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忘れないで・・・
「忘れないで」には色んな意味があると思います
今回の地震の時に「阪神・淡路大震災を忘れないで」って言いました
説明不足の私は「忘れないで」って言うと「忘れていないわよ」って言われてしまいます
今回、避難所にいた時にも何度も感じましたが「阪神の事が生かされている」ことでした
その反面、これを知らない人がとても多いという事でした
「神戸は大変だったね」という記憶ではなく、正確な知識として知っていて欲しかったです
東京という地震の多い地区ですら、復旧までの道のりを知らない人が多くて驚きました
地震に遭って一番怖いのは、屋外の場合は上からの落下物は知っていると思います
電柱や電線、信号機やビルの上にある看板などの落下です
でも、それだけではなく建物の横からの壁の倒壊、ガラスの破片だったり
自動販売機が倒れてくることも危険です
今回、仙台駅の前のロータリーに避難している時に、高架橋の下に沢山の人がいました
みんな「雪が降っているし寒いから、できるだけ高架橋の下に」と逃げていました
今回も新幹線の仙台駅の天井の落下のような事があるように、高架橋を信じていなかった私は
「寒くてもそんなところにはいけない」と思っていました
どうしても阪神高速の事を思い出してしまうから信用できなかった
そして避難していく途中でも何度も何度も上を確認して逃げました
仙台市内は地盤が強いのか、地面が割れている箇所は少なかったです
また非常時には市役所や体育館など大きな施設が避難所に開放される事
被災地には一般車両は入れない(緊急車両優先)など
「緊急物資搬送中」というのをつけた自衛隊車両をいくつも見ました
阪神を知っている人間には当たり前の事が、あまりにも知られていない・・・
郵便局でカードがなくても身分証明書があれば支払ってもらえるなどもそうでしたね
(上限10万円まで)
水の流せないトイレには紙を別にしておくことだってそうです
また生理用品やコンタクトレンズ保存液などの不足もそうでした
どんな時にでも、人の体ってそういうものです
阪神の時はあるメーカーが眼鏡を作ってくれました
目が悪い人が被災地を歩くのはとても怖い事です。
メーカーが支援してくれるのは、やはりとても心強い事です
阪神の時は、あまりにも汚い衣料品だったり賞味期限の切れた食品などが入っていたりして
箱をあけた人が悲しくなってしまったというのを聞きました
そういう人ばかりではないですが、色々なものが入ったダンボールを仕分けるのには大変な労力が
必要になります。
ついつい、ボランティアと考えてしまいますが、その人たちを養っていくのも大変です
自分で食糧や寝床を確保し活動できる自衛隊とボランティアは明らかに違います
必要な技術を持っている人が被災地に行くのはいいですが、まだ混乱している時に
ボランティアを入れてしまうのは難しいと思います
また悲しいですが興味半分で被災地に入って写真を撮っていたなどの話も沢山ありました
そして今回も盗難がとても多かったそうです
阪神の時もそうです。避難して帰ってきたら物が無くなっていた・・・
つらい事ですが、そういう人はいます
避難する時に「地震で戸が開かなくなる」と言って戸締りしなかった人がとても多いです
でも、そのせいで盗難にあってしまうという矛盾がありました
電車の復旧についても目視で検査する⇒時間がかかる。でも、それで無理ならバスルートができる
避難所でも私はずっと交通は「3日はかかる」といい続けていました
大きな地震の余震は1週間くらいが危ないけれど、それまでに電車なりバスなりがでるからと言いました
今回もそうでした
みんな阪神の事が教訓になっているんだって思いました
今回、何度も福島の事故でも出てきていますが「ハイパーレスキュー」もそうです
国だって市だって会社だって自衛隊だって、みんな必死でやってくれています
ただ、あまりにも被害が大きすぎます
変なデマに惑わされない
買占め行動はしない
地震を必要以上に恐れないこと。
助かった命を無駄にしないためにも安全な場所や帰宅ルートを確保する
そして、自分の身は自分で守る
私たちがやらなくてはいけないのは、そういう事なんだと思います
先日、神戸のルミナリエができた理由をテレビで言っていました
そうか、知らないんだ・・・って驚きました
観光地神戸を復活させよう!とルミナリエができました
私も地元にいる時は毎年、行っていました
そのルミナリエが予算がなくてできなくなるかもしれないと言った時に宝くじが発売されました
そして、今回「震災宝くじ」がでると言うのを見ました
これも同じですよね
これからも色んなことがあると思います
阪神は、そうやって15年かかって復旧していきました
それを「忘れてほしくない」と思います
先日、同じように阪神の地震の時に大阪にいて、今回、転勤で仙台にいた友達がいて連絡がつきました
「何もわざわざ2回も大きな地震に遭わなくても~~」って2人して言いました
彼は郡山にいて仙台に帰ってきたらしく、その帰りに食糧など必要な物資を買って帰ってきたそうです
「神戸の地震の時も大変やったからな」って言ってました
仙台市内は地震直後に全ての機能が停止してしまったので、お店も散乱していたし
停電で買えませんでしたが私も買っていただろうなって思います
そういう経験は、確実に生きているんですよね。
今回の地震ではプラスもマイナスも色々と出てきました
震災の写真や映像を見て不安になる子供たちが沢山いるそうです
それも、すごくわかります
でも、本当に大変なのはこれからだと思います
だからこそ「忘れないで」って思います
2011年03月31日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(2) │東日本大震災
サバイバーズ・ギルト
震災を生き延びられた方の苦しみ「サバイバーズ・ギルト」

