大きな出来事があったからといって人は急に変わらない
香山リカさんのブログで気になるものを見つけました
震災の被災者の方の心理状態を表したものですが、がん患者さんに対しても
同じような事が言えると書かれていました
葬式躁病に陥るニッポン
前回は「共感疲労」についてお話ししましたが、現在の状況は、日本に住む人にとって不安なことばかりです。しかし人間は、究極の不安が襲ってきたとき、むしろ高揚状態になることがある。
たとえば癌を宣告された患者の場合です。
もちろんショックを受ける人が多いのですが、なかには何事もなかったかのように振る舞ったり、落ち込むこともなく「癌なんかに負けるか」と強い意思を見せたりする。癌を宣告されたのに、いまから新しいビジネスを立ち上げると口にする人もいます。
非常事態に直面し、迫り来る恐怖や不安に向き合うのを避けるための反動、これを精神医学の用語では「葬式躁病」と言います。
身内や親しい人が亡くなったとき、お葬式のときにテンションが異様に高くなってしまっている人を見かけます。大きなショックを受け入れたくないため、高揚することで恐怖や不安や悲しみに直面することを避けるという、人間の防衛反応の一つです。
こうした高揚感は防衛反応だということを認識しておかないで、本当に元気だと思ってしまうと、あとでしっぺ返しが来ます。
私は、昨年11月に父親を亡くしました。そのときは「なんだ、ぜんぜん悲しくないや、平気平気、すぐ仕事しよう」と思っていました。でも「いや待てよ、これが葬式躁病というやつかもしれない。人はそんなに変わるものではない。まだ要注意だ」。そう思い直し、すぐに動き出すことはしませんでした。自分で自分の状態がわかったことが救いでした。
震災前の日本経済は、デフレ不況に喘いでいました。回復の糸口さえ探しあぐねていたはずです。それなのに「いまこそ奇跡の復興だ」「乗り越えられる」といった復興ナショナリズムは、一種の葬式躁病的な反応を示している可能性があると思います。
それくらいの気構えで復興に臨むのはいいことですが、まったくの幻想を夢見て、そこから出てくるカラ元気を信用して動き出すのは避けるべきです。
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私が退院後、この「葬式躁病」の状態になりました
「何かしなきゃ」という気持ちがいっぱいで、毎週のように「がんセミナー」などに参加していました
今考えても、一体なんだったんだろう?と思います
それがきっと「躁状態」だったんだと思います
その時に、先輩体験者の方に「2~3年は自分の内側を見つめる時間にしたほうがいいわよ」と言われました
その後、しばらくして色々なことがあって「実は本当に怖いのは、患者さんなのかもしれない」って思いました
「私はこうだから」とか「病院はこうでなくてはいけない」「先生はこうじゃなきゃ」といった
押し付けというか、そういうものをとても感じるようになりました
でも、本当は「人は人」受け入れる時間も違うし、同じ事を先生に言われても平気な人もいます
それを「こうでなくてはいけない」というのは、患者のわがままな気がしてきました
ただ、私自身もそれに気がついたのは1年半が過ぎてからでした
そうやって少し引いて自分自身をみることができるようになって
あの時の自分は少し変だったのかもって思います
被災地の友人が被災後すぐなのに「何かしなきゃ」って言っていました
私が「家があるからといって、被災していないわけでもないんだから、もうちょっと落ち着いて」
と話しました
その時の友人の気持ちがとても似ているなって思いました
震災という特殊な体験とがんの告知が似ていると感じた不思議な瞬間でした
2ヶ月が過ぎました。
まだ2ヶ月なんでしょうか?それとも、もう2ヶ月でしょうか?
全文はこちらから・・・
香山リカの「こころの復興」で大切なこと:
http://diamond.jp/articles/-/11932