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しがみつかない生き方~香山リカ~

しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール
平凡で穏やかに暮らせる「ふつうの幸せ」こそ最大の幸福だと、今、人々はやっと気がついた。雇用、医療、介護など社会のセーフティネットは重要だけれど、自分の外に求めるだけでは、人生はいつまでも満たされない。「ふつうの幸せ」を手に入れるには、「私が私が」という自慢競争をやめること。お金、恋愛、子どもにしがみつかないこと。物事の曖昧さ、ムダ、非効率を楽しむこと。そして他人の弱さを受け入れること―脱ひとり勝ち時代の生き方のルールを精神科医が提案。
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本の中で面白いなと思うものを見つけました
松田聖子さんに憧れていた世代の人が抱く「わたしはもっと幸せになってもいいはず」という感覚があるそうです。「わたしは人とは違う」「わたしはもっと才能があるはず」という『特別な私』という感覚だそうです
へえ~~と思った
それってうちの従姉妹が全く同じことを言っていたなって思った
でも、それって何なんやろ??と思う
聖子ちゃんに憧れて、そうなりたいと思っても聖子ちゃんはたった1人しかいないからこそいいんじゃないのかな?って思う
私はこうなりたい
私はこうでありたい
そして普通にしか生きれないことを虚しいと思う・・・
「このまま仕事しても私の将来は決まっているかも」と思ってしまう
そして、せっかく築いたキャリアも捨ててしまう
でも本当は『普通に生きる』ことのほうが、大変なはずなのになって思う
「普通に結婚して」「普通に子供を産んで」「普通に子供を育てて」「普通に子供の進学に喜んで」
子供の頃から、私が好きになる人は「超」がつくくらいに「普通の人」でした
というよりは、ちょっと「助けてあげたくなるような男の人」ばかりで、初恋の人はクラスの中で唯一の「逆上がりができない男の子」でした
でも、なぜかそういう人が私を「好き」と言ってくれることはなく振られてました
その代わりに「心配事」が多そうな男の人にばかり「付き合って」と言われていた
先日、飲んでいる時に「普通の生活が送りたかった」だったかな?言っているのを聞いて「ああ、わかるな」って思った。何をもって普通というかは、人それぞれだけどなんだかわかる気がした
「しがみつかない生き方」は、第10章まで色々と「しがみつかない考え方」が書かれています
とってもサクサクと読める本ですごく変わったことが書いてあるわけでもなかったけれど、最後の章に「<勝間和代>を目指さない」というのがありました。面白いなって思った。まあでも、一体どれくらいの女性が「勝間さん」を目指そうなんて思っているのだろう?と思ったけれど・・・それも一部の人の中にはあるのかな??って思いました
松田聖子さんも勝間和代さんも、そして香山リカさんも、私からすれば普通って感じではないかなって思った
でも、ブッダの教えよりは、とっても優しく書いてあるので読みやすい本です

2012年04月30日 Posted by すもも at 00:00 │読んだ本・・・心理学
気づきのセラピー~はじめてのゲシュタルト療法~

気づきのセラピー はじめてのゲシュタルト療法
百武正嗣著
あっ、そうなのか!!「いま─ここ」の自分に気づくことで、精神と身体が統合されるホリスティックセラピー。現代の心理療法の源流とも言えるパールズのゲシュタルト療法について、さまざまなアプローチやセッションの具体例などを中心に解説した、ゲシュタルト療法の実践的入門書。
http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-36052-1/
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心理学というとユングやフロイトといった「過去の自分」に対するケアに重点が置かれている気がします
でも、私が思うのは「そんなのは、あって当たり前」だと思う
全ての人が「愛された記憶」があるとは思えないし、ずっとずっと幸せな記憶しかない人なんていないと思います。ただ、それをどう受け止めるかは大人になった自分が決めることで、過去に囚われて生きていきたくないと思っています。そして本当は「愛されていた」のに、それに気がついていない人もいるように思います
そういう意味でも「ポジティブ心理学」のように、自分の考え方をマイナスからゼロにするのではなく、ゼロからプラスに考え方を持っていくというところがいいと思いました
ゲシュタルト療法のなかで一番大切なのは「いま-ここ」という考え方。
自分はいま、ここで生きているのだから・・・
どんな過去であっても、今の私はちゃんと生きていて、今ここでの自分と対話していくことで自分の問題と向き合っていくというものです
自分の心の声を聞くという作業は、つらいこともあると思うけれど達成された時の感動は計り知れないものなのかなと思います
私は「関根勤さんばりの妄想女」なので、よく妄想をしています
先日、私が考えた「旦那に似た人と話してみる」というのも「あっ、いいこと思いついた」(自分はそう思っている)とひらめいたからです
他にも人に言うと「なんで~~~」と言われるような事が沢山あると思います
よくカウンセリングを受けた人がいうのが「全然、役に立たなかった」という話でした
中には、何度の何度も受けたけれどダメだった人もいるけれど、1回か2回で「ダメよ」と結論を出して違和感があるままで「誰かのせい」にしている人を見ると「それって、カウンセリングではなくって自分自身の問題じゃないの?」と思う
私も旦那との問題で1回だけカウンセリングを受けました
でも、私は「ここは自分が来る場所ではない」と思って、自分なりの結論を出して歩きだしました
それに気づかせてくれたのは、やはりよかったと思っています
どんな方法もパーフェクトではないと思います
一生懸命に話を聞いてくれるカウンセリングがいいって思う人もいると思います
うつ病の人には、認知行動療法が合っているという先生もいるし色々だなって
大切なのは「自分にあった方法を見つけること」だと思いました
そしてマイナス思考にならないようにする事。
それが一番かな。
本の中で、ゲシュタルト療法のテクニックなども書かれていました
私は自然と行っているものもあったけれど、一人でもできるし決して暗くはならないところがいいと思います
でも、できればグループなど達成感や共感などが起きる現場のほうが向いている気がします
聞きなれない名前だけれど、今の心理学って気がします
心理学の先生が「心理学を学んだからといっても、それが終わりではなく何度も何度も『学び』と『実践』を繰り返すことが大切」と言われていました
そして先生が「この年になって思うのは、やっぱり人に期待をしないという気持ちを持つというのも大切だと思う。所詮、人を変えることはできないんだよ」と言われました
だから「自分を変えないと」って・・・
何となくわかるかな。
ゲシュタルト療法とは:
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/soyama/gakusyuukai/siryou/01-9-2gesyutaruto.htm
2012年04月29日 Posted by すもも at 00:00 │読んだ本・・・心理学
なぜ私たちは「助けて」を言えないの?

ひとりで頑張らないで、早めに人に助けをもとめよう。人生がもっとラクになる7つのステップ。
「だめな人間だと思われる」「他人に迷惑をかけたくない」「負けを認めることになる」「恥ずかしくて人に言えない」。さまざまな理由で現代人は助けを求めることが本当に下手なのです。けれど、ひとりで頑張っているうちに状況はどんどん悪くなって、結局パンクしてしまう。急激に増加しているウツ病に「まじめな人」「がんばり屋さん」が多いのも同じ理由です。この本では、そうなる前に、上手に「助けて」を言えるようになる方法を7つのステップでわかりやすく解説します。人間は社会的な生き物、つまりもともと助け合って生きていくようにできているのです。上手に助けを求めれば、あなたにとって価値ある人間関係がひろがり、人生がもっと豊かに、そして楽になります。メディアで活躍中の精神科医、名越康文氏の解説付き。
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先日、友達と話をしていた時に彼女が友人のことを「助けてあげれなかった」というのを聞いて、少し違和感があった私は「彼女のは『助けて』ではなくて『かまって』でしょ」と言った
最近、思ったのは「助けて」と「かまって」を同じように使う人がいるという事です
自分の辛さを「わかって欲しい」という気持ちはわかる
でも、そういう人に限って相手のつらさを見ていないような気がします
「助けて」というのは、とても難しいことだと思います
何度も何度も使うとオオカミ少年のようになってしまうし、でもそれを必要な場所で言わなくては自分自身がとてもつらくなるかもしれない。
家族で解決できる問題もあれば、必要な人にお願いしたほうがいい場合もあると思うし・・・
でも、その境目を渦中にいる時に冷静に判断するのは難しいと思います
それには、元気なうちに自分の身に何かが起きた時にはお願いする人を見つけておかなければいけない気がします。この悩みの時には、彼女にお願いしよう。これは彼にお願いね。っという具合にです
全ての悩みを1人にお願いするのは、難しいと思います
「かまって」さんは、相手の適正を見ることなくお願いする人だと思います
この人は親切にしてくれたから。自分を受け入れてくれたから。だから大丈夫。といった感じです
そして、何でもかんでも一切合財「受け入れて」という
でもそれは自分目線であって、相手からの発信を受け取っている訳ではない・・・
「かまって」さんとかかわると自分が消耗していくのがわかります
「なぜこんなにつらいのだろう?」「なぜ、私は彼女を受け入れてあげれないのだろう・・・」
自分は色々と悩んでいるのに、なぜか「助けて」と言っている本人は結構、平気だったりします
そして、不思議と「かまって」さんに振り回されている時は、冷静に自分が見れないことが多いです
いつもなら「なんか変?」と思うような事がわからなかったりします
人との違和感って大切な気がします
なんか違うんじゃないのかな?と思うことが続いたら、元いた場所に戻ることも必要な気がします
そして、今までの人間関係に戻ってみる。それも冷静に見る方法だと思います
新しい人間関係は新鮮だし、大切にしたいという気持ちはわかります
でも、必ずその関係を維持しなくてはいけないということではないと思います
自分と合わないかも?と思ったら、少し引いて相手との関係をみて見る
自分のためにも、どんな時でも冷静に人を見る目が大切なのかな?なんて思っています
2012年04月28日 Posted by すもも at 00:00 │読んだ本・・・心理学
がん探知犬マリーン、婦人科ほぼ確実に嗅ぎ分け
がん特有のにおいを嗅ぎ分ける訓練を受けた「がん探知犬」が、子宮がんなど婦人科がんをほぼ確実に判別できることを、日本医科大学千葉北総病院の宮下正夫教授(外科)らが確認した。
この犬は、大腸がん判別で既に成果を出しており、乳がんや胃がんについても実証実験が進行中。宮下教授は「自覚症状がない早期がんでも嗅ぎ分けられる。犬が感じているにおい物質を特定し、早期発見の技術につなげたい」と話している。
この探知犬は、千葉県南房総市内の専門施設で訓練を受けた雌のラブラドルレトリバー「マリーン」(10歳)。判別試験では、尿1ミリ・リットルの入った試験管を木箱に入れ、その前を研究者に連れられて歩く。がんのにおいを感じた時は箱の前で座り、それ以外は通り過ぎるように訓練されている。
子宮頸(けい)がんや卵巣がんなど5種類の婦人科がん患者43人の尿では、マリーンはすべてがんと判定。子宮筋腫など、がん以外の婦人科疾患29人の患者の尿では、1人分を誤ってがんと判定したが、それ以外は間違わずに嗅ぎ分けた。
最終更新:4月24日(火)16時15分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120424-00000639-yom-sci
この犬は、大腸がん判別で既に成果を出しており、乳がんや胃がんについても実証実験が進行中。宮下教授は「自覚症状がない早期がんでも嗅ぎ分けられる。犬が感じているにおい物質を特定し、早期発見の技術につなげたい」と話している。
この探知犬は、千葉県南房総市内の専門施設で訓練を受けた雌のラブラドルレトリバー「マリーン」(10歳)。判別試験では、尿1ミリ・リットルの入った試験管を木箱に入れ、その前を研究者に連れられて歩く。がんのにおいを感じた時は箱の前で座り、それ以外は通り過ぎるように訓練されている。
子宮頸(けい)がんや卵巣がんなど5種類の婦人科がん患者43人の尿では、マリーンはすべてがんと判定。子宮筋腫など、がん以外の婦人科疾患29人の患者の尿では、1人分を誤ってがんと判定したが、それ以外は間違わずに嗅ぎ分けた。
最終更新:4月24日(火)16時15分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120424-00000639-yom-sci
2012年04月27日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │ニュース・・・がん
『ちいさこべ』・・・許すということ

山本周五郎の小説で『ちいさごべ』というのがあります
