退院した後で、信頼していた彼氏も離れていって自分がこの世界でたった1人になってしまったと思った
そんな時に、末期がんでもたった1人で頑張っている患者さんのブログを見つけました
彼女はがんになって余命いくばくもないことを離れたところに住むお母さんに告げられずに、体力的にも実家には帰れないと書かれていました
段々と、ブログが更新される期間も長くなっていき、数行しか書けなくなっていました
しばらくして彼女のブログに「ホスピスを見てきました」という言葉とお母さんに「がんになってしまって、もう家に帰れない」と話したということ。そして姉に自分の最期のことを頼む電話をしたということが書かれていました
その後、ずっと更新がなく、気になっていましたがある時にブログが更新されました
そこには、彼女のお姉さんという方が彼女が亡くなったということと彼女の最期が少しかかれていました
そのブログを読んだ時に、きっと私もそういう最期なんだろうなと思った
私の親は、私ががんになってから今までよりももっともっと私からはなれて行きました
精神的には、私と親が近くなったことは生まれてから1度もなかったと思う
でも、がんになった時には「こんな病気になったんだから」という甘い自分がいた
がんになって離れていくような人間関係は、そもそもそれまでの関係が大きく影響するんだと思う。それががんになって表面に出てきただけなんだと思う。そんな訳で、私と親は今では多分、修復不可能な状態にまでなっているように思います
がんになって色々な人と話をした時に、親や兄弟、身内の全くいない人というのがいるというのを知りました
病院も今ではそういう人のために「保証人なし」というので手術できるようにしてあったりしているそうです
ただ、そういう場合も治療費が踏み倒されないかどうか聞かれるそうです
友人の友人が末期がんで日本一有名な医師のいるS病院の緩和病棟を予約に行ったら、医師から「お金はあるのか」と聞かれたそうです。あの病院ですらそういうことを気にするんだと思った
そういうことは気にしない患者さんしか入院できないんだと思っていたから、びっくりしました
がんになって、自分の最期の瞬間を考えることがよくある
誰もいない時に、眠るように息を引き取りたいって思う
その時は、誰にも言わないでいよう
もし、誰もお見舞いに来てくれなかったら、あまりにも悲しいし・・・
自分を気にしてくれる家族や友人がいること、それだけでも幸せだと思う。そして、残された家族を心配しながら亡くなることができる人も、もしかしたら幸せかもしれない
でも、そういう人ばかりではないんだと思う
そういう人にために何かできないかなって思った
それが、私がピアになりたいと思った理由です
それは、自分のためでもあるんだろうなって思う
自分自身の最期のためにも・・・