震災生存者は命が助かったことによる苦しみを抱えることも多いのです
2011年3月11日の東日本大震災から2週間を迎えた今日、地震、津波の被害による死者・行方不明者はあわせて2万7000人を超えると報道されています。ご自分の命は助かったものの親しい方の安否が分からず、不安と心配で夜も眠れない毎日をお過ごしの方がたくさんおられることと思います。
震災では、一瞬の差が生死を分けると言われます。今回の震災でも津波の第一波で助かった方のなかにも、その後に家に戻り、第二波で命を落とされた方や、職務を優先させて殉職された方、子どもやお年寄りを先に避難させて犠牲となった方々がいると聞きます。
そんな中で助かった震災生存者の方のなかには、自身の幸運に感謝しながらも、次のような罪悪感に苦しめられてしまう方もいらっしゃいます。
「私があの人の命を犠牲にしてしまった……」
「どうして私だけが助かってしまったんだろう?」
「私さえいなければ、あの人を死なせることはなかったのに」
「役に立たない私が援助をしてもらうなんて、申し訳ない」
このように、震災や事故などの被害に遭い、命が助かった幸運によって罪悪感にさいなまれることを「サバイバーズ・ギルト」と言います。'95年の阪神大震災や'05年のJR福知山線脱線事故に遭遇した生存者のなかにも、このような罪悪感を抱える方が見られ、注目されるようになった問題です。
気の利いた言葉が逆効果のことも…注意すべき気遣いの言葉「サバイバーズ・ギルト」のように強い苦しみを抱えた方の話を聞くとき、私たちはつい「気の利いた言葉」を探してしまいます。ところが、逆にその気遣いによって相手の心を傷つけてしまうことがあります。
以下の11の言葉は、兵庫県こころのケアセンターが発行する『サイコロジカル・ファーストエイド 実施の手引き 第2版』内の、家族や親しい友人を亡くした被災者を支えるときに「言ってはいけないこと」から一部を引用させていただきました。このように相手を思いやる気持ちから生まれた言葉も、当事者を傷つけてしまう恐れがあることを理解しましょう。
■ 家族や親しい人を亡くした被災者にかけるべきではない言葉
きっと、これが最善だったのです。
彼は楽になったんですよ。
これが彼女の寿命だったのでしょう。
少なくとも、彼には苦しむ時間もなかったでしょう。
がんばってこれを乗り越えないといけませんよ。
あなたには、これに対処する力があります。
できるだけのことはやったのです。
あなたが生きていてよかった。
他には誰も死ななくてよかった。
もっとひどいことだって、起こったかもしれませんよ。あなたにはまだ、きょうだいもお母さんもいます。
耐えられないようなことは、起こらないものです。
「サバイバーズ・ギルト」を例にとっても、浮かぶ思いは一人ひとり異なり、その思いは各人の経験や感じ方の中でしか生まれないものです。既存の言葉で解釈されようとしたり、文献から引用したような言葉をかけられたりすると、逆に深く傷ついて、心を閉ざしてしまうこともあります。そのため、震災生存者の方とお話をする際には、細心の心配りが必要になるのです。
「かける言葉」ではなく「聴く」ことに集中する
話を「聴く」際の3つの条件を理解することが大切
被害者の苦しみに寄り添うときには、「かける言葉」ではなく、「聴く」ことに集中した方がいいと私は考えます。相手の話を熱心に聞くことを「傾聴」と言います。
傾聴の「聴」は「耳へん」に「十四の心」と書きます。そのことから傾聴は、「“十四の心”ほどのたくさんの心遣いで、相手の話に耳を傾けること」などと表現されます。現代のカウンセリングの基礎を築いた臨床心理学者ロジャーズの説から、傾聴は次の3つの基本姿勢によって成立すると考えられています。
1. 自己一致 (ありのままに純粋であること)
2. 無条件の肯定的配慮 (相手を無条件に肯定して受容すること)
3. 共感的理解 (その人の気持ちになって理解しようとすること)
被害生存者の苦しみなど、同じ経験に遭ったこともない人には想像もできないほど、深いものです。しかし、聴く側が「元気づけてあげなければ」「救ってあげなければ」と身構えず、「その人の深い苦しみは想像もできない。だからこそ教えてほしい」という純粋な気持ちで聴こうとし、批評的にならずに全面的に受け止め、共感的な姿勢で話を聴いていると、相手の方は「話をしたい」という気持ちになってくるはずです。
心への支援は「情報」ではなく「傾聴」
具体的支援と心の支援との違いとは?
「しっかり受け止めてもらえる」と感じ、心の中にある葛藤や混乱を話しきったときに、人は大きく癒されるのだと思います。
産業カウンセラーである私は、「技法に頼ってはいけない。一にも二にも傾聴だ」と叩き込まれましたが、その私ですら「聴く」だけでは物足りないように感じ、ついつい「かける言葉」の方に意識を向けてしまいます。しかし、そうして傾聴の基本姿勢から離れてしまうと、相手の心は確実に離れてしまうものです。
健康管理や生活再建などの具体的支援を求める場合には、情報やアドバイスなどの「かける言葉」が必要です。しかし、「心」を支援する場合には、言葉より先に、相手に真剣に向き合い傾聴するという「姿勢」が大切なのだと思います。ぜひ、震災に遭われた方の心に寄り添いたい、少しでも相手に楽になってほしいと願う場合には、この「傾聴」を意識されることをお勧めしたいと思います。
サバイバーズ・ギルト:http://allabout.co.jp/r_health/gc/378118/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「サバイバーズ・ギルト」は、初めて聞いた言葉でした
でも、この内容は神戸でも今回、被災された人からも聞きました
私個人の意見ですが、これは私が退院する時に感じた感情によく似ています
「なぜ彼女は死ななくてはいけないんだろう」「なぜ、私でなく彼女なんだろう?」って・・・
何度も何度も自問自答した言葉です
でも、テレビを見てもどこをみても『がんばろう』『がんばろう』『がんばろう』・・・
本当に頑張らなくてはいけないのは、支えていく人たちであって
支えられている人ではないはず・・・
1人で立ち上がれるくらいの力ができるまで、支えていってこそ手を離してもいいはずだと思います
そして『がんばって』って言うものだと思います
たった2週間やそこらで「頑張って」って言えるような状況ではないと思います
復旧は週単位でできるものではありません
年単位でできるものです
そして『忘れないで』って思います
神戸の事も今回の事も『未曾有の出来事』と言います
でも、そんな出来事でも忘れていっているんだって知りました
ただ、今は亡くなった人を受け入れる時間でもいいと思います
そして受け入れる時間は人によってもそれぞれだと思います
家族や友人を亡くした人にとって「がんばって」は、責める言葉のように感じられて仕方がありません
離してしまった手を悔やんで悔やんで、泣いているお母さんが沢山いると聞きました
そんな人になぜ「がんばって」って言うんでしょうか?
頑張るという事、前向きに生きるという事。それがあまりにも『美徳』とされすぎていると思います
人は、そんなに強いものではないと思います
でも、受け入れた人は強い人です
ただ、その時間は人によって違います
それを知っていて欲しいんです
もし、あなたのまわりにそういう人がいたら、ぎゅっと抱きしめてあげてください
そして、温かい食事とお風呂を分けてあげてください
それでも無理だったら「待ってあげるよ」って寄り添ってあげて欲しいんです
そしたらきっと、その人は歩ける力がでてくると思います
東京に帰ってきて、あまりにも日常が穏やかで体調が変になってきました
仙台や岩手にいた時に自分が見た映像がまるで「フィルム」の中の出来事のように感じます
そして、人のブログを読んでいて、自分が浦島太郎にでもなった気持ちがします
上の写真は「冬のサクラ」のモデルになった岩手県の雫石の桜です
今年は、いつにも増して桜が待ち遠しい気持ちです
震災生存者は命が助かったことによる苦しみを抱えることも多いのです
2011年3月11日の東日本大震災から2週間を迎えた今日、地震、津波の被害による死者・行方不明者はあわせて2万7000人を超えると報道されています。ご自分の命は助かったものの親しい方の安否が分からず、不安と心配で夜も眠れない毎日をお過ごしの方がたくさんおられることと思います。
震災では、一瞬の差が生死を分けると言われます。今回の震災でも津波の第一波で助かった方のなかにも、その後に家に戻り、第二波で命を落とされた方や、職務を優先させて殉職された方、子どもやお年寄りを先に避難させて犠牲となった方々がいると聞きます。
そんな中で助かった震災生存者の方のなかには、自身の幸運に感謝しながらも、次のような罪悪感に苦しめられてしまう方もいらっしゃいます。
「私があの人の命を犠牲にしてしまった……」
「どうして私だけが助かってしまったんだろう?」
「私さえいなければ、あの人を死なせることはなかったのに」
「役に立たない私が援助をしてもらうなんて、申し訳ない」
このように、震災や事故などの被害に遭い、命が助かった幸運によって罪悪感にさいなまれることを「サバイバーズ・ギルト」と言います。'95年の阪神大震災や'05年のJR福知山線脱線事故に遭遇した生存者のなかにも、このような罪悪感を抱える方が見られ、注目されるようになった問題です。
気の利いた言葉が逆効果のことも…注意すべき気遣いの言葉「サバイバーズ・ギルト」のように強い苦しみを抱えた方の話を聞くとき、私たちはつい「気の利いた言葉」を探してしまいます。ところが、逆にその気遣いによって相手の心を傷つけてしまうことがあります。
以下の11の言葉は、兵庫県こころのケアセンターが発行する『サイコロジカル・ファーストエイド 実施の手引き 第2版』内の、家族や親しい友人を亡くした被災者を支えるときに「言ってはいけないこと」から一部を引用させていただきました。このように相手を思いやる気持ちから生まれた言葉も、当事者を傷つけてしまう恐れがあることを理解しましょう。
■ 家族や親しい人を亡くした被災者にかけるべきではない言葉
きっと、これが最善だったのです。
彼は楽になったんですよ。
これが彼女の寿命だったのでしょう。
少なくとも、彼には苦しむ時間もなかったでしょう。
がんばってこれを乗り越えないといけませんよ。
あなたには、これに対処する力があります。
できるだけのことはやったのです。
あなたが生きていてよかった。
他には誰も死ななくてよかった。
もっとひどいことだって、起こったかもしれませんよ。あなたにはまだ、きょうだいもお母さんもいます。
耐えられないようなことは、起こらないものです。
「サバイバーズ・ギルト」を例にとっても、浮かぶ思いは一人ひとり異なり、その思いは各人の経験や感じ方の中でしか生まれないものです。既存の言葉で解釈されようとしたり、文献から引用したような言葉をかけられたりすると、逆に深く傷ついて、心を閉ざしてしまうこともあります。そのため、震災生存者の方とお話をする際には、細心の心配りが必要になるのです。
「かける言葉」ではなく「聴く」ことに集中する
話を「聴く」際の3つの条件を理解することが大切
被害者の苦しみに寄り添うときには、「かける言葉」ではなく、「聴く」ことに集中した方がいいと私は考えます。相手の話を熱心に聞くことを「傾聴」と言います。
傾聴の「聴」は「耳へん」に「十四の心」と書きます。そのことから傾聴は、「“十四の心”ほどのたくさんの心遣いで、相手の話に耳を傾けること」などと表現されます。現代のカウンセリングの基礎を築いた臨床心理学者ロジャーズの説から、傾聴は次の3つの基本姿勢によって成立すると考えられています。
1. 自己一致 (ありのままに純粋であること)
2. 無条件の肯定的配慮 (相手を無条件に肯定して受容すること)
3. 共感的理解 (その人の気持ちになって理解しようとすること)
被害生存者の苦しみなど、同じ経験に遭ったこともない人には想像もできないほど、深いものです。しかし、聴く側が「元気づけてあげなければ」「救ってあげなければ」と身構えず、「その人の深い苦しみは想像もできない。だからこそ教えてほしい」という純粋な気持ちで聴こうとし、批評的にならずに全面的に受け止め、共感的な姿勢で話を聴いていると、相手の方は「話をしたい」という気持ちになってくるはずです。
心への支援は「情報」ではなく「傾聴」
具体的支援と心の支援との違いとは?
「しっかり受け止めてもらえる」と感じ、心の中にある葛藤や混乱を話しきったときに、人は大きく癒されるのだと思います。
産業カウンセラーである私は、「技法に頼ってはいけない。一にも二にも傾聴だ」と叩き込まれましたが、その私ですら「聴く」だけでは物足りないように感じ、ついつい「かける言葉」の方に意識を向けてしまいます。しかし、そうして傾聴の基本姿勢から離れてしまうと、相手の心は確実に離れてしまうものです。
健康管理や生活再建などの具体的支援を求める場合には、情報やアドバイスなどの「かける言葉」が必要です。しかし、「心」を支援する場合には、言葉より先に、相手に真剣に向き合い傾聴するという「姿勢」が大切なのだと思います。ぜひ、震災に遭われた方の心に寄り添いたい、少しでも相手に楽になってほしいと願う場合には、この「傾聴」を意識されることをお勧めしたいと思います。
サバイバーズ・ギルト:http://allabout.co.jp/r_health/gc/378118/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「サバイバーズ・ギルト」は、初めて聞いた言葉でした
でも、この内容は神戸でも今回、被災された人からも聞きました
私個人の意見ですが、これは私が退院する時に感じた感情によく似ています
「なぜ彼女は死ななくてはいけないんだろう」「なぜ、私でなく彼女なんだろう?」って・・・
何度も何度も自問自答した言葉です
でも、テレビを見てもどこをみても『がんばろう』『がんばろう』『がんばろう』・・・
本当に頑張らなくてはいけないのは、支えていく人たちであって
支えられている人ではないはず・・・
1人で立ち上がれるくらいの力ができるまで、支えていってこそ手を離してもいいはずだと思います
そして『がんばって』って言うものだと思います
たった2週間やそこらで「頑張って」って言えるような状況ではないと思います
復旧は週単位でできるものではありません
年単位でできるものです
そして『忘れないで』って思います
神戸の事も今回の事も『未曾有の出来事』と言います
でも、そんな出来事でも忘れていっているんだって知りました
ただ、今は亡くなった人を受け入れる時間でもいいと思います
そして受け入れる時間は人によってもそれぞれだと思います
家族や友人を亡くした人にとって「がんばって」は、責める言葉のように感じられて仕方がありません
離してしまった手を悔やんで悔やんで、泣いているお母さんが沢山いると聞きました
そんな人になぜ「がんばって」って言うんでしょうか?
頑張るという事、前向きに生きるという事。それがあまりにも『美徳』とされすぎていると思います
人は、そんなに強いものではないと思います
でも、受け入れた人は強い人です
ただ、その時間は人によって違います
それを知っていて欲しいんです
もし、あなたのまわりにそういう人がいたら、ぎゅっと抱きしめてあげてください
そして、温かい食事とお風呂を分けてあげてください
それでも無理だったら「待ってあげるよ」って寄り添ってあげて欲しいんです
そしたらきっと、その人は歩ける力がでてくると思います
東京に帰ってきて、あまりにも日常が穏やかで体調が変になってきました
仙台や岩手にいた時に自分が見た映像がまるで「フィルム」の中の出来事のように感じます
そして、人のブログを読んでいて、自分が浦島太郎にでもなった気持ちがします
上の写真は「冬のサクラ」のモデルになった岩手県の雫石の桜です
今年は、いつにも増して桜が待ち遠しい気持ちです
2011年03月30日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │その他
3月11日-仙台駅:14時46分

