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『主人公』~さだまさし~

『主人公』~さだまさし~

主人公
          作詩・作曲: さだまさし

時には思い出ゆきの 旅行案内書にまかせ
「あの頃」という名の駅で下りて
「昔通り」を歩く
いつもの喫茶には まだ時の名惜りが少し
地下鉄の駅の前には「62番」のバス
鈴懸並木の古い広場と学生だらけの街
そういえばあなたの服の模様さえ覚えてる
あなたの眩しい笑顔と
友達の笑い声に
抱かれて 私はいつでも
必ずきらめいていた

「或いは」「もしも」だなんてあなたは嫌ったけど
時を遡る切符があれば欲しくなる時がある
あそこの別れ道で選びなおせるならって……
勿論 今の私を悲しむつもりはない
確かに自分で 選んだ以上精一杯生きる
そうでなきゃ あなたにとても
とても はずかしいから
あなたは 教えてくれた
小さな物語でも
自分の人生の中では
誰もがみな主人公
時折り思い出の中で
あなたは 支えてください
私の人生の中では
私が主人公だと

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中学生の時に、従姉妹が聞いていた「さだまさし」でした
その中で主人公の歌詞の『私の人生の中では 私が主人公』が好きでした
中学生の私は「こうありたい」と思いました

「当たり前」だけど、なんだか忘れている人が多いような気がします
誰かのせいで自分がこうなったのではなく、自分がなりたいからなったのだと思います

人には「選択する自由」があります
そして「選択すること」で責任を持つことができます

ある高齢者施設で、1階の人には「週に1日、映画を観る日を作りました」というのと
「部屋に花を置きました。世話は私たちがします」と言います
そして2階の人には「映画が観たい人は言ってください。要望があれば週に1日映画を放映します」
「部屋に花が置きたい人は言ってください。世話は自分達でしてください」と言います
何ヶ月後に、1階の人と2階の人を比べると2階の人のほうが生き生きしていたそうです

ほとんど同じような事ですが、選択させることが大切だそうです

どんなにつらい治療でも「自分で決めたことだから」と思えば頑張れます
反対に「先生に言われたからそうした」と考えれば、何もかもが「先生のせい」だというのでは
ないでしょうか?

自分で納得していないのに「嫌だけれど仕方がないのよ」と思うのは
大人として、あまりにも無責任な気がします

どんな人生であっても「自分の人生は自分が主人公だから」と思えば、それがどんな人生であっても
それを楽しんでいようといえるのではないでしょうか

自分の人生を楽しいと思いたいなら、明るい部分に光を当てればいい
反対に自分の人生に楽しいことがないと思いたいなら、暗い部分だけを見ればいい

私は間違いなく、前者ですねface02

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    2011年12月06日 Posted byすもも at 00:00 │Comments(0)その他

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