差別とハンセン病 「柊の垣根」は今も

差別とハンセン病 「柊の垣根」は今も
<訃報>曽我野一美さん=元ハンセン病訴訟原告団代表
曽我野一美さん(そがの・かずみ=元ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告団協議会長)が、急性肺炎のため死去。
高知県中村市(現四万十市)出身で、1947年に国立ハンセン病療養所の大島青松園に入所。83~91年と04~06年の2度、全国ハンセン病療養所入所者協議会長を務めた。全国の療養所を巡って意見をまとめ、「らい予防法」廃止(96年)の要望書を旧厚生省に提出するなど運動をリードした。国による強制隔離政策を違憲と主張して熊本、東京、岡山各地裁で争った国家賠償訴訟では原告団代表として闘い、01年には坂口力厚労相(当時)と和解の基本合意書を交わし、その後もハンセン病問題の啓発活動に尽力した。
2012年11月24日 Posted byすもも at 00:00 │Comments(0) │読んだ本・・・その他
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