:3月10日の仙台駅の風景です
3月10日、CTスキャン検査を受けて腫瘍マーカーのための血液検査をして
リンパ浮腫外来に行きました
その時に「9日の地震、すごかったね~」なんて話を顔馴染みの看護師さんとしていました
私はCT検査の日は泊まりになって、次の日に婦人科外来に行きます
3月11日、いつものように放射線科と婦人科の外来に行って先生と話をして、
最後に「美味しい牛たん屋さん、どこです?」って先生に聞いて帰りました
ただ、いつもと違ったのは、2つの外来をかけもちしたせいもあって
かなり混んでたものだから、えらく時間がかかった事でした
そして、いつもと違ってかなり強めの痛み止めをもらったのと
睡眠導入剤をもらいました。これも退院後、初めてでした
今回、色々なこともあって痛み止めと睡眠導入剤を毎日、飲んでいます
仙台駅に2時の予定だったけど、ランチを逆算してみたら
予定の時間よりも遅くなってしまったけれど、牛たんは食べたいし~~って思ってました
まだ12時半、なんとかなるかな??って思い紹介してもらった店に急いで行ってみると
なぜかその日はランチがなくて、5時からの営業になっていました
でも、せっかくの仙台だしって思って他の人に教えてもらった『一仙』でランチを食べました
食べ終わって、バス停の場所を聞いて外に出てみると小雪まじりで寒い!
しかも、なかなかバスがこないし・・・
結局、15分くらい待ってやっとこさ仙台駅行きのバスに乗りました
でも、またここでいつもと違う終点で、結局、いつもよりも歩くはめに・・・
盛岡駅で友達と待ち合わせした時間が4時だし、お腹も痛くなってしまったので
今回は新幹線にしようって思って、パルコの2階から抜けて仙台駅の2階中央入り口に行ったら
「くっくっくっく・・・」っていうのかな?
ものすごく変な横揺れがきた
そしたら、何分もの間(多分3~5分くらいに感じた)強い横揺れがきて、びっくり!
もう、全く自力では立ってられなくて近くにあった大理石の埋め込みに膝をついてしがみついていた
でも、それでも何度も揺さぶられていました
お陰で私の膝小僧には「名誉の負傷」しています・・・
1回目の地震が止まって、2回目の立て揺れからの横揺れが来た時に仙台駅の新幹線ホームのガラスが
「バリバリバリバリバリ」って轟音を立てて揺れ始めたから、
これは絶対に映画みたいにガラスが粉々になって飛んでくる!って思って、
必死で埋め込みから手を離して反対側に逃げた
それまでは「なんとかなる」って思っていたけど、これを見た時は「私、これ飛んできたら死ぬな・・・」
って思ってた
そしたら、まるで、映画の1シーンのように人が仙台駅から出てきた
すごく不思議だったのが、こんなにすごい状態なのに誰も押し合わずに出てくるっていうのがわかった
そして、ドラマや映画なんかよりももっともっとすごく整然としていた
仙台駅の新幹線のホームのところのガラスを見ると、煙がすごくでていて「火事?」って思ったけれど
後で、その時に新幹線のホームの天井が落ちてたんだってわかった
その時、近くにいた男の子が「震度6か7です」って教えてくれて
「助けて」って言って、一緒に高架橋の下へ降りた
下に降りる時も、何度も揺れるし手すりの下も、階段も壊れてる場所があったりして
とりあえず、なんとか必死に降りていった
駅の下のロータリーで、座っている時も何度も何度も立て揺れが来て震える寒さの中で
知らない人たちと一緒にいた
その中で一番、若い子たちのグループが「お腹すいた~~」って言うから「食べる?」って
チョコをあげたら「ありがとうございます」ってニコニコしていた
しばらくして地震が落ち着いたら「じゃあ、私帰るね」って帰っていったけれど、ちゃんと帰れたかな?
雪の中、ずっと傘をさしていてくれた女の子もいた
自分も濡れてしまうのに・・・
地震が来て、揺れてる中を家族を心配していた子たち
電話してもどこにも通じなくて、ワンセグを見て少しでも情報が欲しかった
仙台駅の上を旋回するヘリがいて、テレビに「仙台駅」がでていた
自分たちを写しているヘリが上にいるって、変な感じだなって思った
写っている私たちが一番、自分の状況がわかっていないんだし・・・
ワンセグで「仙台空港が津波で流されていく」のを見た
地震がきている間も、何度も何度も「神戸より大丈夫」って思っていた私が
「この地震、何かが違う」って思った瞬間でした
仙台駅の周辺の道は、ほとんどが隆起したり割れたりしていなかったから
神戸の地震の時の三ノ宮駅周辺や長田よりは、はるかに被害が少ないように思ってた
ただ、異常に強い揺れが何度もくるのと、最初は横揺れだったのが、段々と、立て揺れもきているし
地震の間隔がやたらと短いのが気になってた
とりあえず3日は仙台だろう。って思って覚悟をしていた
その間、何とかしなくてはって思って、自分の病院に行くか市役所が避難所になるだろうから
そのあたりに行こうって思って歩き始めた
その時には、一緒にいた人は1人になっていて2人で逃げました
仙台駅のすぐ近くにあったホテルはやめて、できるだけ市役所のほうへと歩いていたけど
あまりにも雪が降ってきて近くにあったビルの1階に逃げ込みました
でも、すぐに余震がきて少し開いたままで止まっている自動ドアが「バリバリバリバリバリ」って
言い始めて、大慌てで逃げました
ただ、逃げている間にも一緒にいた人が「雪が降っているから建物の下を歩こう」って言うから
「そんなの横からガラスがくるかもしれないんだから、雪で濡れるくらい我慢しなきゃ」って言って
できるだけ建物から離れて逃げた
もう、その時には信号機も街灯も揺れまくっているし、電気はついていないしで交差点を渡りたいのに渡れない!
どうしようもないって思って自分で車道にでて、手をあげて車を止めて歩道を渡っていました
こんな中でも事故もなく、きちんと止まってくれる仙台市民ってすごい!って思った
でも、あまりの寒さと余震で思うようには歩けないから、たまたまあったホテルの前で
「ホテル、泊まれますか?」って聞いたら、「開放していますから、どうぞ」と言われて
そこに入りました。そこがリッチモンドホテルでした
後で地図を見たら、駅からとっても近かったのにホテルまで1時間弱はかかったように思います

