いつも見ている「広報松島」さんのブログで見つけました
もっと早く紹介しようかと思ったけれど、見るだけで涙がでる写真だったので出せませんでした
私の友人は、この近くにいます
そして、南三陸で身内を亡くした友人には、警察官で見つかった遺体を綺麗にする作業に
携わっていた人がいました
自分の身内を亡くしながら、沢山のご遺体に接していかなければならないというのは
どういう気持ちだったのだろうと思います
神戸で地震にあった友人が、あの一瞬で全てが変わってしまった
それでも潰れた家を見て「OOさん、大丈夫か!生きてるか!」と言って瓦礫をのけて
助けようとしたという話を聞きました
あの凄い衝撃で、家の中はめちゃくちゃになっていて、そんな中でも
近所の人を助けようとした
でも、それをボランティアの人にやってくれとは言えないと聞きました
自分達は、あの出来事を経験したからできたけれど、そういうものを経験していない人に
遺体をみせられないと言っていました
同じ事を今回、被災した人からも聞きました
極限状態を体験した人たちが、今、何を考えているのだろうと思います
娘を亡くしたお母さんが、娘の旦那さんに「あんたのせいだ」と責めたというのを聞きました
誰のせいでもないはずなのに・・・・
でも、責めれる人はまだいい。でも責められる人はどうすればいいの・・・
その人にも家族がいるのに・・・・
あなただけでも、生きていてくれてよかった。
今は、そう言ってくれたらと思います
この立て札の人たちが見つかったのかな?と思いました
あれから、1年がきます
それでも、まだまだ見つかっていない人が沢山います
そして、この光景が色々な場所で見られたのだと思います
神戸の時には「私たちは、ここにいます」という種類の立て札でした
まるで戦争の時の焼け野原のような中に立っていた立て札。
それが、今はまた違う形であります
どんなに文明が発達しても、どうにもならない時があるのだと思った
もう2度とこんなのは見たくない。と思う
でも、もしもが起きた時に1人1人がパニックにならずに、生きるための正しい選択をして欲しいと思います
広報松島:
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