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スピリチュアルにハマる人、ハマらない人

いまスピリチュアルが大ブーム。かつてはアヤシイと思われていた「守護霊」「前世」「魂」の話題が、軽く明るく普通に語られるようになったのはどうしてなのか?そこには「人は死んでも生き返る」と信じる子どもの増加、「科学のお墨付き」を売りにした「脳トレ」「健康食品」ブーム、「自分の幸せ」だけが大事な内向き志向との隠れた共通点があった―。時代の空気を読むスペシャリストが、ブームの深層にひそむ、日本人のメンタリティの変化を解き明かす。
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昔から、何かしら「胸騒ぎ」がしたり、夢枕に亡くなった人が来てくれたりという不思議な体験をしている私ですが、実はスピリチュアルを完全には信じていません
自分に関しては、基本的に私は占い師ではないし、何かを感じても結果が出てからでないと何も言いません
私としては、自分の夢や体調の不調などが何を意味しているのかはわからないし、それを「何か起こるかもしれないから気をつけて」とは、いえないなって思います・・・
それは、正直なところ相手に対して責任を負いたくないのだと思います
もし言ったとして「そんな事、聞きたくなかった」という人もいるし「言ってくれてありがとう」という人もいると思います
でも、私は自分の身に起きた事は、自分自身で解決していかなきゃいけないんじゃないのかな?と思っているから、何も感じなかったのであればそれはそういうものだったと思うしかないと思います
色々な占い師がいると思います。私も占ってもらったこともあるし。
ただ以前、叔母と話した時に「嫌な事をいう占い師は信じてはいけない」と言われました
叔母は、40代で旦那さんを事故で亡くしました
その時に、嫁ぎ先のお墓のある住職さんに舅・姑と同居している家を出るかどうかを相談したそうです
住職さんには「OO歳の時とOO歳の時とOO歳の時にいい事が起きるから、それまで我慢しなさい」と言われたそうです。叔母は、その後、舅と姑を看取りました
そして、自分の娘が立ててくれた2世帯住宅に住んで、ふとあの時の住職さんの言葉を思い出したそうです
最初の年に足の悪い姑が亡くなって、次に認知症の舅が亡くなって、最後が娘と一緒に住んだ年だったそうです
それを聞いて私が「すごいね、私も会いたい」と言ったら、住職さんは亡くなってしまったけれど、その時に自分は「いい事がある」としか言われなかったことがよかったと教えてくれました
悪い事が起きる年を聞きたがる人がいるし、占い師も悪いことがあると過去の出来事のせいと言ったり「OOに転居してはいけない」とか「結婚してはいけない」とかいうけれど、所詮は「自分のせい」なのだから、何かが起きた時には自分で解決していかなきゃいけないと教えてくれました
でも「いい事がある」と教えてくれれば、それを励みに頑張っていくことができるでしょ。と教えてくれた
だから私も占いのいいところしか信じないようになりました
人間、生きていれば「いい事も悪いこともあって当たり前」という叔母の言葉は本当にそうだと思った
いい事ばかりが起きる人生なんて、それはそれで変な気がします
いい事が起きれば、それはもうけもの。悪い事があれば、これを乗り越えればいい事があると考えればいいだけじゃないかな。と思う。そして乗り越えた人は、その分だけ強くなっているんじゃないのかな?と思うし。
先日、母と話をした時に40年以上前に喧嘩別れして会っていなかった友達が、何日も夢枕に立って「会いたい、会いたい」と言っているのを見て、探して会いに行ったら、その友達がかなりの重病で「会いたかった」と言ったそうです。母は、お互い年だから次に会えるかどうかわからないね。と言って別れたそうです
そしたら、その日から友達は夢枕に立たなくなったそうです
母が「どうしても会いたかったんやな」と言って「会えてよかったわ」と言っていました
母も叔母も、そして従姉妹も色々な不思議な体験を持っています
でも、そんな私でも今のスピリチュアルブームを見ていていると、なんだか異様な気がします
なんでも「オーラが見えます」と言ったり「パワースポット=幸運」なんてほんまかいな?と思う
そして、それを信じてない人を「信じてないの」という批判的なのも不思議だし・・・
見える人がいて、見えない人もいる
それも「人それぞれ」とちがうんやろか?って思う
それをみんなが一緒に「信じてる世界」のほうが不気味です・・・
出雲大社に行くのも伊勢神宮に行くのもいいと思います
でも、どこかで冷めたところも必要かな。って思ってます
そして、亡くなった人が夢に出てきてくれないと言うのを聞くことがありますが
私が思うのは「思いが強すぎても出てこれない」んじゃないかな?という事です
何となく、そんな気がします