「免震構造だから大丈夫ですよ」と言われて安心したのと、宿泊客でもない私たちに
布団や水をくれたりして、本当に暖かい気持ちになりました
ホテルの中は、宿泊客の人もいたし、私たちのように「帰宅難民」になった人も沢山いました
あとは、明日の国立大学の入試を控えた受験生も・・・
夕方、すぐ隣の座った女の人も呼んで一緒に布団に入り温まりました
その日は、自家発電が夜の7時には切れてしまい真っ暗だったけれど(他のビルも真っ暗でした)
ホテルの人に頂いた「ゆで卵」を1つ食べました
懐中電灯で照らしてもらって卵の殻を剥いてました。すごく美味しかった~~
ゆで卵1個がこんなに嬉しくて美味しいなんて考えもしなかった
ホテルの人は、自分たちの家がどうなっているかもわからない状態で私たちの世話をしてくれました
仙台から仙台。といった被災地から被災地への電話は通じないので、メールだけ。
それもほとんどが「送信できませんでした」って返ってくるし、近くに友人がいてもどうしようもなかったです
また、仙台市内は電気もガスも水道もダメだったから、まだホテルのほうが地震の被害にあわないから
大丈夫かもって思いました
夜、友達と弟から電話が来て、弟からは「ぼくの誕生日がお姉ちゃんの命日にならなくてよかった」って
言われました
そういや、今日は弟の誕生日やったわ~~って思い出した
そんな事、この状態の中ですっかり忘れてたわ・・・
そして、心配してくれた患者会の方が真っ暗な中病院からかけつけてくれました
本当に、感謝感謝でした
2日目は、体調が悪かったけれど出かけないと食べ物が手に入らないと思って出かけました
でも、結局は下痢が始まってしまったので、せっかく出かけたのに帰ってしまいました
その時に、一緒にいた2人がコンビニが開くのに1時間、買うのに1時間くらいかかって
買ってきたものを私にわけてくれました
午前中にも受験生の男の子が、お菓子と飲み物を買ってきてくれたし・・・
それまで全く知らなかった人なのに、助けてもらって嬉しかった
でも、私は大丈夫でしたが、あまりよくない事もありました
避難場所のようなところには、色んな人がいます
神戸の時に、被災した友達が怖い目にあいそうになった事を教えてくれました
どんなところであっても、やはり自分の身を守るのは自分自身なんだと思います
3日目避難場所に「震度7の余震がくる」っていうデマが流れて
みんなが帰らなくてはってことになった
震度7の余震って・・・そんな話、神戸でもあったなって思った
でも、これ以上の余震なんて本当にあるんやろか?って思った
確かに「有識者」っていう人がテレビで話していることが正しいかもしれない
でも、必要以上に相手をおびえさせるのってどうなんだろう?って思いました
結局、この事で避難場所にいた人の大半が「仙台から逃げなきゃ」って事になりました
確かに余震はあったけれど、震度7なんてのはこなかったし・・・
朝1番に、仙台から山形に行く高速バスに乗るために第1弾の人達が出て行きました
みんな「3日以内に、震度7がくるから帰ってこい」っていう身内の話で
早く仙台から出ていかなきゃって思ったようでした
その時、仙台から東京に帰るルートは「仙台-山形」で山形空港を利用して伊丹空港経由で羽田行き。
もしくは「仙台-山形」で山形から新潟で新幹線を利用。でした
他にも在来線を使ってというのもあったけれど、どのルートも満席で体調の悪い私には
あまりいい案とはいえなかったので「仙台-山形」に行って一緒に避難した人が岩手に帰るので
そこまで友人に迎えに来てもらいました
山形市内は大丈夫でしたが、仙台も岩手も場所によっては電気がついていなくて真っ暗中、
友達が1時間以上かけて迎えにきてくれました
本当にありがたかったです
結局、私の避難所生活は3日でした
でも、その中でも色んな事がありました
色んな人がいたし・・・
ただ思ったのは、地震や津波があったからといって被災地である仙台を嫌いになって欲しくはないなって
思います
嫌いになるなら、地震や津波をきらいになればいい
そして、地震が来た時に「どうやって帰るか」だけではなく、例えば水が流れないトイレには
紙は流さない。など基本的な事くらいは知っておいて欲しいと思いました
ホテルの掃除の人が、トイレの便器に手を入れて紙を出してくれていました
そんな知識すらないんか・・・って思いました
今も色々なデマがあります。
そういったものにも惑わされないようにしてください。
地震は日本にいる限り、どこであっても起きる事です
どんなときでも冷静に。
3月28日(月)。
無事に岩手から東京に帰ってきました。
2011年03月29日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(2) │東日本大震災
やんごとなき姫君たちのトイレ
やんごとなき姫君たちのトイレ 桐生操著
どんなに気高く、美しいお姫さまにも、なくてはならいもの―その名は“トイレ”。
ふだんは薄絹のベールに包まれていた、やんごとなき姫君たちの秘められた私生活。
貴婦人たちが使ったトイレからお風呂、化粧法やランジェリー、夜の過ごし方など、
華麗なるひとびとの私生活にまつわる奇想天外なエピソードを軽やかに綴った、西洋かわや物語。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とても有名な話として、ベルサイユ宮殿にトイレは無かった・・・と言われています
が、実は、あるにはあったけれど人の数よりトイレの数があまりにも少なかったので
みんな庭で済ましていた。のが、本当のようです
そして、庭でトイレをしないようにと書かれたものを「立て札」として立てたそうです
その「注意札」の事を「エチケット」と呼んでいたそうです
携帯用の尿瓶を使っていたり、椅子の形の「おまる」のようなものが部屋にあったり
トイレってやっぱり大切ですね
また、世界遺産の姫路城にもトイレがあります
トイレは人の暮らしに無くてはならないもの。なのですが、不思議なもので
トイレと聞くと「話しにくいもの」というイメージがあります
この本の中では、西洋の色々なトイレ事情もありますが、
それ以外にもお風呂事情なども書かれていて面白いと思いました
日本人がどれくらいの間隔でお風呂に入っていたのかはわかりませんが
西洋人のお風呂事情は、今の私たちの生活からは想像もできないくらいに不潔だったそうです
月に1回~2回はいればいいくらい。その為に、匂いを消すために香水を使っていたと書かれていました
日本人の8割は「カサカサ耳垢」で、体臭がないと言われています
これは突然変異らしくて、面白いものだと思いましたが日本人のお風呂好きと関係しているのかもしれませんね

どんなに気高く、美しいお姫さまにも、なくてはならいもの―その名は“トイレ”。
ふだんは薄絹のベールに包まれていた、やんごとなき姫君たちの秘められた私生活。
貴婦人たちが使ったトイレからお風呂、化粧法やランジェリー、夜の過ごし方など、
華麗なるひとびとの私生活にまつわる奇想天外なエピソードを軽やかに綴った、西洋かわや物語。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とても有名な話として、ベルサイユ宮殿にトイレは無かった・・・と言われています
が、実は、あるにはあったけれど人の数よりトイレの数があまりにも少なかったので
みんな庭で済ましていた。のが、本当のようです
そして、庭でトイレをしないようにと書かれたものを「立て札」として立てたそうです
その「注意札」の事を「エチケット」と呼んでいたそうです
携帯用の尿瓶を使っていたり、椅子の形の「おまる」のようなものが部屋にあったり
トイレってやっぱり大切ですね
また、世界遺産の姫路城にもトイレがあります
トイレは人の暮らしに無くてはならないもの。なのですが、不思議なもので
トイレと聞くと「話しにくいもの」というイメージがあります
この本の中では、西洋の色々なトイレ事情もありますが、
それ以外にもお風呂事情なども書かれていて面白いと思いました
日本人がどれくらいの間隔でお風呂に入っていたのかはわかりませんが
西洋人のお風呂事情は、今の私たちの生活からは想像もできないくらいに不潔だったそうです
月に1回~2回はいればいいくらい。その為に、匂いを消すために香水を使っていたと書かれていました
日本人の8割は「カサカサ耳垢」で、体臭がないと言われています
これは突然変異らしくて、面白いものだと思いましたが日本人のお風呂好きと関係しているのかもしれませんね
2011年03月11日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(6) │読んだ本・・・その他
確定申告と医療費控除
税務署に行ってきました
受付の人に「所得は?」と聞かれて「所得はありませんが、医療費控除を受けたい」と言いました
そしたら「所得がない人は、確定申告の手続きは必要ありませんよ」って
ええええ~~
そうなんですか
って感じでした
私の前年度の所得はありません
説明されると、その通り。だったのですが・・・
この高額な医療費は~~~
でした(ちなみに交通費を入れて35万円!)
確かに失業保険や傷病手当を貰っていたし貯金を切り崩して生活していたので
所得税なる「税」という国に払っている部分がないという事です
嬉しいような悲しいような・・・

国民年金とか安くしてくれへんやろか・・・
なんて考えてしまいました
あんなに必死で、医療費控除のためにエクセルで一覧表を作ってたのに~~
なんでやねん・・・でした
でも、普通に仕事をして病気になった人は医療費控除を受けれます
ぜひ、確定申告を受けてくださいね

注:平成21年と書かれていますが、平成22年度です
受付の人に「所得は?」と聞かれて「所得はありませんが、医療費控除を受けたい」と言いました
そしたら「所得がない人は、確定申告の手続きは必要ありませんよ」って
ええええ~~



私の前年度の所得はありません
説明されると、その通り。だったのですが・・・
この高額な医療費は~~~

確かに失業保険や傷病手当を貰っていたし貯金を切り崩して生活していたので
所得税なる「税」という国に払っている部分がないという事です
嬉しいような悲しいような・・・


国民年金とか安くしてくれへんやろか・・・
なんて考えてしまいました
あんなに必死で、医療費控除のためにエクセルで一覧表を作ってたのに~~
なんでやねん・・・でした
でも、普通に仕事をして病気になった人は医療費控除を受けれます
ぜひ、確定申告を受けてくださいね

注:平成21年と書かれていますが、平成22年度です
2011年03月10日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │がんと仕事
劇的な「自転車人生」に幕~アームストロング

