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『個室がいい?』

入院中に婦人科の婦長さんと話をしていた時に『海外だと個室が多いけど、どう思う?』と聞かれました
私は『個室は寂しいから、大部屋がいい!』と答えました
この話は、以前にも書いたと思いますが、先日、コメントを頂いてずっと考えていた事がありました
私の入院した病院では、最後まで「戦うことができる病院」でした
今では、緩和ケアも多いし、もちろん、そちらに行く事もできますが、最後を病棟で過ごすことができる病院でもありました
私が退院してから、私と同室だった方が個室に移動されて亡くなりました
その後にも何人かの方が、亡くなっていました
同室だった人は、再発を繰り返しながら抗がん剤治療を受けられていました
その時に言われたのは『私、死なない癌なの』でした
卵巣がんで再発をするけれど「死なないのよ」って。
それを医師から告げられた時に「あなたの癌は再発するけれど、抗がん剤治療を受ければ、今は、完治はしないけれど死なない。でも、この先、あなたの癌をやっつけてくれる抗がん剤が出来るかもしれない。だから、大変だけれど、それを信じて抗がん剤治療をやっていきましょう。」と言われたと教えてくれました
退院してからわかったのは「ドラッグラグ問題」でした
日本のワクチン問題は、北朝鮮と同じと言われています
なぜそんな事になってしまったのか?
それは「ワクチンが100%ではない」という正しい知識を私たちが持っていなかったからではないでしょうか?
100%ではないから、そのリスクを考慮してもワクチンは大切であると理解していれば、今のように諸外国では認可されているワクチンが日本では個人輸入や病院がリスクを負ってでも輸入しなくてはいけないなんて自体にはならなかったのではと思います
ワクチンを認可しないのではなく、何かがあった時には適切な対応なりを国に求めるようにしなければいけなかったのだと思います
ただ「ワクチンは危ない」とか「リスクがあるんだから認めない」では、今のように海外で新しいワクチンができても沢山の患者の命が失われないと認可されないなんて事になるのだと思います
正しい「知識」「理解力」そして「判断力」が必要なのだと思います
確かに日本の技術はテレビ番組で見ると「すご~~い」かもしれません
でも、果たして私たちは諸外国の治療がどういったものか知っているのでしょうか?
最近、がん治療でも早期がんの方はクリニックで手術される人が多いという事でした
入院期間が短い人は、クリニックで他の患者さんとは出会わないで治療が受けれるというのが「売り」だそうです
でも、果たしてそれがいいのでしょうか?
私がブログを始めた理由は、亡くなってしまった、私と同室だった人の『1日でも長く生きていきたい』という言葉からでした
それ以外にも彼女は私に沢山のことを教えてくれました
『私、死なない癌なの』と言ってくれた卵巣がんの彼女もそうでした
私は、再発の人といつも「普通」の事を話してました
もちろん、その時は色んな事を理解していなかったところもあります
でも、自分の病気や自分の治療を理解するには、先輩患者さんと話をする事が一番だと思います
こういうとダメなのかもしれないけれど「自分がいかに恵まれているか」を実感してもいいと思います
そして「がんばって生きていこう」「その人のためにも恥じることなく生きていきたい」でもいいのでは?
