人のこころ

すもも

2014年07月06日 00:31

先日、友達からブログを「おも~~~い」と言われました

確かに。。。最近、ちょっと重いなって思っていたところだったので、反省。

先日提出していた、ピアサポートの院内サポートのレポートの添削が返ってきました

その中にトレーナーの方から、自分がサポートに入っている時の心得が書かれていて、それを読んだ時に、ここのところずっと自分が悩んでいたことの意味が少しわかった気がした

心理学を勉強している人と話しをすると、人の気持ちが手に取るようにわかっているような言い方をする人がいます。でも、それはあくまでも「自分の考え」であって、相手が本当にそうかどうかはわからないのに、まるでそれが正しいことのように、得意になっているのを感じることがあった

それは、自分自身のことでもあるし、私に向けられた言葉の時もある

先日、自分の人生の中でも5本の指に入るくらいつらいことを言われました

その人の言葉は、私にとってある意味、がんの告知と同じくらいの意味がありました

がんの告知は、私の未来を否定する言葉でした
そして、その人の言葉は私の過去を否定する言葉のように感じた

それくらい私には、自分を自分の人生を否定する言葉でした
そして、なぜそこまで私はその言葉を重く受け止めたかをずっと考えていました

それをトレーナーの方の言葉でわかった気がしました

トレーナーの方の言葉の中に、私たちは同じ病気を体験した者として相手の心に寄り添うという姿勢が書かれていました

相手に寄り添う姿勢を実際に感じるのは難しいですが、私はその方の院内サポートを見ていて医療知識がなくとも(実際には、その方にはありますが)できることはあるんだなと思うことができました

それは、相手が「この人に話してよかった」と思えること
それだけでも相手の心を軽くしてあげることができると感じることができた

でも、それを感じると同時に自分がそういう姿勢があるのかどうかと聞かれると「まだまだ」だなって思った

そして、私がずっと悩んでいたのは、私に言った人は私に寄り添う姿勢が全く無かったこと
私自身は、相手に言われて「してやったり」という気持ちを感じたということでした

そして、何よりも「話さなきゃよかった」と心から感じたということでした

自分が悩んでいることに対して、確かに解決して欲しいと思うことはある
でも、そこはあくまで友人としてだと思う

それ以上でも、それ以下でもなかった・・・

これから私はどうすればいいのかわからない
前と同じようにというのは、どうも難しいと思った

誰にも自分の中で絶対的な「価値観」というのがあります

自分には、どうしても許せないこと
それを平気でできる人で今も関係が続いている人はいません

どうすれば、いいんでしょうね・・・



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