本の中で「ゆるすということはむずかしいが、もしゆるすとなったら限度はない、-ここまではゆるすが、ここから先はゆるせないということがあれば、それは初めからゆるしてはいないのだ」という言葉があります
私はこの本を中学生の頃に読みました
その頃、週末は叔母の家に行っていた私の読む本は、ほとんどが5つ年上の従姉妹の本でした
お姉ちゃんの読むものはこの本もですが、三浦綾子の「氷点」や「塩狩峠」といったキリスト教っぽい本が多かった気がします
細かな内容は覚えてないのに、この「許す」という事だけは何年経っても忘れることができません
人は本当に相手を許すことができるのだろうか?と思いました
叔母は30代で旦那さんを事故で亡くしました
叔父が亡くなった日は台風が来ていて近所の家から屋根の上のアンテナを直して欲しいという電話がきました。叔父は、商店街で電気屋さんをしていました
叔父は、私の父親に電話で「手伝って欲しい」と言ったけれど、その時、何か用事があった父親は断ったそうです。そして、叔父は1人でアンテナを直すために屋根に上りました
叔父は、屋根に架けていたはしごから落ちて亡くなりました
その後、その家に居た従姉妹と同い年の子供がはしごの安全装置を外したことがわかりました
叔母は親戚と話し合って、その事を娘には内緒にして30歳を過ぎてから本当の事を話しました
私が聞いたのも、その後でした
叔母は娘に「憎んだり恨んだりしてはいけない」と言ったそうです
「その子にはその子の人生があるんやから、許してあげなさい」と言ったそうです
お姉ちゃん達は「もう、憎む気持ちもないから大丈夫」と言いました
今、私はあの頃の叔母の年齢を超えました
叔母はどんな気持ちでそれを選択したのだろうと思った
私が子供の頃に叔母の家でお酒を飲むといつも父親が「すまなかった」と泣きながら叔母に頭を下げていました。理由をしらない私は「何でお父さんは謝っているんやろ?」と思っていた
父親は「あの時自分が行っていれば、お兄さんは亡くならなくてすんだのに・・・」とずっと後悔していたそうです。でも私は、もしもあの時、屋根に上っていたのが父だったら・・・と思います
果たして私の母は、叔母と同じ選択をしただろうか?と思う
そして、私もお姉ちゃん達のように許すことができただろうか?と思う
「人を許すという事」は、どんなことよりも大変な作業だと思います
私は、傷つけた相手を本当に許す事ってできるかな・・・
2012年04月26日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(2) │読んだ本・・・その他
抗がん剤新薬の混合診療が規制緩和へ
既存の抗がん剤を保険承認時の適用外のがんに使う制度がいよいよ開始される見込みだ。
厚生労働省は2013年4月にも、保険診療との併用(事実上の混合診療)を広く認める方針。
現行の制度では、抗がん剤は、保険承認の際に治療対象となるがんが指定されており、保険適用外のがんに使うことは通常はできなかった。(全額自己負担なら可能だった)。抗がん剤は保険が適用できるがんの種類が決まっており、他のがんに使うと治療費が全額自己負担になってしまうのが原則=「混合診療の禁止」だった。しかし、保険適用の範囲を広げられることで、実用化が進んでいる肺がんの薬を卵巣がん治療に使うなど、がん治療の選択肢が保険診療内で広がる。
抗がん剤の保険適用拡大は、手順として2段階で進められる。
第一段階は、保険適用外の抗がん剤の使用を医療機関が国立がん研究センターに申請、審査される。「先進医療」として認定を受ければ、抗がん剤新薬として診察、検査など一般診療部分に保険が適用される。この段階では、抗がん剤新薬の薬代は、まだ保険対象ではない。しかし、「混合診療」が許されることだけでも大きい。 第二段階では、該当する抗がん剤の治療効果を確認されれば、厚労省による正式な薬事承認に先駆けて、抗がん剤新薬の薬剤費も含めて保険適用の対象費用とできる。
米国では、「コンペンディウム」と呼ばれている "承認"と"保険適用"を切り離した制度が参考にされている。
現行制度では、未承認薬をがん治療に用いると、薬代だけでなく、治療費全てが自己負担になるため、がん患者は、治療の断念か、多額の医療費を負担化の判断が強いられていた。
抗がん剤の多くは、資本力が大きく、巨額の開発費を投入できる欧米の製薬会社を中心に研究・開発が進んでいる。自然と開発対象は、欧米人に多い肺がんや大腸がん などのがんが中心となる。一方、日本人に多いのは、胃がんや卵巣がん で、さらには薬の実用化までの規制が強過ぎることから、抗がん剤新薬の応用研究が遅れているという実情があり、国内のがん患者団体が規制緩和を強く求めていた。
日本医師会には反対論・慎重論があるそうだが、がん患者達の永年の希望が達成される見込みは強くなった。
実は、厚労省が保険併用を広く認める背景には、国内の製薬会社の研究・開発を進める狙いがある。抗がん剤をはじめとする医薬品の輸入超過は年間1兆円を超え、貿易赤字の主因となってきており、国内で国内製薬会社による がん新薬の開発が急務となっているからだ。制度を改革し、抗がん剤新薬の研究開発を促すことで、日本をアジア向け抗がん剤新薬の研究・開発拠点に位置付け、医薬品輸出を拡大したい目論見なのだ。
背景はさておき、がん患者と家族にとっては、使える新薬が増え、治療費が抑制できる新制度は朗報と言える。
早期かつ確実な新制度の発足が望まれる。
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不思議な事だと思っていたのが、例えば子宮体がんで認可されている薬があるとします
その薬を卵巣がんの人が使おうと思っても、卵巣がんでの認可がないと保険外になるということです
抗がん剤は1回の薬代が5万円などもあります(もっと高額な場合もある)
それを1回という事はほとんどなく、もし仮に6回使えば30万円が患者負担になります
それプラス、治療費になります
なぜ、他のがんで認可されているものが自分のがんで使えないのか?という不満がありました
また、効果があるかもしれないけれど、高額な治療費が払えなくて治療を諦めなくてはならないという現状がありました
医師の慎重論もわかりますが、効果があるかもしれない抗がん剤。しかもそれが他のがんで認可されているのに使えないというのは、やはり変な気がします
がんはお金のかかる病気だと言えます
でも患者は手術・抗がん剤・放射線治療とつらい治療にも耐えています
せめて自分が受けたい治療が受けれるような環境になって欲しいと思います
厚生労働省は2013年4月にも、保険診療との併用(事実上の混合診療)を広く認める方針。
現行の制度では、抗がん剤は、保険承認の際に治療対象となるがんが指定されており、保険適用外のがんに使うことは通常はできなかった。(全額自己負担なら可能だった)。抗がん剤は保険が適用できるがんの種類が決まっており、他のがんに使うと治療費が全額自己負担になってしまうのが原則=「混合診療の禁止」だった。しかし、保険適用の範囲を広げられることで、実用化が進んでいる肺がんの薬を卵巣がん治療に使うなど、がん治療の選択肢が保険診療内で広がる。
抗がん剤の保険適用拡大は、手順として2段階で進められる。
第一段階は、保険適用外の抗がん剤の使用を医療機関が国立がん研究センターに申請、審査される。「先進医療」として認定を受ければ、抗がん剤新薬として診察、検査など一般診療部分に保険が適用される。この段階では、抗がん剤新薬の薬代は、まだ保険対象ではない。しかし、「混合診療」が許されることだけでも大きい。 第二段階では、該当する抗がん剤の治療効果を確認されれば、厚労省による正式な薬事承認に先駆けて、抗がん剤新薬の薬剤費も含めて保険適用の対象費用とできる。
米国では、「コンペンディウム」と呼ばれている "承認"と"保険適用"を切り離した制度が参考にされている。
現行制度では、未承認薬をがん治療に用いると、薬代だけでなく、治療費全てが自己負担になるため、がん患者は、治療の断念か、多額の医療費を負担化の判断が強いられていた。
抗がん剤の多くは、資本力が大きく、巨額の開発費を投入できる欧米の製薬会社を中心に研究・開発が進んでいる。自然と開発対象は、欧米人に多い肺がんや大腸がん などのがんが中心となる。一方、日本人に多いのは、胃がんや卵巣がん で、さらには薬の実用化までの規制が強過ぎることから、抗がん剤新薬の応用研究が遅れているという実情があり、国内のがん患者団体が規制緩和を強く求めていた。
日本医師会には反対論・慎重論があるそうだが、がん患者達の永年の希望が達成される見込みは強くなった。
実は、厚労省が保険併用を広く認める背景には、国内の製薬会社の研究・開発を進める狙いがある。抗がん剤をはじめとする医薬品の輸入超過は年間1兆円を超え、貿易赤字の主因となってきており、国内で国内製薬会社による がん新薬の開発が急務となっているからだ。制度を改革し、抗がん剤新薬の研究開発を促すことで、日本をアジア向け抗がん剤新薬の研究・開発拠点に位置付け、医薬品輸出を拡大したい目論見なのだ。
背景はさておき、がん患者と家族にとっては、使える新薬が増え、治療費が抑制できる新制度は朗報と言える。
早期かつ確実な新制度の発足が望まれる。
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不思議な事だと思っていたのが、例えば子宮体がんで認可されている薬があるとします
その薬を卵巣がんの人が使おうと思っても、卵巣がんでの認可がないと保険外になるということです
抗がん剤は1回の薬代が5万円などもあります(もっと高額な場合もある)
それを1回という事はほとんどなく、もし仮に6回使えば30万円が患者負担になります
それプラス、治療費になります
なぜ、他のがんで認可されているものが自分のがんで使えないのか?という不満がありました
また、効果があるかもしれないけれど、高額な治療費が払えなくて治療を諦めなくてはならないという現状がありました
医師の慎重論もわかりますが、効果があるかもしれない抗がん剤。しかもそれが他のがんで認可されているのに使えないというのは、やはり変な気がします
がんはお金のかかる病気だと言えます
でも患者は手術・抗がん剤・放射線治療とつらい治療にも耐えています
せめて自分が受けたい治療が受けれるような環境になって欲しいと思います
2012年04月25日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │ニュース・・・がん
やってはいけない不幸を呼び寄せる習慣
この世の中には、運のいい人と運の悪い人がいますが、どうして運が良い人と運が悪い人に分かれてしまうのでしょうか。
同じ出来事に遭遇しても、考え方、感じ方は違います。一万円が入った財布を落として「なんて自分は運が悪いんだ」と思うのか、「よかった、三万円入っていなくて。大切なカード類も入ってなかったし」と思うのか、その解釈によって、その後の運気は180度異なるのです。
千田さんの著書『20代で身につけたい 一度、手に入れたら一生モノの幸運をつかむ50の習慣』(徳間書店/刊)の中から、あなたの運気を下げて不幸にしてしまう習慣を3つ、ご紹介します。
■愚痴を吐く人の周りは愚痴だらけ
仲間内で愚痴を言い合ったり、いつも不平不満を言ったりしてしまう。自分の思う通りにいかなければ、そんな風になってしまうこともあるでしょう。しかし、愚痴やネガティブな情報ばかり発信してしまうと、周囲も愚痴ばかりになり、いつしか自分の周りには不平不満で溢れかえっている…という状況になってしまいます。
幸せになりたければ、自らポジティブな言葉を発信し続けることが大切です。これは今すぐにできることです。
■暗い顔は伝染する
どん底に落ちたとき、多くの人は暗い顔をしてうなだれます。
しかし、暗い顔をするから生命力が落ち込んでますます暗い人生になっていくと千田さんは言います。さらにその暗い顔はそのまま伝染し、周囲から応援もされない孤立無援な状況に陥ってしまいます。
そうならないように、どん底のときこそ笑うのです。どん底で暗い顔せずにイキイキと歯を食いしばっていると、必ず出逢いがあります。その出逢いがあなたを助けることになるのです。
■「けど」の多用は禁句
失敗した「けど」仕方ないよね。遅刻した「けど」仕方ないよね。そんな風に「けど」を使ってしまうことはないでしょうか。
千田さんはこの「けど」という言葉は、その前にある言葉を悪気なく水に流してしまう悪魔の言葉だといいます。一瞬にしてそこで成長をストップさせてしまう恐ろしい口癖であり、急激に運気を落としてしまうとまで言います。
確かに失敗した、という言葉に「けど」と続くと、自分で自分の罪を勝手に許してしまっているように聞こえます。
ビジネスパーソンは結果が大事です。結果を求めるのであれば、「けど」は禁句です。
よくやってしまいがちなこれらのことですが、私たちは知らず知らずのうちに自分の運気を下げていたといえます。
「最近イケてないな、自分の周囲は」と思ったら、まずは自分がネガティブなオーラを発信していないか、確認してみるのはいかがでしょうか。意外と自分に一番問題があるのかも知れませんよ。
(新刊JP編集部)
やってはいけない不幸を呼び寄せる習慣:http://netallica.yahoo.co.jp/news/278799
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今日は、大変な1日で9時半から三鷹で人間関係交流士の講座と10時半から1時半まで同じく三鷹でカラーセラピスト養成講座の中級を受けてきました
その後、また人間関係交流士の講座を5時まで受けました
う~~ん、お腹すいた~~~とおにぎり1個では満足しない私はアーモンドとナッツを食べていました
どちらも絶対に外せないので、仕方がない!
