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いのちの授業

いのちの授業
日野原医師の『人が生き、死ぬということ 19歳の君へ』を読んでいます

最初のところに書かれている日野原医師が子供たちに『いのちって何だと思う?』『君たちは、自分のいのちを持っていますか?』というところがとてもいいなって思いました

『風は見ることができますか?空気は見えるかな?見えないね。でも、確かにそこにあって人間が生きていくのに欠かせないものですね。いのちも、眼で見ることはできないけれど確かに存在するものです。見えないもののなかに、とても大切なものがあるんだよ。』と子供に語りかけるそうです

そして、いのちとは、寿命とは「私たちが使える時間」のことなんだよ、と教えるのです。自分が持ってる時間、自分が使える時間がいのちそのものであって、その時間をどう使うかが私たち一人ひとりに与えられた課題です。与えられたいのち(時間)をどう生き、どのように返すか、それを真剣に考えるのが人間の大切な仕事なのです、と。

自分が病気になっていろんな人に『がん』だと言った
その時に、色んな人に色んな事を言われた

『死ぬの』とか『自分はならないからいい』とか『転移してるの』とか
『可哀想に』とか、あんまり多くて忘れてるかも・・・
その中で一番つらかったのは『若いと進行が早いから駄目よね』だった
友達の奥さんだったけど、ああ私駄目なんや・・・って悲しくなった

人って残酷だなって思う事がいっぱいある
医師の発言だけじゃなくって、自分の身近な人でもそう・・・

こどもの時に『いのちの授業』をみんなが受けていたらどうだっただろうって思う
隣の人の体にも、ちゃんと同じ温かい血が流れてるってわかってたら
そして、ちゃんと心臓の音を聞くことができたら・・・

すごい機械を使わなくっても、いのちを知る事ってできると思う
そしたら、そんな残酷な言葉も言えないのになって思う

ユーイング肉腫の方が言ってた
『私たちの仲間は、腕や足を無くすことが多い。だから、よく可哀想にと言われる
でも、自分は可哀想だとは思わない。それは、その人の考え方次第だから』と教えてくれた
そういえば、若年性がんの彼もそう言っていたなって思い出した
彼は、足を無くしてたけど『自分が不便なのは、お風呂に入ったときだけ』と雑誌の中で答えてた
少し驚いたけど、そうなんだって思った

『人は自分の見方で人を見る』

自分が可哀想だと思ったから、可哀想ねという
でも、その人の立場にはなっていない

『がんを知る』って、ただ病気を知るのではなくって相手を理解する事だと思った

それは、がんだけではなくってどんな病気でもそうだと思う
がんになって色んな本を読んだ。その時に『ヒバクシャの心の傷を追って』という
原爆被害者のPTSD問題を書いた本を読んだ
『差別とハンセン病』柊の垣根は今もというハンセン病の本も

ある日、自分の人生が大きく変わってしまう出来事がある
もう、どんなに望んでも元にはもどれない・・・
とても似ているなって思った
あんなに昨日は、何もない日だったのにそれがどんなに幸せな事だったのか気がつく
でも、絶対に元には戻れない・・・

だからこそ、後悔して欲しくないと思う

人が生き、死ぬということ19歳の君へ:http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT60326/

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    2010年08月21日 Posted byすもも at 07:11 │Comments(2)読んだ本・・・がん

    この記事へのコメント
    来ちゃいました。
    ブログの公開、おめでとうございます。

    日野原先生の「19歳の君へ」は、まだ読んでいません。
    ご紹介をありがとうございます。さっそく読んでみます。

    「十歳のきみへ 九十五歳のわたしから」は、小学校での読み聞かせに使わせていただいています。
    『いのちの授業』の種をまくお手伝いが、ちょっぴりできているのかな?

    『人は自分の見方で人を見る』

    激しく同意します。
    そして最近は、人と人とのコミュニケーションの仕方も
    だんだんへたくそになってきているような気もするし、
    他人の言葉が必要以上に気になるような、
    自意識過剰気味(?)になってきているような気もするのです。
    自戒も込めて・・・。

    「自分が持ってる時間、自分が使える時間がいのちそのものであって、
     その時間をどう使うかが私たち一人ひとりに与えられた課題です。」

    この課題を胸に、明日がもっといい日いなるようがんばりたいです。
    Posted by さかさパンダ at 2010年08月21日 08:27
    ありがとう、ちょっと泣いてしもた・・・
    今の医療現場の問題の多くは、社会問題なんですよね
    医師が患者を人としてみない
    医師が自分の同僚を止めれない
    「お前、おかしいよ。やめろ」っていえない事が原因とも言われています
    それって、でも社会と同じだなって思います
    会社の同僚でも同じなんだと思います
    ただ、人のいのちがかかっているのはやはり大きな問題だと思います
    それは、学校のいじめにも似てるなって思ってます
    子供が子供をいじめて相手が亡くなってしまってからやっと気がつく
    それじゃ、遅いんだよ!って思う
    がんという病気もそうです
    いのちはどんなものよりも重い
    日本人は、どこかでそれを忘れてない?って思う
    Posted by すももすもも at 2010年08月21日 08:49
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