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30年目の告白

昨日書いた「中学生の時のいじめ」について、その夜に中学からの友人に告白しました

かれこれ30年くらい前の事で、もういじめた相手の名前すら、うろ覚えでした・・・
しかもどんな風にいじめられたかの記憶はなかったけれど、学校の外の駐車場で
男子4~5人、女子3~4人で私とあと1人で囲まれて文句を言われた記憶があります

うちの父親は、なんでもかんでも自分で決めてしまう人で「りかちゃん人形」だって
「キティーちゃん」だって自分で勝手に、全然違うのを買ってきて私に
「ほら、買ってきちゃったぞ」って言う人でした・・・
自分はよかれと思っているんだけれど、それがいつも空回りしていました

そんな父親が、仕事の関係で県外に単身赴任をしてしばらくしてから
家からすごく遠いよくわからない場所に私たちを連れて行きました
そして、その後しばらくしてから、お母さんが私に「転校してもいい?」って聞きました
私はテレビを見ながら、お母さんに「うん?」って別に対して何も考えないで答えたような気がします
そしたら、その後すぐに「引越しさせられました」
親にしてみたら「転校してもいい?」と聞いたといいたいんだろうけど、子供としてはまさかそんなすぐにするとも思っていなかったし「いつ?」「どこに?」なんて説明もないから、ただの世間話くらいにしか考えてませんでした

そしたら中学2年生の3学期なんて、中途半端な時期に田舎の小さな中学校に転校させられていました
それまでの私が通っていた中学校は、市内でもそこそこ大きな学校で1クラス45人で6クラスあって、市内の模範校となっているような学校したが、転校先の中学は1クラス33人で3クラスしかなくて、1学年100人にも満たない学校でした

そして、ほとんどが小学生からの知り合いで転校生の私はそんな人たちの中にいた1部の人たちの「興味」の対象でした
その上、頼りないセクハラオヤジみたいな担任で・・・最悪な状態でした

そんな中でいつからか「いじめ」らしきものが起きました

その頃から私は家で弟にあたっていました。そしてリストカットでした
今考えると死ぬほどではなかったし、本当に切る気なんてなかったんだろうな~って思います
ただ、スッと切った時の無機質な刃が皮膚にあたる感触とうっすらと浮き出てくる血。
それを憶えています
痛い。というのが、包丁で切った時の感じと少し違ったようなヒリヒリとする感じがしました

ただ、私の場合はお母さんが気がついて、授業が終わる時間になると学校の前で待っていてくれました
友達といえるくらいの付き合いがあるほど、学校にも行っていない私には
担任には頼れない。つまり学校には頼れないって思っていた私には親しかいなかったし・・・
そんな日が何日か続いて、外部の相談室に電話をしたりしていました
でも、学校名や呼び出されている場所を教えてくれとしつこく聞かれても、やっぱり言えなかった
どんな状態でも、友達?と思っている相手を売るような真似はできなかったのかな?と思っていたし
それに、ここで言ったら、これ以上何をされるんだろう?と思ったのかも知れません
その時の自分の気持ちはもう憶えていません
きっと思い出したくないんだろうなって思います

昨日、その転校した中学の時の友達に初めて「いじめ」や「リストカット」の事を言いました
彼女は私が転校してきた時には入院をしていて、すぐに出会ってなくて
何もかもが終わった中学3年生の時に帰ってきました
だから、少しですが空白があります
そして、その中学で現在まで続いている唯一の友達です

その彼女に初めて中学の時の「いじめ」や「リストカット」の話しをしました
30年目の告白です

先日、アサーションの失敗で私が書いた「自分のほうが絶対に優位に立てるとわかっている人間が、明らかに自分よりも下の立場にいる人間に対して、正当化しようとするのが納得できないのだと思った」というのは、もしかしたらこの事があったからかな?って思いました

ただ「いじめ」を行った人の気持ちも今なら少しはわかります
彼女の家は複雑な家庭だったらしくて、私のように外から家を買って転校してきた「お金持ち」(に見えていた)の生徒が気に入らなかったんじゃないのかな?って思います
私ともう1人呼び出されていた人も、転校生ではないけれど裕福な家庭の子でした
それがわかったのは、私の前に「いじめ」に会っていた男子の話を聞いたからです
彼も私も同じところに引っ越してきただけなのに・・・って思いました

そんな話を聞いて、お母さんが学校の前に迎えにきてくれているのも何もかもが「なんて理不尽なんだろう」って思って切れました
それまでは、彼らに何かを言われても言われるままでした
でも「これって、なんかおかしいんと違うん?」って思った

そして直接対決をしました。何を言ったのか、その時にどうなったのかは、記憶がありません
ただその後、彼女の態度が一変したのと、結果的には中学3年の1年間は友達にも恵まれて無事に卒業できました

「いじめ」って、何がきっかけで起きるかわからないと思います
自分には平気な事が、相手にとってはどうしても「許せない」ことだったりする場合もあります
自分がわからない「きっかけ」が相手を怒らせてしまうこともあるというのは、どうしても理解できないと思います
その時に、どうやって対処していくかはとても難しいと思います
姿の見えない「いじめ」や、会社の中という大人の世界での「いじめ」もあると思います
これってものすごく大変だと思います
子供の社会は、小学校で6年。中学、高校で3年ずつです
どんなにつらくても一生続く訳ではありません
でも、会社は「辞めたくない」と思っている場合がほとんどです

そんな中で自分が「いじめ」の対象になってしまったら・・・って思います

中学を卒業して、高校、専門学校を出たら、私は家を出ようと決めていました
その時でも、私にはどうしても引越ししたことが許せませんでした
お母さんとは家をでる前に殴り合いのケンカをしました
だからこそ「なぜ家を買ったか」という謎も解けました

といっても、どんなに自分で頑張ろうと思っていたとしても、やっぱりどうしようもない時があります
そんな時に助けてくれたのが、親でした

私が、がんになって仙台に入院していた時に父と母が見舞いにきてくれました
新幹線で片道6時間くらいかけて来てくれました

どんなに不器用であっても、自分の子供を愛していない親っていないんじゃないかな?って思います
でももしも今、悩んでいる子がいたら「自分で食べていく方法」を考えて欲しいって思います

私は寮付きの会社を探し、家を出ました
そのためには、きちんと学校を卒業してバイトしてお金を貯めて20歳になったら「家をでる」という目標を立てていました
自分で目標を立てていたら、親や友達が何を言っても大丈夫なんじゃないかな?って思う
例えそれが「家をでる」っていう目標であったとしても、いいと思います
自分の体や心を傷つけない方法であったら、それでいいと思います

自分にとって「未練はあっても後悔のない人生」を送って欲しいと思います

未練は「あんなことしたかったな」「あんなところに行ってみたかったな」ということで、後悔は「あんなことしなければよかった」という事です
似ているようで、全然似ていないと思います  
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  • 2011年09月09日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他