まあ、同じ三鷹だしなんとかなるか。と思い頑張ってみました
かなりのヘロヘロさでしたが、なんとかなりました
帰りに、近くのファミリーレストランで食事をしたのですが、人間関係交流士の講座の人が「たばこを止めたいけれど止めれない」という話になりました
私は「そもそもなんで止めたいの?」という疑問があったので(好きで吸っているなら、止める必要もないし)聞いてみました
そしたら「自分が止めたい」というよりは「だって、今だって喫煙室に入れられたりして疎外されているじゃない」というのを聞いて、私としてはその人のために喫煙室に入れられている私たちのほうが可哀想じゃないのかな?と思った
残りの5人に迷惑をかけてでも吸っているのは、いいんだ・・・と思ったし、その後も「止めてしばらくしたら親しい人が亡くなったりして吸ってしまうような事件が起きるから止めれない」というので「その事件が起きたからといって吸う理由にはならないんじゃないの?」と聞いてみた
「吸わなきゃいけないような事件が起きるんだから仕方がないでしょ」と言われて、それってただ「人のせい」にしているだけじゃないのかな?と思った
「止めたい、止めたい」と言っていても、結局はつらいことや何かがあるとタバコに逃げているだけ
だと思うし、ただそれを誰かのせいにして言い訳しているだけじゃないの?と思った
そういう私も20歳くらいから10年くらいはタバコを吸っていたし、禁煙のつらさもわかる
先日も、何年かぶりにお酒を飲んだらついつい「1本ね」と言いながら「2本」もらいタバコをしました
でも「タバコ吸える位元気になったと思って許してあげるか」と思っていた
そしたら、次にお酒を飲んだ時には吸わなかった
こういう悩みを聞く人に「なんでだろうな?」って思うのは、本当は自分のせいなのに必ず「人のせい」にすることと、できない理由はいっぱい並べる癖に「やってみよう」とは言わないことです
愚痴ばっかり聞かされても全然、楽しくないし食事の時にいう話でもないと思う
しかも「この話、これで何回目?」と思った
何度も何度も聞くけれど、禁煙に特効薬はないというよりは本人が真剣に禁煙する気がないのに「OOしたら、禁煙できる」という方法ばかり聞きたがるという事です
本当に止めたいなら「とりあえず少しでも止めていく(本数を減らしていく)」「みんなと食事する時には、禁煙席をお願いする」「人のせいにしない」「病院に通う」などをやってみればいいのに・・・と思った私でした
せっかくの食事の時間を楽しいものにする。それだけでもタバコの本数は減る気がするんだけど・・・
ただ、運のいい悪いは実はないといわれています
でも宝くじに当たった人に聞いてみると「その前から運のいいことがあったから」という人が多いそうです
だから「宝くじを買ってみた」そして当たったということだそうです
自分の人生「運まかせ」というのは、ちょっとどうかな?とも思うけれど「いい人生だな」と思うのはいいなって思います
同じ出来事に遭遇しても、考え方、感じ方は違います。一万円が入った財布を落として「なんて自分は運が悪いんだ」と思うのか、「よかった、三万円入っていなくて。大切なカード類も入ってなかったし」と思うのか、その解釈によって、その後の運気は180度異なるのです。
千田さんの著書『20代で身につけたい 一度、手に入れたら一生モノの幸運をつかむ50の習慣』(徳間書店/刊)の中から、あなたの運気を下げて不幸にしてしまう習慣を3つ、ご紹介します。
■愚痴を吐く人の周りは愚痴だらけ
仲間内で愚痴を言い合ったり、いつも不平不満を言ったりしてしまう。自分の思う通りにいかなければ、そんな風になってしまうこともあるでしょう。しかし、愚痴やネガティブな情報ばかり発信してしまうと、周囲も愚痴ばかりになり、いつしか自分の周りには不平不満で溢れかえっている…という状況になってしまいます。
幸せになりたければ、自らポジティブな言葉を発信し続けることが大切です。これは今すぐにできることです。
■暗い顔は伝染する
どん底に落ちたとき、多くの人は暗い顔をしてうなだれます。
しかし、暗い顔をするから生命力が落ち込んでますます暗い人生になっていくと千田さんは言います。さらにその暗い顔はそのまま伝染し、周囲から応援もされない孤立無援な状況に陥ってしまいます。
そうならないように、どん底のときこそ笑うのです。どん底で暗い顔せずにイキイキと歯を食いしばっていると、必ず出逢いがあります。その出逢いがあなたを助けることになるのです。
■「けど」の多用は禁句
失敗した「けど」仕方ないよね。遅刻した「けど」仕方ないよね。そんな風に「けど」を使ってしまうことはないでしょうか。
千田さんはこの「けど」という言葉は、その前にある言葉を悪気なく水に流してしまう悪魔の言葉だといいます。一瞬にしてそこで成長をストップさせてしまう恐ろしい口癖であり、急激に運気を落としてしまうとまで言います。
確かに失敗した、という言葉に「けど」と続くと、自分で自分の罪を勝手に許してしまっているように聞こえます。
ビジネスパーソンは結果が大事です。結果を求めるのであれば、「けど」は禁句です。
よくやってしまいがちなこれらのことですが、私たちは知らず知らずのうちに自分の運気を下げていたといえます。
「最近イケてないな、自分の周囲は」と思ったら、まずは自分がネガティブなオーラを発信していないか、確認してみるのはいかがでしょうか。意外と自分に一番問題があるのかも知れませんよ。
(新刊JP編集部)
やってはいけない不幸を呼び寄せる習慣:http://netallica.yahoo.co.jp/news/278799
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今日は、大変な1日で9時半から三鷹で人間関係交流士の講座と10時半から1時半まで同じく三鷹でカラーセラピスト養成講座の中級を受けてきました
その後、また人間関係交流士の講座を5時まで受けました
う~~ん、お腹すいた~~~とおにぎり1個では満足しない私はアーモンドとナッツを食べていました
どちらも絶対に外せないので、仕方がない!
まあ、同じ三鷹だしなんとかなるか。と思い頑張ってみました
かなりのヘロヘロさでしたが、なんとかなりました
帰りに、近くのファミリーレストランで食事をしたのですが、人間関係交流士の講座の人が「たばこを止めたいけれど止めれない」という話になりました
私は「そもそもなんで止めたいの?」という疑問があったので(好きで吸っているなら、止める必要もないし)聞いてみました
そしたら「自分が止めたい」というよりは「だって、今だって喫煙室に入れられたりして疎外されているじゃない」というのを聞いて、私としてはその人のために喫煙室に入れられている私たちのほうが可哀想じゃないのかな?と思った
残りの5人に迷惑をかけてでも吸っているのは、いいんだ・・・と思ったし、その後も「止めてしばらくしたら親しい人が亡くなったりして吸ってしまうような事件が起きるから止めれない」というので「その事件が起きたからといって吸う理由にはならないんじゃないの?」と聞いてみた
「吸わなきゃいけないような事件が起きるんだから仕方がないでしょ」と言われて、それってただ「人のせい」にしているだけじゃないのかな?と思った
「止めたい、止めたい」と言っていても、結局はつらいことや何かがあるとタバコに逃げているだけ
だと思うし、ただそれを誰かのせいにして言い訳しているだけじゃないの?と思った
そういう私も20歳くらいから10年くらいはタバコを吸っていたし、禁煙のつらさもわかる
先日も、何年かぶりにお酒を飲んだらついつい「1本ね」と言いながら「2本」もらいタバコをしました
でも「タバコ吸える位元気になったと思って許してあげるか」と思っていた
そしたら、次にお酒を飲んだ時には吸わなかった
こういう悩みを聞く人に「なんでだろうな?」って思うのは、本当は自分のせいなのに必ず「人のせい」にすることと、できない理由はいっぱい並べる癖に「やってみよう」とは言わないことです
愚痴ばっかり聞かされても全然、楽しくないし食事の時にいう話でもないと思う
しかも「この話、これで何回目?」と思った
何度も何度も聞くけれど、禁煙に特効薬はないというよりは本人が真剣に禁煙する気がないのに「OOしたら、禁煙できる」という方法ばかり聞きたがるという事です
本当に止めたいなら「とりあえず少しでも止めていく(本数を減らしていく)」「みんなと食事する時には、禁煙席をお願いする」「人のせいにしない」「病院に通う」などをやってみればいいのに・・・と思った私でした
せっかくの食事の時間を楽しいものにする。それだけでもタバコの本数は減る気がするんだけど・・・
ただ、運のいい悪いは実はないといわれています
でも宝くじに当たった人に聞いてみると「その前から運のいいことがあったから」という人が多いそうです
だから「宝くじを買ってみた」そして当たったということだそうです
自分の人生「運まかせ」というのは、ちょっとどうかな?とも思うけれど「いい人生だな」と思うのはいいなって思います
2012年04月23日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │ポジティブ心理学
アラフォーには3人の女友達が必要
雑誌で面白いものを見つけました
『アラフォーには3人の女友達が必要』というのを見て「うんうん、わかるわかる」と思った
3つの内訳は、1:共感系、2:励まし系、3:苦言系
どんな女友達も、共通の基本はこれ!:共感系
良い面:否定しないで、聞いてくれる。それだけで十分にありがたい
悪い面:軽く受け流したり、悪口にのっかかると「共感」してもらった気がしない
自分を取り戻して前向きになれる:励まし系
良い面:事情を聞いても聞かなくても明るい気分になれたら成功
悪い面:励ますつもりが、デリカシーのない一言になりがち
ズバッと指摘して目を覚まさせてくれる:苦言系
良い面:よさをわかっているから言える、愛のある一言
悪い面:付き合いが長いと、かえって思いやりを忘れることも
私も相談事の電話をしたりする時に、使い分けている気がしました
一番、大切な問題は同級生でもある30年来の友人に話すことが多くて、楽しい話は年下の友達。
困ったことがあると少し離れた場所に住んでいる年上の友達と話すことが多いです。
後は、ランチを食べる時と飲みに行く友達もちょっと違うかもしれないなって思いました
私の友人は飲めない人が多いので、それも関係しているのかも・・・
実は私は、人と長く一緒にいるのが苦手です
先日友達から「旅行のチケットがあるんだけど、行かない?」と言われました
諸事情で行けなくなった友人の代わりに行ってこない?という話だったのですが、私が旅行に行ける友達は中学・高校の同級生だけです。中学時代や高校時代の友達って、あほみたいに一緒にいた(授業や家へのお泊りなど)から、本当に気を使わないんだけれど、それ以外の人って何となく旅行は無理かなって思います
結局、そのチケットは1人での宿泊ができないのと声を掛けてくれた友達が行けるようになったので、お流れになったけれど、その時に「私、同級生以外とは旅行に行った事がないわ」という事に気がついた
1人でも旅行にいけるのに、新しい人間関係では行けないって何となく女性では珍しい?と思ったけれど、私はそういうものかもしれないなと思った
1人で行ける人が大人なのか、新しい友人とでも旅行に行けるのが大人なのかは不明だけど、1泊くらいで旅行に行ける友達がいてもいいかな。なんて思っています
そして、必要以上に干渉してこない人がいいかな
「自分は自分」という関係がいい
でも、一番大切な事は電話でも会っていてもそうだけれど、お互いが『ああ楽しかった』『話せてよかった』と思える事が一番大切だなって思います。どんなに愚痴を言っても悪口を言ってもいいと思います
でも、最後は笑って「またね」と言える友人関係でないと続かないと思います
『アラフォーには3人の女友達が必要』というのを見て「うんうん、わかるわかる」と思った
3つの内訳は、1:共感系、2:励まし系、3:苦言系
どんな女友達も、共通の基本はこれ!:共感系
良い面:否定しないで、聞いてくれる。それだけで十分にありがたい
悪い面:軽く受け流したり、悪口にのっかかると「共感」してもらった気がしない
自分を取り戻して前向きになれる:励まし系
良い面:事情を聞いても聞かなくても明るい気分になれたら成功
悪い面:励ますつもりが、デリカシーのない一言になりがち
ズバッと指摘して目を覚まさせてくれる:苦言系
良い面:よさをわかっているから言える、愛のある一言
悪い面:付き合いが長いと、かえって思いやりを忘れることも
私も相談事の電話をしたりする時に、使い分けている気がしました
一番、大切な問題は同級生でもある30年来の友人に話すことが多くて、楽しい話は年下の友達。
困ったことがあると少し離れた場所に住んでいる年上の友達と話すことが多いです。
後は、ランチを食べる時と飲みに行く友達もちょっと違うかもしれないなって思いました
私の友人は飲めない人が多いので、それも関係しているのかも・・・
実は私は、人と長く一緒にいるのが苦手です
先日友達から「旅行のチケットがあるんだけど、行かない?」と言われました
諸事情で行けなくなった友人の代わりに行ってこない?という話だったのですが、私が旅行に行ける友達は中学・高校の同級生だけです。中学時代や高校時代の友達って、あほみたいに一緒にいた(授業や家へのお泊りなど)から、本当に気を使わないんだけれど、それ以外の人って何となく旅行は無理かなって思います
結局、そのチケットは1人での宿泊ができないのと声を掛けてくれた友達が行けるようになったので、お流れになったけれど、その時に「私、同級生以外とは旅行に行った事がないわ」という事に気がついた
1人でも旅行にいけるのに、新しい人間関係では行けないって何となく女性では珍しい?と思ったけれど、私はそういうものかもしれないなと思った
1人で行ける人が大人なのか、新しい友人とでも旅行に行けるのが大人なのかは不明だけど、1泊くらいで旅行に行ける友達がいてもいいかな。なんて思っています
そして、必要以上に干渉してこない人がいいかな
「自分は自分」という関係がいい
でも、一番大切な事は電話でも会っていてもそうだけれど、お互いが『ああ楽しかった』『話せてよかった』と思える事が一番大切だなって思います。どんなに愚痴を言っても悪口を言ってもいいと思います
でも、最後は笑って「またね」と言える友人関係でないと続かないと思います
2012年04月22日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │がんとこころ
がん・肺炎…医療ネグレクトの子、重症化35人
保護者が必要な治療を受けさせない医療ネグレクトによって症状が悪化した子どもは、2008年秋からの1年間に全国で35人いたことが、厚生労働省研究班のアンケート調査でわかった。
大半は病気に対する親の理解不足が原因だった。20日に福岡市で開かれる日本小児科学会で発表する。
小児科のある全国の病院550施設のうち、160施設が回答。主治医が、育児放棄と呼ばれる虐待の一種、医療ネグレクトと判断した事例は452件に上った。このうち、同研究班が輸血の拒否や入院、手術が必要になった重症例の35人(0~11歳)を分析した。
病気の種類は小児がん、神経疾患などで、3人にまひなどの後遺症が生じたほか、受診の遅れで肺炎が重症化するなどの健康被害があった。ネグレクトとの因果関係は不明だが、6人が死亡していた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こういう記事を見ると悲しくなります
最近「子供が、親を選んで生まれてきた」とか「生まれてきた意味」なんていうのを聞きますが、こういう子供はどうなのでしょうか?
親の身勝手で亡くならなくてはいけない子供。
親の理解不足といえば、そうかもしれませんが、私は子供は親を選べる訳ではないと思います
子供が病気になった時に「自分が悪い事をしたから病気になった」という事を言うそうです
お母さんやお父さんから「悪い事をしたから怒られた」と同じように病気を自分のせいだと思い込んでしまう。また、親の病気ですら「自分が悪いことをしたから、お母さんが病気になった」という子供もいます
子供は守られなくてはいけないものだと思います
親の身勝手に振り回される子供がいない世の中になって欲しいです
大半は病気に対する親の理解不足が原因だった。20日に福岡市で開かれる日本小児科学会で発表する。
小児科のある全国の病院550施設のうち、160施設が回答。主治医が、育児放棄と呼ばれる虐待の一種、医療ネグレクトと判断した事例は452件に上った。このうち、同研究班が輸血の拒否や入院、手術が必要になった重症例の35人(0~11歳)を分析した。
病気の種類は小児がん、神経疾患などで、3人にまひなどの後遺症が生じたほか、受診の遅れで肺炎が重症化するなどの健康被害があった。ネグレクトとの因果関係は不明だが、6人が死亡していた。
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こういう記事を見ると悲しくなります
最近「子供が、親を選んで生まれてきた」とか「生まれてきた意味」なんていうのを聞きますが、こういう子供はどうなのでしょうか?
