空飛ぶ広報室~ブルーインパルス~
16日の『空飛ぶ広報室』の中で、ブルーインパルスがでてきます。
見てくださいね
3月11日、ブルーインパルスは12日に福岡県福岡市で行われる『JR九州新幹線全線開通記念イベント』での展示飛行のため10日に飛び立って松島基地にはいませんでした。残された基地の人たちの3.11が河北新聞の記事で紹介されていました(友達がブルーの冊子と一緒に送ってくれました)
私の3.11・・・救難隊先任救難員 小関百英さん
航空自衛隊松島基地の庁舎2階で、各業務担当リーダーら20人が集まり会議中だった。午後2時46分。強烈な揺れだった。弱まったと思えば突き上げ、横に揺さぶられるように激しくなる。そうした繰り返しが5分近く続いた。
揺れが収まり、庁舎前に整列し人員を把握。76人が所属する基地内の救難体本部庁舎のオペレーションルームは、激震で各種機材が散乱して足の踏み場もない。
救難隊の格納庫と、その外には捜索機や捜索救難機、救難ヘリが計6機。だが、すぐには離陸できない。滑走路の被害状況をはじめ、激しい揺れで、地上高が2メートル程度しかないヘリの回転翼部分が接触し損傷していないかなど細かな確認作業がある。
非常事態を想定し幾度も訓練を重ねてきたが、1機を離陸させるには整備スタッフを含め約30人を配置しなければならない。それに加えて、相次ぐ余震だ。離陸態勢に入ったヘリの場合、揺れに襲われれば機体横転の危険性が増す。厳しい条件が立ちふさがる。
退避命令下る
懸念していた大津波警報が発令。基地は海岸近くに立地する。午後2時56分。苦渋の決断となる「退避命令」が下った。
救難隊は行政ヘリにはない高性能な装備と、高度な技術を持つ“救難最後の砦”それが持ち場である宮城、岩手エリアでの大震災で地上から飛び立つことができない。
悔しい。室内を重苦しい空気が包む。過酷なトレーニングを重ねてきた救難のスペシャリストたち。隊員の表情は厳しく、口にこそ出さないが無念の思いは痛いほど分かる。目を真っ赤にする隊員もいる。心の葛藤は、言葉にならなかった。
それでも次の任務に備え、気持ちを切り替える。
救難機材庫や救命装備品の整備室から、海や空での遭難救助に対応した1セットで30キロ以上もある装備品を次々と搬出。300メートルほど離れた内務班の庁舎3階に仮指揮所を設置した。
降雪による視界不良。
午後3時54分。雪の白いカーテンの中から大津波が現れた。基地内の海側には滑走路が広がり、津波を遮るものはない。車や家屋を抱き込んだ真っ黒い濁流が、ゆっくりと滑るように基地内に浸入してくる。不思議なのだが、津波の音は聞こえなかった。
津波が押し寄せた6分後、携帯電話が鳴った。
表示を見れば石巻市内の造船所に勤務する長男だ。「助けてくれ」とせっぱ詰まる声。「頑張って生きろ」と応じるのが精いっぱいで、通話は途絶えた。自然のなす力だ。「仕方がない」と覚悟を決めた。
基地内では重さ10トンものF2戦闘機がなすすべもなく次々に流されていく。日没後、停電で当りは真っ暗になった。体力を温存するために睡眠をとらなければならないのだが、なかなか眠ることができない。暗闇の中、遠くでヘリの音が聞こえた。一般のヘリとは違う重厚音。茨城県の百里基地のヘリだ。無線交信し、被災状況を報告し、機器材など物資提供を要請した。
ほとんど一睡も出来ずに迎えた翌朝。海での救難救助に対応したドライスーツを着用して庁舎外にでる。発生から一夜明けても一面水浸しだ。
活動拠点の救難隊庁舎に急ぐ。外にあった救難ヘリは300メートルも流出し全壊だ。格納庫内も悲惨な状況だ。1つが高さ10メートル、幅5メートルもある頑丈な格納庫が四つ、津波で押され庫内に入り散乱。津波で漂着したガレキや船舶、流木で埋まり、救難機能は全て喪失した。
任務を共にし、手塩に掛けて整備してきた救難機の変わり果てた姿。
「大震災で救助を待っていたはずの被災者。空から一人でも多くの命を救いたかった」悲しみと涙がこみ上げてきた。
松島基地では隊員1人が死亡。救難機をはじめ、戦闘機など航空機28機が使用不能となった。
だがここでふんばらなければならない。ゴムボートを使い出動。東松島市役所で状況確認をする一方、1000人以上が避難する矢本二中に向かい被災者の要望に対応。医療チームを輸送した。
空輸路を確保
基地内では他基地の応援部隊も含め2000人規模の人海戦術で滑走路のガレキ撤去を繰り広げ、空輸路を確保。16日早朝から航空機の使用を開始した。
他基地の捜索救難機や救難ヘリを使い、石巻、金華、追波、気仙沼の4エリアに分けて捜索活動を本格化。1回当たりの出動は4時間。地上すれすれに飛行しながら目視で捜索を続けた。
「被災直後に活動ができなかった無念さは残る。だからこそ生涯現役で救難現場に身を起きたい」
河北新聞:平成24年3月9日
追伸: 小関さんの息子さんは、お父さんの後を継いで自衛隊に入られたそうです。
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被災直後の東松島市内が紹介されています。普通の人の暮らしがそこにはあります。
広報松島:
http://minkara.carview.co.jp/userid/311064/blog/m201104/p2/
被災した救難隊「一緒に飛ばせてください!」:
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110527/dms1105271550020-n1.htm
松島基地:
http://www.mod.go.jp/asdf/matsushima/