2011年3月8日(火)06:03
自転車ロードレースの名選手として鳴らしたランス・アームストロング(39)=米国=が引退を表明し、劇的な競技人生に幕を下ろした。一説には生存率数パーセントとも言われる精巣腫瘍を克服した後、前人未到のツール・ド・フランス7連覇を果たした「超人」。今後は、がん撲滅を目指す活動も積極的に行う。
トライアスロンから自転車のロードに転向し、トップ選手へと歩んでいったが、25歳で悪性の精巣腫瘍を発病。化学療法の苦しみは想像を絶したという。リハビリと過酷な練習を積んで乗り越え、精神的にも成長した。
ロードレースは欧州が主戦場。米国人で、一時は生死をさまよったアームストロングが歴史と伝統を誇る大会で強さを見せつけたことから、ドーピング(禁止薬物使用)が疑われるようになる。その疑惑とも闘った。
2005年にツール・ド・フランス7連覇を達成した後、いったん現役を退いた。復帰した09年の同レースでは総合3位。最後の出場となった今年1月のオーストラリアでの大会は67位だった。
AFP電によると、国際自転車競技連合(UCI)のマッケイド会長は「彼はロードレースの世界的な象徴だった」と賛辞を送った。競技と闘病で培った「不屈の精神」が、人々を勇気づけた。アームストロングは「これからは、がんに苦しむ人たちを救うために設立した団体の運営に多くの時間を費やしたい」と話している。
[時事通信社]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」
私は退院してしばらくしてから、この本を読みました
今、自分がつらいと感じている事がここに書かれている・・・と感じました
現役に復帰するために自転車を走らせている時に「なぜ自分はこんな事をしなきゃいけないんだ」っ
「こんな大変な病気になったんだから、走らなくてもいいじゃないか」って思う
でも、やっぱりその場所にもう1度戻りたいと思い走り始めます
そして、色々なことを乗り越えてツール・ド・フランス7連覇をします
患者が感じる気持ちの変化をとてもわかりやすく書いていて、共感しました
この記事を読んで、本当に引退してしまったんだって思った
ご苦労様でした。
そして、これからも頑張ってくださいね
2011年03月09日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │ニュース・・・がん
監察医が明かす 女だけの死体ファイル
監察医が明かす 女だけの死体ファイル 上野正彦著

彼を奪った親友をバラバラにした女。死んだわが子と一年半も暮らした歌手。
愛人に捨てられた女の湖からの…ほんとうの被害者は誰なのか。
死体の悲しい叫びが聞こえる…。
2万体の死体を見続けた監察医が、初めて綴った40年間にわたる知られざる女の事件簿。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上野先生が「女性はバラバラにして死体を遺棄する」と書かれていますが
その理由が、体力的にも劣る女性が車などの免許がない場合にバラバラにしたものを
捨てると聞いて、そういえば以前、新宿・渋谷にタクシーで乗り付けてゴミ袋で旦那を捨てた人がいたなって思い出しました
ついついバラバラ殺人と聞くと「残虐性」ばかりが取り上げられてしまいますが
実はそんな理由だったりするんだ・・・と驚いたり・・・
犯罪は、私たちが思うよりもずっと残酷な事が起きていたりするんだって思ってしまったり・・・
人の死を見続けていた上野先生が、死体の声を聞くだけではなく、それを起こしてしまった生きている人の
気持ちを書いているのが印象的でした
身勝手な犯罪もあるけれど、流産してしまった子供とずっと一緒にいた親の切なさを感じるものもありました
最近、女性が自分の子供を同居している男性と一緒に殴った挙句に殺してしまうという事件が
とても多いような気がします
『しつけ』という名の元で行われている暴力を聞くたびに、この親のところに生まれなかったら
この子供もちゃんと生きていけただろうに・・・と思う事も何度もあります
必死の思いで不妊治療や不育治療を受けている方のところであったら
果たしてこんな事になったのだろうか?と思ってしまいます
そして、すごく不思議だったのが「この人でなければいけない」的な犯罪も多い気がします
「別れよう」と言われて「この人と別れたら、次の人はいないかも」みたいな若い人の犯罪。
なぜこんなに若いのに失恋をそこまで恐れてしまうんだろう?って思います
若さってそれだけでも十分な武器だし、もっと割り切れないものかな??って
人との付き合い方がドライなイメージがあるのに、やっている事はねちっこいな~~って
違和感を感じてしまったり・・・
ただ、この本を読んで感じたのは「普通の人」がいつの間にか犯罪に巻き込まれてしまったものや
なぜやめれなかったの?なぜ逃げれなかったの?という事も・・・
「嫌」という事が、自分の身を守ることでもあるんだって、改めて考えさせられた本でした
私は、犯罪物のドラマや本がとても好きでした
病気になって、どうもそういう本は読まなくなっていっていたのですが
最近、また読み始めました
上野先生の本は、色んな事があって読みたくないと思っていたのですが
「人はそれぞれ考え方があるんだし・・・」と思って、また読み始めました
がんという病気は自分の生き死にを考える病気なんだなって思いました
ただ、最近知ったのは死別する理由って、病気だけではないんだなって事です
普通に考えると当たり前かもしれませんが、ついつい病気になる事ばかり気にしている自分がいました
でも、ある日突然、だんなさんを事故で亡くした方の話を聞くと「普通の日々」って何だろう?って思いました
明日は同じ日がくるなんて、どこにも保障されてなんていないんだ・・・って当たり前の事を考えました
先日も、山登りに行った旦那さんが遭難して何日か後に発見されたけれど、遺体確認すらできずに
そのまま火葬したという話を聞きました
同じように、遭難したけれど見つからなくて、災害などで危難失踪人と認められた方などいらっしゃいます
「じゃあ、行ってくるね」と出かけた人が、帰ってこない
どんなに会いたくても会えない・・・
犯罪に巻き込まれたり事故にあった人は、みんなそうです
そういう人の最後の声を聞いてくれる監察医ってすごいなって思います

彼を奪った親友をバラバラにした女。死んだわが子と一年半も暮らした歌手。
愛人に捨てられた女の湖からの…ほんとうの被害者は誰なのか。
死体の悲しい叫びが聞こえる…。
2万体の死体を見続けた監察医が、初めて綴った40年間にわたる知られざる女の事件簿。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上野先生が「女性はバラバラにして死体を遺棄する」と書かれていますが
その理由が、体力的にも劣る女性が車などの免許がない場合にバラバラにしたものを
捨てると聞いて、そういえば以前、新宿・渋谷にタクシーで乗り付けてゴミ袋で旦那を捨てた人がいたなって思い出しました
ついついバラバラ殺人と聞くと「残虐性」ばかりが取り上げられてしまいますが
実はそんな理由だったりするんだ・・・と驚いたり・・・
犯罪は、私たちが思うよりもずっと残酷な事が起きていたりするんだって思ってしまったり・・・
人の死を見続けていた上野先生が、死体の声を聞くだけではなく、それを起こしてしまった生きている人の
気持ちを書いているのが印象的でした
身勝手な犯罪もあるけれど、流産してしまった子供とずっと一緒にいた親の切なさを感じるものもありました
最近、女性が自分の子供を同居している男性と一緒に殴った挙句に殺してしまうという事件が
とても多いような気がします
『しつけ』という名の元で行われている暴力を聞くたびに、この親のところに生まれなかったら
この子供もちゃんと生きていけただろうに・・・と思う事も何度もあります
必死の思いで不妊治療や不育治療を受けている方のところであったら
果たしてこんな事になったのだろうか?と思ってしまいます
そして、すごく不思議だったのが「この人でなければいけない」的な犯罪も多い気がします
「別れよう」と言われて「この人と別れたら、次の人はいないかも」みたいな若い人の犯罪。
なぜこんなに若いのに失恋をそこまで恐れてしまうんだろう?って思います
若さってそれだけでも十分な武器だし、もっと割り切れないものかな??って
人との付き合い方がドライなイメージがあるのに、やっている事はねちっこいな~~って
違和感を感じてしまったり・・・
ただ、この本を読んで感じたのは「普通の人」がいつの間にか犯罪に巻き込まれてしまったものや
なぜやめれなかったの?なぜ逃げれなかったの?という事も・・・
「嫌」という事が、自分の身を守ることでもあるんだって、改めて考えさせられた本でした
私は、犯罪物のドラマや本がとても好きでした
病気になって、どうもそういう本は読まなくなっていっていたのですが
最近、また読み始めました
上野先生の本は、色んな事があって読みたくないと思っていたのですが
「人はそれぞれ考え方があるんだし・・・」と思って、また読み始めました
がんという病気は自分の生き死にを考える病気なんだなって思いました
ただ、最近知ったのは死別する理由って、病気だけではないんだなって事です
普通に考えると当たり前かもしれませんが、ついつい病気になる事ばかり気にしている自分がいました
でも、ある日突然、だんなさんを事故で亡くした方の話を聞くと「普通の日々」って何だろう?って思いました
明日は同じ日がくるなんて、どこにも保障されてなんていないんだ・・・って当たり前の事を考えました
先日も、山登りに行った旦那さんが遭難して何日か後に発見されたけれど、遺体確認すらできずに
そのまま火葬したという話を聞きました
同じように、遭難したけれど見つからなくて、災害などで危難失踪人と認められた方などいらっしゃいます
「じゃあ、行ってくるね」と出かけた人が、帰ってこない
どんなに会いたくても会えない・・・
犯罪に巻き込まれたり事故にあった人は、みんなそうです
そういう人の最後の声を聞いてくれる監察医ってすごいなって思います
2011年03月08日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(2) │読んだ本・・・その他
放射線治療~入院当日~
放射線治療で入院しました。これは入院当日の私です。

乳がんの人は通院で放射線治療を受ける方が多いそうですが、
子宮頚・体がんの方は入院する事もあります
私は下痢がひどかったので、入院を選択してよかったと思っています
この日、マジックでお腹に照射用のマークをつけられました
かなり格好悪いし、やだな・・・って思ったけれど誰も見るわけでもないし仕方がない
先生に「消さないでね」と言われた。ちょっとプレッシャーやわ
2度目の入院は、お盆だったので、入院棟が手術の時と違ってガラガラでした
私は前回と同じ「753号室」
今回は卵巣がんの方と2人だけでした・・・ちょっと、寂しいスタートでしたね
私の先輩患者さんでもあった前のベットの方。
この方は、色んな意味で「医師とは」「医療とは」そして「患者とは」と考えるきっかけを与えてくれました
今の私がいるのは彼女と一緒に過ごした時間があったからだと思います
私に影響を与えてくれた患者さんは沢山います
その中でも、彼女と知り合えたのは財産だったと思っています
もう2度と会えないけれど、本当にありがとうございました
そして、安らかに眠ってくださいね

