
でも、そこには相手の「個性」を認めてはいないようにも感じるし、自分の意見を押し付けているようにも感じます

確かに相手が嘘をついていたり、他の人に迷惑をかけていたり詐欺をしている場合は別ですが・・・

そうではない場合においての「ねばならない」は、少しやりすぎな気持ちになります
それは「自分はこうである。だから、あなたもこうしなさい」という命令だからです

そして、そういう人に共通して感じるのは「自分を認めていないのかな?」という気持ちです

確かに誰も彼もを受け入れることはできません
でも、だからといって全ての人を受け入れないのは、少し「いびつな感情」に思えます

それが私が感じる「違和感」です

そして、不思議なくらいそういう人って「やりすぎな食事療法」を実行していたり「体に良い」というものを試していたりします。う~~ん、それって反対に体壊しそう・・・みたいな感じです

がんという病気を受け入れている部分もあれば、受け入れていない部分もあります

でも、そういう自分でいいって言ってくれる人がいてくれないと自分自身の考えだけでは、やっぱり乗り越えられないものがあるように感じます。

「自己開示」は、必要です。でも、そこには必ず「感情を出すこと」と「それを受け止めてくれる人がいる」という関係性が大切な気がします。どちらもがきちんと成立していないと自己開示は、正しくできません。自己開示はただ、話せば良いのはないです。

自分のこころを大切にしてくれる人がいてこそです・・・

「こうあらねばならない」それは大切な気持ちではあるけれど、それは相手に対する(自分自身に対しても)「否定でもある」それも理解して欲しいと思う、今日、この頃でした。

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