親の身勝手で亡くならなくてはいけない子供。
親の理解不足といえば、そうかもしれませんが、私は子供は親を選べる訳ではないと思います
子供が病気になった時に「自分が悪い事をしたから病気になった」という事を言うそうです
お母さんやお父さんから「悪い事をしたから怒られた」と同じように病気を自分のせいだと思い込んでしまう。また、親の病気ですら「自分が悪いことをしたから、お母さんが病気になった」という子供もいます
子供は守られなくてはいけないものだと思います
親の身勝手に振り回される子供がいない世の中になって欲しいです
2012年04月21日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │ニュース・・・がん
がん骨転移の痛みを抑える新薬
多発性骨髄腫による骨病変及び固形癌骨転移による骨病変を効能・効果とする「ランマークⓇ皮下注120mg」新発売のお知らせ
第一三共株式会社とアストラゼネカ株式会社は、第一三共が多発性骨髄腫による骨病変及び固形癌骨転
移による骨病変を効能・効果とする「ランマークⓇ皮下注120mg」 (一般名:デノスマブ(遺伝子組換え)、製造販売承認取得日:本年1 月18 日、薬価基準収載日:本年4 月17 日)を発売しましたことをお知らせいたします。
ランマークは破骨細胞の活性を抑制する世界初のヒト型抗 RANKL モノクローナル抗体で、骨転移を有する癌患者および多発性骨髄腫患者の骨関連事象の発生を抑制することが確認されています
第一三共株式会社:http://www.daiichisankyo.co.jp/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
子宮頸がんや乳がんなどは、骨転移を起こしやすいと言われています
もちろん、全てではないし他の臓器への転移もあります
ただ、骨に近い場所のがんということで骨転移を言われます
私の子宮頸がんの病理は扁平上皮がんで固形がんなので抗がん剤が効きにくいと言われています
(効かないのではないし、放射線治療での治療実績もあります)
ただ、放射線の腹部への照射は基本的には1度きり(1回目の照射でほぼ上限のグレイ数をするので)ということが多く、照射ができない場合があります
その場合は、骨への転移があっても放射線治療ができないので痛みを伴う場合があります
「痛い、痛い」と言って亡くなるドラマなどのイメージもあって全てのがんが「痛い」と思われていたりしますが、転移をした場所にも状態にもよるので痛みも「人それぞれ」です
でも、現在でもモルヒネ系を嫌がる医師や患者も多く、日本では痛みに対するケアが諸外国よりも遅れているといわれているなかで破骨細胞の活性を抑制する薬が出てくるのはいいなと思いました
痛みって、どんなに強い人であっても長期に続けば精神的に追い詰められていく気がします
できるだけ痛くないのがいいな
第一三共株式会社とアストラゼネカ株式会社は、第一三共が多発性骨髄腫による骨病変及び固形癌骨転
移による骨病変を効能・効果とする「ランマークⓇ皮下注120mg」 (一般名:デノスマブ(遺伝子組換え)、製造販売承認取得日:本年1 月18 日、薬価基準収載日:本年4 月17 日)を発売しましたことをお知らせいたします。
ランマークは破骨細胞の活性を抑制する世界初のヒト型抗 RANKL モノクローナル抗体で、骨転移を有する癌患者および多発性骨髄腫患者の骨関連事象の発生を抑制することが確認されています
第一三共株式会社:http://www.daiichisankyo.co.jp/
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子宮頸がんや乳がんなどは、骨転移を起こしやすいと言われています
もちろん、全てではないし他の臓器への転移もあります
ただ、骨に近い場所のがんということで骨転移を言われます
私の子宮頸がんの病理は扁平上皮がんで固形がんなので抗がん剤が効きにくいと言われています
(効かないのではないし、放射線治療での治療実績もあります)
ただ、放射線の腹部への照射は基本的には1度きり(1回目の照射でほぼ上限のグレイ数をするので)ということが多く、照射ができない場合があります
その場合は、骨への転移があっても放射線治療ができないので痛みを伴う場合があります
「痛い、痛い」と言って亡くなるドラマなどのイメージもあって全てのがんが「痛い」と思われていたりしますが、転移をした場所にも状態にもよるので痛みも「人それぞれ」です
でも、現在でもモルヒネ系を嫌がる医師や患者も多く、日本では痛みに対するケアが諸外国よりも遅れているといわれているなかで破骨細胞の活性を抑制する薬が出てくるのはいいなと思いました
痛みって、どんなに強い人であっても長期に続けば精神的に追い詰められていく気がします
できるだけ痛くないのがいいな
2012年04月20日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │ニュース・・・がん
再発がんのメカニズムを解明へ
再発がんのメカニズムを解明へ
放射線治療後にがんが再発するメカニズムの一端が解明された。
がんは、がん細胞の周囲の血管から酸素の供給を受けることで増殖する。がんが放射線治療後も死なずに再び増殖してしまうのは、血管から少し離れた低酸素環境でも生存できる特定のがん細胞が原因であると断定された。
この特殊な がん細胞は、血管の周囲のがん細胞が放射線で死滅すると、遺伝子が活性化することで血管の方向へ移動することが観察されたのだ。実験では、治療前のがんには17%しか存在しなかった特定がん細胞が、がんの再発時には60%にまで増えていた。この特定がん細胞を阻害剤で移動抑止すると がんは再発しなかったのである。
将来的な新治療法として、この「低酸素がん細胞」に放射線を集中照射する方法などが検討されており、がん再発の防止は実現にまた一歩近づいた。
がん再発メカニズムは、京都大大学院の原田浩講師らの研究グループが解明し、英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズに発表された。
癌(がん)治療の最新情報:http://blog.kougan.info/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私のがんは、局所的に再発した場合は、手術で切ることができますが
全身へ転移したがんの場合は抗がん剤治療では難しいというのを聞きます
抗がん剤の効果は100%ではないし・・・ね
先日、肛門から大量に出血しました
「ああ、この日が来たのかな・・・(腸への転移)」と思った
でも、ふと「これって放射線治療の時と同じやん」と思った
治療中に腹部だけに照射するとは言っても、腸への照射は避けられません
その時に腸壁が火傷のようになってしまうのと、あまりに回数の多い下痢で直腸に傷が付くらしいです
治療中にはかなりのつらさなので「重カマ」という便を柔らかくするための薬と、浣腸の形をしたステロイド剤を処方してもらいました
今回もそれを思い出して、できるだけ沢山の水分と一緒に「重カマ」を飲みました
すると、出血は止まりました
放射線治療は、そんなに優しいものではないと思います
でも、手術と併用することで治療効果があがります
がんは再発・転移すると難しいと言われています
再発のメカニズムが解明される事で、もっと治療効果があがるといいなと思います
放射線治療後にがんが再発するメカニズムの一端が解明された。
がんは、がん細胞の周囲の血管から酸素の供給を受けることで増殖する。がんが放射線治療後も死なずに再び増殖してしまうのは、血管から少し離れた低酸素環境でも生存できる特定のがん細胞が原因であると断定された。
この特殊な がん細胞は、血管の周囲のがん細胞が放射線で死滅すると、遺伝子が活性化することで血管の方向へ移動することが観察されたのだ。実験では、治療前のがんには17%しか存在しなかった特定がん細胞が、がんの再発時には60%にまで増えていた。この特定がん細胞を阻害剤で移動抑止すると がんは再発しなかったのである。
将来的な新治療法として、この「低酸素がん細胞」に放射線を集中照射する方法などが検討されており、がん再発の防止は実現にまた一歩近づいた。
がん再発メカニズムは、京都大大学院の原田浩講師らの研究グループが解明し、英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズに発表された。
癌(がん)治療の最新情報:http://blog.kougan.info/
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私のがんは、局所的に再発した場合は、手術で切ることができますが
全身へ転移したがんの場合は抗がん剤治療では難しいというのを聞きます
抗がん剤の効果は100%ではないし・・・ね
先日、肛門から大量に出血しました
「ああ、この日が来たのかな・・・(腸への転移)」と思った
でも、ふと「これって放射線治療の時と同じやん」と思った
治療中に腹部だけに照射するとは言っても、腸への照射は避けられません
その時に腸壁が火傷のようになってしまうのと、あまりに回数の多い下痢で直腸に傷が付くらしいです
治療中にはかなりのつらさなので「重カマ」という便を柔らかくするための薬と、浣腸の形をしたステロイド剤を処方してもらいました
今回もそれを思い出して、できるだけ沢山の水分と一緒に「重カマ」を飲みました
すると、出血は止まりました
放射線治療は、そんなに優しいものではないと思います
でも、手術と併用することで治療効果があがります
がんは再発・転移すると難しいと言われています
再発のメカニズムが解明される事で、もっと治療効果があがるといいなと思います
2012年04月19日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │ニュース・・・がん
スピリチュアルにハマる人、ハマらない人

いまスピリチュアルが大ブーム。かつてはアヤシイと思われていた「守護霊」「前世」「魂」の話題が、軽く明るく普通に語られるようになったのはどうしてなのか?そこには「人は死んでも生き返る」と信じる子どもの増加、「科学のお墨付き」を売りにした「脳トレ」「健康食品」ブーム、「自分の幸せ」だけが大事な内向き志向との隠れた共通点があった―。時代の空気を読むスペシャリストが、ブームの深層にひそむ、日本人のメンタリティの変化を解き明かす。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昔から、何かしら「胸騒ぎ」がしたり、夢枕に亡くなった人が来てくれたりという不思議な体験をしている私ですが、実はスピリチュアルを完全には信じていません
自分に関しては、基本的に私は占い師ではないし、何かを感じても結果が出てからでないと何も言いません
私としては、自分の夢や体調の不調などが何を意味しているのかはわからないし、それを「何か起こるかもしれないから気をつけて」とは、いえないなって思います・・・
それは、正直なところ相手に対して責任を負いたくないのだと思います
もし言ったとして「そんな事、聞きたくなかった」という人もいるし「言ってくれてありがとう」という人もいると思います
でも、私は自分の身に起きた事は、自分自身で解決していかなきゃいけないんじゃないのかな?と思っているから、何も感じなかったのであればそれはそういうものだったと思うしかないと思います
色々な占い師がいると思います。私も占ってもらったこともあるし。
ただ以前、叔母と話した時に「嫌な事をいう占い師は信じてはいけない」と言われました
叔母は、40代で旦那さんを事故で亡くしました
その時に、嫁ぎ先のお墓のある住職さんに舅・姑と同居している家を出るかどうかを相談したそうです
住職さんには「OO歳の時とOO歳の時とOO歳の時にいい事が起きるから、それまで我慢しなさい」と言われたそうです。叔母は、その後、舅と姑を看取りました
そして、自分の娘が立ててくれた2世帯住宅に住んで、ふとあの時の住職さんの言葉を思い出したそうです
最初の年に足の悪い姑が亡くなって、次に認知症の舅が亡くなって、最後が娘と一緒に住んだ年だったそうです
それを聞いて私が「すごいね、私も会いたい」と言ったら、住職さんは亡くなってしまったけれど、その時に自分は「いい事がある」としか言われなかったことがよかったと教えてくれました
悪い事が起きる年を聞きたがる人がいるし、占い師も悪いことがあると過去の出来事のせいと言ったり「OOに転居してはいけない」とか「結婚してはいけない」とかいうけれど、所詮は「自分のせい」なのだから、何かが起きた時には自分で解決していかなきゃいけないと教えてくれました
でも「いい事がある」と教えてくれれば、それを励みに頑張っていくことができるでしょ。と教えてくれた
だから私も占いのいいところしか信じないようになりました
人間、生きていれば「いい事も悪いこともあって当たり前」という叔母の言葉は本当にそうだと思った
いい事ばかりが起きる人生なんて、それはそれで変な気がします
いい事が起きれば、それはもうけもの。悪い事があれば、これを乗り越えればいい事があると考えればいいだけじゃないかな。と思う。そして乗り越えた人は、その分だけ強くなっているんじゃないのかな?と思うし。
先日、母と話をした時に40年以上前に喧嘩別れして会っていなかった友達が、何日も夢枕に立って「会いたい、会いたい」と言っているのを見て、探して会いに行ったら、その友達がかなりの重病で「会いたかった」と言ったそうです。母は、お互い年だから次に会えるかどうかわからないね。と言って別れたそうです
そしたら、その日から友達は夢枕に立たなくなったそうです
母が「どうしても会いたかったんやな」と言って「会えてよかったわ」と言っていました
母も叔母も、そして従姉妹も色々な不思議な体験を持っています
でも、そんな私でも今のスピリチュアルブームを見ていていると、なんだか異様な気がします
なんでも「オーラが見えます」と言ったり「パワースポット=幸運」なんてほんまかいな?と思う
そして、それを信じてない人を「信じてないの」という批判的なのも不思議だし・・・
見える人がいて、見えない人もいる
それも「人それぞれ」とちがうんやろか?って思う
それをみんなが一緒に「信じてる世界」のほうが不気味です・・・
出雲大社に行くのも伊勢神宮に行くのもいいと思います
でも、どこかで冷めたところも必要かな。って思ってます
そして、亡くなった人が夢に出てきてくれないと言うのを聞くことがありますが
私が思うのは「思いが強すぎても出てこれない」んじゃないかな?という事です
何となく、そんな気がします
2012年04月18日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │読んだ本・・・心理学
怒ると叱る
仕事をしていないので平日のお稽古に行ってきました
その時に60代のお姑さん3人が言っていたのは「最近のおかあさんって怒り方が怖いよね」という事でした。あまりにも怖いので、見ているほうがつらくなってしまった。という話でした
私も先日、同じような場面に出くわして驚いていたので「わかる、わかる。怖いよね・・・」と言いました
以前、叔母と母の話をしている時に「なんで、お母さんは私の味方をしてくれなかったのかな?」と聞いた事があります。母は父が私に怒っているときに助けてくれることがなかったので、それが子供の私にはとてもつらかったと話しました。母にも「なんで味方してくれへんかったん?」と聞いたら「だって、あんたが悪いんやから」と言われました。私としては「それって、おかしんと違う」と思ったのに、さも「当たり前」のように言った母の言葉が理解できませんでした
それで叔母に「なんか変と違う?」と聞きました
叔母は「私は、娘にも言うけれど、もしもお父さんが怒った時には、どんなに子供が間違えていても、あんたは子供の味方をしてあげなあかんで。そうでなかったら、子供の逃げ場がなくなるやろ」と教えてきた。といってました。娘夫婦と同居している叔母のところに孫が「おばあちゃん」と泣きながら逃げてきたことがあったそうです。その時に、叔母が娘に言ったそうです
「子供には逃げ場が必要」というのは、とってもわかります
きっと子供の頃の私の逃げ場は、叔母のところだったのだと思います
そうやって私のように逃げる場所があった人はいいけれど、ない人はどこに逃げているのでしょうか?
