たまりば

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家族との確執

月曜日に病院の待ち合い室でお隣りに座った、おばちゃんが乳がんの人やった。

去年の5月に手術したらしい。

そのおばちゃんが色んな話しをしてくれた。
癌を見つけた時『なんで私なんやろ?』って思ったって事。

抗がん剤で髪の毛が抜けて、やっと生えてきた髪がチリチリでどうしようかと思ったけど、
今は大丈夫。って事。

抗がん剤のせいで、ずっとお腹の調子がよくないとか、すぐにぶつけた所があおたんになるのとか。
抗がん剤で指先と目元が真っ暗になってしまった事。

放射線で顔が腫れて、怖くて先生に言ったら『そんなのは関係ない』と言われて、
残り2回の放射線治療の間、先生が1度も自分を見てくれなくて、話しもしてくれなくて悲しかった事。

病院で友達になった人の6人のうち、3人が亡くなってしまった事。

おばちゃんが『今はすぐに余命宣告するんよ。ドラマなんかだと家族だけにするみたいなのに、
そんな事ないんよ』とか。

余命宣告された友達のうち、1人はそれより前に亡くなって、1人は少しだけ長生きしたの。とか。

その話しをしながら、ふと満員の待ち合い室を見て『ここにいるみんなが生きれる訳じゃないのよね』って言った。

そうやなと思った。
一体、どれくらいの人が癌やと言われて、この待ち合い室にいるんやろって思った。

私が見てもらった先生のいる診察室にも何人もの人が入って行った。
その人たち全てが癌や筋腫といった病気なんやなって。

血液検査が終わって、おばちゃんは1年後の定期検査に行くために、私は会計に行くのに2人でエレベーターに乗った。

おばちゃんが私に『お姉ちゃん若いんやから、絶対によくなるからね』って言ってくれた。
私も『おばちゃんもね』って言ったら『私はね、絶対大丈夫だと思ってるの。だから大丈夫!』って言って、最後に私に『頑張ってね』と言ってくれた。

私はずっと誰かに『頑張って』って言われるたびに『一体、何を頑張ればいいんやろ』と思ってた。
頑張る事が何かわからへんし。
でも、ホントに頑張ってるおばちゃんに『頑張って』と言われた時に、素直に『うん、ありがとう』って笑顔で言えた。
たった1時間半しか話してないおばちゃんやったけど、ものすごく嬉しかった。

私は、お母さんにこの話しをしたかった。
だから電話したのに、結局はいつものように自分の話しになって。
それも、私にはおばちゃんの事より大事な話なんかなかった。
それを怒ったら、『何も言ったらあかんの』って言われて。
私が病気なんやし、私が電話して話を聞いて欲しかったんや。
病気になってからも、その前もいつもいつも、お母さんは自分の話ばっかりやん。
『お母さんはこうやから』って、私はお母さんじゃないし。
私がどんな気持ちでいたと思うんよ。って言った時に『そんなんわかる』って言うたけど、どこがわかってくれてるんやろ。って思った。

私が癌って言われて一番始めにした事が『片付け』と荷物を片付ける為の『整理リスト』やった。
でも、癌になった友達に『荷物整理してるん違う?』と言われて『なんでわかるん』って聞いたら
『私も一番始めにしたのが片付けと子供の入学式の服を用意した事やったんや』って。
でもな、そんなんどうでもいいやん。今は自分の病気を治す事だけ考えよって言われて、ああ、そうやなって思ったんや。

お母さんがいう事もわかる。
でも、『お母さんが旅行に行って帰ってきた時に』は、結局は私じゃないやろ。
私が病気で、しかもいつ再発してもおかしくないし、今、転移してても、5年後死んでてもおかしくない私の事じゃないやんって思った。
私は、お母さんの考えてる理想の娘じゃないのもわかる。
いつも私に『あんたは1回死んだ子やから、なにしても勝手にさせてた』って言うやん。
それは、どうでもいいって事なんかなって思ってた。
たとえそうでも、そんな事は聞きたくなかった。
お母さんが言う、私の勝手は私にはわからへんし。
自分が若い時は家に居て、お給料は全部入れて、親からお小遣をもらって、そのうえテレビも電化製品はみんな私が買ってあげてた。
それが理想の娘やったんやろなって思う。

お母さんが私に電話してきて『お父さんの腫瘍が1㍉小さくなってたんよ』って言った時、私はMRIの検査の日やった。
造影剤を入れて気持ち悪いのと、待ち合い室で見た自分とそんなに歳の変わらない寝たきりの人が忘れられなくて、
私もあんな風になってしまったらどうしようって思ってた時やった。
ずっと、いつ癌って言うか悩んでたけど、あの嬉しそうな声を聞いたらやっぱり今日は言われへんなって思った。

私は、ずっと迷惑で勝手でわがままな娘やと思う。
私は今でも、お母さんがどうしたら喜んでくれるかわからへんし。
だから変わる事はないと思う。
でも、私の『遺言』やと思って。
お互いあと5年、生きれるか生きてないかわからへんし。
あと少しかもしれへんと思って、私のわがままをきいて欲しい。
私の話もきちんと聞いて欲しい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この後、母親が言ったのは「あんたは前向きに生きてない」でした
がんと告知されて1ヶ月足らずの時でした
確かに「前向き」ではない文章かもしれない
でも、生きるか死ぬか。娘がどうなるかわからない時であっても、あなたはそうなんだなって思った

友達が悩んでいた時に、お母さんが「あなたは私の娘なんだから大丈夫」って言われたと言っていました
私もそう言ってくれる母が欲しかったかな・・・

なんとなくそう思った

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    2010年12月07日 Posted byすもも at 00:00 │Comments(2)がんと家族

    この記事へのコメント
    切なくなっちゃった。

    私も母とは上手くいっていなかった。
    私は母の理想の娘ではなかったから、
    妹と良く比較されて悔しい思いをした。
    妹は背もすらっとして容姿も良く、勉強もできたから、
    母の自慢の娘でした。

    理由はどうあれ、自分をきちんと受け入れてもらえてないと思った寂しさは、大人になっても心を揺さぶる時があるよね・・・

    私の娘だから大丈夫・・・意外な言葉をもらったなぁと、
    驚きの後にじわじわ沁みて来ました。

    すももさんも、お母様との距離が少しでも縮まるといいね。
    Posted by けろ at 2010年12月07日 22:24
    けろさん、そうですね

    どんな言葉でもいい
    たった1言でいいから、自分の事思っていてくれているという言葉が欲しいだけかもしれないですね
    それが一番、難しいと思います
    いつか。って思います
    お互いが死んでしまわないうちにできるといいですね
    Posted by すももすもも at 2010年12月09日 18:16
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