それが先に旅立った先輩患者さんが一番喜んでくれることだと思います
私のこんなブログだって彼女達なら「あらあら、あなたったら」って笑って言ってくれる気がします
今でも彼女達の事を思い出すと、涙がでます
どんな人が亡くなったよりも、つらい出来事でした
何も知らなかった私は「いつか退院できるんだ」って思っていました
でも最後まで立派に戦い、とうとう力尽きてしまいました
婦長さんが「最後まで立派だったわよ」と教えてくれました
がりがりに痩せてしまってたけれど、凛とした彼女達の姿を思い出します
以前、抗がん剤治療で入院されていた人が「抗がん剤で吐いてる私に舌打ちする人がいたの・・・」と、言って私たちに「申し訳ない」と謝っていました
何もくちにする事もできなくて、吐いていて、見るからにつらい治療を受けている人になんちゅうこと言うねん!と思った
でも、もしも私が個室にいたらどうだったんだろう?と思いました
抗がん剤治療を、その人がどういう気持ちで受けているなんて考えないで「辛い治療」「吐いて嫌だわ」と「私は違う」としか考えなかったんじゃないのかな?って思った
そして例え大変な手術でも手術が受けれるだけでも「自分がどれほど恵まれているか」を知ることもなかったのかな?と思います
誰とも一緒にならない治療は、そんな貴重な機会も摘み取っているのではないでしょうか?
こんなに「ピアサポーターが必要」と叫ばれている時代に、なんだか時代錯誤な気がします
もちろん、お見舞いの方が多いとか色々な理由はあります
でも、ただ「人に会いたくない」だけの理由だったら、どうでしょう?
人に知られたくないから。というのであれば、ずっと隠していくのでしょうか?
私は『個室にしますか?大部屋にしますか?』って聞かれたら
『みんなと一緒にしてください』って答えます
そして、どんな病室であっても「笑っていたい」と思います
病室の雰囲気は入院している人が作るものだと思います
看護婦さんや入院患者さんが居心地のいい部屋だと思えるのは、患者さんが作るものだと思います
「嫌な病室だったわ」という前に「じゃあ、自分はいい患者だったかしら?」と考えてみてくださいね
2011年11月11日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(2) │がん
婦長さんとの世間話
今回、検査に行った時に婦長さんに会いました
会ってすぐに『太ったでしょ』って言われた
そうなんです・・・実は、入院時よりも、太っているんです・・・
「なんで太るのよ
」と怒られた私。負けじと「だって、下痢するとお腹すくんやもん
」と反撃。
そしたら「病院でちゃんと計算して、ご飯だしてたでしょそれを見習って食べなさい」と
こんこんと怒られた・・・
くっそう~~~。
わかるけど、下痢した後は、どうしてもお腹がすくねん
そんでもって「油物は控えなさい」とか「食べすぎると下痢するのよ」とか
おかん並にうるさい・・・
その上、手術の後遺症でたまに「尿失禁」してしまうって言ったら
失禁用パッドなるものをしろってうるさいし
「やっぱりやだ」っていうと「そんな事にこだわってどうするのよ」って
「いや、やっぱりいつもじゃないからいやや」「いつくるかわからないからしなさい」
などなど、戦う私。
でも、どうも婦長さんには弱い私。
結局、尿失禁用のナプキンみたいなのを買いました(でも、まだ使ってない)
婦長さんと話をした後で患者会の人と食事にいくので帰ろうとしたら
執刀医のN先生に会った。ほぼ、1年半ぶりくらい
『きゃ~~久しぶり』って言ったら「えええ、まだ仙台まで通ってるの」と驚かれるし・・・
「紹介状書いたよね??」って、ええそうですとも書いてもらいましたとも~~~
でも、転院させてもらえなかったんです・・・
都内の病院は「手術の患者以外はいらない」って言われました
また、私の場合は引越しなどの理由ではないから、余計にダメって言われたし
その上「治験なんだし」とか、色んな理由で断られたんだよね~~
なんかN先生に会えて、めちゃめちゃ嬉しい~~
