なぜ私たちは「助けて」を言えないの?

ひとりで頑張らないで、早めに人に助けをもとめよう。人生がもっとラクになる7つのステップ。
「だめな人間だと思われる」「他人に迷惑をかけたくない」「負けを認めることになる」「恥ずかしくて人に言えない」。さまざまな理由で現代人は助けを求めることが本当に下手なのです。けれど、ひとりで頑張っているうちに状況はどんどん悪くなって、結局パンクしてしまう。急激に増加しているウツ病に「まじめな人」「がんばり屋さん」が多いのも同じ理由です。この本では、そうなる前に、上手に「助けて」を言えるようになる方法を7つのステップでわかりやすく解説します。人間は社会的な生き物、つまりもともと助け合って生きていくようにできているのです。上手に助けを求めれば、あなたにとって価値ある人間関係がひろがり、人生がもっと豊かに、そして楽になります。メディアで活躍中の精神科医、名越康文氏の解説付き。
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先日、友達と話をしていた時に彼女が友人のことを「助けてあげれなかった」というのを聞いて、少し違和感があった私は「彼女のは『助けて』ではなくて『かまって』でしょ」と言った
最近、思ったのは「助けて」と「かまって」を同じように使う人がいるという事です
自分の辛さを「わかって欲しい」という気持ちはわかる
でも、そういう人に限って相手のつらさを見ていないような気がします
「助けて」というのは、とても難しいことだと思います
何度も何度も使うとオオカミ少年のようになってしまうし、でもそれを必要な場所で言わなくては自分自身がとてもつらくなるかもしれない。
家族で解決できる問題もあれば、必要な人にお願いしたほうがいい場合もあると思うし・・・
でも、その境目を渦中にいる時に冷静に判断するのは難しいと思います
それには、元気なうちに自分の身に何かが起きた時にはお願いする人を見つけておかなければいけない気がします。この悩みの時には、彼女にお願いしよう。これは彼にお願いね。っという具合にです
全ての悩みを1人にお願いするのは、難しいと思います
「かまって」さんは、相手の適正を見ることなくお願いする人だと思います
この人は親切にしてくれたから。自分を受け入れてくれたから。だから大丈夫。といった感じです
そして、何でもかんでも一切合財「受け入れて」という
でもそれは自分目線であって、相手からの発信を受け取っている訳ではない・・・
「かまって」さんとかかわると自分が消耗していくのがわかります
「なぜこんなにつらいのだろう?」「なぜ、私は彼女を受け入れてあげれないのだろう・・・」
自分は色々と悩んでいるのに、なぜか「助けて」と言っている本人は結構、平気だったりします
そして、不思議と「かまって」さんに振り回されている時は、冷静に自分が見れないことが多いです
いつもなら「なんか変?」と思うような事がわからなかったりします
人との違和感って大切な気がします
なんか違うんじゃないのかな?と思うことが続いたら、元いた場所に戻ることも必要な気がします
そして、今までの人間関係に戻ってみる。それも冷静に見る方法だと思います
新しい人間関係は新鮮だし、大切にしたいという気持ちはわかります
でも、必ずその関係を維持しなくてはいけないということではないと思います
自分と合わないかも?と思ったら、少し引いて相手との関係をみて見る
自分のためにも、どんな時でも冷静に人を見る目が大切なのかな?なんて思っています
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