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嬉しい出来事
「ピアサポートってなに?」の講演会で、1年ぶりに会った方がいました
私の不義理のせいで連絡もしていなかったのに、ちゃんと憶えていただいていたことが
嬉しくて嬉しくて。。。
色々な場所で第1線で活躍されている人と私とではあまりにも違いすぎますが
以前の私と違って、今の私は「自分ができることを、頑張る」ことにしました
私にとって大切なことは「自分の病気と、この新しい体ときちんと向き合うこと」
そして「人と比較をしないこと」です
これに気がつくまで1年かかりました
でも、それに気がつくことができたのだからいいやんって思える自分がいます
私の不義理のせいで連絡もしていなかったのに、ちゃんと憶えていただいていたことが
嬉しくて嬉しくて。。。
色々な場所で第1線で活躍されている人と私とではあまりにも違いすぎますが
以前の私と違って、今の私は「自分ができることを、頑張る」ことにしました
私にとって大切なことは「自分の病気と、この新しい体ときちんと向き合うこと」
そして「人と比較をしないこと」です
これに気がつくまで1年かかりました
でも、それに気がつくことができたのだからいいやんって思える自分がいます
2011年10月24日 Posted by すもも at 00:05 │Comments(0) │その他
「がんのピアサポートってなに?」に行ってきました
先日、お知らせした『がん総合相談研修プログラム策定シンポジウム がんのピアサポートってなに?』に行ってきました
私の個人的な感想ですが「どういう人がピアサポーターとして好ましいか?」という考えの時に、アメリカでは治療後2年を経過していることが(1年のところもあります)条件。という規定がありました
私自身、1年目の自分。2年目の今の自分と考えた時に、やはり2年は必要なのかもしれないなって思いました
どうしても、同じがん種の人と話をすると自分の体験を話したくなってしまって、知らず知らずに自分の考えを相手に押し付けていたのではないかな?って思いました
本当の意味で『人は人』『人それぞれ』というのを理解するのは、少なくとも治療が終わってから何年かが経過していることが必要な気がしました
そして『患者同士』『家族同士』で支えあうことの大切さもありますが、相手に対して「~してはいけない」や「~しなくてはならない」という考えを持たずに相手を尊重して、思いやりを持って接する事ができる人であることが望ましいと思います
どんなに同じ体験をしていても、相手と自分は違うのだということです
自分にとっては「よかったこと」であっても、それが相手にとっても重要であるかはわからない
案外、自分があれほどこだわったことが相手にとっては対したことではないかもしれないからです
それをきちんとわかって、相手の体験を自分の事のように受け止めて共感・共鳴してあげれる人であればピアサポーターとしてやっていけるのではないかな?と思いました
では「ピアサポーターにとって医療知識は必要か?」はどうでしょう
患者が医療知識を持っていると医師が看護師にとって「迷惑な存在」になるのではないか?という懸念があると思います
病院の待合室で「OO先生はよくないわよ」とか「OOの薬のほうが効くわよ」とお隣の人に言っている年配者を見かけることがあります
それを聞いた人が「薬を変えて欲しい」と医師に言ったら、やはり医師としてはおもしろくないと思います
「OOさんに合ったから私も」と言われても、医師はその患者さんに合わせて処方しています
それをピアサポーターをやってしまうとどうなってしまうでしょうか?
「私が受けれたんだから、あなたも大丈夫よ」と言ってしまったら・・・
医療知識は必要ですが「医療介入はしない」ことが大切だと思います
また「ピアサポーターをどのように育成していくのが望ましいか?」はどうですか
基本的な医療知識もあって、その上、傾聴や共感・共鳴ができるような人材。
現在、一部のピアサポーター以外は2日間の研修を受けただけの「傾聴ボランティア」です
しかし、NPO法人ミーネットでは、1年をかけて基本的な医療知識や傾聴スキルなどを勉強しています
もちろん聞いてくれる人。が必要な時期もあります。でも例えば前立腺がんなどのように手術・抗がん剤・放射線治療のエビデンスがほぼ変わりないものの場合、自分がどれを選べばいいかを迷っている時に自分の経験+治療後のQOLや後遺症などといった基本的な知識を持っている人と話してみたいと思うのは患者としては当然の気持ちのように思います
そういう場合、やはりきちんとした先生なり病院なりがサポートしてくれる体制が必要な気がします
まだまだ、全ての拠点病院にがん専門の腫瘍精神科医がいない現状では、それをサポートしてくれるピアサポーターが重要な位置を占めていくのではないでしょうか?