って思った
この先生がいなかったら、私は仙台まで来ていなかったし・・・
そして、がんばろうなんて考えなかったような気がする
去年、再発の危険性って言われた時も「もしも、病院で亡くなるならここでいいかな」って思った
その前にN先生にもう1回、お腹切ってもらってもいいし・・・とか考えてた
仙台に骨を埋めるか。って腹をきめて行った病院でした
結局、再発ではなかったけど、色んな意味で考えた1件でした
N先生にしても、婦長さんにしても、看護師さんにしても色んな事があったけど、よかったのかなって思う
でも、4月から婦長さんが「化学療法科」に異動になるそうです
うううん、ショックだ・・・せっかく、院内患者会を作ってくれたりしてくれたのに、残念です
でも、化学療法科に行ってもきっと何かをしてくれるはずだから、期待しておこうって思う
次の外来は6月です
みんな元気でいてくれるといいな
会ってすぐに『太ったでしょ』って言われた

そうなんです・・・実は、入院時よりも、太っているんです・・・
「なんで太るのよ



そしたら「病院でちゃんと計算して、ご飯だしてたでしょそれを見習って食べなさい」と
こんこんと怒られた・・・

くっそう~~~。
わかるけど、下痢した後は、どうしてもお腹がすくねん

そんでもって「油物は控えなさい」とか「食べすぎると下痢するのよ」とか
おかん並にうるさい・・・
その上、手術の後遺症でたまに「尿失禁」してしまうって言ったら
失禁用パッドなるものをしろってうるさいし
「やっぱりやだ」っていうと「そんな事にこだわってどうするのよ」って
「いや、やっぱりいつもじゃないからいやや」「いつくるかわからないからしなさい」
などなど、戦う私。
でも、どうも婦長さんには弱い私。
結局、尿失禁用のナプキンみたいなのを買いました(でも、まだ使ってない)
婦長さんと話をした後で患者会の人と食事にいくので帰ろうとしたら
執刀医のN先生に会った。ほぼ、1年半ぶりくらい

『きゃ~~久しぶり』って言ったら「えええ、まだ仙台まで通ってるの」と驚かれるし・・・
「紹介状書いたよね??」って、ええそうですとも書いてもらいましたとも~~~
でも、転院させてもらえなかったんです・・・
都内の病院は「手術の患者以外はいらない」って言われました
また、私の場合は引越しなどの理由ではないから、余計にダメって言われたし
その上「治験なんだし」とか、色んな理由で断られたんだよね~~
なんかN先生に会えて、めちゃめちゃ嬉しい~~

この先生がいなかったら、私は仙台まで来ていなかったし・・・
そして、がんばろうなんて考えなかったような気がする
去年、再発の危険性って言われた時も「もしも、病院で亡くなるならここでいいかな」って思った
その前にN先生にもう1回、お腹切ってもらってもいいし・・・とか考えてた
仙台に骨を埋めるか。って腹をきめて行った病院でした
結局、再発ではなかったけど、色んな意味で考えた1件でした
N先生にしても、婦長さんにしても、看護師さんにしても色んな事があったけど、よかったのかなって思う
でも、4月から婦長さんが「化学療法科」に異動になるそうです
うううん、ショックだ・・・せっかく、院内患者会を作ってくれたりしてくれたのに、残念です
でも、化学療法科に行ってもきっと何かをしてくれるはずだから、期待しておこうって思う
次の外来は6月です
みんな元気でいてくれるといいな
2011年04月06日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │がん
がんで死ぬということ
『なぜ人はがんで死ぬのですか?』
こう聞かれて答えられる人が何人いますか?
不思議と知らないんですよね
私もそうでした
ただ、漠然とがんになったら死ぬんだって思ってたけど、でも本当の理由は知らない
不思議だと思いませんか?
先日、ある医師の講演会を聞くことができました
その時に、ある患者さんが『私は死ぬのがとても怖いです。なぜ人はがんで死ぬのですか?
