たまりば

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Posted by たまりば運営事務局 at

モラルハラスメントって?

ここのところちょっとした話題になっている「モラルハラスメント」

テレビで「5分でわかるモラハラ」っていうのをしていました
直接的に相手を侮辱する言葉を言うのがモラハラって感じでしたが
本当に相手を馬鹿にする言葉だけが「モラハラ」なのかなって思いました

ハラスメントは連鎖する。といわれています
「お局さま」のいる職場では、そのお局様がいなくなってもその後も「新お局様」がでてきます

それは、お局さまにいじめられた人が自分を正当化するために次の人も同じようにいじめるからです
そのほとんどが「モラハラ」です

「あなたのためを思って言っているのよ」と後輩に言っているのは、実は自分自身のため。

これって学校生活で先生から言われた時に一番、反発した言葉だと思います

でも、これを社会の中で言われると不思議と拒否できない

こころのやさしいひとに限って「これだけ私のためを思って言ってくれているんだから」って
「できないのは、自分のせい」と思ってしまう

それに、もしそこで「何だかイヤだな」って思って同僚に言っても
「あんなにあなたのためを思って言ってくれているのに何を言っているの」と反対に批判されます

そこが「モラハラ」の加害者の思う壺。

実は「自分が上司に怒られるのがイヤ」なだけだけれど、それを後輩のせいにしているんだけれど
言葉は好意的に「あなたのためなのよ」ってつけるだけで、いい人みたいに見える

できないのは、教え方の悪い自分のせいではなく、覚えてくれない後輩のせいということです

そんな人に限って「あいつのせいで」と飲んでる時に愚痴をこぼしているような気がします

これが恋人同士で別れる時に使うと「私のことはいいから、あなたは幸せになって」という
一瞬、いい人?って思う言葉にその人のモラハラが含まれています

もし、本当にその人が相手の立場にたって言うのであれば「私も幸せになるから、あなたも幸せになってね」かな
お互い、幸せになりましょうって言われたほうが、別れるにしても気持ちが楽になるということです

モラハラの加害者は本当は心の中では相手と別れたくない、でも「私はいいから」ということで
別れた後でも相手が「罪悪感」を抱くように心理的にしむけているということです

そしてこの被害者は、自分が被害者なのに加害者のような錯覚を起こしてしまいます
だから、別れようが別れまいが相手に対して「申し訳ない」と感じてしまうということです

たぶん、こっちのほうが断然、怖いかな

このモラハラをとても上手に、しかも効果的に使える職業の人たちがいます

それが「弁護士」と「医者」と「教師」と言われています

確かに~~~~!!

お医者さんが「あなたのために」っていうと、患者は「先生!ありがとうございます!」って言いそうだし、先生が「あなたたちの将来を考えているのよ」って言えば「なんていい先生」って思います

でも、実際には「あなたのために」って言う医師に限って、症例数を気にしていたり、「あなたの将来を考えて」って言っている先生よりも、きちんと自分の話を聞いてくれた先生のほうが大人になって記憶に残っていたりします

じゃあ「この人は、モラハラ?」って気がつく方法は何か。

とりあえず「言っていること」と「やっていること」が同じかどうかを検証してみるということです

医師なら「あなたのために」といいながら、無理な治療をすすめたりその治療を拒否すると怒り出すなんて人は要注意。先生は「あなたたちのことを考えている」と言いながら何もしてくれなかったりするなど客観的に相手をみることです

そもそも「あなたのために」とかいう人に、本当に考えてくれている人なんていないし、そんな「恩着せがましい人」には気をつけなくてはいけないということです

それは「これは安いです」とか「これはいいものです」と言って根拠のないもので何かを売りつけようとする人と変わらないからです

騙そうとする相手に「これは安いですよ」といわれると、いい人は「そっか、安いのか」って思ってしまい、それが「自分にとって安いかどうか」とか考えないし、そもそもそういった相手に対して「いくらで、どう安いのか?」と「せっかくそういってくれているんだから」と、なかなか聞けないということです。

相手はそれをわかって「安いですよ」とか「いいものですよ」って言っているということです

これが、相手に対して思い入れがなかったり、怪しい人なら「結構です」「いらないです」っていえるんですが、相手に好意を持っていると相手の言葉を疑っているみたいで聞けない。

そして、モラハラの加害者は、それをかなりきちんとわかっているということです

「軒下を貸したら家まで盗られた」

「軒下を貸してくれ」と言われたら「軒下くらいなら」と思う。もし「貸せない」って言えば「軒下も貸してくれないのか」という。家の持ち主は「軒下ならいいか」と貸す。そうやって、相手に取り入って段々と相手を取り込んでいくらしいです

今は色々な「ハラスメント」があります

私はこの「好意的な言葉」のモラハラが一番怖いかなって思いました


先日のワイドショーで「自由に出かけるのを許している。でも、どこに行くか、いつ帰るのかは聞く。
だって、家族なんだから当たり前でしょ」と言われていました

「自由に」だけれど「誰と会うか。どこに行くか。何時に帰るか」を聞くことで、実際には
「どんな人と会うのか。変な人じゃないか。いかがわしい場所には行かないか。遅くならないか」といった
「言葉にしていないメッセージ」が含まれているということです

それを言われた方はその「非言語的メッセージ」を受け取っているから「相手は私を自由にしてくれない」と思う

そもそも「自由にしていますよ」とわざわざ言っていることが「自由にしていない」ということです
それに「家族なんだから」ということで、より自分を正当化しているのがわかります

何も知らない「いい人」が聞いたら「そうだよね、家族だもの。それくらい聞いても良いわよね」と思う

でも、果たしてそうでしょうか?

