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中学1年の夏休み

今でも夏休みになると思い出すことがあります

中学生になって初めての夏休み。
1学期の最後の何日間かだけ教室の廊下に原爆の写真が貼り出されました

まるで木が雷にでも打たれて真っ黒に焼け焦げたように見える人の遺体
ほとんど廃墟と化したヒロシマとナガサキの町。
そして体中が焼け爛れた少年や少女・・・

なぜこんな写真が貼り出されているのだろう?と思った

夏休みの前だし、きっと休み明けに何か聞かれるのかな?って思った私は
その夏休み、図書館でヒロシマとナガサキの事を書かれた本を読みました

戦争のものは残酷な描写。といえばそうなのかもしれないなって思います
確かに私も読んだ後で、怖くて怖くて仕方がなかったし。

そして、子どもはある部分で残酷な1面を持っていると思います。
それはなんでもかんでも「見てはいけない」という大人が思うよりも、もっと好奇心で残酷な場面ですら見ている気もします。でもだからといってそれがただの残酷なものだけではなく「知らなくてはいけない事実」だと思った

結局、夏休みが過ぎて学校に通い始めても先生は写真のことについて触れませんでした

その後、高校生の時の仲の良かった友達のお父さんがヒロシマで被爆していたこともあったりとヒロシマは私には身近な出来事でした。そして、ナガサキで出逢った見ず知らずのおばさんに言われた「原爆病院に検査に行くのよ。年に1回検査してもらうの」という言葉・・・。ヒロシマやナガサキは決して、私にとっても遠い過去の出来事なんかじゃないのだと思った。

今考えて、中学生の時に先生が何も言わなかったことが私にはよかったように思いました

あの時「平和の授業」として考えるよりも、大人から何も言われないことが自分の中で「答えの出せない問題」だと思って戦争のことを調べていくきっかけになったように思います。

今の大学生の中には原爆の事を「戦争を終わらせるためには必要だった」と考えている人たちがいるそうです

被爆国でもある日本という国に、原爆を落とした人たちと同じ考えを持っている人がいて、それが間違えているとも思わないということが驚きでした

戦争になれば人は何でも・・・どんなことだってするんだということ

そして例えそれがどれほど残酷な兵器であっても使いたくなるんだと思う・・・原爆だって地雷だってサリンだってマスタードガスだって焼夷弾だって兵器は同じなんだと思います。人を傷つけるために生まれたものなんだから。そして、それを使う時にはその人たちだって人のココロを持たない兵器と化すのだと思う。

そしてそれこそが、戦争なんだから・・・

私は中学1年生でした。12歳です。

子どもは本当に大切なことは、理屈でなくココロで知っている気がします。

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    2013年08月27日 Posted byすもも at 00:00 │Comments(0)その他

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