乳がんの人は通院で放射線治療を受ける方が多いそうですが、
子宮頚・体がんの方は入院する事もあります
私は下痢がひどかったので、入院を選択してよかったと思っています
この日、マジックでお腹に照射用のマークをつけられました
かなり格好悪いし、やだな・・・って思ったけれど誰も見るわけでもないし仕方がない
先生に「消さないでね」と言われた。ちょっとプレッシャーやわ
2度目の入院は、お盆だったので、入院棟が手術の時と違ってガラガラでした
私は前回と同じ「753号室」
今回は卵巣がんの方と2人だけでした・・・ちょっと、寂しいスタートでしたね
私の先輩患者さんでもあった前のベットの方。
この方は、色んな意味で「医師とは」「医療とは」そして「患者とは」と考えるきっかけを与えてくれました
今の私がいるのは彼女と一緒に過ごした時間があったからだと思います
私に影響を与えてくれた患者さんは沢山います
その中でも、彼女と知り合えたのは財産だったと思っています
もう2度と会えないけれど、本当にありがとうございました
そして、安らかに眠ってくださいね
2011年03月07日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │放射線・・・闘病記
インフォームドコンセントのための図説シリーズ
インフォームドコンセントのための図説シリーズ『卵巣がん』

<内容・content>
がんの中でも特に種類が多く、複雑な卵巣がんを主なものに絞って解説。“サイレントキラー”とすら呼ばれる無症状な卵巣がんの検査、治療、再発治療を一流の執筆陣がわかりやすく論述。患者さんをはじめ、卵巣がんの治療に携わる医療者にお薦めの1冊!
<目次・table of contents>
1.卵巣の構造と機能
2.卵巣腫瘍の分類
3.卵巣がんの疫学と病因
4.卵巣がんの進行期分類
5.卵巣がんの臨床症状と所見
6.卵巣がんの検査
7.上皮性卵巣がんの初回治療
8.上皮性卵巣がんの再発治療
9.上皮性卵巣がんに対する新しい薬剤
10.上皮性境界悪性腫瘍に対する治療
11.胚細胞腫瘍
12.卵巣がんの初回治療後のフォローアップ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この本を本屋さんで見つけた時には、『こんなにわかりやすい本があるんだ!』とかなりの衝撃でした
ただ、この本を見つけた場所が病院の前の本屋さんだったので
普通の本屋では扱っていないのかな?って思いましたが
私の病院のHPに『インフォームドコンセントのための図説シリーズ卵巣がん』ができました
と書かれていたので一般の本屋さんでも手に入るようです
「インフォームドコンセントのための図説シリーズ」は、ざっと書き出しても下記のように
沢山のものが出版されています
私も欲しいと思いましたが、1冊5000円前後もするものを買うのはためらわれました
・骨粗鬆症
・透析療法
・腎がん
・慢性腎臓病
・悪性リンパ腫
・乳がん薬物療法
・膵がん
・糖尿病のフットケア
・糖尿病
・不妊症
・不育症・肝がん
・抗悪性腫瘍薬 分子標的治療薬
・大腸がん
・肺がん
・胃がん
・眼科
・白血病
・卵巣がん
・アトピー性皮膚炎
・前立腺がん
・がん性疼痛
・大腸癌―抗悪性腫瘍薬
・がん薬物療法における支持療法
・造血幹細胞移植
・膠原病〈1〉全身性エリテマトーデス
・膠原病〈2〉全身性強皮症
・膠原病〈3〉その他の膠原病
・消化器科
・喘息
・先端巨大症
・過活動膀胱
・ホルモン補充療法
・心臓ペースメーカー・植込み型除細動器
・腰部脊柱管狭窄症
・関節リウマチ 薬剤追補版
・抗悪性腫瘍薬 肺がん
この本を見て感じたのは、医師であっても説明が上手な医師もいれば下手な医師もいます
そして、忙しい診察の中で説明を忘れていることもあるような気がします
幸い、私は現在の医師に対して説明不足だなという印象を受けたことはありませんが
都内の病院に通っていたときには、何度も何度もそう感じました
少し、年齢の高い医師だったせいもあるのかもしれませんが「自分のいう事に文句があるか」的な説明でした
医師の能力は同じではないと思います
たとえ手術は上手でも説明が悪いから・・・なんて事で不安な気持ちになってしまうのはお互いにもったいないと思います
こういう本を使って医師がきちんと説明してくれるといいなって思いました
医師が自分の不得手な部分を理解して、この本を使ってくれれば患者も納得できると思います
「こんなものなくても説明できる」ではなく、患者にとってわかりやすいを優先してくれればなって思います
また、この本が相談室にあるともっといいかな。と思います
この本の内容や図を掲載する事はできませんが(資料がないので)気になった方は
医療ジャーナル社でインフォームドコンセントのための図説シリーズ と検索してみてください
そして、全てのがん種や病気にこの本ができるといいなって思います

