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平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学



私が邪悪と呼んでいる人たちの最も特徴的な行動としてあげられるのが、他人をスケープゴートにする、つまり、他人に罪を転嫁することである。自分は非難の対象外だと考えている彼らは、だれであろうと自分に近づいてくる人間を激しく攻撃する。彼らは、完全性という自己像を守るために、他人を犠牲にするのである。
スケープゴーティング、つまり罪の転嫁は、精神医学者が「投影」と呼んでいるメカニズムによって生じるものである。邪悪な人間は、自分には欠点がないと深く信じ込んでいるために、世の中の人と衝突したときには、きまって、世の中の人たちが間違っているためそうした衝突が起こるのだと考える。自分の罪を否定しなければならないのであるから、他人を悪と見なさざるをえないのである。自分の悪を世の中に投影するのである。

邪悪な人間は、自分自身の欠陥を直視するかわりに他人を攻撃する。精神的に成長するためには、自分自身の成長の必要性を認識することが必要である。この認識をなしえないときには、自分自身の不完全性の証拠となるものを抹殺する以外に道はない。

虚偽とは、実際には、他人をあざむくよりも自分自身をあざむくことである。彼らは、自己批判や自責の念といったものに耐えることができないし、また、耐えようともしない。彼らは慎み深さをもって暮らしているが、その慎み深さは、自分自身を正しい者として映すための鏡として維持されているものである。

精神の病の根底には怠惰、つまり「当然の苦しみ」を逃れたいという欲求があると書いたが、ここで問題にしていることもまた、苦痛の回避、苦痛からの逃避である。もっとも、邪悪な人たちとわれわれ精神的に病んでいる普通の罪人とのあいだの違いは、邪悪な人たちがある特殊なタイプの苦痛から逃れようとするところにある。邪悪な人たちというのは、一般的な意味での苦痛からの逃避者、つまり怠惰な人間ではない。それどころか彼らは、ご立派な対面や世間体を獲得し維持するためには人並み以上に努力し、奮闘する傾向がある。地位や威信を得るためであれば、大きな困難にも甘んじ、熱意をもって困難に取り組むことすらある。彼らに耐えることのできない特殊な苦痛はただひとつ、自分自身の良心の苦痛、自分自身の罪の深さや不完全性を認識することの苦痛である。

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以前、読んだ本です

この本が流行ったときに、中学の同級生がまさにこういう人だというのがわかって愕然としました
自分は仲良しだと思っていた友人に裏切られて、なんだかとても悲しかったのを覚えています
「そういうものなんだ」と思ったけれど、なんでだろう??というのがあってこの本に出逢いました

また、ちょっとそんな出来事がありました
今回は、私を理解してくれる人がいたので大丈夫そうだけれど、やっぱり「嘘をつく人」って理解できない私がいます。それが、自分を守るためでも何かがおかしい気がします

また、読んでみようかなって思っています
  
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  • 2013年01月04日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)読んだ本・・・心理学