離婚

すもも

2012年03月06日 00:00

結婚生活の中で、自分にとって一番大切なものが『食事』だったんだと気がついた

その食事が一番ではなく、しかも、ほとんど一緒にいることがなかった彼とは
何度かの話をして、自分の中では、別れるという結論を出しました

その前に、CADの学校に通ってみたり他にも、一生の仕事となるといいのにという候補に行って見ました

今考えたら、いい会社からの引き抜きもあったのに断ってしまった自分の選択に対して
後悔がない訳ではないけど、きっとあの精神状態で自分にとって最良のものを選択するだけの
分別はなかった気がします

1日中、誰とも話さない日が何日も続いて、夜になると地元の友達に電話をしていました

その私の部屋の壁を旦那が蹴っていました
うるさいという訳でもなく、ただ、いきなり壁を蹴ってくる

今なら、もっと早く別れればよかったのにな。とか、働けばよかったのに。と思う

でもどこかで初めての土地で、どうしていいのかわからなくなっていた
考えたら変な話で20歳で家を出て、ちゃんと働いて生活していたのに何でだろう?と思う

ただ、学校に通いだして、離婚を決意した頃から何かが変わった気がする

『1人で生きていこう』という「選択」をした瞬間から人は変わっていくのだと思う

それまでは何もかもが『だんなのせい』だった

でも、そんなことは自分の人生でどうでもいいような気がした
誰かのせいにしても何も変わらない。それは、今の私の考え方の基本でもある気がする

確かに壁を蹴られた時や、色々なことがあると相手のせいにしたくなるけれど、
そうさせたのは、実は自分自身でもあると思うし・・・

離婚後、10年くらいしてから社会保険事務所から保険が2重にかけられていたという連絡が来ました

その時に、相手に「だんなの仕事先は?」とか「だんなの連絡先は?」とか色々なことを聞かれた
そんなの知る訳ないやんか。と思った
でも、相手は「なんでそんなこと知らないんですか」と、さも不愉快そうに私に聞いてきた

やっとのことで手続きを終えて、その場から帰る道で、自転車に乗っていたら
なんだか涙か出てきて「もう、許してあげよう」と思った
私はずっと相手を憎んでいたけど、私だって大していい奥さんじゃなかったんだろうなって思った
そしたら「私も許すから、あなたも許してね」と思った

それからもしばらくは、だんなに似た人には苦しめられていたけど、今ならもう大丈夫かなと思う

『人のせい』にして生きても何もかわらないし、相手は自分の鏡の部分でもあったんだと思う

でも私がその後、ずっと結婚しなかったのはそれもあるんだろうなって思う
あの生活がもしも繰り返してしまったらと思ったのかもしれないと思う

今、こうやって書いているのは自分で自分を「セルフケア」しているのだと思う
こうやって自分のことを書くことは、いいことばかりではないけれど、でも、書くことで整理されていくことも沢山在る

そしたら、もう1度、誰かと暮らすこともできるんじゃないかな?って思った

そしてなんとなくだけど「こういう人がいいな」というのが見えてきた気がします

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