<内容・content>
がんの中でも特に種類が多く、複雑な卵巣がんを主なものに絞って解説。“サイレントキラー”とすら呼ばれる無症状な卵巣がんの検査、治療、再発治療を一流の執筆陣がわかりやすく論述。患者さんをはじめ、卵巣がんの治療に携わる医療者にお薦めの1冊!
<目次・table of contents>
1.卵巣の構造と機能
2.卵巣腫瘍の分類
3.卵巣がんの疫学と病因
4.卵巣がんの進行期分類
5.卵巣がんの臨床症状と所見
6.卵巣がんの検査
7.上皮性卵巣がんの初回治療
8.上皮性卵巣がんの再発治療
9.上皮性卵巣がんに対する新しい薬剤
10.上皮性境界悪性腫瘍に対する治療
11.胚細胞腫瘍
12.卵巣がんの初回治療後のフォローアップ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この本を本屋さんで見つけた時には、『こんなにわかりやすい本があるんだ!』とかなりの衝撃でした
ただ、この本を見つけた場所が病院の前の本屋さんだったので
普通の本屋では扱っていないのかな?って思いましたが
私の病院のHPに『インフォームドコンセントのための図説シリーズ卵巣がん』ができました
と書かれていたので一般の本屋さんでも手に入るようです
「インフォームドコンセントのための図説シリーズ」は、ざっと書き出しても下記のように
沢山のものが出版されています
私も欲しいと思いましたが、1冊5000円前後もするものを買うのはためらわれました
・骨粗鬆症
・透析療法
・腎がん
・慢性腎臓病
・悪性リンパ腫
・乳がん薬物療法
・膵がん
・糖尿病のフットケア
・糖尿病
・不妊症
・不育症・肝がん
・抗悪性腫瘍薬 分子標的治療薬
・大腸がん
・肺がん
・胃がん
・眼科
・白血病
・卵巣がん
・アトピー性皮膚炎
・前立腺がん
・がん性疼痛
・大腸癌―抗悪性腫瘍薬
・がん薬物療法における支持療法
・造血幹細胞移植
・膠原病〈1〉全身性エリテマトーデス
・膠原病〈2〉全身性強皮症
・膠原病〈3〉その他の膠原病
・消化器科
・喘息
・先端巨大症
・過活動膀胱
・ホルモン補充療法
・心臓ペースメーカー・植込み型除細動器
・腰部脊柱管狭窄症
・関節リウマチ 薬剤追補版
・抗悪性腫瘍薬 肺がん
この本を見て感じたのは、医師であっても説明が上手な医師もいれば下手な医師もいます
そして、忙しい診察の中で説明を忘れていることもあるような気がします
幸い、私は現在の医師に対して説明不足だなという印象を受けたことはありませんが
都内の病院に通っていたときには、何度も何度もそう感じました
少し、年齢の高い医師だったせいもあるのかもしれませんが「自分のいう事に文句があるか」的な説明でした
医師の能力は同じではないと思います
たとえ手術は上手でも説明が悪いから・・・なんて事で不安な気持ちになってしまうのはお互いにもったいないと思います
こういう本を使って医師がきちんと説明してくれるといいなって思いました
医師が自分の不得手な部分を理解して、この本を使ってくれれば患者も納得できると思います
「こんなものなくても説明できる」ではなく、患者にとってわかりやすいを優先してくれればなって思います
また、この本が相談室にあるともっといいかな。と思います
この本の内容や図を掲載する事はできませんが(資料がないので)気になった方は
医療ジャーナル社でインフォームドコンセントのための図説シリーズ と検索してみてください
そして、全てのがん種や病気にこの本ができるといいなって思います
2011年03月04日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │読んだ本・・・がん
幹細胞で乳房再生治験へ、九大が春に研究組織
乳がんで乳房を切除した患者のため、九州大や大阪大などは本人の幹細胞を使って乳房を再生させる治験に乗り出す方針を決めた。2011年春に複数の国立大や医療機関などによる研究組織を設立し、12年3月までに治験を開始する計画。より自然な乳房を回復する取り組みで、健康保険が適用される医療として定着を目指す考えだ。
幹細胞を使う乳房再建は、これまで九州大と九州中央病院(福岡市)で臨床研究を行ったほか、横浜市の民間クリニックなど一部で実施されているが、治験としては初めてとなる。
現在は、シリコーンや本人の脂肪の移植が主流。しかしシリコーンには感染症の危険性、脂肪は体内に吸収され効果が持続しないなどの欠点がある。また健康保険も適用されない。
一方、幹細胞は体を作る大もとの細胞で、特定の細胞に変化したり自分をコピーしたりできる。九州大などの再建法は、本人の腹部から200~400ミリ・リットル前後の脂肪を採取。専用の分離器で幹細胞を多く含む細胞群を取り出し、乳房を失った部分の筋肉と皮膚の間に2~3ccずつ30~40回注入、生着すると修復される。本人の幹細胞なので拒絶反応が起きにくく、より自然な形になるという。
九州大などは10年12月に初会合を開き、基本方針を確認した。名古屋大、金沢大、鳥取大、関東の民間病院など10施設前後が参加する見通し。手術を2年間行い、術後の評価、データ解析、健康保険適用の前提となる薬事法に基づく国への承認申請に各1年の計5年をめどにしている。今後、効果や安全性の評価基準などについて協議する。
計画を統括する九州大病院高度先端医療センターの中西洋一センター長(57)(臨床試験)は「手術が普及すれば患者が自信を持って社会とかかわることができる。幹細胞による再生医療の発展にとっても大きな突破口になる」と話している。
(2011年1月1日 読売新聞)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
乳がんのがん友さんがシリコーンを使って乳房再建手術を受けました
彼女はとても色々な事を考えて、シリコーンという選択をしていました
ただ、シリコーンは高額な医療費がかかります、でも、自家組織法は傷痕が残ったり医師の高度な技術が必要だったりします
どんな手術にも「いい部分、難しい部分」があります
自分にとって最適な方法を考えるというのは必要な事だと思います
自分とは違う、がん種の方の話を聞くと自分とは違う大変さがあるんだなってわかります
女性にとって「乳房」や「子宮」「卵巣」といった性にかかわるがんになるのはつらいです
以前、欧米では美容整形の部門で自分の幹細胞を使った脂肪を使って豊胸手術を行うというのをテレビで見ました
手術を受けていた女性が、自分ものを使って手術ができるのがいいと言われていました
いつか日本でも同じような手術ができるようになるのかなって思ってみていました
この手術は日本では治験です。
でも、これがいつかは日本の標準治療になるかもしれません
女である限り乳がんになる可能性があります(男性の乳がんのあります)
現在、乳がんの患者さんは大腸がんの患者を追い抜いてしまいそうな勢いで増えています
みんなが最適な医療が受けれるようになって欲しいです
幹細胞を使う乳房再建は、これまで九州大と九州中央病院(福岡市)で臨床研究を行ったほか、横浜市の民間クリニックなど一部で実施されているが、治験としては初めてとなる。
現在は、シリコーンや本人の脂肪の移植が主流。しかしシリコーンには感染症の危険性、脂肪は体内に吸収され効果が持続しないなどの欠点がある。また健康保険も適用されない。
一方、幹細胞は体を作る大もとの細胞で、特定の細胞に変化したり自分をコピーしたりできる。九州大などの再建法は、本人の腹部から200~400ミリ・リットル前後の脂肪を採取。専用の分離器で幹細胞を多く含む細胞群を取り出し、乳房を失った部分の筋肉と皮膚の間に2~3ccずつ30~40回注入、生着すると修復される。本人の幹細胞なので拒絶反応が起きにくく、より自然な形になるという。
九州大などは10年12月に初会合を開き、基本方針を確認した。名古屋大、金沢大、鳥取大、関東の民間病院など10施設前後が参加する見通し。手術を2年間行い、術後の評価、データ解析、健康保険適用の前提となる薬事法に基づく国への承認申請に各1年の計5年をめどにしている。今後、効果や安全性の評価基準などについて協議する。
計画を統括する九州大病院高度先端医療センターの中西洋一センター長(57)(臨床試験)は「手術が普及すれば患者が自信を持って社会とかかわることができる。幹細胞による再生医療の発展にとっても大きな突破口になる」と話している。
(2011年1月1日 読売新聞)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
乳がんのがん友さんがシリコーンを使って乳房再建手術を受けました
彼女はとても色々な事を考えて、シリコーンという選択をしていました
ただ、シリコーンは高額な医療費がかかります、でも、自家組織法は傷痕が残ったり医師の高度な技術が必要だったりします
どんな手術にも「いい部分、難しい部分」があります
自分にとって最適な方法を考えるというのは必要な事だと思います
自分とは違う、がん種の方の話を聞くと自分とは違う大変さがあるんだなってわかります
女性にとって「乳房」や「子宮」「卵巣」といった性にかかわるがんになるのはつらいです
以前、欧米では美容整形の部門で自分の幹細胞を使った脂肪を使って豊胸手術を行うというのをテレビで見ました
手術を受けていた女性が、自分ものを使って手術ができるのがいいと言われていました
いつか日本でも同じような手術ができるようになるのかなって思ってみていました
この手術は日本では治験です。
でも、これがいつかは日本の標準治療になるかもしれません
女である限り乳がんになる可能性があります(男性の乳がんのあります)
現在、乳がんの患者さんは大腸がんの患者を追い抜いてしまいそうな勢いで増えています
みんなが最適な医療が受けれるようになって欲しいです
2011年03月03日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │ニュース・・・がん
記憶喪失になったぼくが見た世界~坪倉優介~
先日、テレビで18歳ですべての記憶を失くした青年。という紹介で草木染作家の
坪倉優介さんを見ました

坪倉さんは、大学1年時の1989年にバイク事故でそれまでの記憶を失ってしまいますが、その後、記憶を失くしたままですが、大学への復学、専攻科へと進み、1996年京都の染色家奥田裕斎に師事する。1996~2003年染工房夢祐斎(京都市)で草木染色家として活動。
見ながら「これって、うちの叔母ちゃんとそっくり」って驚きました
『記憶喪失』って、韓国ドラマにでも出てきそうなドラマチックな響きがありますよね
でも、実際は、そんな甘いものではないと思います
記憶には「陳述記憶」と呼ばれるものと「手続き記憶」というのがあるそうです
「陳述記憶」とは、人の名前や物の名前などです
教科書を使った学習や知識は宣言的記憶として保持され、心の眼で再体験できる。対照的に手続き記憶は技能を扱う。宣言的記憶は忘れることがあるが、頻繁にアクセスされる記憶はそれだけ長持ちする。宣言的記憶をよく保持するには、記憶術や反復練習の一種である、積極的に思い出すことを利用することがよいとされる。
通常、記憶喪失と呼ばれるものは「陳述記憶」が多いそうです
「手続き記憶」は簡単には言葉で説明できないことが多く、意識しなくとも使うことができる。いわゆる「体が覚えている」状態である。手続き記憶は、時間をかけて学習した刺激応答などのパターンを反映することができる。一方、宣言的記憶は言葉にするのが容易である。手続き学習の例として、自転車の乗り方の練習、タイピングの練習、楽器の練習、水泳の練習がある。手続き記憶は永続性がある場合もある。
認知症の方が、人の名前を忘れているのに車の運転ができたりするのは「手続き記憶」が残っているからです
うちの叔母は、病気の後遺症で記憶がなくなっていきました
母いわく「毎日、毎日、子供になっていく」ようでした
毎日毎日、できなくなることが増えていく状態で、例えば、うちの母の事もそうです。
昨日までは「お姉ちゃん」って子供のように呼んでいたのが、次の日は「あの人、怖い」って泣きながらいいます
そして、トイレもそうでした
昼間はできていたのに、夕方に病院から電話がきて「トイレができなくなったので、オムツを持ってきてください」と言われます
なんでなん??って
トイレという感覚がない。子供ですら「おしっこ」って言うのに・・・
家族には、それがわからないというのが、全く理解できない
しかも、毎日のように出来ないことが増えていく状態です
おしっこしたんだから、服を着替えなさい。といっても「服を着替える」事がわからなくなっていく
一体、何が起きているのかすら医師であってもわからない
「認知症ですか?」といっても、医師も「こんなに早いわけはない」といって検査をする
でも、その検査の意味も検査をしなくてはいけないって事も理解できなくなっていく
「人が壊れていくってこういう事なんだって思った。」って、母がぽつりと言いました
うちの叔母は、病気の後遺症でしたが、幸い発見が早くて医師がいう「奇跡の回復」で
現在は記憶を無くす前の、記憶を取り戻しています
でも、自分が記憶をなくしていた時間は、覚えていません
これって、本当にドラマみたいだなって思いました
坪倉さんは、自分の失くした記憶を取り戻すことはできないそうです
でも、努力した時間を覚えている事はものすごい自信になるような気がします
本の中で、恩師が「事故を言い訳にするな」など、かなり厳しい言葉をいいます
仕方がないことなんだから。と思うし、なぜ、そこまでいうのかな。とも思いました
でも、その言葉って今の私と同じかも知れないなとも思いました
「がんを言い訳にするな」って言われているのかもしれないな・・・って
確かに体調が悪いとかあるけど、でも、それを言ってもどうにもならないことなんだし
でも、どこかで「がんじゃなければ・・・」と思っている自分がいます
自分の今を受け入れること。それは、どんな時であっても難しいのかもしれないですね
でも、それを受け入れることができた人はとてつもなく強いのかもしれない。
現在、坪倉さんは草木染作家として活動されているそうです
彼が作ったものを見ると、不思議な色使いでした
まるで「夢の途中」のようだと感じました
坪倉さんのブログ:http://blogs.yahoo.co.jp/men_coffee_1225
私が書くと、ついつい患者目線な書き方になっているなって、ちょっと反省してしまいました
こちらの「そよ風つうしん」さんで、とてもわかりやすく紹介されています
http://blog.goo.ne.jp/mori15donguri0402/e/6bf588ea5c899894761b1179b9d75f34
坪倉優介さんを見ました