派遣で働いていると、色々な職場見ます
「なんでこういう言い方なんだろう?」と思う人もいれば、とても働きやすい雰囲気を作ってくれる人もいます。職場の雰囲気は人でできるというのが、とてもわかります
先日、ネットで見つけたので「新入社員のとき、プレッシャーを感じた言葉」というのがありました
「言っている意味、分かる?」(35.2%)
「そんなことも分からないのか」(24.0%)
「期待しているよ」(23.6%)
「あれ、どうなってる?」(22.4%)
何となく「わかる、わかる」という言葉もあれば「期待しているよ」のように、プラスの言葉に思えるものがプレッシャーになるっていうのは、難しいなって思った
その場面場面にもよるかもしれないとは思うけれど・・・
また自分が人の立場になってみて初めてわかることもあると思います
「そんなつもりじゃなかった」けれど、人を追い詰めていたなんてこともあると思います
新しい職場に行くと感じる事は「受け入れてもらう側」1:2「受け入れる側」くらいのパワーがないと受け入れてもらう側は不安に感じる気がします
2以上のパワーで職場全体で「受け入れてあげるよ」と表してくれると、新しい人もやっと安心する気がします。「派遣なんだから」とか「期間が決まっている人だから」という接し方をされると、それは直接伝わる気がします。それには、きっと「あなたはOK。でも、私はOKではない」という雰囲気を感じてしまうからかもしれません。。どんなに短い期間であっても、どういう働き方であってもお互いが「OKである」という関係でなければいけないと思います
「怒る」と「叱る」は、全く違うものな気がします
怒るのは、ただ自分の感情をぶつけているように思えます
子供のため。と言いながら、まるで自分のストレスのはけ口を子供を怒ることで解消しようとしている気がします。そして「なんでこんな事できないのよ」「何度も言わさないでよ」というのを感じます
だから、怒っている親はあんなに感情的でヒステリックなのではないでしょうか?
叱るのは、あくまでも子供の目線な気がします
私は親ではないけれど、叱っている親には不快感を覚えることはありません
私は、叔母に怒られた記憶はありません
でも、叱られた記憶はあります
私が何かをした時には、声を荒げることなく説明をしてくれました
子供はどんなに小さくても、きちんと説明すれば、わかるものなんじゃないのかな?って思います
そして、叱られていると思うと「ごめんなさい」と思うけれど、怒っている親に対しては「また怒ってるわ」くらいに思っている気がします
ある自閉症児のお母さんが、自分が子供を怒っている時には子供がパニックを起こしていた。
それを見るとストレスを感じてまた、子供に怒る。でも、それを受け入れて自分が子供にストレスをぶつけなくなったら、子供のパニック症状がなくなった。という事でした
子供って結構、ちゃんと見ているもんだと思います
新入社員のとき、プレッシャーを感じた言葉は?
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1204/11/news065.html
その時に60代のお姑さん3人が言っていたのは「最近のおかあさんって怒り方が怖いよね」という事でした。あまりにも怖いので、見ているほうがつらくなってしまった。という話でした
私も先日、同じような場面に出くわして驚いていたので「わかる、わかる。怖いよね・・・」と言いました
以前、叔母と母の話をしている時に「なんで、お母さんは私の味方をしてくれなかったのかな?」と聞いた事があります。母は父が私に怒っているときに助けてくれることがなかったので、それが子供の私にはとてもつらかったと話しました。母にも「なんで味方してくれへんかったん?」と聞いたら「だって、あんたが悪いんやから」と言われました。私としては「それって、おかしんと違う」と思ったのに、さも「当たり前」のように言った母の言葉が理解できませんでした
それで叔母に「なんか変と違う?」と聞きました
叔母は「私は、娘にも言うけれど、もしもお父さんが怒った時には、どんなに子供が間違えていても、あんたは子供の味方をしてあげなあかんで。そうでなかったら、子供の逃げ場がなくなるやろ」と教えてきた。といってました。娘夫婦と同居している叔母のところに孫が「おばあちゃん」と泣きながら逃げてきたことがあったそうです。その時に、叔母が娘に言ったそうです
「子供には逃げ場が必要」というのは、とってもわかります
きっと子供の頃の私の逃げ場は、叔母のところだったのだと思います
そうやって私のように逃げる場所があった人はいいけれど、ない人はどこに逃げているのでしょうか?
派遣で働いていると、色々な職場見ます
「なんでこういう言い方なんだろう?」と思う人もいれば、とても働きやすい雰囲気を作ってくれる人もいます。職場の雰囲気は人でできるというのが、とてもわかります
先日、ネットで見つけたので「新入社員のとき、プレッシャーを感じた言葉」というのがありました
「言っている意味、分かる?」(35.2%)
「そんなことも分からないのか」(24.0%)
「期待しているよ」(23.6%)
「あれ、どうなってる?」(22.4%)
何となく「わかる、わかる」という言葉もあれば「期待しているよ」のように、プラスの言葉に思えるものがプレッシャーになるっていうのは、難しいなって思った
その場面場面にもよるかもしれないとは思うけれど・・・
また自分が人の立場になってみて初めてわかることもあると思います
「そんなつもりじゃなかった」けれど、人を追い詰めていたなんてこともあると思います
新しい職場に行くと感じる事は「受け入れてもらう側」1:2「受け入れる側」くらいのパワーがないと受け入れてもらう側は不安に感じる気がします
2以上のパワーで職場全体で「受け入れてあげるよ」と表してくれると、新しい人もやっと安心する気がします。「派遣なんだから」とか「期間が決まっている人だから」という接し方をされると、それは直接伝わる気がします。それには、きっと「あなたはOK。でも、私はOKではない」という雰囲気を感じてしまうからかもしれません。。どんなに短い期間であっても、どういう働き方であってもお互いが「OKである」という関係でなければいけないと思います
「怒る」と「叱る」は、全く違うものな気がします
怒るのは、ただ自分の感情をぶつけているように思えます
子供のため。と言いながら、まるで自分のストレスのはけ口を子供を怒ることで解消しようとしている気がします。そして「なんでこんな事できないのよ」「何度も言わさないでよ」というのを感じます
だから、怒っている親はあんなに感情的でヒステリックなのではないでしょうか?
叱るのは、あくまでも子供の目線な気がします
私は親ではないけれど、叱っている親には不快感を覚えることはありません
私は、叔母に怒られた記憶はありません
でも、叱られた記憶はあります
私が何かをした時には、声を荒げることなく説明をしてくれました
子供はどんなに小さくても、きちんと説明すれば、わかるものなんじゃないのかな?って思います
そして、叱られていると思うと「ごめんなさい」と思うけれど、怒っている親に対しては「また怒ってるわ」くらいに思っている気がします
ある自閉症児のお母さんが、自分が子供を怒っている時には子供がパニックを起こしていた。
それを見るとストレスを感じてまた、子供に怒る。でも、それを受け入れて自分が子供にストレスをぶつけなくなったら、子供のパニック症状がなくなった。という事でした
子供って結構、ちゃんと見ているもんだと思います
新入社員のとき、プレッシャーを感じた言葉は?
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1204/11/news065.html
2012年04月17日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │その他
たったひと言で心をつかむ心理術

14万人の読者を誇るメルマガを運営し大人気の精神科医・ゆうきゆう氏による心理テクニック満載の、仕事にも恋愛にも使える53の魔法の言葉とは。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
図書館で借りてきました
「ほんまかいな」と思いながら、ちょっと実践してみました
相手がメールの返信を送りたくなるようなメールというのをやってみた
返信は来ませんでした・・・
まあ「人それぞれ」って事よね~~~


本の中で「わかる、わかる」というものがありました
男性からメールの返信が返ってこなくても「悪いようには考えない」
私も男友達にメールをしますが、忙しいから・めんどくさいから?という理由で返ってはこないけれど、気が向いた時にはちゃんと返信が来ます
男友達には「自分の日常を知らせるメール」でいいような気がします
それで返信がこなくても「まあ、知らせてるから相手は読んではいるよね」くらいの気持ちが一番な気がします。
私は、それ以外で絶対に聞きたいとか返信が欲しい場合は「助けて」とか「質問」という題名で送るようにします。その場合は、ほとんど確実に返信をくれたり電話をくれます
私が思う男友達とのメールは「その人が楽なようにしてあげる」なのかな?なんて思ってます
そして、相手にも長い返信は求めないというのが私の中のルールのようなところがあります
返事がこない→私のことが嫌いなの?→どうして?何かした??
と考えるよりは
返事がこない→まあ、忙しいんやろな→気が向いたら返信してくるやろ
と自分の日常的なことを送っておく
そしたら、相手から返信が来ていなくても相手との距離は離れない気がします
何でも悪く考えたら、それは悪い方向に行く気がします
でも「暇になったら返信くれるやろ」と思っていれば、自分も相手の事を悪く考えないで済むかな
先日も3月中頃からメールが途絶えた友人がいて「仕事が忙しいんやろな」と思って、4月になったので「無事に乗り越えたかい?」と送ったら「無事に終わったよ」と返信が来ました
「よかったね」と返事を送りました
男の人にそんなにマメな部分を求めてやきもきしても、こっちがしんどくなるわ~~と思う私でした
ただ、それも友達と彼氏では違うのかな?なんて思うけれど。。。
現在、カウンセリングを受ける人の悩みのトップは「メールの事」だそうです
「メールによるDVだよ。」と言った友達がいます
1日に何通も何通も来るネガティブメールに、ほとほと疲れ果てたそうです
私も以前、自分ではわからずに送っていたことがあるのでわかるけれど、送っている本人は「なんで返信をくれないの」と思います。私の場合は自分はネガティブメールとは思っていなかったけれど、相手から「なんて返信すればいいかわからなかった」と言われて、初めて気がつきました
それからは、できるだけやめようと思っています
また、送る相手を選ぶ、または、本当に必要なものであれば電話や会って話してみるというのも大切なのかと思います
メールと言う時間も、相手の状況も考えない手段を使うのは、やはりDVかもしれません
またネガティブメールを送る人に限って自分では何も解決していない気がします
そういう人から「ありがとう、実践してみるね」というポジティブメールはほとんど来ることなく「でも」「やっぱり」「私にはできない」という言い訳メールの返信や、そんな返信すらなくて他のネガティブな部分を追加して送ってくる気がします(何度も同じ話を繰り返し送ってこられるのもつらいですね)
相談事をする時には、人一倍、相手に配慮しないといけない気がします
もしもできなかった時には、きちんと「OOだから、できなかった。でも、ここはできるから頑張るね」や「ありがとう、やってみます」など相手の言葉を受け入れたという返事をすることが大切かなって思います
「できなかった」「どうせ、私には無理」という返事ばかりだと「この人、なんで相談するのよ」と思ってしまいます。相手にそう思われてしまうと、そう思った相手は段々と自分から離れてしまう気がします
せっかくの友人を、自分で遠ざけてしまうのだと思います
ただ、私にも駄目なところがあります
私は「相手の弱さを認めてあげるのが下手」です・・・
友人からは「みんながみんな、すももみたいに強くないよ」と言われます
自分は強くはないと思っているけれど、相手の弱さを認めてあげるのが下手なのは、とってもわかります
そして心の中では、人はみんな違うし、弱いものだと思っています
ただ私としては「強がり」もいいんじゃないかな?なんて思っていますが・・・
2012年04月16日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │読んだ本・・・心理学
顔合わせ
派遣会社から紹介された企業さんとの顔合わせに行ってきました
派遣という仕事の仕組みを知らない方もいると思うので、ざっと流れを紹介しておきます
派遣会社に登録(ネットで見つけた求人にエントリーするのが一般的)
→ネット登録すると派遣会社から連絡が来て派遣会社での面接・登録
→自分の経歴にあった仕事を紹介してもらう(エントリーした会社を必ず紹介してもらえるとは限らない)
派遣会社での選考を経て、先方の会社に職務経歴書を提出してもらう
ここで先方での選考がOKだった場合に顔合わせという段取りになります
今は、ネットのみで会社に行く事もなく面接もなく、経歴を見て紹介というところもあります
今回は、以前働いていた派遣会社からの紹介だったのと、希望の業界だったので
家から自転車で10分という紹介を断って、顔合わせに行きました
業界最大手ということもあって、顔合わせの時に別の派遣会社の営業さんとスタッフさんがいらっしゃいました
以前は1つの派遣会社からスタッフ紹介を受けていた会社が多かったけれど、今は沢山の会社にお願いしてスタッフの選考をする企業が増えたそうです
今回、初めて会った営業さんでしたが、会社に行く前に、面接の時に必ず聞かれる自己紹介(職務経歴書の説明)について、募集している作業内容に合わせて要点などを話し合いました
その後、会社に入る前に『必ず、決めましょうね!』と言われました
面接は企業さんは4人でこちらは私と営業の2人で、本当の面接並みの人数でした
(今までは2人ということが圧倒的でした)
元々、関連会社に勤務したことがあるので『以前の職場の人に会っても大丈夫ですか?』と聞かれたりしましたが、仙台にもお見舞いに来ていただいたりとお世話になっていたので『大丈夫です』と答えたり、終始和やかな雰囲気でした