医療のことは医師や看護師にお願いするとして、私たちは体験者としての「目線」を大切にしていきたいと思います
では「ピアサポーターの資質とは何か?」と聞かれたどうでしょうか?
体験者だからできる。体験者でなくてはわからない?
でも、果たしてそうでしょうか?
以前、私はある患者会の代表者の方に「あなたの後遺症は私のよりも軽いでしょ」と言われたことがあります
今考えれば確かに私のほうが「軽い後遺症」でした
でも、後遺症がないわけではありません
「軽い」「重い」で判断するのではなく、その人にとってはその事が「とてもつらい事」だということです
例えそれが自分にとって「軽い」ことで相手が悩んでいるとしても・・・だと思います
「資質」というものがあると思います。ではその「資質」はどうやって見極めるのでしょうか?
私が考える資質は、もしかしたら元々その人が持っているものなのかな?と思います
人間関係スキルだったり、傾聴スキルなどです
それらは、勉強して得られるものもあると思いますが、それでは勉強していなければできないかといえば、そうではないと思います
友人で「なぜか話してしまう人」っていると思いませんか?
「こんな話する予定じゃなかったのに」とか「ええ!もうこんな時間」なんて言いながら、ついつい話してしまう相手っていませんか?
きっとそういう人は、呼吸の間だったり相槌の間がとてもいい人だったりしません?
そして、話が終わった後で「心が軽くなった」り「温かい気持ち」になった気がしたり。
そういう人って、いつの間にか身につけたものがあるんだと思います
でも、なかなかそうはいかないと思います
人は相手の話を聞いているようで、実は聞いていないもの
人は8対2で話して、やっと「話をした~!」って感じるそうです
それくらい話をしたという満足感ってなかなか得られないってことなのかも知れません
そして「してあげたい」という気持ちが先にきてしまうと、相手の「気づき」よりも「決断」を誘導してしまうこともあるような気がします
また、ピアサポーターの「心のケア」をどうするか?という問題点もあります
心理カウンセラーの方は、1日の終わりにシェアすることで解決するというのを聞きました
ピアサポーターも同じだと思います
ただ、カウンセラーと少し違うのはピアサポーターは同じような境遇や体験をしている人に対して同調し易くなるのでは?と思います
自分と症状が似ているとか、家庭環境が似ているなど相手に「自分」を見てしまうことがあることがあります
カウンセラーは、所定の場所以外でクライエントと会わないようにするそうです
そうすることで自分自身も守るという意味もあるそうです
そういったルール作りをどうするかが大切だと思います
そして、ピアサポーターを受け入れてくれる医療機関や相談支援センターや地域との連携が大切だと思います
医療従事者がピアサポーターを過小評価しているの場合もあります
私も以前「ピアサポーターよりも、がん患者には免疫療法のほうが大切だから」と言われて「末期がんの患者がいたら紹介してくれ」と言われたことがあります
泣きたくなるくらい悔しいと思いました
がん患者を「金のなる木」くらいにしか考えていないのかと思うような発言。
そして何よりも、そういう人が医師免許を持っていることでした
がんを告知された時から「ピアサポーターと話してみますか?」といってくれるような医師が増えてくれることを望みます
では、がん体験者しかピアサポーターにはなれないのでしょうか?