そして、痛いのですか?』と聞かれました
そこにいる人全ての人の気持ちがわかるような質問でした
先生はとても優しい口調で『人間には生きていくのに必要な細胞があります。
がんになるとその生命維持に必要な細胞が侵されてしまいます。生命維持に必要な細胞よりも
がん細胞が増えてしまった時に人はがんで命を落とす』と言われました
そして『がんの痛みは人それぞれです。痛い痛いという人もいれば、そうでない人もいます。
それは例えば比較的骨転移しやすい乳がんや体の体幹部分にできるがん、例えばすい臓や肝臓がん
子宮といったがんは大きな神経にがんが転移しやすいと言われています。
そういう場所にできたがんは痛いと言われています。でも、やはりこれも個人差があります。
みんな違います。そして今は、痛みをコントロールする事もできるようになっていっているので
がんと共存する事ができると言われています』と言われました
色んな本に色んなことが書かれています
でも、私はこの先生の言葉がとても好きです
医学用語のような説明でなくてもいいんだと思います
人が死ぬこと。これは紛れもない事実で100%なんです
それをいかにシンプルにわかりやすく相手を納得させることができるか
いいなって思いました
がんに負けてしまうのはつらいかも知れないけど、今の医学ではそれも事実です
それをいかに受け入れることができるか・・・
怖い怖いではなく、よりよく生きていくためにできることがあるんじゃないのかな?って思います
↓写真は『葵貝』と呼ばれる貝です。別名「タコ貝」タコが卵を産むために自分で作りだすそうです
そしてこの中に、卵を産んで育てます。とても綺麗で生命の不思議を感じます
こう聞かれて答えられる人が何人いますか?
不思議と知らないんですよね
私もそうでした
ただ、漠然とがんになったら死ぬんだって思ってたけど、でも本当の理由は知らない
不思議だと思いませんか?
先日、ある医師の講演会を聞くことができました
その時に、ある患者さんが『私は死ぬのがとても怖いです。なぜ人はがんで死ぬのですか?
そして、痛いのですか?』と聞かれました
そこにいる人全ての人の気持ちがわかるような質問でした
先生はとても優しい口調で『人間には生きていくのに必要な細胞があります。
がんになるとその生命維持に必要な細胞が侵されてしまいます。生命維持に必要な細胞よりも
がん細胞が増えてしまった時に人はがんで命を落とす』と言われました
そして『がんの痛みは人それぞれです。痛い痛いという人もいれば、そうでない人もいます。
それは例えば比較的骨転移しやすい乳がんや体の体幹部分にできるがん、例えばすい臓や肝臓がん
子宮といったがんは大きな神経にがんが転移しやすいと言われています。
そういう場所にできたがんは痛いと言われています。でも、やはりこれも個人差があります。
みんな違います。そして今は、痛みをコントロールする事もできるようになっていっているので
がんと共存する事ができると言われています』と言われました
色んな本に色んなことが書かれています
でも、私はこの先生の言葉がとても好きです
医学用語のような説明でなくてもいいんだと思います
人が死ぬこと。これは紛れもない事実で100%なんです
それをいかにシンプルにわかりやすく相手を納得させることができるか
いいなって思いました
がんに負けてしまうのはつらいかも知れないけど、今の医学ではそれも事実です
それをいかに受け入れることができるか・・・
怖い怖いではなく、よりよく生きていくためにできることがあるんじゃないのかな?って思います
↓写真は『葵貝』と呼ばれる貝です。別名「タコ貝」タコが卵を産むために自分で作りだすそうです
そしてこの中に、卵を産んで育てます。とても綺麗で生命の不思議を感じます
2010年09月08日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │がん
がんになってわかったこと
「がん患者はね、がんになった瞬間からマイノリティになるの。
突然に不幸を背負った人間として扱われる。びっくりするわよ。
あなたも一度なってみれば?」
マイノリティ=少数。少数派。
< 追悼文特集5★『読売新聞』(3月28日)掲載 >
▼作家 田口ランディ
柳原和子さんを悼む「がん 薄っぺらい同情 笑う」
柳原和子:http://yanagihara-kazuko.com/about_8.html
2010年08月27日 Posted by すもも at 07:55 │Comments(0) │がん
消せないメール。。。
削除しようと思ってるけど、どうしても消せないメールってないですか?