本当に相手を信頼していれば「行ってきます」「今日は寒いから、暖かくして出かけてね」でいいんじゃないかな

お互い、いい大人なんだから・・・

人は自分が言っていることほど、できていないからいうと言われています

「許しています」っていう人は相手を許していないし「別れていいよ」って言う人は「別れたくなんてない」
でも、言葉で言っているから「こんなに自分はいい人なのに」と自分自身に酔っている人です

とりあえず、この「モラハラ」は相手を精神的に追い込みます
どんなに相手から「好意的な言葉」で言われても「逃げるが勝ち」です

逃げて、逃げて逃げまくって、自分の心を取り戻しましょう!


  
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  • 2015年01月24日 Posted by すもも at 23:51Comments(0)その他

    本当のことと、そうでないこと

    大津秀一先生のブログで、気になるものを見つけたので、よかったら読んでください


    近藤誠さんの、がんは「がんもどき」と「本物のがん」だから放置で良いという「がん放置療法」の弱点

    アメブロ: http://ameblo.jp/setakan/entry-11950871521.html


    近藤誠先生の本は、がん体験者なら誰もが気になったことがある1冊なのではないでしょうか?

    特に「抗がん剤治療は受けるな」とか「がんは消える」とか何だか患者には嬉しいことも書いてます

    でも、果たしてそうなのかな?って思う

    厳しいステージの人でも抗がん剤で、がんが消えた話はよく聞きます

    それを果たして、「そもそも、その人はがんではなく『がんもどき』だった」とはちょっと思えないことがある
    第一、ほっとて亡くなったら元も子もないし

    ただ、以前、ある雑誌で有名な先生と対談をしているのを読んだ時には、もっともらしいことを言われていたりしました

    ちょっと難しいのは「抗がん剤でがんは消える」の定義がそもそも正しいのか?ってところがある

    手術の後の追加治療においてそれは、あると思うけれど、そこそこ進行してからであれば
    医師も「根治を目指すのではなく、延命のため」の抗がん剤だと思っている

    そしたら、そこには消えることを目指してない訳だから、抗がん剤治療を受ける・受けないは患者の選択でもいいように思う

    でも、手術後すぐの追加治療は別じゃないの?ってことになる


    私がいつも感じる近藤先生の問題点は「正しいこと」と「正しいかもしれないこと」と「もしかしたら正しくないかもしれないこと」を
    同じことのように書いていることじゃないのかな?って思う

    最初の治療の方が受ける抗がん剤治療と、末期がんの人が受ける抗がん剤治療では同じ抗がん剤治療でも
    意味合いがまったく違う。それをきちんと書いてないっというか、あやふやにしているのが「ずるい」って思う

    患者は、がん専門医ではないし、がん患者であっても自分のがんがどういうものか理解していない人が多い

    それなのに、がんをひとくくりのように思うようなタイトルだったり、内容を理解してなければわからないようなことを
    わかりやすい言葉で書いてある←でも、そもそも「がんは個別医療である」ということは、なんかわからなくなっている

    近藤先生の難しいところは、先生が日本でも有名な大学病院で、しかもがん専門医だった(現在は違う)ということだと思う

    先生の経歴や勤務先などは、すべて正しい。

    ところが、先生が本当の意味でがんをきちんと本に書いてあるかは、専門医にしかわからないということだと思います
    あと、がんの専門医であっても婦人科や乳腺・肺など細分化されてあるので全てはわからない

    私たちは、人を判断する時に知らない人であれば、その人の経歴を見て判断します

    つまり、近藤先生に対しては「こんな立派な経歴を持っている、しかも現在も患者を診ている方が嘘をいう訳がない」ということです

    しかも「正しいこと」や「正しいかもしれないこと」も一緒に書かれているので、それを専門医でもない患者が区別するのはとても難しいということです

    私が講演会などで話を聞いてことがある、がん専門医(がんセンターの医師もいました)の悩みの中ではっきりと患者さんに
    「正しい知識を持ってください。せっかく治る見込みがあるのに抗がん剤治療をやめないで」と言われた方もいます

    名前を言われた方もいるし、濁した方もいました

    でも、たぶん、今本当に患者さんと一緒に戦っている、最前線でいる医師はそう思っているように思います

    たった1冊の本、たった1人の医師を信じるのではなく、今、実際に自分の目の前にいる先生を信じて欲しいと思います

    それで、どうしても信じられなかったら「私は、あなたが信じられないから、治療を受けたくない」と言って
    別の病院に行ってもいいと思います

    もしかしたら、その先生が自分と合わないだけかもしれないし・・・

    私は顔をみてもいない先生を信じるよりは、きちんと話をしてくれる先生の方が絶対に信頼できる気がします

    生きるか死ぬかを考える病気なのに、いいことばっかり書いてる本なんて信用しないで欲しいと思っています


    そして、何よりもその莫大な印税はがん患者のために生かされているんでしょうか?



