スピリチュアルケアと臨床パストラルケア
スピリチュアルケアとは
人は病気のとき身体的な苦痛のみではなく、精神的(心理的)、社会的、更に霊的(スピリチュアル)苦痛を含む「全体的痛み」を苦しみます。それぞれの苦痛に対して身体的ケア、精神的(心理的)ケア、社会的ケア、そして霊的ケア(スピリチュアルケア)が必要です。
霊的(スピリチュアル)苦痛とは、霊(魂、心)が求める欲求(ニーズ)が満たされない時に痛みが発生しその痛みが「叫び」によって表現されます。その叫びに応対する(ケアする)のが霊的ケア(スピリチュアルケア)です。
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霊的欲求(ニーズ)には哲学的ニーズと宗教的ニーズがあります。
哲学的ニーズとは:人生の意義や意味を求めることです。 すなわち、生きる事、死ぬ事、働く事、楽しむ事、苦しむ事、悲しむ事、無力である事、孤独である事、疎外されていること等の意味付けです。
宗教的ニーズとは:超自然の存在や神、永遠の生命、死後の世界、天国と地獄、魂や霊の働き、祈ること、希望、良心、罪や罪悪感、罪の許し、感謝と賛美、のようなものです。
臨床パストラルケアとは
現在では「パストラルケア」という言葉は「スピリチュアルケア」と殆んど同義語である、と考えられます。 しかし歴史的に見ますと、イギリスやアメリカの医療施設には「パストラルケア(pastoral care)部」があります。従来、この部門で働く人は殆んど全てキリスト教のPastor(牧師)である上、更に臨床的に患者の霊的(スピリチュアル)苦痛をケアするための専門的コースを習得して資格認定された人達だったのです。 従ってpastorが患者のスピリチュアルケアをする、と言う意味でパストラルケアと呼ばれてきたわけです。 語源的には、パスターは「羊飼い」とか「牧者」という意味であり、キリスト教関係でそれが使われるのは、聖書のキリストの言葉、「わたしは良い牧者である」に由来している。 従って「パストラルケア」はパスター(羊飼い)が羊を親身になって世話するように人々をケアするという意味から出た言葉です。 キリスト教圏の国々の医療施設では呼び方は違っても似たような部門を持ち患者のスピリチュアルケアに当っています。 キリスト教以外の宗教でも人のスピリチュアル面は当然重視しますから、似たような仕事(ケア)は存在します。
従って、このような歴史を踏まえて、本センターの名称のように、組織や団体の名前に使われているのは良いとして、そこで行われている「ケア」の本質は1990年のWHO専門委員会報告書にあるように、「スピリチュアルケア」という言葉で言い表した方が現在は一般的であると思われます。 世界的にも「パストラルケア」よりは宗教色の少ない「スピリチュアルケア」という言葉の方が広く使われていく傾向にあります。
しかしながら、「パストラルケア」はスピリチュアルケアに加えて、特定の宗教(例えばキリスト教)の信者や求道者に「宗教的ケア」をも行う場合がある。 その場合には「パストラルケア」はスピリチュアルケアを中心とした上で宗教的ケアも行うと理解すれば良いと思われる。
臨床パストラルケア教育研究センター:http://pastoralcare.jp/spiritual.html
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がんとスピリチュアルを検索すると「スピリチュアルケア」というのが出てきます
海外の緩和ケアの本を読んでみると、ほとんどの病院に牧師さんがいたりカウンセラーがいたり
また、必要な時に呼ぶことができます
がん患者と精神的なケアが密接につながっていると感じます
日本では、病棟で牧師さんを見たりすることはないので末期がんの患者さんがもしも「牧師さんを呼んでください」と言ったとしても、叶うのかな?という気がします
完全なキリスト教系のホスピスであれば叶うかと思いますが、大学病院やがんセンターなどではどうでしょうか?