私にとっては、このメールがそうかな
これは、テレビで鳥越さんが4度目の手術を終えたあとのものだったと思う
思わずHPにメールした
お元気ですか?
テレビをみて、なんかとっても自分の今の状況を伝えたくてメールしました
派遣でもって、癌差別。なんかなって思ってた
でも、悪いことばかりじゃないって事を忘れてました
私には、高校時代の友達で、癌と戦って無事に7年目を向かえている友達が2人います
1人は、私と同じ子宮頸がん。もう1人は乳がん。
どちらもステージ1期の早期がんでした
私が癌と診断されてから、その友達といろんな事を話しました
今の不安な状態を一番わかってくれた人たちです
その友達が言ってくれた言葉です
「癌に軽いも重いもないんよな。いつ再発するかわからん病気やねんから。
だから今を一生懸命生きていこうって思うねん
私はたとえ明日死んでも後悔はないねん。未練はあるけどな
でも、後悔と未練は違うねん。後悔は、やってしまった事で
未練はあんな事したかったって事やん。それなら私の人生に後悔はないわ
でも、未練はいっぱいあるけどな(笑)」 って言うてた
とっても嬉しかった。
私は、彼女が癌と宣告されたとき、ただ泣くしかできなかった
そして彼女も、ずっと泣いてたのに、今じゃすっかり大先輩やわって
癌でも、生きていけるんやなって、希望が見えた気がした
子宮頸がんに乳がんに精巣がん。
仲のいい友達が今の私の支えになってくれている
一人暮らしの私は、うつ病になるんじゃないかと毎日不安で仕方がなくって
夜中に何度も何度も目が覚める
でも、自分は生きてるんだって確認する
そんな毎日の中で、仕事では普通に。という矛盾が辛くて仕方がない
でも、毎日のように励ましてくれる友達がいる
感謝、感謝です。
鳥越さんの『遺言』の中にも、『人との係わり合いを考えさせられた』というような部分が
あったと思います(半分くらい泣いてて覚えてない・・・ネットにアップしてください)
本当にそうだなって思う
癌になったことを、批難する人。一緒に泣いてくれる人。
子宮頸がんなら大丈夫という人。
沢山の人がいて、沢山の反応がある
人は、自分の考えと同じではないんだな。
そして、自分も相手をきちんとわかってあげれてないんじゃないかなと思った
人はみんな違うんだって基本的なことを忘れてました
癌と同じですよね。
「天寿がん」がんを抱えながら天寿を全うすること。
私もその一人になった。でも、私はまだ死にたくないな。
告知1ヶ月+2日目の私でした。
42歳、女。
追伸:
鳥越さん、がんばってくださいとはなんだかいえないです
それは自分自身が、どうがんばるのかよくわからないから
痛みに耐える事が、がんばる事なのか
弱音を吐かない事が、がんばる事なのか
今の私にはこの状況を受け入れる事で精一杯です
そして、一緒に泣いてくれて喜んでくれる人が必要なだけです
ただ、ほんとうにそれだけです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天寿がん。私は、がんサバイバーよりこっちのほうが好きかな
なんか、サバイバーって言うとめっちゃ頑張っていかなきゃいけない気がして
「ごめんなさい・・・」って言いたくなる
私にとっては、このメールがそうかな
これは、テレビで鳥越さんが4度目の手術を終えたあとのものだったと思う
思わずHPにメールした
お元気ですか?