      
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  • 2014年11月13日 Posted by すもも at 12:51Comments(0)その他

    ブログを書くということ

    ブログを書いていると色んな事を言ってくる人がいます

    以前、ある政治家を養護するようなことを書いたら、速攻で卑怯なコメントがきました

    あ~あ、こんな人もいるんだなって思った

    先日、いつも読んでいるブログ友さんが書くのをやめてしまいました

    私はその方のブログに励まされていたので、とても残念だなって思った

    確かに色んな事をいう人がいる

    その人のことを書いた訳でもないのに「きついことを書かれて読めなくなった」と言われたこともある
    でも、正直なところその人は「がん患者」でもなく「がん体験者」でもなく「がん家族」でもなかった
    そういう人に何を言われても、いいやって思った

    ただ、がん患者にも色んな人がいる

    ここまでするか・・・って思うくらい嫌な事をする人がいたりもするし
    でも、それは体験者だからそうでないからでもなく、その人自身の問題の大きさに由来しているようにも感じた

    それが「がん」という自分でどうにもできない病気になったことの怒りを誰かに向けているようにも思った

    そんな時、私は「それでも誰か読んでくれる人がいる限り書いていこう」と思うことにした

    患者が体験記を書くことは、ただ書いているだけでなく次に続く人のためになるように思っています

    それは、本当は誰のためではなく自分自身のためでもあるように感じています

      
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  • 2014年07月22日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    5年ぶりの再会

    久しぶりに5年ぶりに友人と再会しました

    彼女とは私が告知された次の日に会ったきり、ずっと会っていませんでした

    自分の中で何か変?と思っていても、まさかそれが「がん」になるとは思ってもいないし、告知されたからと言って、約束を変えるのは嫌だった・・・

    いつもと同じ自分でいたい。そんな気持ちがあったのかも知れない

    しかも彼女は、結婚したお祝いだったので余計に複雑な気持ちだった

    がんになってから出会った人には、自分は「がん患者」ですと言えるけれど、それ以前の友人の中には、何だか中途半端に言う機会をなくしてしまって言えない人もいます

    そのあたりが、とってもややこしい・・・

    がんになったから、なっていないからといって友人関係が変化するとは思わないけれど、でも、何だかやっぱりなっていなかった時の気持ちで会って欲しいと思っている自分がいる反面、体調の悪さや色々な事を「気を使って欲しい」自分もちょっといたりする

    そこがめんどくさい

    今日会った友達は、会ってよかったと思った

    この5年間、お互い色々なことがあったなって思う
    そんな話をしました

    古い友人だからこそ話せる内容もあるんだなって思った

    がん友さんも大切だけれど、それだけでもない自分もいる

    その両方がいてくれてこその私なのかな?って改めて思った再会でした





      
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  • 2014年07月21日 Posted by すもも at 00:57Comments(0)その他

    女の敵はオンナ

    ネットニュースを見ていて、気になる記事を見つけました
    先日から、私も同じ思いをしていたので、載せました

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    乳児の「お腹すいた」アピールはいつも突然だ。自宅や授乳施設のある店にいたなら問題ないが、公共の場所で泣かれて困ってしまったという経験を持つお母さんは多いのではないだろうか。カナダ・オタワのスターバックスで起こった授乳にまつわる事の顛末に注目が集まっている。

    ジュリア・ワイクスという若い母親が5か月になる男児を連れてスターバックスに入店した。そのうち息子が泣き出したため、ワイクスはカウンターで授乳を始めた。その日の気温は39度に達しており、窒息の危険性を考慮してケープなどで覆うことはしなかったという。それを見咎めた中年女性が、店員に向かって「何なのよあれ! 気分が悪いわ! ちょっと何とかしなさいよ! やめさせて!」と大声でわめいたとか。

    文句を言われた男性店員(19)は、女性にニッコリと微笑み「かしこまりました」と返答。追い出されるのかと戦々恐々としていたワイクスのそばへ近づくと、コーヒーを一杯サービスし、「次回、ご来店の際にお使いいただけるチケットです。今日はこんな不愉快な目に遭わせてしまって本当に申し訳ありません」と謝罪したという。

    ワイクスが帰宅後、この出来事をHuffingtong Postの育児ブログに投稿すると、24時間後には全世界にシェアされる人気の話題となった。大量に寄せられたコメントには、10代でありながらスマートな対応をした店員の対応を称賛するものが多かったが、意外な反応も見られたという。「私を応援してくれる声もありましたが、多くは私を非難するものでした。衝撃的だったのは、そのほとんどすべてが女性から発信されたということです。大人の女性が、授乳に対して侮蔑的な視線を向け、見下していることを心から恐ろしく思います。女性に胸があり、それを使うのは自然なことなのでは」とワイクスは言う。