末期がんと言われて、すぐに亡くなる人もいますが、告知を受けてもゆっくりと進行していくがんもあります
人にはそれぞれ受け入れる時間が必要。というのは感じます
また、長くても短くても受け入れることができる人と、そうでない人がいる気がします
どんな人でもあっても自分の話を聞いて欲しいという気持ちがある気がします
がん体験者の先輩や末期がんの人の話を聞くと、自分が生きていた証を知って欲しい。という強い気持ちを感じます
そういう私もその1人なのだと思いました
日本の医療機関の中で、スピリチュアルケアという考えがもっと浸透してくれたらいいかなと思います
人は病気のとき身体的な苦痛のみではなく、精神的(心理的)、社会的、更に霊的(スピリチュアル)苦痛を含む「全体的痛み」を苦しみます。それぞれの苦痛に対して身体的ケア、精神的(心理的)ケア、社会的ケア、そして霊的ケア(スピリチュアルケア)が必要です。
霊的(スピリチュアル)苦痛とは、霊(魂、心)が求める欲求(ニーズ)が満たされない時に痛みが発生しその痛みが「叫び」によって表現されます。その叫びに応対する(ケアする)のが霊的ケア(スピリチュアルケア)です。
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霊的欲求(ニーズ)には哲学的ニーズと宗教的ニーズがあります。
哲学的ニーズとは:人生の意義や意味を求めることです。 すなわち、生きる事、死ぬ事、働く事、楽しむ事、苦しむ事、悲しむ事、無力である事、孤独である事、疎外されていること等の意味付けです。
宗教的ニーズとは:超自然の存在や神、永遠の生命、死後の世界、天国と地獄、魂や霊の働き、祈ること、希望、良心、罪や罪悪感、罪の許し、感謝と賛美、のようなものです。
臨床パストラルケアとは
現在では「パストラルケア」という言葉は「スピリチュアルケア」と殆んど同義語である、と考えられます。 しかし歴史的に見ますと、イギリスやアメリカの医療施設には「パストラルケア(pastoral care)部」があります。従来、この部門で働く人は殆んど全てキリスト教のPastor(牧師)である上、更に臨床的に患者の霊的(スピリチュアル)苦痛をケアするための専門的コースを習得して資格認定された人達だったのです。 従ってpastorが患者のスピリチュアルケアをする、と言う意味でパストラルケアと呼ばれてきたわけです。 語源的には、パスターは「羊飼い」とか「牧者」という意味であり、キリスト教関係でそれが使われるのは、聖書のキリストの言葉、「わたしは良い牧者である」に由来している。 従って「パストラルケア」はパスター(羊飼い)が羊を親身になって世話するように人々をケアするという意味から出た言葉です。 キリスト教圏の国々の医療施設では呼び方は違っても似たような部門を持ち患者のスピリチュアルケアに当っています。 キリスト教以外の宗教でも人のスピリチュアル面は当然重視しますから、似たような仕事(ケア)は存在します。
従って、このような歴史を踏まえて、本センターの名称のように、組織や団体の名前に使われているのは良いとして、そこで行われている「ケア」の本質は1990年のWHO専門委員会報告書にあるように、「スピリチュアルケア」という言葉で言い表した方が現在は一般的であると思われます。 世界的にも「パストラルケア」よりは宗教色の少ない「スピリチュアルケア」という言葉の方が広く使われていく傾向にあります。
しかしながら、「パストラルケア」はスピリチュアルケアに加えて、特定の宗教(例えばキリスト教)の信者や求道者に「宗教的ケア」をも行う場合がある。 その場合には「パストラルケア」はスピリチュアルケアを中心とした上で宗教的ケアも行うと理解すれば良いと思われる。
臨床パストラルケア教育研究センター:http://pastoralcare.jp/spiritual.html
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がんとスピリチュアルを検索すると「スピリチュアルケア」というのが出てきます
海外の緩和ケアの本を読んでみると、ほとんどの病院に牧師さんがいたりカウンセラーがいたり
また、必要な時に呼ぶことができます
がん患者と精神的なケアが密接につながっていると感じます
日本では、病棟で牧師さんを見たりすることはないので末期がんの患者さんがもしも「牧師さんを呼んでください」と言ったとしても、叶うのかな?という気がします
完全なキリスト教系のホスピスであれば叶うかと思いますが、大学病院やがんセンターなどではどうでしょうか?
末期がんと言われて、すぐに亡くなる人もいますが、告知を受けてもゆっくりと進行していくがんもあります
人にはそれぞれ受け入れる時間が必要。というのは感じます
また、長くても短くても受け入れることができる人と、そうでない人がいる気がします
どんな人でもあっても自分の話を聞いて欲しいという気持ちがある気がします
がん体験者の先輩や末期がんの人の話を聞くと、自分が生きていた証を知って欲しい。という強い気持ちを感じます
そういう私もその1人なのだと思いました
日本の医療機関の中で、スピリチュアルケアという考えがもっと浸透してくれたらいいかなと思います
2012年05月04日 Posted byすもも at 00:00 │Comments(0) │がんとこころ
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