質問の中で『今までで一番残業の多かった会社はどこでしたか?』と聞かれて、同じ業界のNo.2の会社名を出しました。本当に忙しかったんだけれど、みんなで笑ってました
最後に先方から『現場に立会いに行ったりがあるかも知れませんが、大丈夫ですか?』と聞かれて『現場で働いていたこともあるし、現場好きなので大丈夫です』と答えました
私は『作業着好き』です。なので『現場も好き』
今回、家の近くの会社では、みんながスーツだったのを見て、ちょっとした違和感を感じました
今までもメーカーさん勤務が多かったせいもあって、スーツよりも作業着が好きな私としてはスーツの人だけの職場というのが、ちょっと緊張感がありました
これも『人それぞれ』らしく、職場によっては「作業着が嫌いという人もいますが大丈夫ですか?」と言われる場合もあります
私の最後のアピールは『この業界が好きです』というのを伝えました
顔合わせが終わってから、帰りに営業さんに『今日は久しぶりにいい顔合わせでした』と言われました
最近は、1つの案件に色々な会社が入っていたりして和やかな雰囲気というのはほとんどないそうです
そして派遣のスタッフさんも説明が苦手な人が多いらしくて、営業さんがドキドキという事もあるそうです
私は、先方が言ったことに対して答えを先に言ってから説明をする。というのを心がけているのですが、それがとてもよかったと言われました
本人は、超がつくくらいに緊張していたけれど、全く感じなかったらしくて『これで、すももさんを落とす理由は見つからないです』と言ってくれました
今回の営業さんに会って感じた事は「褒めるっていいな」という事でした
自己紹介をする時に、ついついマイナスポイントを言ってしまう時があります
でも、そこではなくよかった部分に対して「それっていいですね。それで行きましょう」と言ってもらえて「頑張って決めましょう!」と言われると「じゃあ、一丁、がんばってくるか!」なんて思います
終わった後にも「よかったですよ」と言われて、あんなに緊張してたけど、よかったんだ。と思って「大丈夫でした?」と聞いたら「ちゃんと伝わってましたよ」と言われると、ほっとしました
誰でも初対面で自己アピールするのって、緊張します
ましてや、これで仕事が決まるかどうかなのだから尚更です
そんな時に思いがけない言葉で褒めてくれる人ってありがたいなって思った
ただ企業さんがどういう人材を求めていて、どういう基準なのかはわからないので決まるかどうかはわかりませんが、私としては『楽しかったしダメでもいいや』って感じです
でも、できれば決まってくれるといいけれど。。。ね
派遣という仕事の仕組みを知らない方もいると思うので、ざっと流れを紹介しておきます
派遣会社に登録(ネットで見つけた求人にエントリーするのが一般的)
→ネット登録すると派遣会社から連絡が来て派遣会社での面接・登録
→自分の経歴にあった仕事を紹介してもらう(エントリーした会社を必ず紹介してもらえるとは限らない)
派遣会社での選考を経て、先方の会社に職務経歴書を提出してもらう
ここで先方での選考がOKだった場合に顔合わせという段取りになります
今は、ネットのみで会社に行く事もなく面接もなく、経歴を見て紹介というところもあります
今回は、以前働いていた派遣会社からの紹介だったのと、希望の業界だったので
家から自転車で10分という紹介を断って、顔合わせに行きました
業界最大手ということもあって、顔合わせの時に別の派遣会社の営業さんとスタッフさんがいらっしゃいました
以前は1つの派遣会社からスタッフ紹介を受けていた会社が多かったけれど、今は沢山の会社にお願いしてスタッフの選考をする企業が増えたそうです
今回、初めて会った営業さんでしたが、会社に行く前に、面接の時に必ず聞かれる自己紹介(職務経歴書の説明)について、募集している作業内容に合わせて要点などを話し合いました
その後、会社に入る前に『必ず、決めましょうね!』と言われました
面接は企業さんは4人でこちらは私と営業の2人で、本当の面接並みの人数でした
(今までは2人ということが圧倒的でした)
元々、関連会社に勤務したことがあるので『以前の職場の人に会っても大丈夫ですか?』と聞かれたりしましたが、仙台にもお見舞いに来ていただいたりとお世話になっていたので『大丈夫です』と答えたり、終始和やかな雰囲気でした
質問の中で『今までで一番残業の多かった会社はどこでしたか?』と聞かれて、同じ業界のNo.2の会社名を出しました。本当に忙しかったんだけれど、みんなで笑ってました
最後に先方から『現場に立会いに行ったりがあるかも知れませんが、大丈夫ですか?』と聞かれて『現場で働いていたこともあるし、現場好きなので大丈夫です』と答えました
私は『作業着好き』です。なので『現場も好き』
今回、家の近くの会社では、みんながスーツだったのを見て、ちょっとした違和感を感じました
今までもメーカーさん勤務が多かったせいもあって、スーツよりも作業着が好きな私としてはスーツの人だけの職場というのが、ちょっと緊張感がありました
これも『人それぞれ』らしく、職場によっては「作業着が嫌いという人もいますが大丈夫ですか?」と言われる場合もあります
私の最後のアピールは『この業界が好きです』というのを伝えました
顔合わせが終わってから、帰りに営業さんに『今日は久しぶりにいい顔合わせでした』と言われました
最近は、1つの案件に色々な会社が入っていたりして和やかな雰囲気というのはほとんどないそうです
そして派遣のスタッフさんも説明が苦手な人が多いらしくて、営業さんがドキドキという事もあるそうです
私は、先方が言ったことに対して答えを先に言ってから説明をする。というのを心がけているのですが、それがとてもよかったと言われました
本人は、超がつくくらいに緊張していたけれど、全く感じなかったらしくて『これで、すももさんを落とす理由は見つからないです』と言ってくれました
今回の営業さんに会って感じた事は「褒めるっていいな」という事でした
自己紹介をする時に、ついついマイナスポイントを言ってしまう時があります
でも、そこではなくよかった部分に対して「それっていいですね。それで行きましょう」と言ってもらえて「頑張って決めましょう!」と言われると「じゃあ、一丁、がんばってくるか!」なんて思います
終わった後にも「よかったですよ」と言われて、あんなに緊張してたけど、よかったんだ。と思って「大丈夫でした?」と聞いたら「ちゃんと伝わってましたよ」と言われると、ほっとしました
誰でも初対面で自己アピールするのって、緊張します
ましてや、これで仕事が決まるかどうかなのだから尚更です
そんな時に思いがけない言葉で褒めてくれる人ってありがたいなって思った
ただ企業さんがどういう人材を求めていて、どういう基準なのかはわからないので決まるかどうかはわかりませんが、私としては『楽しかったしダメでもいいや』って感じです
でも、できれば決まってくれるといいけれど。。。ね
2012年04月15日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │その他
「今度の恋」で結婚します!

■成功率75%を誇る話題の「結婚コーピング」、待望の書籍化!
「ずっと彼がいない」あなたも、「結婚をあきらめかけている」あなたも、「いい男性と出会えないと悩んでいる」あなたも、「今の彼に迷っている」あなたも!必ず「即婚体質」に変われる本ができました!
■「コーピングのテクニックを学んだら、4カ月で結婚できました」
「彼氏いない歴10年の私に彼ができました」
「ダメな恋愛を続けていた理由がわかったら、あっという間に婚約しました」
こんな、嬉しい報告が続々届いています!!!
■本書を読めば「なぜ、これまでの恋愛が結婚に至らなかったのか?」がわかるのはもちろん、「内側から輝くような幸せ感」を手に入れることができます。
なぜなら、「本当の自分」が現われるから。「いきいきとした幸せオーラが出るようになる」とよくいわれます。これが、コーピングの力です。
■コーピングとは、認知行動療法で使われる「感情をコントロールし、心を強くする」技術。多くのトップアスリートや経営者にコーピングの技術を伝えてきた著者は、あることをきっかけに、コーピングを恋愛に応用する方法を伝えはじめたところ、目に見える効果が続出。そして現在は、コーピングを実践した方々の幸せ成功率(恋人ができた、婚約したなど)は75%にものぼっています。
この話題のメソッドをまとめたのが、本書です。
■本書では、自分を知り、「本当に自分に合うパートナー」を見つけ、半年以内にうまくいくコーピングテクニックを紹介します。
「ダメな男の本性」に気づくためのコーピングテクニックや「即婚体質」に変わる方法など、すぐに使えるテクニックを実践例満載でお届けします。
「今度の恋」で結婚しますブログ:http://www.lovecoping.com/
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タイトルを読んで『面白い』と思って図書館で借りてきました
婚活関係の本は他にも読んでみましたが、上手くいけばいいけれどなかなか結婚できなかったり、自分がいいなと思った人に振られてしまったりすると人間不振になってしまいそうな気がするのでどうなんだろう?と思って読んでみましたが面白かったです
結婚した体験談もあるけれど、私としてはそれよりは『自分の結婚観を整理する方法』という気持ちがした
自分の中の「思い込み」を整理して、その時に相手に対して「許せること・許せないこと」「求める事・気にしないこと」などを理解するのがいいのかなって思いました
私が28歳くらいの時かな?高校の同級生だった友達がお見合いに疲れて「もう私、結婚なんてしたくないってお母さんに泣いて言ったの。このまま、うちに居させて欲しいって言ったら、お母さんがそんなにお見合いが嫌ならいいよって許してくれたの。私、もうお見合いも結婚もしない」と私に言いました
彼女は、背が165センチくらいあって、女の私が厳しくみてもクラスの中で5本の指には入るくらいの美人でした。なのに、お見合いで自分よりも背が低い人ばかりで、しかもかなりの年配者ばかりで相当のショックを受けていました
その時に私が「どんな人がいいの?」と詳しく聞いてみました
私も彼女とは、クラスで1番の仲良しくらいだったのにそういえば詳しい事を聞いていないのに気がついた
そしたら彼女が「私ね、自分よりも背が高い人がいいの。それだけは譲れない。あとは、スーツじゃなくて作業着の人がいい。そして、私よりも手が大きい人。この3つだけでいい」と言いました
私が「なんで作業着?」と聞いたら「お父さんが作業着だったから作業着の人のほうが落ち着くの」と言って「スーツの人って、なんだか緊張するから・・・」と言いました
そっか~~それってわかるなって思った
私も父親がスーツを着ていても、その上から必ず作業着を着ていたから、むしろスーツの人って「何をしているんだろう?」と思っていた。うちの父親は自分の職場の見学とかに連れて行ってくれるような人だったから「こういうところで働いているんだ」と知っていたし、そこで働いている人を見ていたから作業着の人に抵抗がなかったのだと思った。そして、彼女も同じだったんだと思った
それで私が「それなら、ものすごくピッタリな人がいるよ!」と私の飲み友達で180センチ以上あった手のでかい友人を紹介しました。私と飲み友達ができるような人だから、嫌な人ではないというのは折り紙付きだったので「絶対にいいよ」と会わせてあげました
彼のほうは、女の人が美人と言っても本当かな?と思っていたらしいけれど、本当に美人が来て驚いていたらしいけれど、話をしてみたらアッサリした性格でよかった。と言っていました
その後、2人は無事に結婚して、今では彼女は3人の男の子のお母さんになりました
不思議なものだなって思った
高校時代の友人で、いつも一緒に旅行に行ったり、家に泊まったりしていた彼女とは色んな話をしていたはずだったのに、それでも知らない事があったんだなって思った
「人の好みってわからないな」って思った
彼女のキーワードでもあった「作業着」のお陰で私は彼を思い浮かべることができたから、人に自分の好みを話すことや自分のタイプをきちんと理解するのって大切だなって思った
彼女は結婚後に旦那の家族と同居する事にも全く気にすることがなくって、旦那の仕事が大変になった時にも「私が働くからいいよ」と話していました。結婚後の彼女にとって一番大切だったのは「仕事をするのを許してくれる家族」だったそうです。1人っ子だった彼女にとって自分の世話をしてくれる彼の母親の存在はとても大きかったようで「お母さんが何でもしてくれるからよかった」と教えてくれました
私も自分の中の思い込みとか、色んな部分を整理してみよっかなという気持ちがしてきました
そして「婚活に破れても気にしない」っていう気持ちが大切と思いました
「自分が良くても最後の決定は自分ではない」というのをきちんと理解していなくてはいけないし、それは言い換えれば「もしもダメでも自分のせいではない」という事だと思います
でも、こういう本が売れているのって何だかすごいな~~って思った私です
2012年04月14日 Posted by すもも at 00:00 │読んだ本・・・心理学
日薬り
不思議と別れた旦那のことは思い出したのに、15年以上も付き合っていた彼の事を思い出さなくなってきた。彼は、私の病気がわかった時に『すももの事は、一生背負っていくから』と言ってくれました
友達に病気の事を話すと、すごく心配してくれたけれど彼の言葉で涙を流して「よかったね」と言ってくれました。そんな彼が、私が2度目の入院をした時から段々と遠い人になっていきました
退院後は、数えるくらいにしか会うこともなく、地震の時に心配したとメールが来たきり、私がどんなにメールをしても電話をしても何の反応もなかった
最初のうちは「一体、何が起きたの?」と思った
正直、退院後すぐにでも結婚してくれると思っていたし、自分が考えるよりもはるかに体調が悪かった私は、彼の不誠実な態度に腹が立っていた
でも、2年目が過ぎたあたりから「これでよかったのかな」と思うようになってきた
私は「申し訳ない」と相手に思いながら一緒にいたくないのだと思った
どんなにいい人でも「ごめんなさい」と心で思っているのは嫌なんだと思った
それよりは、ちゃんと私の病気のことも受け入れてくれている人がいいと思うようになっていた