坪倉さんは、大学1年時の1989年にバイク事故でそれまでの記憶を失ってしまいますが、その後、記憶を失くしたままですが、大学への復学、専攻科へと進み、1996年京都の染色家奥田裕斎に師事する。1996~2003年染工房夢祐斎(京都市)で草木染色家として活動。
見ながら「これって、うちの叔母ちゃんとそっくり」って驚きました
『記憶喪失』って、韓国ドラマにでも出てきそうなドラマチックな響きがありますよね
でも、実際は、そんな甘いものではないと思います
記憶には「陳述記憶」と呼ばれるものと「手続き記憶」というのがあるそうです
「陳述記憶」とは、人の名前や物の名前などです
教科書を使った学習や知識は宣言的記憶として保持され、心の眼で再体験できる。対照的に手続き記憶は技能を扱う。宣言的記憶は忘れることがあるが、頻繁にアクセスされる記憶はそれだけ長持ちする。宣言的記憶をよく保持するには、記憶術や反復練習の一種である、積極的に思い出すことを利用することがよいとされる。
通常、記憶喪失と呼ばれるものは「陳述記憶」が多いそうです
「手続き記憶」は簡単には言葉で説明できないことが多く、意識しなくとも使うことができる。いわゆる「体が覚えている」状態である。手続き記憶は、時間をかけて学習した刺激応答などのパターンを反映することができる。一方、宣言的記憶は言葉にするのが容易である。手続き学習の例として、自転車の乗り方の練習、タイピングの練習、楽器の練習、水泳の練習がある。手続き記憶は永続性がある場合もある。
認知症の方が、人の名前を忘れているのに車の運転ができたりするのは「手続き記憶」が残っているからです
うちの叔母は、病気の後遺症で記憶がなくなっていきました
母いわく「毎日、毎日、子供になっていく」ようでした
毎日毎日、できなくなることが増えていく状態で、例えば、うちの母の事もそうです。
昨日までは「お姉ちゃん」って子供のように呼んでいたのが、次の日は「あの人、怖い」って泣きながらいいます
そして、トイレもそうでした
昼間はできていたのに、夕方に病院から電話がきて「トイレができなくなったので、オムツを持ってきてください」と言われます
なんでなん??って
トイレという感覚がない。子供ですら「おしっこ」って言うのに・・・
家族には、それがわからないというのが、全く理解できない
しかも、毎日のように出来ないことが増えていく状態です
おしっこしたんだから、服を着替えなさい。といっても「服を着替える」事がわからなくなっていく
一体、何が起きているのかすら医師であってもわからない
「認知症ですか?」といっても、医師も「こんなに早いわけはない」といって検査をする
でも、その検査の意味も検査をしなくてはいけないって事も理解できなくなっていく
「人が壊れていくってこういう事なんだって思った。」って、母がぽつりと言いました
うちの叔母は、病気の後遺症でしたが、幸い発見が早くて医師がいう「奇跡の回復」で
現在は記憶を無くす前の、記憶を取り戻しています
でも、自分が記憶をなくしていた時間は、覚えていません
これって、本当にドラマみたいだなって思いました
坪倉さんは、自分の失くした記憶を取り戻すことはできないそうです
でも、努力した時間を覚えている事はものすごい自信になるような気がします
本の中で、恩師が「事故を言い訳にするな」など、かなり厳しい言葉をいいます
仕方がないことなんだから。と思うし、なぜ、そこまでいうのかな。とも思いました
でも、その言葉って今の私と同じかも知れないなとも思いました
「がんを言い訳にするな」って言われているのかもしれないな・・・って
確かに体調が悪いとかあるけど、でも、それを言ってもどうにもならないことなんだし
でも、どこかで「がんじゃなければ・・・」と思っている自分がいます
自分の今を受け入れること。それは、どんな時であっても難しいのかもしれないですね
でも、それを受け入れることができた人はとてつもなく強いのかもしれない。
現在、坪倉さんは草木染作家として活動されているそうです
彼が作ったものを見ると、不思議な色使いでした
まるで「夢の途中」のようだと感じました
坪倉さんのブログ:http://blogs.yahoo.co.jp/men_coffee_1225
私が書くと、ついつい患者目線な書き方になっているなって、ちょっと反省してしまいました
こちらの「そよ風つうしん」さんで、とてもわかりやすく紹介されています
http://blog.goo.ne.jp/mori15donguri0402/e/6bf588ea5c899894761b1179b9d75f34
2011年03月02日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(8) │読んだ本・・・その他
<注意事項>
広告が自動的に貼り付けられますが、このブログの主旨に反するものも含まれています。
『ooで癌が治る!』『がんに効く!』と書かれた広告や経験談が出ているもの
標準治療を否定するものには注意してください。
『お気に入り』に登録されているものは、わたしが一度目を通しているものです
これはちょっと・・・と思うようなところは登録していないつもりです
何か知りたいことがある場合は、ぜひ活用してください
コメントを書かれた場合、私が認証するまで反映されませんのでご了承下さい。
コメントしても表示して欲しくないという場合は、その旨を書いていただければ非表示にします
『ooで癌が治る!』『がんに効く!』と書かれた広告や経験談が出ているもの
標準治療を否定するものには注意してください。
『お気に入り』に登録されているものは、わたしが一度目を通しているものです
これはちょっと・・・と思うようなところは登録していないつもりです
何か知りたいことがある場合は、ぜひ活用してください
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2011年03月01日 Posted by すもも at 01:00 │Comments(0) │その他
乳がんと牛乳 がん細胞はなぜ消えたのか4

第5章 プラント・プログラム―食事編
第6章 プラント・プログラム―生活スタイル編
第7章 東洋の目で西洋を眺める
こちらで、この本については最後になります
この第5、6、7章では、主に彼女が進める食事の実践編ともいえるものが書かれています
第5章で、彼女が推奨した食事療法を受けた方の説明がありました
・・・今までに、63人の乳がんになった女性にこの食事を実践してもらった。乳がんが再発した人はひとりもいない。このなかには、骨転移のある進行性乳がんを患っていた、カナダ人の友人の70歳になる母親も含まれている。また、初めての子どもを母乳で育てているときに、乳がんという診断を受けた若いイギリス人女性も含まれている。私が勧めた食事を拒否した人や、実践していると言いながらしていなかった人が5人いたが、これらの人のなかには、気の毒なことに乳がんが再発し、そのために亡くなった人もいる。
彼女の食事を実践して生還した人は一体、どんな治療を受けていたのでしょうか?
そして、どんなステージだったのでしょうか?
彼女が書いてある事や、進めている食事が、どんなに素晴らしいものであっても、自分が言っている事を守らないから死ぬ。という言い方はカルト宗教やマルチ商法となんら変わりないと思います
確かに、彼女が進めた食事で乳がんが再発することなく完治したのであればいいと思います
事実であれば、何も批判する事もありません
ただ「人は人です」それが合う人もいれば、合わない人もいる
彼女が言っている食事は、極力乳製品を減らして、肉を食べない、塩分を控える、など現在では当たり前に言われていることが大半です
よく言われていることで「がん患者に精製していない穀類」というのがあります
でも、私のように開腹手術をしている又は、腹部に放射線治療をしている患者にとって消化の悪い穀類はあまり勧められません
それは、海藻などもそうです
体にいいからと、消化の悪いものばかり食べると下痢をしたり便秘になったりします
白米はダメといっても、そういう人は玄米を食べるより白米を食べるほうがいいです
白米に足りないビタミンは、他の食品でカバーするのでいいと思います
体のためにと食べた食事で、腸閉塞になっては意味がありません
また、乳製品を取り過ぎない。といっても、全てをやめなくても沢山の乳製品をとっているのであれば少し控えるくらいでいいと思います
先日、あるテレビ番組で「新婚さんの朝ごはん」というのが紹介されていました
朝ごはんのメニューが「バナナのホワイトソースのグラタン・チョコレートとバターのケーキ・フランスパンのチーズのせに鴨のサラダ」でした
それを見て「これはあまりにも乳製品が多すぎるわな・・・」って思った
でも、これほどのものを日本人が朝ごはんで食べるとは思えません
何もかも「ほどほど」であればいいのではないでしょうか?
大豆や海藻などにしても西洋人がゴミとして捨てていたようなものであっても工夫して食べる文化のある国民なのだから、実は日本人は食事療法に向いているかもしれません
でも、この本を読んで感じたのは、乳製品がダメっていうなら「がんが消えていく食事」のあの先生って毎日500g以上の乳製品を何年も実践しているって本に書いていたな~なんて思いました
じゃあ、あの先生って間違いなく前立腺がんになるんだ~~(笑)
こういう食事療法の本って、色いろ読みましたがある本ではいいと推奨されている食品が、他の本では否定されているという事が、とても多いです
結局のところ「いかにインパクトのある題名の本にするか」だと思います
そして作者がいかに社会的地位のある人かがポイントです
そういう意味ではこの本は間違いなく「売れる本」だと思います
私は、食事療法も補完代替療法も実践していません
先日も新大久保で美味しくサムギョサルを食べてきました
自分の体が「美味しい~~」っていうものであれば、それはきっと体にいいものだと思います
「美味しい~~」って思えないような食事をして何が生きている意味なのかな?って思います
人の体は自分が食べたものからできています
「美味しい」って、友達と笑いながら食べたものが体に悪いとは思えません
それよりは偏った食事療法や無理強いされる食事のほうが体に悪いと思います
ただ、あまりにも肉を食べているなって思ったら、その時は魚や野菜を食べればいいと思います
また、この本を読んで食事を考えるのであれば、それもいいと思います
この本に書かれている事は日本人には苦のないことが多いし、いいと思います
自分が死ぬ時に「あの時、食事療法しておけばよかった」って思うかもしれません
でも、私は「美味しいって笑いながら、ご飯食べたからいいや」って思うような気がします
美味しいものを食べに行こう。って、誰にも誘ってももらえないような人生なんて寂しいなって思います
それをどう選ぶかは、あなた次第です。。。