『絶対に』
職場に新しい人が入ってきました
その人と話していると、ちょくちょく『絶対に嫌』という言葉が出てきます
『きちんと説明をしてくれない人は絶対に嫌』とか『そんな上司は絶対に嫌』とか『こういう仕事は絶対に嫌』など、ざまざまですが、最近「絶対にって言う人って多いな」と思った
先日も「あのドラマにはOOさんが出ているから絶対に見ない」というのを聞いて
「そんなの見たら面白いかもよ」と言うと「OOさんの出ているドラマは面白くても見ない」と言われた
彼女は25歳の娘さんのお母さんなんだけれど「最近、娘も同じ事を言うのよね」と言うから
それって、お母さんが言うから娘さんも同じように言うんじゃないのかな?と思った
先日読んだ「シックマザー」と同じような『連鎖』がおきているのだと思った
でもそれが親子なら「似てきている」という事になるだけで、その違和感って気がつかないんだと思った
以前、アメリカ人に『好きな俳優さんは?』と聞かれて『クリスチャン・スレーター』とこたえた
その時に『LOVE』を使ったら『変わらないものには使ってもいいけれど、俳優さんのように変化するものには使わないんだよ』と言われたのを思い出した
『LOVE』を使うのは、自分にとって『特別な人』であって流行の人には使わない。
その時の私は『絶対に、ずっと好きだから』と言っていました
でも、あれから15年くらい過ぎた今となっては『絶対にというほど好きやったのにな~~』というくらいの好きさだと思います
人の気持ちは変化していくものだと思います
付き合っていた人と別れる時に『あの時は私を好きだと言ったじゃない』とか『あんなに優しかったのに』という発言をしたことって誰にでもあると思います
でも今は『絶対に』といいきれるほど「確かなもの」を持っている人って、一体、どれくらいいるのだろう?と思います
昔、企業デザイナーで働いている時に『絶対にこれがいい』とか『絶対にこんなのは嫌』という言葉をいう事が「格好いい」と思っていたところがありました
自己主張をすることや、自分の好みが『絶対にいい』と思っていました
先日、その頃の友人に『今考えたら、なんかアホみたいな事にこだわってたよね』っていうと笑いながら『恥ずかしいよな』と言っていました
彼はインテリアデザイナーという仕事をしていて『今『絶対に』っていう人を見ると「案外、どうでもいいことなのにな」って思うようになった』といっているのを聞いて「お互いに年をとったという事なんだよね」と言っていました
でも、年をとる事で『絶対に』が減っていく人もいれば、段々と『絶対に』が増えていく人もいます
それってどこかで『とらわれ』ているのだと思った
『~~でなければならない』という『ねばならない思考』を当てはめている気がします
私のお隣の彼女も「上司とは、きちんと仕事の説明をしてくれる人でなくてはならない」という『とらわれ』がある気がしました
というか・・・まあ、私も気持ちはわからなくないけれど「自分がもっとわかっていればそういう説明もいらないはず」という気持ちはないのかな?と思うし、何より自分では気がついていないけれど、実はとっても「上から目線」やな・・・と思った
そして『絶対に』と思わなければ、もしかしたら違う人間関係ができていて以前の職場でもっと長く働け自分から辞めなくてはいけないような事にはならなかったかもしれないのにな。と思った
食べ物でも子どもの時には『絶対に食べられない』と思っていたものが大人になると食べれたり大好きになったり、新しい調理法などを試してみると案外美味しく食べれたりしたりします
『絶対に』は、実は『絶対』ではないって思ってみるといいかもしれない
でも治療の時に『絶対に大丈夫』という「根拠無き自信」を持つといい。と前宮城県知事の浅野史郎さんが『徹子の部屋』で言われていました
私もその意見には賛成です
その人と話していると、ちょくちょく『絶対に嫌』という言葉が出てきます
『きちんと説明をしてくれない人は絶対に嫌』とか『そんな上司は絶対に嫌』とか『こういう仕事は絶対に嫌』など、ざまざまですが、最近「絶対にって言う人って多いな」と思った
先日も「あのドラマにはOOさんが出ているから絶対に見ない」というのを聞いて
「そんなの見たら面白いかもよ」と言うと「OOさんの出ているドラマは面白くても見ない」と言われた
彼女は25歳の娘さんのお母さんなんだけれど「最近、娘も同じ事を言うのよね」と言うから
それって、お母さんが言うから娘さんも同じように言うんじゃないのかな?と思った
