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過去に囚われている人

過去に囚われている人

少し前にグループで話をした時に『違和感』のある人がいました

『家族のこと』を話されていたのですが、かなり年配の方ですが『親が自分を心配してくれない』『自分が今、こうなったのは親のせい』という内容でした。私としてみれば、私よりは年配の人なのに、なぜ『自分が親を心配してあげる』ではなく『自分が親に心配して欲しい』なのだろう?と思った

解散後に一緒にいた人に『なんであの年齢で親をうらんでいるんだろうね?』と聞いてみました
その時に『今まで色々な人をみてきたけど、そういう人って多いですよ』と教えてくれました
精神的に病んでいるのかな?と思う人って、過去に縛られている人。過去の出来事を今も続いていることかのように話す人が多いですよと教えてくれました

私が20歳の時に、仕事で家を出ることになった時に母親と大喧嘩をしたことがあります

親にしてみれば、地元で就職するか、もしくは家から通える範囲の会社に勤めるだろうと考えていたのだと思います。でも私は実家から出ることを希望していました

元々、あまり親には依存していなかった私は、何1つ相談することなく就職先を決めていました
『自分がこうと決めたら、絶対に変えない』という性格は今でも変わらないけれど、結婚するまでは実家でお給料を親に渡していたという母親にしてみたら、私の行動は納得できないことだらけだったと思います

その事について、母親に責められた時に私が『お父さんやお母さんのいる家にはいたくない』と言いました
お互い泣きながら、殴り合いをして自分の気持ちをぶつけました
その時に母親に『お父さんが私を殴っていた時に、お母さんは1度も助けてくれへんかったやんか』と言った
それを聞いた母親は『あんたが悪いのに、なんで私がかばわなあかんの』と言って『お父さんがあんたを殴ってたのは、弟が生まれるまでやろ。今のお父さんは殴ってないやろ』と言った

その時、自分の中で走馬灯のように色々な事が思い出された

それで気がついたのは、確かに父親が私を殴っていたのは、弟が生まれて父親が単身赴任になるまでの事だったのだと思った(弟とは8つ違い)

でも、自分は父親が殴っているのは、20才になった今でも続いているかのように感じていたということでした

その後、何年もかかって自分の中で色んな感情を整理している過程で、母の姉に『お父さんは、父親になれても大人やなかったんやろな』と言われた

その時に『そっか・・・』と思った

父親と母親は私が生まれた時には、まだ23歳でした

そして、親から反対されて「駆け落ち」したと聞きました
そんな2人が大人だったとは思えないなって、今の私なら思う

そして自分が親にしてもらえなかった事ばかりを話す母親の話を聞くたびに『なんでこの人は、こういう事を子供に伝えるんだろう?』と子どもの私には不思議で仕方がなかった
『私は何もしてあげなかったから、あんたにもしない』と言われるたびに、なんで親なら、自分がしてもらえなかったことをしてあげたいと思わないのかな?って・・・
でも、それもきっと『自分が親にして欲しかったこと』だったんだろうなって気がついた

今の私はあの20歳の出来事は自分の人生の『分岐点』だったと思います

あの1件がなければ、もしかしたら私は今でも親を恨んでいたり憎んでいたのかもしれない

親が死んでいても、さもその人が生きているかのように恨み言を言ったりする人がいます

そういう人は、きっと自分の過去と今を区別できていないのだと思う
『自分の過去に囚われている人』なのだと思った

そしてそれがとてつもなく『不幸な事』だと思った

もういない人を恨むことも、自分の今を生きれないことも、やはりつらい事だと思う

でも何よりつらいのは、その人の思い出すことがつらいことしかないということだと思った

私にとって父親は、殴ったりしていたけれど、とても愛すべき人だと思っています

私が交通事故にあった時や、地震で帰ってこれなくなった時、私の病気のことも
誰よりも心配して泣いていたのは父親でした
大の男が大泣きしている姿は、さすがに娘の私でも「はあ・・・」と思うし、いやだったけれど
今ではこの『子どものような父親』を、私のほうが親のように思っています

そして、自分にとって嫌な記憶の父親は『別の人』だと思っています

今の年齢の父親をそのまま見てあげようと思った時から、とても楽になりました

自分だって完璧な人間ではないのに、親だからという理由だけで完璧な人物像を求めるのは酷なことだと思います。親も失敗してもいいんと違うやろか。と思ってあげるのも大切なのかな?って思っています

私は親にはなれなかったけれど、自分があの頃の親よりもいい親になれたなんて思えないし。。。

大人になっても家族のことを恨んで『過去に囚われて生きている人』には、そのことがどれほど自分も相手も不幸にするのかを考えてみて欲しいと思います

私としては、年老いた親を責めるよりも『嫌なことはあったけど、でももう許してあげる』と思ってあげて欲しいな

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    2012年02月27日 Posted byすもも at 00:00 │Comments(2)その他

    この記事へのコメント
    じっくりと そして何度も何度も頷きながら読みました

    親との口喧嘩は、絶えず、、、私も8歳下の弟 3歳下の妹三人兄弟の一応お姉ちゃんです  一番上なんやから、、、で母と喧嘩
    父は、私に手を上げる  それも二十歳までの出来事だったかなぁ~

    親子の絆は、永遠に切れない 何処にいても気になる
    親になれなかった私は、子供のまんまだけど
    昔の嫌な出来事があったから 今 親の大きさを感じるのかも 
    老いる親を見ながら いつしか親の様な口調で言っている自分がいます 反省です、、、  私が老いた時は、他人から言われるんだろうなぁ 
    Posted by そら at 2012年02月27日 21:34
    そらさん

    >老いる親を見ながら いつしか親の様な口調で言っている自分がいます 反省です

    私は、それでいいと思います
    親の様な口調で言えるくらい自分が年をとれたということだと思うし・・・
    長く生きれたからこそ、自分の中の親を見つけられたんじゃないのかなって

    お互い親よりも1日でも長く、生きましょうね♪
    Posted by すももすもも at 2012年02月28日 00:45
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