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3月11日-仙台駅:14時46分


:3月10日の仙台駅の風景です

3月10日、CTスキャン検査を受けて腫瘍マーカーのための血液検査をして
リンパ浮腫外来に行きました
その時に「9日の地震、すごかったね~」なんて話を顔馴染みの看護師さんとしていました

私はCT検査の日は泊まりになって、次の日に婦人科外来に行きます
3月11日、いつものように放射線科と婦人科の外来に行って先生と話をして、
最後に「美味しい牛たん屋さん、どこです?」って先生に聞いて帰りました

ただ、いつもと違ったのは、2つの外来をかけもちしたせいもあって
かなり混んでたものだから、えらく時間がかかった事でした
そして、いつもと違ってかなり強めの痛み止めをもらったのと
睡眠導入剤をもらいました。これも退院後、初めてでした

今回、色々なこともあって痛み止めと睡眠導入剤を毎日、飲んでいます

仙台駅に2時の予定だったけど、ランチを逆算してみたら
予定の時間よりも遅くなってしまったけれど、牛たんは食べたいし~~って思ってました
まだ12時半、なんとかなるかな??って思い紹介してもらった店に急いで行ってみると
なぜかその日はランチがなくて、5時からの営業になっていました
でも、せっかくの仙台だしって思って他の人に教えてもらった『一仙』でランチを食べました
食べ終わって、バス停の場所を聞いて外に出てみると小雪まじりで寒い!
しかも、なかなかバスがこないし・・・
結局、15分くらい待ってやっとこさ仙台駅行きのバスに乗りました
でも、またここでいつもと違う終点で、結局、いつもよりも歩くはめに・・・

盛岡駅で友達と待ち合わせした時間が4時だし、お腹も痛くなってしまったので
今回は新幹線にしようって思って、パルコの2階から抜けて仙台駅の2階中央入り口に行ったら
「くっくっくっく・・・」っていうのかな?
ものすごく変な横揺れがきた
そしたら、何分もの間(多分3~5分くらいに感じた)強い横揺れがきて、びっくり!
もう、全く自力では立ってられなくて近くにあった大理石の埋め込みに膝をついてしがみついていた
でも、それでも何度も揺さぶられていました
お陰で私の膝小僧には「名誉の負傷」しています・・・

1回目の地震が止まって、2回目の立て揺れからの横揺れが来た時に仙台駅の新幹線ホームのガラスが
「バリバリバリバリバリ」って轟音を立てて揺れ始めたから、
これは絶対に映画みたいにガラスが粉々になって飛んでくる!って思って、
必死で埋め込みから手を離して反対側に逃げた
それまでは「なんとかなる」って思っていたけど、これを見た時は「私、これ飛んできたら死ぬな・・・」
って思ってた
そしたら、まるで、映画の1シーンのように人が仙台駅から出てきた
すごく不思議だったのが、こんなにすごい状態なのに誰も押し合わずに出てくるっていうのがわかった
そして、ドラマや映画なんかよりももっともっとすごく整然としていた

仙台駅の新幹線のホームのところのガラスを見ると、煙がすごくでていて「火事?」って思ったけれど
後で、その時に新幹線のホームの天井が落ちてたんだってわかった
その時、近くにいた男の子が「震度6か7です」って教えてくれて
「助けて」って言って、一緒に高架橋の下へ降りた

下に降りる時も、何度も揺れるし手すりの下も、階段も壊れてる場所があったりして
とりあえず、なんとか必死に降りていった
駅の下のロータリーで、座っている時も何度も何度も立て揺れが来て震える寒さの中で
知らない人たちと一緒にいた

その中で一番、若い子たちのグループが「お腹すいた~~」って言うから「食べる?」って
チョコをあげたら「ありがとうございます」ってニコニコしていた
しばらくして地震が落ち着いたら「じゃあ、私帰るね」って帰っていったけれど、ちゃんと帰れたかな?
雪の中、ずっと傘をさしていてくれた女の子もいた
自分も濡れてしまうのに・・・
地震が来て、揺れてる中を家族を心配していた子たち

電話してもどこにも通じなくて、ワンセグを見て少しでも情報が欲しかった
仙台駅の上を旋回するヘリがいて、テレビに「仙台駅」がでていた
自分たちを写しているヘリが上にいるって、変な感じだなって思った
写っている私たちが一番、自分の状況がわかっていないんだし・・・
ワンセグで「仙台空港が津波で流されていく」のを見た

地震がきている間も、何度も何度も「神戸より大丈夫」って思っていた私が
「この地震、何かが違う」って思った瞬間でした

仙台駅の周辺の道は、ほとんどが隆起したり割れたりしていなかったから
神戸の地震の時の三ノ宮駅周辺や長田よりは、はるかに被害が少ないように思ってた
ただ、異常に強い揺れが何度もくるのと、最初は横揺れだったのが、段々と、立て揺れもきているし
地震の間隔がやたらと短いのが気になってた

とりあえず3日は仙台だろう。って思って覚悟をしていた
その間、何とかしなくてはって思って、自分の病院に行くか市役所が避難所になるだろうから
そのあたりに行こうって思って歩き始めた
その時には、一緒にいた人は1人になっていて2人で逃げました

仙台駅のすぐ近くにあったホテルはやめて、できるだけ市役所のほうへと歩いていたけど
あまりにも雪が降ってきて近くにあったビルの1階に逃げ込みました
でも、すぐに余震がきて少し開いたままで止まっている自動ドアが「バリバリバリバリバリ」って
言い始めて、大慌てで逃げました
ただ、逃げている間にも一緒にいた人が「雪が降っているから建物の下を歩こう」って言うから
「そんなの横からガラスがくるかもしれないんだから、雪で濡れるくらい我慢しなきゃ」って言って
できるだけ建物から離れて逃げた

