たまりば

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書けない私。

3月にカラーセラピーの論文を書きました

その時に私が1番考えたのが「私は自分が納得しないと書けない」という事でした
人によっては経験が少ししかなくても、ちゃんと本質を理解して文章を書ける人がいると思いますが私は無理やわって思った。だから、何度も何度もカラーセラピーを体験してもらった友人にメールをしたり長い時間、話をしたりしました。

そして、実際に書いた論文(40枚)よりもそこに行き着くまでの気持ちや会話、資料を書き溜めたノートが3倍くらいあります。それだけ考えて、やっと書き上げることができました。でも、提出後にも『保留』にしていた「ぬり絵」が届いたりして、その後、何枚かを追加・差し替えさせてもらいました。

カラーセラピーの論文を書いて感じた事は、これは「自分が相手とどのように向き合うか」という事だったのだと感じました。だから私は「自分らしいカラーセラピストとは」という『自分』をテーマに選んだのだと思いました。私以外の人たちも、やはりその人らしいテーマ選びだったし、論文の内容もそうでした。

書き上げる間、自分と向き合う時間が長かったせいか、今の私は『がん患者』なのか『健常者(この場合、がん体験者以外という意味)』なのか自分の立ち位置がわからなくなっていることに気がつきました。

私は今でも文章を書くのがとても苦手です。小学生の時に先生と交換日記をしていて、その文章がいいと先生から花丸をもらえました。花丸は友達は毎月発行される「学校新聞」に書いたものが紹介される印でもありました。でも、私は2年間で1度も花丸をもらえませんでした。それから自分は文章をかくのが苦手。と思っていたので、このブログを書き始めた時にも(婦長さんに書きなさいと言われた)かくまでに、とても長い時間がかかりました。でも、自分と一緒に戦って亡くなってしまった人たちの声をきちんと残しておきたい。と思って書き始めました。だから、がん友さんから「書いて」と言われても「私がちゃんと納得するまで書けないけどいい?でも、絶対にかくからね」といっています。自分が納得しないと文章が書けない私には、想像で文章が書ける人が羨ましい・・・でも、このブログには、そういう「自分じゃないもの」は乗せたくないと思っていました。

それはもし、本物の私に会った人が「こんな人だと思わなかった」と思われないためにも、私はちゃんと私自身の言葉で書きたいと思っているからです。違和感のある人にはなりたくないから・・・でも、だからこそ、今の自分の状態がよくわからないのだと思います。

これが「病院から離れていく」ということなのかな?って思う。

それは患者としては嬉しいことかもしれません。
でも、どこかで自分が属する場所がなくなっていくような気がしてしまいます。

これって、退院後の患者が経験する気持ちなのかな。。。yotsuba


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    2013年05月25日 Posted byすもも at 00:00 │Comments(0)がんとこころ

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