    読み手の立場によってこの出来事の受け取り方は異なるだろう。「公共の場ではしたない」「赤ちゃんは時と場所を選べないのだから仕方が無い」「ケープぐらいはするべき」「店員の中年女性への嫌味はどうなの?」……唯一の正解は存在しない。日本でも少子化が危ぶまれる中、子育てに関する議論が活発になってきているが、日本人はこの話題をどう考えるのだろうか。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    先日の国会での「セクハラやじ」に対して、60代の女性2人と話していました

    その時に2人が問題は、セクハラした男性ではなくされた女性に問題があるという事になって、私が「問題なのは、セクハラ発言をした男であって、女性ではないでしょ」というと、2人から「男社会にいるんだから、それくらいは当たり前で問題にするほうがおかしい。そもそも、あの女は私生活でも・・・」という話が出てきた

    正直、あ~あ、まただ・・・と思った

    「女の敵はオンナだね」と思わず、言ってしまいました

    すると今度は、私に「そんなんじゃない」とつっかかってきたけれど・・・

    私は子どもはいないし、結婚もしていないけれど、結婚しながら子育てしながら、会社で働いたりすると、子どもの事で休んだりすると一番気を使わなければいけないのは、同僚や上司の女性だと言います。

    「私の時はこうだったのに、なぜできないの」とか、家族のサポートがあればあったで「私はサポートなくてもできたわよ。あなたはいいわよね」「子どもが熱を出しても休んだりしなかったわ」などなど・・・よほど人間のできた女性の上司でない限り一番きついことを言うのは女性という話しを聞きます

    更年期で寝込んだりすると、姑から「更年期なんて怠け病だ」と言われて悲しかった。なんて話を年配の女性が言っているのを聞くけれど、本当に「女同士」って難しいって思う

    そして、その時に言われたのは「なんでそんな事でいちいち気を使わなくてはいけないの。そんなのしたくないわよ」という言葉でした

    きっと、これって嫁姑問題と似ているんだろうなって思った

    自分が嫁の時は好きなように姑に言われてきた。だから、自分が姑になった時には気を使いたくないのよ。というのと、そっくりだなって思った。

    でも、それって「気を使いたくない」なのだろうか?って思う

    あのセクハラ発言に対する女性への批判は、全く関係のない私生活に関する批判だった。なぜ、そうなるんだろう?と思った。そして女性が女性を批判する時にはなぜか本題とは全く関係のない美人かどうかであったり、容姿の痩せてるか太っているかに向けられたりする。

    同じ女性なのにな・・・

    スターバックスの話は、機転の利く店員のお陰でいい話になったけれど、私の周りの話は私が悪者になって終わったって感じです。ちょっと、残念な気持ちです。

      
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  • 2014年07月08日 Posted by すもも at 22:10Comments(0)その他

    人のこころ

    先日、友達からブログを「おも~~~い」と言われました

    確かに。。。最近、ちょっと重いなって思っていたところだったので、反省。

    先日提出していた、ピアサポートの院内サポートのレポートの添削が返ってきました

    その中にトレーナーの方から、自分がサポートに入っている時の心得が書かれていて、それを読んだ時に、ここのところずっと自分が悩んでいたことの意味が少しわかった気がした

    心理学を勉強している人と話しをすると、人の気持ちが手に取るようにわかっているような言い方をする人がいます。でも、それはあくまでも「自分の考え」であって、相手が本当にそうかどうかはわからないのに、まるでそれが正しいことのように、得意になっているのを感じることがあった

    それは、自分自身のことでもあるし、私に向けられた言葉の時もある

    先日、自分の人生の中でも5本の指に入るくらいつらいことを言われました

    その人の言葉は、私にとってある意味、がんの告知と同じくらいの意味がありました

    がんの告知は、私の未来を否定する言葉でした
    そして、その人の言葉は私の過去を否定する言葉のように感じた

    それくらい私には、自分を自分の人生を否定する言葉でした
    そして、なぜそこまで私はその言葉を重く受け止めたかをずっと考えていました

    それをトレーナーの方の言葉でわかった気がしました

    トレーナーの方の言葉の中に、私たちは同じ病気を体験した者として相手の心に寄り添うという姿勢が書かれていました

    相手に寄り添う姿勢を実際に感じるのは難しいですが、私はその方の院内サポートを見ていて医療知識がなくとも(実際には、その方にはありますが)できることはあるんだなと思うことができました

    それは、相手が「この人に話してよかった」と思えること
    それだけでも相手の心を軽くしてあげることができると感じることができた

    でも、それを感じると同時に自分がそういう姿勢があるのかどうかと聞かれると「まだまだ」だなって思った

    そして、私がずっと悩んでいたのは、私に言った人は私に寄り添う姿勢が全く無かったこと
    私自身は、相手に言われて「してやったり」という気持ちを感じたということでした