先日読んだ「シックマザー」と同じような『連鎖』がおきているのだと思った
でもそれが親子なら「似てきている」という事になるだけで、その違和感って気がつかないんだと思った
以前、アメリカ人に『好きな俳優さんは?』と聞かれて『クリスチャン・スレーター』とこたえた
その時に『LOVE』を使ったら『変わらないものには使ってもいいけれど、俳優さんのように変化するものには使わないんだよ』と言われたのを思い出した
『LOVE』を使うのは、自分にとって『特別な人』であって流行の人には使わない。
その時の私は『絶対に、ずっと好きだから』と言っていました
でも、あれから15年くらい過ぎた今となっては『絶対にというほど好きやったのにな~~』というくらいの好きさだと思います
人の気持ちは変化していくものだと思います
付き合っていた人と別れる時に『あの時は私を好きだと言ったじゃない』とか『あんなに優しかったのに』という発言をしたことって誰にでもあると思います
でも今は『絶対に』といいきれるほど「確かなもの」を持っている人って、一体、どれくらいいるのだろう?と思います
昔、企業デザイナーで働いている時に『絶対にこれがいい』とか『絶対にこんなのは嫌』という言葉をいう事が「格好いい」と思っていたところがありました
自己主張をすることや、自分の好みが『絶対にいい』と思っていました
先日、その頃の友人に『今考えたら、なんかアホみたいな事にこだわってたよね』っていうと笑いながら『恥ずかしいよな』と言っていました
彼はインテリアデザイナーという仕事をしていて『今『絶対に』っていう人を見ると「案外、どうでもいいことなのにな」って思うようになった』といっているのを聞いて「お互いに年をとったという事なんだよね」と言っていました
でも、年をとる事で『絶対に』が減っていく人もいれば、段々と『絶対に』が増えていく人もいます
それってどこかで『とらわれ』ているのだと思った
『~~でなければならない』という『ねばならない思考』を当てはめている気がします
私のお隣の彼女も「上司とは、きちんと仕事の説明をしてくれる人でなくてはならない」という『とらわれ』がある気がしました
というか・・・まあ、私も気持ちはわからなくないけれど「自分がもっとわかっていればそういう説明もいらないはず」という気持ちはないのかな?と思うし、何より自分では気がついていないけれど、実はとっても「上から目線」やな・・・と思った
そして『絶対に』と思わなければ、もしかしたら違う人間関係ができていて以前の職場でもっと長く働け自分から辞めなくてはいけないような事にはならなかったかもしれないのにな。と思った
食べ物でも子どもの時には『絶対に食べられない』と思っていたものが大人になると食べれたり大好きになったり、新しい調理法などを試してみると案外美味しく食べれたりしたりします
『絶対に』は、実は『絶対』ではないって思ってみるといいかもしれない
でも治療の時に『絶対に大丈夫』という「根拠無き自信」を持つといい。と前宮城県知事の浅野史郎さんが『徹子の部屋』で言われていました
私もその意見には賛成です

2012年06月04日 Posted byすもも at 00:00 │Comments(2) │その他
この記事へのコメント
お久しぶりです。
おばちゃま女子会「カッチェル」のシンシアです。
思いだしましたね、
昔会社の同僚で何を言うにも
「一応、」って必ずつける女子社員が。
絶対、
う〜ん、優柔不断女シンシアはあんまり使わないかもしれません。
おばちゃま女子会「カッチェル」のシンシアです。
思いだしましたね、
昔会社の同僚で何を言うにも
「一応、」って必ずつける女子社員が。
絶対、
う〜ん、優柔不断女シンシアはあんまり使わないかもしれません。
Posted by シンシア
at 2012年06月04日 00:09

カッチェルさん、お久しぶりです
ブログ、読んでいます
いつもながら精力的に活動されているみたいで、すごいですね
『一応』ってのも聞きますね
何から自分を守っているんでしょうね
私は適当なので、絶対っていうほどの自信がないです~~。
ブログ、読んでいます
いつもながら精力的に活動されているみたいで、すごいですね
『一応』ってのも聞きますね
何から自分を守っているんでしょうね
私は適当なので、絶対っていうほどの自信がないです~~。
Posted by すもも
at 2012年06月04日 21:21

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