確かに「がん体験者」もしくは「がん患者の家族や遺族」であることが望ましいと思います
でも、がん体験者は毎日、自分の体と折り合いをつけて生活していると思います
私自身、無理はできないなと思うことが沢山あります
今日も、朝から出かけていたせいもあって左足の足首のリンパ浮腫が痛くなってしまいました
そして、少しバタバタと動いたせいなのか、いつもよりも腹痛が強くなっていました
そういうところを考えると、やはり体調や気持ちが安定している「体験者ではない人」のサポートも必要だと思います
サポートの仕方は色々あると思います
講演会のサポートなどを体験者だけでするよりは、できれば元気な人にお願いしたほうが急な体調な変化も少ないと思います
もちろん、元気な人でも風邪を引いたりすることはあります
でも、やはり患者より無理がきくのではと思います
そして患者でないとわからないことは、わからないでいいと思います
その上で「患者でなくてもできること」をサポートしていけばいいと思います
そうやって患者や家族、またそれ以外の人にとっても『がんになっても安心な街づくり』になるのだと思います
今回は来年度から行われる「ピアサポーター養成プロジェクト」のための布石のようなものです
これから回を重ねることで色々な問題点がでてくると思います
そして、その都度日本対がん協会から議事録がUPされていきます
今回の事で、一番の収獲は国が勝手に作ったのではなく患者や医療従事が話しあうことでできていくものであるということです
これってすごいって思いました
いつの間にか出来たものって沢山あるけれど、今回のようにできる前から患者や患者会が入って話し合うことができるのって「これからのがん政策のあり方」なのかなって思いました
日本対がん協会:http://www.jcancer.jp/
私の個人的な感想ですが「どういう人がピアサポーターとして好ましいか?」という考えの時に、アメリカでは治療後2年を経過していることが(1年のところもあります)条件。という規定がありました
私自身、1年目の自分。2年目の今の自分と考えた時に、やはり2年は必要なのかもしれないなって思いました
どうしても、同じがん種の人と話をすると自分の体験を話したくなってしまって、知らず知らずに自分の考えを相手に押し付けていたのではないかな?って思いました
本当の意味で『人は人』『人それぞれ』というのを理解するのは、少なくとも治療が終わってから何年かが経過していることが必要な気がしました
そして『患者同士』『家族同士』で支えあうことの大切さもありますが、相手に対して「~してはいけない」や「~しなくてはならない」という考えを持たずに相手を尊重して、思いやりを持って接する事ができる人であることが望ましいと思います
どんなに同じ体験をしていても、相手と自分は違うのだということです
自分にとっては「よかったこと」であっても、それが相手にとっても重要であるかはわからない
案外、自分があれほどこだわったことが相手にとっては対したことではないかもしれないからです
それをきちんとわかって、相手の体験を自分の事のように受け止めて共感・共鳴してあげれる人であればピアサポーターとしてやっていけるのではないかな?と思いました
では「ピアサポーターにとって医療知識は必要か?」はどうでしょう
患者が医療知識を持っていると医師が看護師にとって「迷惑な存在」になるのではないか?という懸念があると思います
病院の待合室で「OO先生はよくないわよ」とか「OOの薬のほうが効くわよ」とお隣の人に言っている年配者を見かけることがあります
それを聞いた人が「薬を変えて欲しい」と医師に言ったら、やはり医師としてはおもしろくないと思います
「OOさんに合ったから私も」と言われても、医師はその患者さんに合わせて処方しています
それをピアサポーターをやってしまうとどうなってしまうでしょうか?
「私が受けれたんだから、あなたも大丈夫よ」と言ってしまったら・・・
医療知識は必要ですが「医療介入はしない」ことが大切だと思います
また「ピアサポーターをどのように育成していくのが望ましいか?」はどうですか
基本的な医療知識もあって、その上、傾聴や共感・共鳴ができるような人材。
現在、一部のピアサポーター以外は2日間の研修を受けただけの「傾聴ボランティア」です
しかし、NPO法人ミーネットでは、1年をかけて基本的な医療知識や傾聴スキルなどを勉強しています
もちろん聞いてくれる人。が必要な時期もあります。でも例えば前立腺がんなどのように手術・抗がん剤・放射線治療のエビデンスがほぼ変わりないものの場合、自分がどれを選べばいいかを迷っている時に自分の経験+治療後のQOLや後遺症などといった基本的な知識を持っている人と話してみたいと思うのは患者としては当然の気持ちのように思います
そういう場合、やはりきちんとした先生なり病院なりがサポートしてくれる体制が必要な気がします
まだまだ、全ての拠点病院にがん専門の腫瘍精神科医がいない現状では、それをサポートしてくれるピアサポーターが重要な位置を占めていくのではないでしょうか?
医療のことは医師や看護師にお願いするとして、私たちは体験者としての「目線」を大切にしていきたいと思います
では「ピアサポーターの資質とは何か?」と聞かれたどうでしょうか?
体験者だからできる。体験者でなくてはわからない?
でも、果たしてそうでしょうか?
以前、私はある患者会の代表者の方に「あなたの後遺症は私のよりも軽いでしょ」と言われたことがあります
今考えれば確かに私のほうが「軽い後遺症」でした
でも、後遺症がないわけではありません
「軽い」「重い」で判断するのではなく、その人にとってはその事が「とてもつらい事」だということです
例えそれが自分にとって「軽い」ことで相手が悩んでいるとしても・・・だと思います
「資質」というものがあると思います。ではその「資質」はどうやって見極めるのでしょうか?