入院する時に彼が「治療費を出す」と言ってくれたけれど「自分で出すからいい」と言った
2度の入院費と生活費でほとんどの貯金を使い果たして、自分が60歳から受け取るはずの年金貯金も解約してお金を工面したけれど、今になっては自分で出してよかったと思っている。そして、それなら籍を入れてくれるほうが先なんじゃないのかな?とも思っていた
ただ彼が離れていった時に、少しだけれど「ほっ」としている自分もいた気がする
不思議な感覚だなって思った
でも、それが事実なんだと思う
ただ今の私は、彼にはとても感謝をしている
病気がわかった時に、実家の両親に挨拶をしてくれて「結婚します」と言ってくれたこと
告知された後も、入院の時にも手術の後にも・・・私が本当につらい時に一緒にいてくれたから・・・
そして、彼を許そうと思っている私とは裏腹に、私の友達がとっても怒っているから私が怒る必要がなくなってしまったのもあるかも知れない。15年以上も付き合っていたから、友達も彼の事を知っているから「そんな人だとは思わなかった」と言って怒っています
でも、誰よりも怒っているのが父親です
「あんな奴だとは思わなかった。だったら、挨拶なんてくるな!」と母に怒っているそうです
お陰で母親には「あんた、今度結婚したいって思う相手がいたら籍入れても家には連れてこんでええよ」と言われる始末です。あんなに喜んでいただけに、その裏切りは許せなかったんだろうなって思います
まあ、私が親でも娘の病気の事を心配して退院後、実家に帰って来いと言っていたのを「自分が一緒にいる」と言ってくれたのだから、彼にはとても感謝していたのだと思うし・・・
でも、人は人だと思う
どんなに愛していても信じていても、人の気持ちは変わるのだと思った
それを気がつかせてくれたのも、彼だったなって思った
それが私の「こだわらない生き方」につながるのだと思った
所詮、人は自分と同じではないのだから・・・
そして私は相手に「申し訳ない」と思いながらは生きていけないのだと気がつきました
確かに一緒にいれば病気の事も体のことも相手に負担をかけると思う。
その時に「ありがとう」と思うのと「申し訳ない」と思う気持ちは違う気がする
友達が「そういう風に考えられるのも、やっぱり日薬りだよね」と教えてくれた
時間が経ったからこそ相手の事も自分のことも冷静に見れるようになったのだろうなと思います
もっと時間が過ぎたら、また別の面も見えてくるのかな?って思います
子宮頸がん・子宮体がん・卵巣がん、そして乳がんの体験者の方で離婚する人が多いそうです
他のがん種はわからないけれど、やはりどこかで相手に対して「申し訳ない」という気持ちがあるからかな?と思いました
そして、罹患年齢が若い人も多いがんだからかなとも思うし・・・
また性にかかわるがん特有の悩みのようにも感じます
男性だと前立腺がんや精巣腫瘍なども性にかかわるがんです
精巣腫瘍の人が、家族に対して「申し訳ない」というのを聞きました
でも・・・本当は誰のせいでもないと思うんだけど・・・
友達に病気の事を話すと、すごく心配してくれたけれど彼の言葉で涙を流して「よかったね」と言ってくれました。そんな彼が、私が2度目の入院をした時から段々と遠い人になっていきました
退院後は、数えるくらいにしか会うこともなく、地震の時に心配したとメールが来たきり、私がどんなにメールをしても電話をしても何の反応もなかった
最初のうちは「一体、何が起きたの?」と思った
正直、退院後すぐにでも結婚してくれると思っていたし、自分が考えるよりもはるかに体調が悪かった私は、彼の不誠実な態度に腹が立っていた
でも、2年目が過ぎたあたりから「これでよかったのかな」と思うようになってきた
私は「申し訳ない」と相手に思いながら一緒にいたくないのだと思った
どんなにいい人でも「ごめんなさい」と心で思っているのは嫌なんだと思った
それよりは、ちゃんと私の病気のことも受け入れてくれている人がいいと思うようになっていた
入院する時に彼が「治療費を出す」と言ってくれたけれど「自分で出すからいい」と言った
2度の入院費と生活費でほとんどの貯金を使い果たして、自分が60歳から受け取るはずの年金貯金も解約してお金を工面したけれど、今になっては自分で出してよかったと思っている。そして、それなら籍を入れてくれるほうが先なんじゃないのかな?とも思っていた
ただ彼が離れていった時に、少しだけれど「ほっ」としている自分もいた気がする
不思議な感覚だなって思った
でも、それが事実なんだと思う
ただ今の私は、彼にはとても感謝をしている
病気がわかった時に、実家の両親に挨拶をしてくれて「結婚します」と言ってくれたこと
告知された後も、入院の時にも手術の後にも・・・私が本当につらい時に一緒にいてくれたから・・・
そして、彼を許そうと思っている私とは裏腹に、私の友達がとっても怒っているから私が怒る必要がなくなってしまったのもあるかも知れない。15年以上も付き合っていたから、友達も彼の事を知っているから「そんな人だとは思わなかった」と言って怒っています
でも、誰よりも怒っているのが父親です
「あんな奴だとは思わなかった。だったら、挨拶なんてくるな!」と母に怒っているそうです
お陰で母親には「あんた、今度結婚したいって思う相手がいたら籍入れても家には連れてこんでええよ」と言われる始末です。あんなに喜んでいただけに、その裏切りは許せなかったんだろうなって思います
まあ、私が親でも娘の病気の事を心配して退院後、実家に帰って来いと言っていたのを「自分が一緒にいる」と言ってくれたのだから、彼にはとても感謝していたのだと思うし・・・
でも、人は人だと思う
どんなに愛していても信じていても、人の気持ちは変わるのだと思った
それを気がつかせてくれたのも、彼だったなって思った
それが私の「こだわらない生き方」につながるのだと思った
所詮、人は自分と同じではないのだから・・・
そして私は相手に「申し訳ない」と思いながらは生きていけないのだと気がつきました
確かに一緒にいれば病気の事も体のことも相手に負担をかけると思う。
その時に「ありがとう」と思うのと「申し訳ない」と思う気持ちは違う気がする
友達が「そういう風に考えられるのも、やっぱり日薬りだよね」と教えてくれた
時間が経ったからこそ相手の事も自分のことも冷静に見れるようになったのだろうなと思います
もっと時間が過ぎたら、また別の面も見えてくるのかな?って思います
子宮頸がん・子宮体がん・卵巣がん、そして乳がんの体験者の方で離婚する人が多いそうです
他のがん種はわからないけれど、やはりどこかで相手に対して「申し訳ない」という気持ちがあるからかな?と思いました
そして、罹患年齢が若い人も多いがんだからかなとも思うし・・・
また性にかかわるがん特有の悩みのようにも感じます
男性だと前立腺がんや精巣腫瘍なども性にかかわるがんです
精巣腫瘍の人が、家族に対して「申し訳ない」というのを聞きました
でも・・・本当は誰のせいでもないと思うんだけど・・・
2012年04月13日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │がんとこころ
9つの性格 エニアグラムで見つかる本当の自分と最良の人間関係

9つの性格 エニアグラムで見つかる「本当の自分」と最良の人間関係
「すべての人は、9つのタイプに分けることができる」
世界各国で科学的に検証され、日米の一流企業で人事研修にも採用されている、神秘の人間学“エニアグラム”。タイプを分ける20の質問に答えれば、あなたがどのタイプかがわかる。
自分のタイプを知り、こだわりや恐れから解放されれば、自らの能力と個性を最大限に生かすことができる。さらに、相手のタイプを知り、長所と短所を見極めれば、その人に合った対応の仕方がわかり、良好な人間関係も築ける。まさに、新しい生き方を実現するための“人生の地図”といえる。
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タイプ別の性格は、こんな感じです
(1)完全でありたい人
(2)人の助けになりたい人
(3)成功を追い求める人
(4)特別な存在であろうとする人
(5)知識を得て観察する人
(6)安全を求め慎重に行動する人
(7)楽しさを求め行動する人
(8)強さを求め自己主張する人
(9)調和と平和を願う人
この本にはタイプ別のクライアントの人生が書かれています
エニアグラムに出会う前と出会った後のその人の対処の仕方など実践的に書いてあるので、とてもわかりやすいと思います
でも、私が一番気になったのは『阪神大震災』の時に、ホテルの部屋で地震を体験した人に聞き取り調査をしているのが書かれてあるところでした
タイプ別の対処方法がとてもわかりやすく、人は非常時に思いもがけない行動をするのだと思いました
その根本的なものが『性格』なのだと思います
私もそうですが「なぜ、あの時、自分はああいう風にしたのだろう?」と思うことが沢山あります
私は3・11の時に仙台駅で、地震を感じて、とっさに見ず知らずの男の人(学生さんかな?)に声を掛けて一緒に逃げたりするところなんかも「私らしい」と思った
震度7で「避難所に行こう」と決めたことも、隣で泣いている見ず知らずのおばさんを「一緒にいてあげなきゃ」と思ったことも、やっぱり私の持っている性格なのかな?と思ったし・・・
そして、避難所の中でも色々な人に声を掛けて「どこから来ましたか?」「地震の時には何をしていました?」と聞いていました
避難所の中では情報が錯綜していたけれどデマが流れた時にも「そんなのは信じないでいいから」と言ったりと大学受験の子たちや被災地の子たちと話をしたりと、振り返れば、とっさの時の私の行動は「思いのほか冷静」だったように思います
タイプ7の楽天的な私ではあるけれど、病気をしてからタイプ5の慎重な面を持たなくてはと考えてきたのもあるのかな?と思ったりします
そして何よりも「今ある命を大切にしなきゃ」というのを、ずっと考えていました
エニアグラムを知ることは、自分を知ることだと思います
自分を知ることで「よい面」と「悪い面」を冷静に判断していけば、よりよい人間関係ができるのかな?と思います
2012年04月12日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │読んだ本・・・エニアグラム
叔母と母のこと
子供の頃、私を生んでから不整脈が出ていた母の体調もあって、歩いてすぐの母の姉の家に預けられていました。ほとんど毎日のように叔母の家にいた私は、母の体調が治ってからもテクテク歩いて遊びに行ってました。叔母の家には5歳上と4歳上の従姉妹が2人いて、楽しかったのだと思います
でも、叔母いわく母はそれがとても嫌だったらしくて、いつも私が寝た後に父親に頼んで迎えに行ってたそうです。そのせいか、最初の私の父の記憶は「おんぶしてくれている背中」です
その時に叔母が「子供は子供同士でいいんじゃないの」と言うと、母は「そんなことしたら家に居つかなくなるやろ」と言っていたそうです
私にとって母は「禁止の人」でした
母が私に何かを言う時には必ずと言っていいくらいに「OOしてはいけない」という言葉でした
それが年を重ねるごとに「あんたの好きにしたらええ」に変化していったけれど、その言葉の裏には必ずといっていいほど「私は、認めない」「私はそんなの嫌」というのを感じていました
私が覚えている母の一番悲しかった記憶は、中学2年生の時に転校が決まった時にお友達のMちゃんが「すももちゃん、明日うちにお泊まりにこない?おかあさんに頼んですももちゃんのお母さんに頼んであげるから」といってくれました。私は「ありがとう」と嬉しくて、家でニコニコしてMちゃんのお母さんから電話がかかってくるのを待っていました。電話がかかってきて「明日は、お泊りにいける」と母の隣でワクワクしていた私の期待を裏切って母は「行かせられません」と断ってしまいました。泣きたいくらいに(布団の中で泣いていた)悲しかった私とは反対に「そんなの当たり前でしょ」とばかりに、何も理由も言わず「ダメだから」とだけ伝えた母を見た時に「なんでお母さんはいつもそうなんやろ・・・」と思った
いつもいつも私が楽しいことをしようとすると、理由もいわずに「ダメ」という母。
反対に叔母は、不思議な人で自分にはとても厳しい人だけれど私や従姉妹に対して「ダメ」ということがほとんどない人でした
ある日の晩御飯の時に、私たちは「背の青い魚」だったのが、姉ちゃんだけが「鯛」でした
鯛といっても、そんなに大きなものではなくて猟師町だったうちの田舎では、そんなに高いわけではなかったけれど姉ちゃんだけが違う魚だから、私が「なんで姉ちゃんだけ鯛やの?」って聞いたら叔母が「この子は背の青い魚は食べれないけど鯛は食べれるからや」と言いました
ええ??そんなん好き嫌いは絶対にあかんと言われていて、どんなに嫌いなものでも食べなくてはいけなかった私の家とは違うなって思った。そして叔母が「好き嫌いはいつか直るものやから、今は食べれるものをちゃんと食べたらええんや」って言いました
そういえば私もピーマンと玉ねぎが泣くほど嫌いだったけど、今は美味しく食べているのだから大人になったら食べれるようになるものもあるんだって思った(でも今でも、にんじんは好きじゃないかな)
でも、うちの母は私が「ピーマンが嫌い」「にんじんが嫌い」「玉ねぎが嫌い」と言うと偏食の多かった私が唯一好きだった「オムレツ」の中に小さく切ったピーマンとにんじんと玉ねぎをいっぱい入れていました
絶対に残してはいけなかったから、食べてはトイレで吐いていました
まるで学校の給食に残された子供のように食卓で1人で食べていました
そのせいか、せっかく好きだったオムレツまで嫌いになって、形が似ているからとオムライスもしばらくは食べれなかった子供でした(オムライスが食べれるようになったのは、20歳を過ぎてからです)
私と母は、本当に合わない親子だったんだろうなって思います
24歳くらいの頃だったかな?会社の同僚の方のお嫁さんが子供を夏休みの間、集団合宿させるというのを聞いてお姑さんである彼女が「なんで子供を自分から離すような事をするのかわからない」と怒っていました。一緒に働いていた女性が「そんなの可哀想。絶対にダメよ」というのを聞いて、私が「別にいいんじゃないの?」と言いました
私は子供の頃に母と一緒にいるよりも叔母と一緒にいたほうがよかったと思っていたから、絶対に子供を手元で育てないといけないという気持ちはなかったのだと思います。そして、私は長い休みはほとんどが叔母の家で過ごしていました
