言葉に振り回される人
今、読んでいる『シロクマのことだけは考えるな』がとても面白い
「ほんまでっかTV」の植木先生の本なのですが、本の中で3組のグループに1つは「シロクマのことだけ考えてください」と言います。もう1つのグループには「シロクマのことは考えても考えなくてもいいです」と言って、残りの1グループに「シロクマのことだけは考えないでください」と言います。この後、1年過ぎてから聞いてみると「シロクマのことだけ考えてください」と言われたグループと「どちらでもいいです」と言われたグループは、シロクマの事は考えてませんでした。反対に「シロクマのことだけは考えないで」と言われたグループの人は、ちゃんとシロクマを覚えていたそうです。
なんて面白い~~~って思いました
本を読んで面白かったので、友達に「シロクマのことだけは考えないで」とメールを送りました
ふふふ、一体、どうなるんでしょうか。とっても楽しみです
本の中で、ものすごく『腑に落ちたこと』がありました
授業中に必死でノートを書いている人は、実は学校のお勉強ができなかったりします。あんなに一生懸命にノート書いているし、きちんと「ここは重要」なんてのまで書いてあったりします。それなのに・・・です。
なぜか不思議だけれど、こういう人っている気がしました。ノートに書くことはただ、書けばいいのではないそうです。その場でメモすること、つまり「言語化」することで、かえって理解が浅くなってしまうことがある。メモ好きな人が必ずしも優秀でない理由はそういうことだそうです。
一生懸命に書いているのに、とっても残念な話ですね。植木先生いわく「自分の“感情”をすぐに言語化してしまうと、心の深い所にある真の感情がわからなくなる」という事でした
例えば「なんて、ひどい」とか「嫌い」など、感情ばかりが優先してしまう人は、自分自身で自分の本当の感情までも考えなくしてしまうそうです。それを『言語的隠蔽』というそうです。すごいわかるって思った。感情が優先している人って、同じ文章をメールを送っても「本当はここが大切なこと」と他の人はわかってくれるのに、全く違う内容の返事がきたりします。自分で勝手に言葉に反応して感情だけで返してくるので、いい大人がなんて子どもっぽい反応なんだろう??って思っていました。でもこの“感情を言語化する”というのを読んで納得しました。
言葉を書くというのは、いい意味も悪い意味もあるんだと思いました
私はこのブログを書くときに、病気に関してはすぐに書かないことにしています。もちろん、どうしても書きたいものもあるけれど、基本的には自分の感情がきちんと落ち着いてから。そして、友達に言われたことを書くときは特に自分自身が本当にそれを理解するまでは書きません。それは、相手を傷つけることになると思っているからです。相手の本当の気持ちを『理解したつもり』で書くことはできない・・・でも、本当に悩んで自分のものとして書いたものは、その時の本当の自分の感情を書いているということだと思います。だから何度読んでもその時の自分の感情を思い出してしまいます。
それは、ピアサポーターには必要なものだと思いますが・・・
基本的には、メモをとる時には、客観的事実だけを、できるだけドライに簡潔に書くことが一番いいそうです。
「ほんまでっかTV」の植木先生の本なのですが、本の中で3組のグループに1つは「シロクマのことだけ考えてください」と言います。もう1つのグループには「シロクマのことは考えても考えなくてもいいです」と言って、残りの1グループに「シロクマのことだけは考えないでください」と言います。この後、1年過ぎてから聞いてみると「シロクマのことだけ考えてください」と言われたグループと「どちらでもいいです」と言われたグループは、シロクマの事は考えてませんでした。反対に「シロクマのことだけは考えないで」と言われたグループの人は、ちゃんとシロクマを覚えていたそうです。
なんて面白い~~~って思いました

本を読んで面白かったので、友達に「シロクマのことだけは考えないで」とメールを送りました
ふふふ、一体、どうなるんでしょうか。とっても楽しみです

本の中で、ものすごく『腑に落ちたこと』がありました
授業中に必死でノートを書いている人は、実は学校のお勉強ができなかったりします。あんなに一生懸命にノート書いているし、きちんと「ここは重要」なんてのまで書いてあったりします。それなのに・・・です。
なぜか不思議だけれど、こういう人っている気がしました。ノートに書くことはただ、書けばいいのではないそうです。その場でメモすること、つまり「言語化」することで、かえって理解が浅くなってしまうことがある。メモ好きな人が必ずしも優秀でない理由はそういうことだそうです。
一生懸命に書いているのに、とっても残念な話ですね。植木先生いわく「自分の“感情”をすぐに言語化してしまうと、心の深い所にある真の感情がわからなくなる」という事でした
例えば「なんて、ひどい」とか「嫌い」など、感情ばかりが優先してしまう人は、自分自身で自分の本当の感情までも考えなくしてしまうそうです。それを『言語的隠蔽』というそうです。すごいわかるって思った。感情が優先している人って、同じ文章をメールを送っても「本当はここが大切なこと」と他の人はわかってくれるのに、全く違う内容の返事がきたりします。自分で勝手に言葉に反応して感情だけで返してくるので、いい大人がなんて子どもっぽい反応なんだろう??って思っていました。でもこの“感情を言語化する”というのを読んで納得しました。
言葉を書くというのは、いい意味も悪い意味もあるんだと思いました
私はこのブログを書くときに、病気に関してはすぐに書かないことにしています。もちろん、どうしても書きたいものもあるけれど、基本的には自分の感情がきちんと落ち着いてから。そして、友達に言われたことを書くときは特に自分自身が本当にそれを理解するまでは書きません。それは、相手を傷つけることになると思っているからです。相手の本当の気持ちを『理解したつもり』で書くことはできない・・・でも、本当に悩んで自分のものとして書いたものは、その時の本当の自分の感情を書いているということだと思います。だから何度読んでもその時の自分の感情を思い出してしまいます。
それは、ピアサポーターには必要なものだと思いますが・・・
基本的には、メモをとる時には、客観的事実だけを、できるだけドライに簡潔に書くことが一番いいそうです。
2013年10月04日 Posted byすもも at 00:00 │Comments(0) │その他
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