私が考える資質は、もしかしたら元々その人が持っているものなのかな?と思います
人間関係スキルだったり、傾聴スキルなどです
それらは、勉強して得られるものもあると思いますが、それでは勉強していなければできないかといえば、そうではないと思います
友人で「なぜか話してしまう人」っていると思いませんか?
「こんな話する予定じゃなかったのに」とか「ええ!もうこんな時間」なんて言いながら、ついつい話してしまう相手っていませんか?
きっとそういう人は、呼吸の間だったり相槌の間がとてもいい人だったりしません?
そして、話が終わった後で「心が軽くなった」り「温かい気持ち」になった気がしたり。
そういう人って、いつの間にか身につけたものがあるんだと思います
でも、なかなかそうはいかないと思います
人は相手の話を聞いているようで、実は聞いていないもの
人は8対2で話して、やっと「話をした~!」って感じるそうです
それくらい話をしたという満足感ってなかなか得られないってことなのかも知れません
そして「してあげたい」という気持ちが先にきてしまうと、相手の「気づき」よりも「決断」を誘導してしまうこともあるような気がします
また、ピアサポーターの「心のケア」をどうするか?という問題点もあります
心理カウンセラーの方は、1日の終わりにシェアすることで解決するというのを聞きました
ピアサポーターも同じだと思います
ただ、カウンセラーと少し違うのはピアサポーターは同じような境遇や体験をしている人に対して同調し易くなるのでは?と思います
自分と症状が似ているとか、家庭環境が似ているなど相手に「自分」を見てしまうことがあることがあります
カウンセラーは、所定の場所以外でクライエントと会わないようにするそうです
そうすることで自分自身も守るという意味もあるそうです
そういったルール作りをどうするかが大切だと思います
そして、ピアサポーターを受け入れてくれる医療機関や相談支援センターや地域との連携が大切だと思います
医療従事者がピアサポーターを過小評価しているの場合もあります
私も以前「ピアサポーターよりも、がん患者には免疫療法のほうが大切だから」と言われて「末期がんの患者がいたら紹介してくれ」と言われたことがあります
泣きたくなるくらい悔しいと思いました
がん患者を「金のなる木」くらいにしか考えていないのかと思うような発言。
そして何よりも、そういう人が医師免許を持っていることでした
がんを告知された時から「ピアサポーターと話してみますか?」といってくれるような医師が増えてくれることを望みます
では、がん体験者しかピアサポーターにはなれないのでしょうか?
確かに「がん体験者」もしくは「がん患者の家族や遺族」であることが望ましいと思います
でも、がん体験者は毎日、自分の体と折り合いをつけて生活していると思います
私自身、無理はできないなと思うことが沢山あります
今日も、朝から出かけていたせいもあって左足の足首のリンパ浮腫が痛くなってしまいました
そして、少しバタバタと動いたせいなのか、いつもよりも腹痛が強くなっていました
そういうところを考えると、やはり体調や気持ちが安定している「体験者ではない人」のサポートも必要だと思います
サポートの仕方は色々あると思います
講演会のサポートなどを体験者だけでするよりは、できれば元気な人にお願いしたほうが急な体調な変化も少ないと思います
もちろん、元気な人でも風邪を引いたりすることはあります
でも、やはり患者より無理がきくのではと思います
そして患者でないとわからないことは、わからないでいいと思います
その上で「患者でなくてもできること」をサポートしていけばいいと思います
そうやって患者や家族、またそれ以外の人にとっても『がんになっても安心な街づくり』になるのだと思います
今回は来年度から行われる「ピアサポーター養成プロジェクト」のための布石のようなものです
これから回を重ねることで色々な問題点がでてくると思います
そして、その都度日本対がん協会から議事録がUPされていきます
今回の事で、一番の収獲は国が勝手に作ったのではなく患者や医療従事が話しあうことでできていくものであるということです
これってすごいって思いました
いつの間にか出来たものって沢山あるけれど、今回のようにできる前から患者や患者会が入って話し合うことができるのって「これからのがん政策のあり方」なのかなって思いました
日本対がん協会:http://www.jcancer.jp/
タグ :がんのピアサポート