3年目の私

仙台から帰ってきて、3年目が来ました
今考えてみると、1年目の私は「怒り」でした
そして、2年目の私は「あせり」でした
3年目が来た今は、何だろう?と考えました
がんを告知されてから、本当の意味で「自分とは」「生きるとは」「死とは」と考えた気がします
自分ががん患者になったことで、色々な人と出合って少しだけれど、その人たちの人生に触れた気がします
人はつらい時にこそ、その人がわかる気がします
2度の入院やその後も色んな人と出逢って、どんなに自分が厳しい立場にいても
相手を思いやることができる人っているんだなって思いました
退院後、色んな患者会の代表の方と話をする機会がありました
その時に、私にこれほどの強さや情熱、そして支えてくれる人がいるのかなって思いました
そして、長く続けることの難しさや厳しさを感じて、自分にはこういう立場は無理だなって思った
そんな時にある代表の方に「みんな違って、みんないい」と言ってもらって
なんだか自分が思っていた「何かしなくては」という感情よりも
むしろ「今は、自分自身がちゃんと自分の足で立つことかも」と思いました
ただ、その時に1つだけ決めた事は「ブログを続けること」でした
私が入院している時に婦長さんから「あなたブログを書きなさい」と言われていました
「あなたのような体験をしている人はなかなかいないんだから、書いて発信していきなさい」と何度も言われました。その時は「そんな事は無理」と思っていたけれど、私が出会った「生きたくても生きれなかった人たち」を思うと、芸能人や文化人でもない普通の、でも一生懸命に生きた彼女たちの言葉を伝える人がいなくてはいけないんじゃないかなって思った
でもブログを書いてみて色んな事がありました
ちょっと怖い思いもしたし、やめたいと思ったこともあります
でも、わたしが「生きていること」「書くこと」で誰かを勇気づけられるなら書いていこうって思った
そして何より自分自身が元気をもらっている気がします
そして今は「誰かを助けたい」と思うのではなく、一緒にいたいと思ってもらえる人になりたいって思います。それは「助けてあげたい」という気持ちは、どこかでその人よりも自分が上にいる気がして、何かできる訳でも無い私がいうのは、違うような気がしたからです
そして人は強いものなんだと思ったからです
自分よりもはるかに大変な状態の人や大変な病気を抱えたお年寄りであっても、
私が「がん体験者」だと知ると一生懸命に励ましてくれる人に何人にも出会いました
3年目検診の後で、病院の前のバス停でバスを待っている時に81歳のおばあちゃんに
「お姉ちゃん、定禅寺通りに行くバスってどれ?」と聞かれました
といっても仙台市民でもない私も「う~~ん、多分これ」と言って、2人でベンチで話していました
おばあちゃんは、去年、福島から仙台の娘さんの元に来たらしく都会に慣れないこと、いつも娘さんに怒られていること、そして何年か前に大腸がんで手術をして、次は肝臓がんになって、今度は肺がんになって内視鏡手術をするという話をしてくれました。私が「おばあちゃん、仲間だね」っていうと、少し間をおいてからものすごく驚いた顔をして、でもその言葉の意味がわかったみたいで「お姉ちゃん、大丈夫よ。私ね、色んな人を見て来たからわかるんだけど、大変な人はね顔つきが違うの。あなた綺麗な顔してるから、絶対に大丈夫。」と何度も励ましてくれました。「ありがとうね」といって一緒のバスに乗って、私は1つ前のバス停で降りました
こんな時に私は「自分でよかった」って思います
初対面のしかも何も知らない人に「私は、がん体験者です」って言うことって、難しいと思う
でも、たったそれだけを言ってしまえば、どんなに長く話をするよりも分かり合えることもあると思います
その伝えかたも同じ病気の人なら「仲間だね」でもわかってもらえると思うし、色々あると思います
そして、こんなに若くて綺麗な(ここは愛嬌で)「がん患者」だっているんだよって言ってもいいんじゃないのかなって思う
前は同情されるから嫌。って思っていたけれど、おばあちゃんみたいに自分のほうが大変やんって思うような人でも一生懸命に励ましてくれたりするのを見て、元気をもらうことが沢山あった
K大学病院から仙台の東北大に転院を決めた日に出逢ったおばあちゃんもそうだった
待合室で自分の乳がんの発見から、抗がん剤治療で指先が黒くなってしまったという話まで
色んな話をしてくれた。私が「この病院は、今日が最後なの。次は仙台に行く」と言って
エレベーターで降りて私は1階へ、おばあちゃんは地下へと別々に降りました
別れ際に「お姉ちゃん、大丈夫だからね。絶対に大丈夫だから」と何度も何度も大きく手を振って言ってくれました。何だか涙が止まらなかった・・・
もう2度と会うことはないだろうけど、今日、この場所で会えてよかったって思った
そして、そういう人を忘れたくないって思った
だから、今は書いているのかなって・・・思う
3年目の私は、これを書きながらも下痢をしています
お腹の痛みで目が覚めたのが12時半でした。そして、今が3時・・・
さっき、5回目のトイレに行って来ました(今日は水曜日です)
それでも、私はちゃんと生きています

追伸:子どもの頃、岸田今日子さんのムーミンが大好きでした
その中でも、黒いびと~~ん、びと~~んって飛んでた子とニョロニョロと
性悪だけどなぜか憎めないミィが特に好きでした。
最近はミィが好きっていうと「似てる~」と言われます。なので写真もミィにしてます

2012年09月29日 Posted byすもも at 00:00 │Comments(0) │がんとこころ
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