自分の価値観

ほんの半年くらいの間だけれど、色々な事を考えました
それは人と向き合うためには、自分が自分と向き合っていかないといけないと思ったからです
その時に、自分が一番大切にしていることがわかった気がしました(つい2週間くらい前ですが)それを思い出したのは、もう20年くらい前に言われた友人からの言葉です
それは『ブルセラ』という言葉と高校生が下着を売っているというのが社会問題になっていた時です
私が友人に「なんであんなことするんやろな?」と言うと、彼女が「すももは知らんけど、私らが高校生の時にもあったんよ。私、OOちゃんに3枚1000円で下着買ってきて売ってと頼まれたもん」と答えました。驚いた私が「えっ?そんなん私知らんで」と言うと、友達が一言「誰も、すももには言わへんよ・・・」と言うから、もっとびっくりした私が「そうなん?なんで??」と聞いてみると「だって、すもも怒るやろ?」というから、ちょっと考えて私が「そうやな、きっと怒ってるよな」というと「それに、すももなら言うたOOちゃんも怒ったけど、きっと私の事も怒ったやろ?」と言われて、確かに・・・と思った。
そして「すももが怒るのはわかるけど、やっぱり怖かったもん」と私にいえなかった理由を教えてくれました。自分もよくないと思っているのを怒られるし私が正しいのもわかる。でも、やっぱりOOちゃんの事も大事だし。と言って「でもちゃんと、断ったんよ私」といっていました。
この時の私の『どちらにも怒る』というのは、自分の価値観の大きな部分を占めている気がしました。
これに到った経過も全て思い出しました。それは、かなり複雑な中学時代の思い出と引越しした先の同級生からの『いじめ』だったり書けない内容も多いので書かないけれど、その時に『いじめ』の対応をした教師に対して、転校前の学校の先生との対応の違いに不信感を持って全ての教師が同じではないというのもわかりました。
そして、その時に自分の中で考えたのが先生と呼ばれる人が偉いのではないという事でした。
たった15歳だったけれど、その年齢の私が決めた信頼できる『大人』の基準は
・人に対して公平であること
・職業に対して誠実であること
でした。
人に対してというのは、大人だから子どもだからという区別のない人であること
職業に対して誠実というのは、医師であっても教師であっても会社員であっても当てはまるように感じました。この基準は今でもずっと変わらないからいい加減な私がある部分では「しっかりしている」ように思われているのかな?って思ったりします。
でもこの事は友達が言ったように相手にきつい事もあります。私は『事実』でいうので言われたくないと言った人もいるし、それで私から離れていった人もいるので、それは私も「ちょっときつかったかな・・・」ということがありました。その事をカラーセラピーの先生に話したところ「それは、受け取る側の問題」といってくれました。自分にとって厳しい事を言ってくれる人が必要な時もある。むしろ私くらいの年齢になると私の事を思って言ってくれる人が少くなってしまった。と教えてくれました。
ついついきついことを言ってしまう私としては「それでも自分らしく公平に誠実に」と思っています。
2013年06月05日 Posted byすもも at 00:00 │Comments(0) │その他
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