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『ちいさこべ』・・・許すということ

山本周五郎の小説で『ちいさごべ』というのがあります
本の中で「ゆるすということはむずかしいが、もしゆるすとなったら限度はない、-ここまではゆるすが、ここから先はゆるせないということがあれば、それは初めからゆるしてはいないのだ」という言葉があります
私はこの本を中学生の頃に読みました
その頃、週末は叔母の家に行っていた私の読む本は、ほとんどが5つ年上の従姉妹の本でした
お姉ちゃんの読むものはこの本もですが、三浦綾子の「氷点」や「塩狩峠」といったキリスト教っぽい本が多かった気がします
細かな内容は覚えてないのに、この「許す」という事だけは何年経っても忘れることができません
人は本当に相手を許すことができるのだろうか?と思いました
叔母は30代で旦那さんを事故で亡くしました
叔父が亡くなった日は台風が来ていて近所の家から屋根の上のアンテナを直して欲しいという電話がきました。叔父は、商店街で電気屋さんをしていました
叔父は、私の父親に電話で「手伝って欲しい」と言ったけれど、その時、何か用事があった父親は断ったそうです。そして、叔父は1人でアンテナを直すために屋根に上りました
叔父は、屋根に架けていたはしごから落ちて亡くなりました
その後、その家に居た従姉妹と同い年の子供がはしごの安全装置を外したことがわかりました
叔母は親戚と話し合って、その事を娘には内緒にして30歳を過ぎてから本当の事を話しました
私が聞いたのも、その後でした
叔母は娘に「憎んだり恨んだりしてはいけない」と言ったそうです
「その子にはその子の人生があるんやから、許してあげなさい」と言ったそうです
お姉ちゃん達は「もう、憎む気持ちもないから大丈夫」と言いました
今、私はあの頃の叔母の年齢を超えました
叔母はどんな気持ちでそれを選択したのだろうと思った
私が子供の頃に叔母の家でお酒を飲むといつも父親が「すまなかった」と泣きながら叔母に頭を下げていました。理由をしらない私は「何でお父さんは謝っているんやろ?」と思っていた
父親は「あの時自分が行っていれば、お兄さんは亡くならなくてすんだのに・・・」とずっと後悔していたそうです。でも私は、もしもあの時、屋根に上っていたのが父だったら・・・と思います
果たして私の母は、叔母と同じ選択をしただろうか?と思う
そして、私もお姉ちゃん達のように許すことができただろうか?と思う
「人を許すという事」は、どんなことよりも大変な作業だと思います
私は、傷つけた相手を本当に許す事ってできるかな・・・