その時に、その人が可哀想といってくれた彼女には「あなたは優しいわね」といって、私には「あなたはそういう人なのよね」と言いました。私は「ああ、私って冷たい人なんだな」って思った
一般的には、子供は親の元で育つのが一番だと思う
でも、私にとっては親と一緒にいるよりも叔母という人がいてくれたほうがよかったと思っています
私の覚えている叔母の一番古い思い出は、八百屋さんでマスカットを買ってもらった事でした
あの緑色のキラキラした葡萄を初めてみて「わあ、なんて綺麗な色」ってドキドキしてた
それを叔母が見て「食べる?」と聞いてくれた
聞いてもらえた事も嬉しくて「うん」と大きく頷いて買ってもらって家まで帰ったら姉ちゃんたちが普通にマスカットを食べてるのを見て「えええ~~こんなの食べたことあるんや」と驚いた
姉ちゃんが「冷凍庫で冷やして、皮を剥いて食べるとまた違って美味しいんよ」っていうから、楽しみにしてお風呂上りに食べました
その美味しかったことって、一生忘れないなって思った
私のカラーヒストリーの中で、明るい緑は幸せな記憶と結びついています
それって、きっとここからなんだろうなって思っています
そして、叔母との想い出は一緒に時代劇を見ていたことかなって思う
叔母は市川雷蔵が大好きでいつも「眠り狂四郎シリーズ」を見ていました
なぜか私は、子供なのに時代劇が大好きで叔母の隣で一緒に「眠り狂四郎」を見ていました
今考えたら、けっこうエッチなシーンの多い映画だったけど、叔母は一度も「ダメ」ということもなく私が「この人、綺麗な人やわ」というと「そうやな、でも、こういう綺麗な人は長生きできひんのよな」と教えてくれました
他にも「遠山の金さん」の中村梅乃助さんに天地茂さんが大好きな子供でした
叔母は「子供だから・・・してはいけない」というのがあまりない人だったのだと思います
そして、私が仙台で入院していた時に従姉妹に付き添いに行くようにしてくれたりと本当に困った時には思いがけない形で助けてくれる人です
母は、私が仙台に行くと決めた時にも「あんたの好きにしたらええ」とは言っていたけれど、やっぱり「地元ならいいのに」や「仙台は遠いからお見舞いにもいけない・・・」などと言っていました
母は、きっと何か言わなくては気がすまない人なんだろうなと思います
でも、それは母なりの愛情表現なのだと思いました
母が仙台まで、お見舞いに来た時にも、あまりにも話が長くて、私が疲れていたら見かねた父が「すももが疲れているから」と言うと「私が言うのが気に入らないの」と怒っていました
母にしてみたら、もっと大変そうだと思っていた私が一見、そうでもなかったのが嬉しかったのだと思うけれど、その少し前に手術をしていた父親にしてみたら私の体調が心配で仕方がなかったのだと思います
母は母なりの愛しかたで私に接してくれていたのだと思います
ただ、子供はわかりやすい人が好きなのだと思います
自分に「~~してはいけない」という人よりは、かならず自分の目線で話してくれたり自分の意見を聞いてくれる人が好きだったのだと思います
それは自分は愛してもらっている。認めてもらっている。受け入れてもらっている。と感じるからなのかな?と思いました。そして、それは母親でなくてもいいし、私のように叔母でもいいと思います
案外、近所のおばさんかも知れないし。
でも、離れていても自分のことをちゃんとわかっていてくれたんだと気がついたら、大人になった時に「ありがとう」と言えるようになると思います
私もやっと母にそう言えるようになりました
私にとっては母も叔母もいなくてはいけない人だったのだと思います
どちらがいなくても、今の私ではないんだろうなって思う大切な人です
でも、叔母いわく母はそれがとても嫌だったらしくて、いつも私が寝た後に父親に頼んで迎えに行ってたそうです。そのせいか、最初の私の父の記憶は「おんぶしてくれている背中」です
その時に叔母が「子供は子供同士でいいんじゃないの」と言うと、母は「そんなことしたら家に居つかなくなるやろ」と言っていたそうです
私にとって母は「禁止の人」でした
母が私に何かを言う時には必ずと言っていいくらいに「OOしてはいけない」という言葉でした
それが年を重ねるごとに「あんたの好きにしたらええ」に変化していったけれど、その言葉の裏には必ずといっていいほど「私は、認めない」「私はそんなの嫌」というのを感じていました
私が覚えている母の一番悲しかった記憶は、中学2年生の時に転校が決まった時にお友達のMちゃんが「すももちゃん、明日うちにお泊まりにこない?おかあさんに頼んですももちゃんのお母さんに頼んであげるから」といってくれました。私は「ありがとう」と嬉しくて、家でニコニコしてMちゃんのお母さんから電話がかかってくるのを待っていました。電話がかかってきて「明日は、お泊りにいける」と母の隣でワクワクしていた私の期待を裏切って母は「行かせられません」と断ってしまいました。泣きたいくらいに(布団の中で泣いていた)悲しかった私とは反対に「そんなの当たり前でしょ」とばかりに、何も理由も言わず「ダメだから」とだけ伝えた母を見た時に「なんでお母さんはいつもそうなんやろ・・・」と思った
いつもいつも私が楽しいことをしようとすると、理由もいわずに「ダメ」という母。
反対に叔母は、不思議な人で自分にはとても厳しい人だけれど私や従姉妹に対して「ダメ」ということがほとんどない人でした
ある日の晩御飯の時に、私たちは「背の青い魚」だったのが、姉ちゃんだけが「鯛」でした
鯛といっても、そんなに大きなものではなくて猟師町だったうちの田舎では、そんなに高いわけではなかったけれど姉ちゃんだけが違う魚だから、私が「なんで姉ちゃんだけ鯛やの?」って聞いたら叔母が「この子は背の青い魚は食べれないけど鯛は食べれるからや」と言いました
ええ??そんなん好き嫌いは絶対にあかんと言われていて、どんなに嫌いなものでも食べなくてはいけなかった私の家とは違うなって思った。そして叔母が「好き嫌いはいつか直るものやから、今は食べれるものをちゃんと食べたらええんや」って言いました
そういえば私もピーマンと玉ねぎが泣くほど嫌いだったけど、今は美味しく食べているのだから大人になったら食べれるようになるものもあるんだって思った(でも今でも、にんじんは好きじゃないかな)
でも、うちの母は私が「ピーマンが嫌い」「にんじんが嫌い」「玉ねぎが嫌い」と言うと偏食の多かった私が唯一好きだった「オムレツ」の中に小さく切ったピーマンとにんじんと玉ねぎをいっぱい入れていました
絶対に残してはいけなかったから、食べてはトイレで吐いていました
まるで学校の給食に残された子供のように食卓で1人で食べていました
そのせいか、せっかく好きだったオムレツまで嫌いになって、形が似ているからとオムライスもしばらくは食べれなかった子供でした(オムライスが食べれるようになったのは、20歳を過ぎてからです)
私と母は、本当に合わない親子だったんだろうなって思います
24歳くらいの頃だったかな?会社の同僚の方のお嫁さんが子供を夏休みの間、集団合宿させるというのを聞いてお姑さんである彼女が「なんで子供を自分から離すような事をするのかわからない」と怒っていました。一緒に働いていた女性が「そんなの可哀想。絶対にダメよ」というのを聞いて、私が「別にいいんじゃないの?」と言いました
私は子供の頃に母と一緒にいるよりも叔母と一緒にいたほうがよかったと思っていたから、絶対に子供を手元で育てないといけないという気持ちはなかったのだと思います。そして、私は長い休みはほとんどが叔母の家で過ごしていました
その時に、その人が可哀想といってくれた彼女には「あなたは優しいわね」といって、私には「あなたはそういう人なのよね」と言いました。私は「ああ、私って冷たい人なんだな」って思った
一般的には、子供は親の元で育つのが一番だと思う
でも、私にとっては親と一緒にいるよりも叔母という人がいてくれたほうがよかったと思っています
私の覚えている叔母の一番古い思い出は、八百屋さんでマスカットを買ってもらった事でした
あの緑色のキラキラした葡萄を初めてみて「わあ、なんて綺麗な色」ってドキドキしてた
それを叔母が見て「食べる?」と聞いてくれた
聞いてもらえた事も嬉しくて「うん」と大きく頷いて買ってもらって家まで帰ったら姉ちゃんたちが普通にマスカットを食べてるのを見て「えええ~~こんなの食べたことあるんや」と驚いた
姉ちゃんが「冷凍庫で冷やして、皮を剥いて食べるとまた違って美味しいんよ」っていうから、楽しみにしてお風呂上りに食べました
その美味しかったことって、一生忘れないなって思った
私のカラーヒストリーの中で、明るい緑は幸せな記憶と結びついています
それって、きっとここからなんだろうなって思っています
そして、叔母との想い出は一緒に時代劇を見ていたことかなって思う
叔母は市川雷蔵が大好きでいつも「眠り狂四郎シリーズ」を見ていました
なぜか私は、子供なのに時代劇が大好きで叔母の隣で一緒に「眠り狂四郎」を見ていました
今考えたら、けっこうエッチなシーンの多い映画だったけど、叔母は一度も「ダメ」ということもなく私が「この人、綺麗な人やわ」というと「そうやな、でも、こういう綺麗な人は長生きできひんのよな」と教えてくれました
他にも「遠山の金さん」の中村梅乃助さんに天地茂さんが大好きな子供でした
叔母は「子供だから・・・してはいけない」というのがあまりない人だったのだと思います
そして、私が仙台で入院していた時に従姉妹に付き添いに行くようにしてくれたりと本当に困った時には思いがけない形で助けてくれる人です
母は、私が仙台に行くと決めた時にも「あんたの好きにしたらええ」とは言っていたけれど、やっぱり「地元ならいいのに」や「仙台は遠いからお見舞いにもいけない・・・」などと言っていました
母は、きっと何か言わなくては気がすまない人なんだろうなと思います
でも、それは母なりの愛情表現なのだと思いました
母が仙台まで、お見舞いに来た時にも、あまりにも話が長くて、私が疲れていたら見かねた父が「すももが疲れているから」と言うと「私が言うのが気に入らないの」と怒っていました
母にしてみたら、もっと大変そうだと思っていた私が一見、そうでもなかったのが嬉しかったのだと思うけれど、その少し前に手術をしていた父親にしてみたら私の体調が心配で仕方がなかったのだと思います
母は母なりの愛しかたで私に接してくれていたのだと思います
ただ、子供はわかりやすい人が好きなのだと思います
自分に「~~してはいけない」という人よりは、かならず自分の目線で話してくれたり自分の意見を聞いてくれる人が好きだったのだと思います
それは自分は愛してもらっている。認めてもらっている。受け入れてもらっている。と感じるからなのかな?と思いました。そして、それは母親でなくてもいいし、私のように叔母でもいいと思います
案外、近所のおばさんかも知れないし。
でも、離れていても自分のことをちゃんとわかっていてくれたんだと気がついたら、大人になった時に「ありがとう」と言えるようになると思います
私もやっと母にそう言えるようになりました
私にとっては母も叔母もいなくてはいけない人だったのだと思います
どちらがいなくても、今の私ではないんだろうなって思う大切な人です
2012年04月11日 Posted by すもも at 00:00 │Comments(0) │がんと家族
サクラ サクラ

今年もサクラを見ることができました
3年前の3月28日に告知をされた時、次の日に予定通り井の頭公園で友達とお花見をしました
「来年もサクラが見れるといいな」と思った
サクラは年に1度だけのもの。ちゃんと生きていないと見れない花だから・・・
もう何年になるのかな?お花見の日に一緒に仕事をしていた友人が亡くなりました
やっとこさパソコンのメールを繋げたばかりだった私は、珍しく電話ではなくメールでよっちゃんに「明日のお花見、忘れないでね」と送りました
「うん、わかった明日ね。楽しみにしてる」という返信が届きました
でも、お花見の当日、少し雨が降り始めてきたけれど、なかなか彼は現れませんでした
みんなで「もう、よっちゃんのことだからまた遅刻してくるんでしょ」と言っていたけれど、結局姿を現しませんでした。その帰り道、電話で彼が亡くなったと知りました
まだ25歳でした
いつも遅れてはくるけど、必ず来る彼にメールじゃなくて電話をすればよかったと思った
「明日、絶対に来るんよ」と言ったら、神様のところじゃなくて私たちのところに来てくれたんじゃないのかな?とずっとずっと思っていた
彼のお葬式に行くことになって、同じ時期に東京から盛岡に帰る友人がいてそのお宅にお世話になることにした。偶然だけれど、彼女は彼の実家の隣町に住んでいました
たまたまだけれど、友人と同じ苗字だったこともあって何だかとても親近感が湧いていました
彼が亡くなって、毎年のように彼の命日に実家にサクラの花を送っていました
おかあさんからかかってくるお礼の電話が待ち遠しくて、ほんわかした盛岡の言葉がとても好きでした
ある年、いつものように電話がかかってきた時に東京にいた娘さんと留学していた娘さんが実家に帰ってきたと聞き「よかったね」と喜んでいたのに、おかあさんが何だかいつもとは違って少しだけ暗い声でした
その年の年末に、おとうさんから喪中ハガキが届きました
おかあさんは乳がんの再発でした
7回忌の時だったかな?彼の実家でお花見をしました
彼が生まれた時に、おとうさんが植えたサクラの下で、おとうさんとおかあさんと私の3人でのお花見でしたが、偶然、私の盛岡の友人とおとうさんが知り合いだとわかって、それから、私の友人3人も入ってサクラを見ました
とっても楽しかった
でも、あの時から何年かがすぎておかあさんが亡くなって、おかあさんと同じ名前だった私の友人も乳がんになって、そして、私も同じ年に子宮頸がんになった
おかあさんが亡くなって、おとうさんだけになってしまうと何故か毎年、送っていたサクラを送るのがつらくなってしまい、あの懐かしい声が聞けないことが余計に寂しくなってしまいました
そのせいもあって、できるだけ盛岡に行ってお墓参りをすることにしました
去年の3・11の時にも、盛岡に行く予定でした
でも、お寺の土塀も崩れてしまうし、すぐに行く事はできなくて秋に行きました
今年は、来月、盛岡に行く予定です
サクラの花を見ると「ああ、今年もサクラが見れてよかった」と思う
桜ばな いのち一ぱいに咲くからに 生命(いのち)をかけて わが眺めたり