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家族ががんになったら~母~

先日、会った友達が母が1回目のがんになった時に『うつ』になったと教えてくれました

その母は、今年の1月に2回の原発がんのあと3回目のがんが元で亡くなりました
その一番初めのがんの時に友達が「うつ」になったそうです
家族ががんになるというのは、自分自身がなるのとは違うものだと思います
でも、まさかあの友達がと驚きました
いつも冷静な人なので、そういう事はないのかな?って思っていました

「母が亡くなったら、私はどうやって生きていけばいいんだろう」って思った
そして、本当に亡くなった今、私はその自分が考えたシュミレーションを行っている気がする
そして、亡くなってからが一番、母と話をしてみたいって思ったのよねって教えてくれました

二人で母のアルバムを見ながら、色んな話をしました
友達は、母のアルバムを持って親戚に話を聞いていたそうです
母が話していかなかった事を、探しているようでした

母は、看護婦さんでした
そして、満州からの最後の引き揚げ船に看護婦として乗り込んでいたそうです


※母のアルバムには、この船と同じ写真が貼ってありました。でも、名前はわかりません。

すごいな~~母の歴史は、日本の戦中・戦後なんだなって言いながら見てました
母から話を聞きたかったねって言ってた
どんなに聞きたい事があっても、人は亡くなってからその人と話をする事ができません
それだけが、悲しいですね

母は友達の家で闘病していました
それを、友達は母にとって幸せだったのか悩んでいたそうです
今、家族が病気になった時に『よりよい治療を』と実家での闘病ではなく都会での闘病をさせようとする
家族が多いそうです
確かに私もそう思います
でも、果たしてそれはその人にとっていい医療なのでしょうか?
友達は住み慣れた土地・ご近所付き合いなど母には母の生活があった
それを自分の家にこさせる事でよかったのかな?と思っていたそうです

でも、最後の時が近づいて来た時に母が「家に帰りたい」と言ったそうです
それは、自分がいた家ではなく友達の家だったそうです
それを聞いた友達は、医師にお願いして外出させて家につれて帰ったそうです
そして、たった4時間でしたが母は家に帰って自分が好きな猫たちと挨拶をして
大好きなアイスクリームを食べて、病院に帰ったそうです

母の意識がきちんと戻ったのはその時が最後だったそうです

友達は実家から母を連れて闘病させたことをずっと「それでよかったのかな?」って思っていたそうです
でも、最後に「帰りたい」と母が望んだ場所が実家ではなく、自分の家だった事が嬉しかったと言ってました

私もそう思います
そして、母もそれを望んでいたのかも知れません
文句を言い合っていても、やっぱり家族でいる事は楽しかったのではないのかな?なんて思ってます
友達の家と母の家は、車で20分ほどの場所でした

ただ、自分の生活圏ではないところで住んでしまうと親戚だったり兄弟だったり友達だったりに会えない事もあります
そういう事が患者にとって幸せかというと、私自身はあまり進められません
病院と言う場所自体のストレスも大きい中で、見舞ってくれる人がいないのは本当につらいことだと思います
人って、家族だけで成り立っているのではないと思います
色んな人とのかかわりで形成されているのが社会なのだと思います
できれば、その人が暮らしている場所で治療が受けれるのが一番かなと思います  
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  • 2010年12月10日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)がんと家族