静人日記~悼む人Ⅱ~

静人日記~悼む人Ⅱ~可視と不可視のはざまで-悼む人、被災地にて-
見えないことの残酷さと、見えていることの残酷さ・・・
いま願うことは、立ち止まり、振り返る勇気がほしいということ。
声もなく、うずくまったままの人がきっといる。道を戻り、その人が歩きだせるまで、妙な励ましなど口にせず、静かに持てる強さがほしい。
同じ歩調で歩ける真の体力がほしい。。
一万五千、七千、という数の波底のもぐり、一つ一つのいのちの相貌を拾い上げられる本物の想像力がほしい
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『悼む人』の後で書かれた『静人日記』ですが、私の勝手な想像では本当はこの日記は『悼む人』を書く前からあって、それを元に「悼む人」という小説を書いてから、もう1度手を入れて主人公がどのようにして相手を「悼んでいたか」を書いていったように感じました。それくらい天童荒太という作家さんの人物設定の細やかさのようなものを感じました。でも、いつも感じるのは綿密な設定の上で書いてあるはずなのに書き込みが多くなく大げさな表現も押し付けもないのに、読み終わった後で優しさや温かさが心に染みわたるような気がする不思議な作家さんだなって思います。
ただ、私としては日記の存在よりも最後に書かれていた東日本大震災を悼む人を書いた作家さんがどのように書くか。に興味がありました。
あの津波のことや阪神淡路大震災のことはいろいろな人がいろいろな方法で表現されています
その中で「言葉を生業にしている人」である小説家なら、どのように書くのだろう?と思った。
一万五千、七千、という数の波底のもぐり、一つ一つのいのちの相貌を拾い上げられる本物の想像力がほしい。
この作家さんらしい言葉だなと感じました。
2013年06月10日 Posted byすもも at 00:00 │Comments(0) │読んだ本・・・その他
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