    そして、何よりも「話さなきゃよかった」と心から感じたということでした

    自分が悩んでいることに対して、確かに解決して欲しいと思うことはある
    でも、そこはあくまで友人としてだと思う

    それ以上でも、それ以下でもなかった・・・

    これから私はどうすればいいのかわからない
    前と同じようにというのは、どうも難しいと思った

    誰にも自分の中で絶対的な「価値観」というのがあります

    自分には、どうしても許せないこと
    それを平気でできる人で今も関係が続いている人はいません

    どうすれば、いいんでしょうね・・・


      
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  • 2014年07月06日 Posted by すもも at 00:31Comments(0)その他

    区別すること

    少し前に私が先頭にたって何名かで連絡先を交換しようとしました

    でも、その中である方が「そういう事はしない」と言われ、結局、個人的にすることになりました

    確かに男女がいれば、そういうのって抵抗があるかもしれない

    何でも仲良しこよしでやればいいとも思わない

    ただ私は、連絡先を交換したからといって本当に連絡があるかは別だし、何かあった時に連絡ができないってこともあるんじゃないのかな?なんて思っていました。そこは大人なんだし自分で対処すればいいのにって思ってた。

    そしたら、先日、目の前で私と連絡先を交換しないといった2人が連絡をしているという話をしていました

    そっかぁ、この人たちは「私と」交換したくなかったんだって思った

    理由はわからないけれど、私は交換したくない人側に入っていたということだったんだとわかった

    そしたら、ふと「交換する人」「交換したくない人」ってどう区別するんだろう?と思った

    そこにはその人たちにとって明らかな線があるってことなんだろうなって・・・

    私はその区別をするのが嫌なタイプだから、それなら教えてしまえばいいやと思っているのかもって思った

    この人とは交換して、この人とはしない。って考えるのも面倒だなって思う

    そして、それって「しない」と言われた側ってどう考えていいのかわからないと思った

    私は「区別」は「差別」でもあると思っている

    この人はよくて、この人はよくないって相手を差別していることに通じるような気がする

    今回は、たまたま私は両方から断られていたから、余計にそう感じたのかな?って思ったけれど、何となく、一緒に勉強したり活動したりする仲間だと思っている人からされるのって、本当に淋しい出来事だなって思った私でした




      
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  • 2014年06月24日 Posted by すもも at 06:20Comments(0)その他

    こどもの自分

    子どもの頃、私は誰とも話せない子でした

    たった1人、話せた友達がいたけれど、その子とはいつもクラスが別で
    あと時、担任の先生が家庭訪問の時に私がクラスの子と話していないから
    誰か仲のいい子はいないか?と聞かれたと母親から聞いて、近所のMちゃんの名前を言ったと教えてくれました

    その後、たった1回だけMちゃんと同じクラスになれたけれど
    今度は「Mちゃんとしか話をしないから」と、別々のクラスになってしまいました

    その話を聞いて、他にも色んなことがあって「何とかしなきゃ」と思った私は
    それからの2年間、ずっと自分自身と戦っていました

    がんばって話をしなきゃ。がんばらなきゃって思っていた

    そういえば私はジブリの出てくる頑張っている女の子が、ずっと苦手だったけど
    それってきっと、その時の自分自身を見ているみたいで辛かったのかもしれない・・・

    いつもジブリの女の子をみて、そんなに頑張らなくてもいいよ。って思っていた


    この間、ものすごく久しぶりに泣いた・・・


    こんな風に私も泣くことがあるんだって思った

    「がんです」と言われても、何だか泣けなかったのに

    こんなことで泣くんだって思った

    一生懸命、相手にわかってもらおうと話していることが、全く相手に伝わらない


    いつもなら「まっ、仕方ない」って思っていたことが不思議なくらいにつらいと思った

    私は、言葉を話しているからといって、それが相手にきちんと伝わるとは限らないし、
    自分の気持ちをきちんと伝えられているとも思っていない

    でも、私はずっとその努力をしてきたつもりだった

    そして、相手の言葉の一部分だけを取り上げて感想をいうのが嫌いだった
    そんな事をしても、何も伝わらないと思っているから・・・


    相手に期待しないこと。

    つらいけれど、そういう気持ちを感じてしまった出来事でした

      
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  • 2014年05月18日 Posted by すもも at 21:40Comments(0)その他

    アスリートとアイドル



    世界フィギュアに行ってきました。といっても、ちょっと遅い話題になってしまいましたが・・・
    でも、何を伝えたいのかがよくわからなかった私としては、ちょっと考えていました

    私が行ったのは、男子SPの日です
    前回と違って、羽生くんへのすごい声援に「やっぱりオリンピックで金メダルを取ったら違うわ~」なんて実感しながらの観戦でした

    今回、大きく違いを感じたのは観客層の違い。だと思います
    オリンピック後の世界選手権が日本で行われるということと、この大会で引退を表明している選手が沢山いたということもあって「みてみたい」と思った人が沢山いたように思います

    そんな中で、SPの競技直前に羽生くんへ声援を掛けたということがありました
    次の日にネットで以前からのフィギュアファンの人らしき方が、色々と書かれているのを見ました

