「幸せ力」をつける、ちょっとした生活術
お正月になったので年末に借りていた本を読みました
「幸せ力」をつける、ちょっとした生活術 斉藤茂太著
・・・・フランスの哲学者、アランは『幸福論』の中で、「ある人が幸福を求める。するとたちまち彼には幸福を見つけることができないという宣告がなされてしまう」と、人が幸福を探すことのパラドックスを言っている。
「幸福を世界の中に、自分自身の外に求めるかぎり、何ひとつ幸福の姿をとっているものはないでしょう。要するに、幸福については、論理的に推論したり予見したりすることができたら、それはどういうことかをよく考えて見たまえ、それは今、君にすでに幸福をもっているからだ。期待を抱くこと、それはつまり幸福であるということなのだ」
私たちは幸せというと、まるで外に「完全なる幸せ」というものがあって、これから見つけ、手に入れなければならないものであるかのように思い込んでいる。そんな幸せなどはないのだ。
日々、希望を持って生きている、そのこと自体で十分に幸せであるということだ。私たちは明白に期待を持ち日々を生きている。そうである限りは、すでに私たちの幸せを手にしているのではないか。
去年、ずっと悩んでいることがありました
自分がどこかで「いい顔依存症」になっている気がして「ほめてもらいたい」「認めてもらいたい」という気持ちに囚われていたように感じました
でも実際にはそういう関係でなければ、付き合えないのであれば、相手とは本当の意味では付き合っていけないのだということに、心のどこかで気がついていたのに・・・って思いました
自分の中で無理をして、それでも得たいものって、本当は必要ないものなんじゃないのかなって思った私でした。
「幸せ力」をつける、ちょっとした生活術 斉藤茂太著
・・・・フランスの哲学者、アランは『幸福論』の中で、「ある人が幸福を求める。するとたちまち彼には幸福を見つけることができないという宣告がなされてしまう」と、人が幸福を探すことのパラドックスを言っている。
「幸福を世界の中に、自分自身の外に求めるかぎり、何ひとつ幸福の姿をとっているものはないでしょう。要するに、幸福については、論理的に推論したり予見したりすることができたら、それはどういうことかをよく考えて見たまえ、それは今、君にすでに幸福をもっているからだ。期待を抱くこと、それはつまり幸福であるということなのだ」
私たちは幸せというと、まるで外に「完全なる幸せ」というものがあって、これから見つけ、手に入れなければならないものであるかのように思い込んでいる。そんな幸せなどはないのだ。
日々、希望を持って生きている、そのこと自体で十分に幸せであるということだ。私たちは明白に期待を持ち日々を生きている。そうである限りは、すでに私たちの幸せを手にしているのではないか。
去年、ずっと悩んでいることがありました
自分がどこかで「いい顔依存症」になっている気がして「ほめてもらいたい」「認めてもらいたい」という気持ちに囚われていたように感じました
でも実際にはそういう関係でなければ、付き合えないのであれば、相手とは本当の意味では付き合っていけないのだということに、心のどこかで気がついていたのに・・・って思いました
自分の中で無理をして、それでも得たいものって、本当は必要ないものなんじゃないのかなって思った私でした。
2015年01月01日 Posted byすもも at 21:51 │Comments(0) │読んだ本・・・その他
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