もう、その時には信号機も街灯も揺れまくっているし、電気はついていないしで交差点を渡りたいのに渡れない!
どうしようもないって思って自分で車道にでて、手をあげて車を止めて歩道を渡っていました
こんな中でも事故もなく、きちんと止まってくれる仙台市民ってすごい!って思った

でも、あまりの寒さと余震で思うようには歩けないから、たまたまあったホテルの前で
「ホテル、泊まれますか?」って聞いたら、「開放していますから、どうぞ」と言われて
そこに入りました。そこがリッチモンドホテルでした
後で地図を見たら、駅からとっても近かったのにホテルまで1時間弱はかかったように思います



「免震構造だから大丈夫ですよ」と言われて安心したのと、宿泊客でもない私たちに
布団や水をくれたりして、本当に暖かい気持ちになりました

ホテルの中は、宿泊客の人もいたし、私たちのように「帰宅難民」になった人も沢山いました
あとは、明日の国立大学の入試を控えた受験生も・・・

夕方、すぐ隣の座った女の人も呼んで一緒に布団に入り温まりました

その日は、自家発電が夜の7時には切れてしまい真っ暗だったけれど(他のビルも真っ暗でした)
ホテルの人に頂いた「ゆで卵」を1つ食べました
懐中電灯で照らしてもらって卵の殻を剥いてました。すごく美味しかった~~
ゆで卵1個がこんなに嬉しくて美味しいなんて考えもしなかった

ホテルの人は、自分たちの家がどうなっているかもわからない状態で私たちの世話をしてくれました
仙台から仙台。といった被災地から被災地への電話は通じないので、メールだけ。
それもほとんどが「送信できませんでした」って返ってくるし、近くに友人がいてもどうしようもなかったです

また、仙台市内は電気もガスも水道もダメだったから、まだホテルのほうが地震の被害にあわないから
大丈夫かもって思いました
夜、友達と弟から電話が来て、弟からは「ぼくの誕生日がお姉ちゃんの命日にならなくてよかった」って
言われました
そういや、今日は弟の誕生日やったわ~~って思い出した
そんな事、この状態の中ですっかり忘れてたわ・・・

そして、心配してくれた患者会の方が真っ暗な中病院からかけつけてくれました
本当に、感謝感謝でした

2日目は、体調が悪かったけれど出かけないと食べ物が手に入らないと思って出かけました
でも、結局は下痢が始まってしまったので、せっかく出かけたのに帰ってしまいました
その時に、一緒にいた2人がコンビニが開くのに1時間、買うのに1時間くらいかかって
買ってきたものを私にわけてくれました
午前中にも受験生の男の子が、お菓子と飲み物を買ってきてくれたし・・・
それまで全く知らなかった人なのに、助けてもらって嬉しかった

でも、私は大丈夫でしたが、あまりよくない事もありました
避難場所のようなところには、色んな人がいます

神戸の時に、被災した友達が怖い目にあいそうになった事を教えてくれました

どんなところであっても、やはり自分の身を守るのは自分自身なんだと思います

3日目避難場所に「震度7の余震がくる」っていうデマが流れて
みんなが帰らなくてはってことになった
震度7の余震って・・・そんな話、神戸でもあったなって思った
でも、これ以上の余震なんて本当にあるんやろか?って思った
確かに「有識者」っていう人がテレビで話していることが正しいかもしれない
でも、必要以上に相手をおびえさせるのってどうなんだろう?って思いました
結局、この事で避難場所にいた人の大半が「仙台から逃げなきゃ」って事になりました
確かに余震はあったけれど、震度7なんてのはこなかったし・・・

朝1番に、仙台から山形に行く高速バスに乗るために第1弾の人達が出て行きました
みんな「3日以内に、震度7がくるから帰ってこい」っていう身内の話で
早く仙台から出ていかなきゃって思ったようでした
その時、仙台から東京に帰るルートは「仙台-山形」で山形空港を利用して伊丹空港経由で羽田行き。
もしくは「仙台-山形」で山形から新潟で新幹線を利用。でした
他にも在来線を使ってというのもあったけれど、どのルートも満席で体調の悪い私には
あまりいい案とはいえなかったので「仙台-山形」に行って一緒に避難した人が岩手に帰るので
そこまで友人に迎えに来てもらいました

山形市内は大丈夫でしたが、仙台も岩手も場所によっては電気がついていなくて真っ暗中、
友達が1時間以上かけて迎えにきてくれました
本当にありがたかったです

結局、私の避難所生活は3日でした

でも、その中でも色んな事がありました

色んな人がいたし・・・

ただ思ったのは、地震や津波があったからといって被災地である仙台を嫌いになって欲しくはないなって
思います

嫌いになるなら、地震や津波をきらいになればいい

そして、地震が来た時に「どうやって帰るか」だけではなく、例えば水が流れないトイレには
紙は流さない。など基本的な事くらいは知っておいて欲しいと思いました
ホテルの掃除の人が、トイレの便器に手を入れて紙を出してくれていました
そんな知識すらないんか・・・って思いました

今も色々なデマがあります。
そういったものにも惑わされないようにしてください。

地震は日本にいる限り、どこであっても起きる事です

どんなときでも冷静に。

3月28日(月)。

無事に岩手から東京に帰ってきました。  
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  • 2011年03月29日 Posted by すもも at 00:00Comments(2)東日本大震災