    中には「にわかファン、お断り」と書いている人もいたりして、ちょっと悲しくなりました

    確かに競技の直前に声を掛けるような行為は、選手の精神状態を考えると緊張感をそがれてしまうしファンとしてルール違反だと思います
    でも、実際には現場でそれを呼びかけるようなものは一切なく、むしろ何もかもが「暗黙のルール」となっているのが、正直、私としては違和感がありました

    フィギュアであってもどんな競技であっても、誰にも初めて観戦に来た日。があると思います

    今の日本において、これほどまでに人気があるんだから、新しく見に来た人もたくさんいたと思います。そういう人に「こんなの当り前でしょ」というのは、どうだろう?と思った。

    むしろ、サッカーのようにハーフタイムに「注意事項」がきちんと流れるというのを考えてもいいんじゃないのかな?というのが私の考えでした。

    そして、新しいファンの方に感じるのは、フィギュアは競技であって羽生くんだちは世界で戦っているアスリートであるという自覚を持ってほしいということです。そう考えれば、競技直前に声を掛ける(今回は「ゆず、愛してる」だったそうです)ような真似はできないと思います。そして、内容を考えても彼をアスリートとではなく男性アイドルのように考えているように感じます。

    それと、古いファンの方に感じるのは今までのファンがそうであったから、新しくなったファンの人にも同じように求めるのは少し違うように思います。「自分たちはそうだったんだから、自分と同じようにできて(考えて)当り前はある意味、そういうことができない新しいファンを排除しようとしているようにも感じます。それは、今回、浦和レッズのサポーターが行った行為と同じように感じました。

    新しいファンも古いファンも同じように観戦できるルールがわかりやすく何かに記載されてお互いが気持ちよく応援できるというのが、本当の意味で選手たちが望んでいることではないかなと思いました

    今回、SPの後のインタビューで羽生くんが「競技の直前に声を掛けられたのが影響したか?」という問いかけに「自分のこと」として答えていたのが彼がアスリートとして対応しているのを感じて、とっても格好いいと思いました。

    SPの結果は、残念だったけれどフリーは申し分のない演技だったし、いいシーズン終わりでした。

      
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  • 2014年04月07日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    必要とされたい人たち

    少し前に読んだ本の中に、A○女優さんのことが書いていました

    昔は「ばれないようにしなきゃ」と隠していたのが、今ではブログを書いていたりして自分の情報を出して、それがきっかけでトラブルに巻き込まれるような人もいるそうです。私もそれを読んで検索してみたら、本人が書かれているようなものがいくつかヒットしました。

    最近のビデオは、かなりきわどいものがあるそうです。

    そういうものに出るのって何でだろう?と思っていると、あるテレビ番組で「裏社会」に詳しいという人がそういうビデオに出たりすると、簡単にお金が稼げるから脳がそのようになってしまって、段々と落ちていく・・・みたいな話をされていました。この話をされていたのは男性でした。

    ただ、私が読んだ本の中で書いてあったのは「なぜ、ビデオにでるの?」という問いかけに、彼女たちは「だって、私がいないと現場が回らないから」と答えたそうです。確かに男優さんより女優さんが絶対に大切って感じがします。考えたら20歳くらいの女の子が仕事で「君がいないとダメなんだ」と言われることってなかなかないような気がします。今の世の中、派遣なんて「いつでも切れる」という理由で雇う企業さんだらけな気がするし・・・私も「君がいないとダメなんだ」と言われたら、コロって感じになるのかな?と思った。

    確かに今の若い子(ここで自分の年齢を感じるわ~~)の好む歌を聴くと「僕が側にいるよ~♪」とか「君は、大丈夫だから~♪」とか、これって歌?って感じがするものがとっても多いなって思う。ただ、直接言葉を歌えばいい。みたいな何の意味もないというか・・・ただストレートに伝えればいいといったようなものが多いなって思う。きっと、その直接的な表現がいいのかなって?って思います。

    最近、とっても「必要とされたい人」に出会います。

    確かに人は必要とされることで生きがいを感じる事ができると思います。ただ、相手から必要とされることばかりに焦点がいってしまうと、相手が騙そうとしているのも「必要とされている」と感じてしまう気がします。

    ちょっと気をつけないといけないのかなって思っている私です。

      
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  • 2014年03月26日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    頭痛の日々・・・

    ここのところ毎日、頭痛があります

    そういえば以前、手術後の排卵が痛くて(卵巣を吊り上げて移動したものが定着するまで痛みがあった)ピルを飲んでいたことがあります。ただ、異常に頭痛がすることと身体のだるさが抜けないものだから少しの期間だけ飲んで止めました。

    それを考えてみると今の私の頭痛は、やっぱりホルモンのせい?と思った

    だめだ~~~本当に、だめ。

    頭、いたすぎます・・・  
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  • 2014年03月24日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    更年期障害?