テレビをみて、なんかとっても自分の今の状況を伝えたくてメールしました
派遣でもって、癌差別。なんかなって思ってた
でも、悪いことばかりじゃないって事を忘れてました
私には、高校時代の友達で、癌と戦って無事に7年目を向かえている友達が2人います
1人は、私と同じ子宮頸がん。もう1人は乳がん。
どちらもステージ1期の早期がんでした
私が癌と診断されてから、その友達といろんな事を話しました
今の不安な状態を一番わかってくれた人たちです
その友達が言ってくれた言葉です
「癌に軽いも重いもないんよな。いつ再発するかわからん病気やねんから。
だから今を一生懸命生きていこうって思うねん
私はたとえ明日死んでも後悔はないねん。未練はあるけどな
でも、後悔と未練は違うねん。後悔は、やってしまった事で
未練はあんな事したかったって事やん。それなら私の人生に後悔はないわ
でも、未練はいっぱいあるけどな(笑)」 って言うてた
とっても嬉しかった。
私は、彼女が癌と宣告されたとき、ただ泣くしかできなかった
そして彼女も、ずっと泣いてたのに、今じゃすっかり大先輩やわって
癌でも、生きていけるんやなって、希望が見えた気がした
子宮頸がんに乳がんに精巣がん。
仲のいい友達が今の私の支えになってくれている
一人暮らしの私は、うつ病になるんじゃないかと毎日不安で仕方がなくって
夜中に何度も何度も目が覚める
でも、自分は生きてるんだって確認する
そんな毎日の中で、仕事では普通に。という矛盾が辛くて仕方がない
でも、毎日のように励ましてくれる友達がいる
感謝、感謝です。
鳥越さんの『遺言』の中にも、『人との係わり合いを考えさせられた』というような部分が
あったと思います(半分くらい泣いてて覚えてない・・・ネットにアップしてください)
本当にそうだなって思う
癌になったことを、批難する人。一緒に泣いてくれる人。
子宮頸がんなら大丈夫という人。
沢山の人がいて、沢山の反応がある
人は、自分の考えと同じではないんだな。
そして、自分も相手をきちんとわかってあげれてないんじゃないかなと思った
人はみんな違うんだって基本的なことを忘れてました
癌と同じですよね。
「天寿がん」がんを抱えながら天寿を全うすること。
私もその一人になった。でも、私はまだ死にたくないな。
告知1ヶ月+2日目の私でした。
42歳、女。
追伸:
鳥越さん、がんばってくださいとはなんだかいえないです
それは自分自身が、どうがんばるのかよくわからないから
痛みに耐える事が、がんばる事なのか
弱音を吐かない事が、がんばる事なのか
今の私にはこの状況を受け入れる事で精一杯です
そして、一緒に泣いてくれて喜んでくれる人が必要なだけです
ただ、ほんとうにそれだけです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天寿がん。私は、がんサバイバーよりこっちのほうが好きかな
なんか、サバイバーって言うとめっちゃ頑張っていかなきゃいけない気がして
「ごめんなさい・・・」って言いたくなる
2010年08月22日 Posted by すもも at 08:27 │Comments(0) │がん
名古屋のミーネットさん
8月4~7日まで名古屋に行ってきました
何ができるかわからない私のような人を受け入れてくれるのか、本当に不安でしたが、なんでここまでと思うくらいに親切にしてもらえました
初日から、名古屋医療センターで活動されている『ピアサポーター』の方を見ました
2時間でしたが、10人の方が来られて真剣に話をされていました
終わられた時に、サポーターの方が本当にいい顔をされていたのが、印象的でした
名古屋市立大学でピアサポーターを研究されている方と話ができたりして本当によかったです
名古屋はとても進んでいるんだとびっくりしました
私の中で名古屋ってなんだか閉鎖的なイメージがあったので驚きでした
でも、それもやはり家族をがんで亡くした方の活動からでした
患者や家族ができることは沢山あるんじゃないのかなと、改めて考えさせられた瞬間でした
大きな活動をするのは、大変かもしれないけど、少しずつでいいからやって行きたいって思ってます
ピアサポーターをされていた人が私に言ってくれました
『わたし、この場所があるから頑張れるんです』って。
彼女は28歳で罹患しました。とってもかわいらしい人です
どんな時であっても、人は人と繋がって生きていきたいんだって思いました
今年の秋からピアサポーター養成講座が立ち上がっていくそうです
名古屋でもミーネットさんで始まるようです
そして、東京でも。
できれば、私も参加したいなと思ってます
講座を開催するかは不明ですが、何かやってみようと思ってます
それは、また今度。。。
ただ、ピアサポーターさんを養成しても名古屋のように、きちんとした受け皿がないといけないと思いました
それが一番の問題だと思います。色んな事ができると思うけれど、問題や解決しなくてはいけない事が山のようにあると思います
頑張らないと・・・ね
◆ピアサポートとは・・・
「体験者になら話してみようかな、この不安、この迷い、このつらさ・・」
ピア(Peer)とは、仲間、同等という意味の英語です。
ピアサポートは、同じような境遇やよく似た体験をもつ者どうしが助け合うことを意味します。
ここでは、がん体験者が、がん患者とそのご家族をサポートします。
がんと言われて不安な気持ちを誰かに聞いてもらいたい・・・
家族や職場にどう話したらいいの・・?