    先日のリンパ外来の問診票で「血圧」と「体重」の記入欄がありました

    「血圧か~~久しぶり」と思いながら、ぷしゅ~~~~~ぐいぐいぐい・・・と絞められていました

    その時に画面に出てくる数字が異常に高い?と思ったんだけれど、まあ、それも本物を見てからと思っていたら、なんと上が158!ちょっと見たことない数字やん!と思った。そして、下も86。いつも上が110以下、下も70以下の私がです。なんだか恐ろしくなってしまったけれど、その後のリンパ外来が最悪な出来事だったので、そのまま忘れてました。

    帰ってきてからカラーの先生に「血圧が~~」と話すと「更年期かも。頭痛はない?」と聞かれて、そういえば最近、やたらと頭痛が凄くてまるで孫悟空の気分になる・・・と話しました。頭が痛い時に案外、血圧が上がっているのかも。。。

    確かに先日も歯医者さんに3月毎の定期健診に行って「なんでたった3月でこんなに悪くなってるんだ!」と怒られました。その時にも待合室で見た「更年期は歯茎の曲がり角」なんてパンフレットをみたし・・・そういや友達も歯医者さんで歯周病になって「更年期ですね」と思わぬ告知をされてショックだったと、今の私の年齢の時に教えてくれました。

    えええ~~~~私って更年期なの!!


    婦人科の先生には「年齢的にも」とさらっと言われたし、やっぱり更年期がやってきたんだと思った

    子どもを持つこともなかったから、そういう意味ではショックも少し少ないのかもしれないけれど、やっぱりかなり精神的にはこたえてます

    あ~~~あ~~~~~

    次の婦人科の外来でホルモン数値を検査してもらいます

      
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  • 2014年03月21日 Posted by すもも at 19:30Comments(0)その他

    3.11

    3.11といえば、今は東北の地震を思い出しますが私の家では弟の誕生日でもあります

    弟は神戸の地震の時に大学で寝泊りしていて、しばらく帰ってきませんでした
    考えたら、あの人がいったいいつ戻ってきてのかも覚えてないわ・・・と思った

    家族の中で「あの子なら何とかするやろう」と思っていました
    それくらい、最初は地震がどういう被害なのかわかっていなかった気がします

    結局、弟はしばらく炊き出しのボランティアをしながらご飯を食べさせてもらっていたそうです

    先日読んだ本の中に「神戸の人が来るのは、もううんざりなんだ!」というのが書かれていました

    東北の地震の時に最初は神戸から来たボランティアの人たちは「同じ体験をした人」ということで、ありがたいと思われていたのが、日にちが経つにつれて「神戸の時は・・・」と自分達の考えや経験を押し付けてくるということで、迷惑な存在になっていったそうです。

    ボランティアの考えとして「自分の考えを押し付けない」ということでした

    ピアサポーター養成講座の中で同じ事を話されていたトレーナーの方がいました

    自分の経験は最後の最後。ということでした

    それで「よかった」と言って貰えることもあるけれど、基本的には自分の体験は極力「話さない」。

    同じ体験をしたからわかりあえると思っていたのに、ピアサポーターであっても自分が話しすぎることはマイナスになることもあるということです。

    そして、人は自分の体験を聞いて欲しいものなんだなって思いました。

    気をつけなくてはいけないものですね
      
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  • 2014年03月12日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    いろいろあります・・・

    最近、ブログの更新がなかなかできません・・・

    名古屋にカラーセラピーワークに、カラーセラピーのHPをリニューアルしたりとなかなか大変でした

    今週は仙台に行ってきます

    1年ぶりのリンパ外来もあります

    足が重いな~とか、しんどいな~足首が浮腫むな~とかあるけれど
    計測値として出てこない私としては、ちょっと憂鬱です・・・

    でも、久しぶりの仙台だし牛たん食べてきますface16  
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  • 2014年03月11日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    ストレスの極致・・・

    今週、ピアサポーターとして院内デビューします

    ここのところ、色々な意味でストレスがあって「こんなに私って弱かったかな?」とか「こんなにイライラしてたかな?」って思った

    基本的には何とか逃げようとか、何とか笑って済ませてしまえ。って感じなのに・・・

    その上、この雪。。。

    で、週3回くらいの朝からの下痢が始まってます

    どうも寒い朝はダメみたいです

    「自分で自分を癒す方法」と言いながら、実際にはどうにもできないことがある

    それがちょっとつらい・・・

    それと一緒に携帯の調子が悪かったり、家のプリンターが壊れてしまったり・・・

    色んな意味で「新しい時代」がやってきたのかも。  
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  • 2014年02月17日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    好きなタイプ

    好きなタイプは?と聞かれて「同じ趣味を持っている人」と答えていた大学生っぽい男子がいました
    「同じ趣味なら、一緒に喜んでくれるし話が合うから」ということでした

    でも、私が思うのは「果たして本当にそうかな?」ということです

    私は、好きな事が一緒の人よりは「嫌いなものの価値観が似ている人」のほうがいいなって思います

    それは例えば、ご飯を食べているときに音を立てて食べる人が嫌いだとします
    でも、相手は「それがなんで嫌なの?」って人だと、きっと他の部分が好きだとしても
    きっと嫌いになる時には、一番にそこから嫌いになっていくように思います
    あと「納豆好き」と「納豆嫌い」だと、やっぱり駄目な気がします
    どんなに美味しいって言われても受け入れてもらえないのも、ちょっと悲しくなる気がします
    (といっても、納豆嫌いは私ですが・・・)