再発への不安な気持ちを話してみようかな。
といった、家族や医療者には話しにくい内容でも、がん体験者なら、共感し、
気持ちを分かち合い、一緒に考えることができるかもしれません。
NPO法人ミーネット:http://www.tokai-medi.co.jp/index.html
ピアサポート:http://www.cancernet.jp/peersupport/
何ができるかわからない私のような人を受け入れてくれるのか、本当に不安でしたが、なんでここまでと思うくらいに親切にしてもらえました
初日から、名古屋医療センターで活動されている『ピアサポーター』の方を見ました
2時間でしたが、10人の方が来られて真剣に話をされていました
終わられた時に、サポーターの方が本当にいい顔をされていたのが、印象的でした
名古屋市立大学でピアサポーターを研究されている方と話ができたりして本当によかったです
名古屋はとても進んでいるんだとびっくりしました
私の中で名古屋ってなんだか閉鎖的なイメージがあったので驚きでした
でも、それもやはり家族をがんで亡くした方の活動からでした
患者や家族ができることは沢山あるんじゃないのかなと、改めて考えさせられた瞬間でした
大きな活動をするのは、大変かもしれないけど、少しずつでいいからやって行きたいって思ってます
ピアサポーターをされていた人が私に言ってくれました
『わたし、この場所があるから頑張れるんです』って。
彼女は28歳で罹患しました。とってもかわいらしい人です
どんな時であっても、人は人と繋がって生きていきたいんだって思いました
今年の秋からピアサポーター養成講座が立ち上がっていくそうです
名古屋でもミーネットさんで始まるようです
そして、東京でも。
できれば、私も参加したいなと思ってます
講座を開催するかは不明ですが、何かやってみようと思ってます
それは、また今度。。。
ただ、ピアサポーターさんを養成しても名古屋のように、きちんとした受け皿がないといけないと思いました
それが一番の問題だと思います。色んな事ができると思うけれど、問題や解決しなくてはいけない事が山のようにあると思います
頑張らないと・・・ね

◆ピアサポートとは・・・
「体験者になら話してみようかな、この不安、この迷い、このつらさ・・」
ピア(Peer)とは、仲間、同等という意味の英語です。
ピアサポートは、同じような境遇やよく似た体験をもつ者どうしが助け合うことを意味します。
ここでは、がん体験者が、がん患者とそのご家族をサポートします。
がんと言われて不安な気持ちを誰かに聞いてもらいたい・・・
家族や職場にどう話したらいいの・・?
再発への不安な気持ちを話してみようかな。
といった、家族や医療者には話しにくい内容でも、がん体験者なら、共感し、
気持ちを分かち合い、一緒に考えることができるかもしれません。
NPO法人ミーネット:http://www.tokai-medi.co.jp/index.html
ピアサポート:http://www.cancernet.jp/peersupport/