    それでなくても、人は「好きになったところから嫌いになっていく」といいます

    例えば「あんまり話さないから好き」だったのが「話してくれないから嫌い」や
    「優しい」が「優柔不断」になってしまったり・・・

    男性の好きは「足し算」で、女性の好きは「引き算」と言います

    男性はある程度許容範囲であれば付き合ってみて「あっ、こういうところがいいな」って相手のよさを積み重ねていく考え方をするそうですが、女性は「理想の彼」だったはずが「だらしない」とか「優柔不断」とか「面白くない」とポイントを段々と減らしていきます。

    なので男性にしてみたら、自分が好きになった時には彼女は自分を好きじゃなくなっていた。
    なんてしゃれにならない現象が起きてしまいます。それがストーカーを生む原因になっているそうです。

    「似ている人」か「似ていない人」どっちがいいのか。

    ただ、不思議と夫婦をみると似てきているように感じます

    そこには本当はOOじゃないと嫌。という考えよりは、OOでもいいよね。っていう考えなんじゃないのかな?って思います。

    そして、離れてみた時に一番思い出す人がやっぱり自分にとって大切な人なんじゃないのかなって思う私でした。


      
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  • 2014年01月22日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    難しいです

    熊本市の慈恵病院は、15日にスタートした日本テレビ系ドラマ「明日、ママがいない」(水曜午後10時)について、放送中止を申し入れると会見で明らかにした。この件に関する日本テレビ総合広報部のコメントは以下の通り。

     当社のドラマ『明日、ママがいない』について、慈恵病院が会見を行われたことは承知しております。なお、このドラマでは子供たちの心根の純粋さや強さ、たくましさを全面に表し、子供たちの視点から『愛情とは何か』をいうことを描く趣旨のもと、子供たちを愛する思いも真摯(しんし)に描いていきたいと思っております。是非、最後までご覧いただきたいと思います。

    日テレ側は「最後までご覧いただきたい」
    日刊スポーツ 1月16日(木)20時32分配信

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140116-00000091-nksports-ent

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    偶然、このドラマを見ました

    私が感じたのは「子どもが話すには物凄く衝撃的な台詞だけど、きちんと考えられている」ということでした。そして、子どもが言うからこそ意味があるようにも感じました

    ドラマの中で「ママは、私がいないとダメなの」と子どもが「ママを守る」という発言がありました。でも実際には、その母親は子どもを捨てて、男を選びます
    お母さんではなく、女である自分を選んだ母親が子どもに「OOちゃんなら、わかってくれるよね」といって、子どもはまるで、親のようにその言葉を受け入れます

    小さな子どもが親のように振る舞うこと。実際には、よくあることだと思います。

    ただその時に「捨てられるのではなく自分が捨てる」と言う台詞を聞いて「そうなんよな」と思いました
    たとえ子どもであっても、自分で決めなくてはいけないことがある

    このドラマがいいか悪いかは、確かに問題がないとは思わないです

    でも、実際には「シックマザー」や「母という病」「愛着障害」などで取り上げられている問題と根っこは同じような気がします

    年齢が高いからといって、子どもを産んだからといって「大人ではない」ということ
    でもそういう人が「親と呼ばれている」んだと思います

    もう一度「親とは」「大人とは」を考えてみるいい機会なんじゃないかなって思いました
      
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  • 2014年01月17日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    あけまして おめでとう ございます



    あけまして おめでとう ございます
    今年もよろしくお願いします
    icon_kadomatsu


      
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  • 2014年01月01日 Posted by すもも at 05:13Comments(0)その他

    「伝えたいことがある」ということ。



    週末、さいたまアリーナに行って男子SPとフリーを見ました。

    高橋大輔さんのフリーを見て「まるで傷ついた白鳥の翼の先から血が落ちているよう…」と感じました。
    そしたら最後に画面で指先から血が出ているのをみて驚いた。

    一瞬、自分が感じたものが現実だったのかな?と不思議な錯覚を感じた。
    確かに点数をみると彼より上の選手もいます。でも、点数だけでは不思議なくらい心に響かない選手もいる。

    それは自分には「伝えたいものがある」と感じる人は、やはり違うように思う。

    どんなに上手な文章を書いても、どんなにすごいベストセラーでも不思議と好きになれない作家さんや作品があるのと同じかもしれない。そして、その人がいるだけで不思議なくらいその場所の空気が変わる人。
    それもやはり、その人がもつ才能のように感じました。

    そして、その場面を感じることができるというのは奇跡なのかもしれないなって思いました

    本当に素敵なクリスマスプレゼントでしたface16
      
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  • 2013年12月25日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    チョコ募金



    チョコ募金

    「チョコ募金」は、イラク・福島の子どもたちとシリアの難民を支援するための募金です。

    2011年からは原発事故の放射能から福島の子どもたちを守る活動にも使われ、2012年からは、収まることのないシリアの内戦で苦しむ妊婦さんの支援にも使われています。

    チョコ募金:http://www.jim-net.net/choco/  
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  • 2013年12月16日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他