たまりば

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うちのお父さん

いつも『がんと家族』というと母親との関係を書いていることが多かった気がしますicon_maro

でも、自分の色と歴史で親との関係を考えた時に、どうしてもお母さんの色が見つからなかった
子ども時代の私にとって、母は近くにいて一番遠い人だったと思います

反対に、お父さんはすぐに「青」って思いました

そして、私の一番最初に好きな色で選んだ色が「黄色」と「青」でした

私が生まれた時に1800グラムしかなくて、しかも敗血症を発症してしまい
医師からは「あきらめてください」といわれたそうです
その時に、3日間血小板交換をして助かったそうです

小さくて保育器の中に入ってた私は、母乳を飲むこともできなくて
注射器でミルクを飲んでいたそうです

お母さんが言うには、小さくて抱っこすることができなかった私のお風呂はお父さんの仕事だったそうです
そして、お父さんが言うには、小さかった私はお父さんの片手しかなかったそうです

私が具合が悪くなった時に病院に連れて行ってくれるのも父親で
ある日、背中に水がたまって「痛い、痛い」という私を
家から少し離れた大きな病院に連れて行ってくれました
その時に先生に「背中に水がたまっているので、注射器で抜きますね」と言われて
先生が、すごく大きな注射器を出したら
父親が「可哀想で見てられへん!」と、部屋から逃げてしまいました
子ども心に「なんちゅう、お父さんやねん・・・」と思ったけど、看護婦さんに「大丈夫?」と聞かれて
「大丈夫です」と答えたのを、よく憶えてます
で、無事に処置が終わった私に、お父さんが「大丈夫か」と行って、帰り道におんぶしてくれました

うちの父親は、関西人らしく「鉄板のお笑いネタ」の沢山ある人で、色んなものがあります

ある日急に「姫路城が見える家に引越しする」といって、
私が中学2年の3学期に山の上に家を建てて、転校させたり・・・
かと思ったら、自分の定年まじかになると「こんな山の上には住まれへん」と
またまた引越しを決めてしまったり・・・・
さすがに、この時ばかりは母親が「私が家を決めます」と引越し先を決めたけれど、
母が言うには「お父さんに決めさせたら、とんでもないことになる」といっていました

父親の「OOしちゃる宣言」は、子どもの私には「とんでもないこと宣言」でした

ある日「魚取りに行くぞ!」と言い出したと思うと、田舎の川に行って(母の実家の前にある小川)
私たちが網を持って(ご近所の友達も連れて行った)「わーーーーい!!」と川に入ろうとすると
「川に入るな!」と怒られて、子どもたちは「なんで??」状態でした
そしたら、父親と叔父さんが川に電気を流してました
しばらくすると魚が、プルプルしながら浮いてきて父親が「ほら、すくえ」って・・・
「おいおい・・・これって、魚取りと違うやん・・・」と思いながら、すくってました

またある時には「今日はわしがめっちゃ美味しい蒸しパンつくっちゃる!宣言」
で、山のように作った蒸しパンを「ご近所に配ってこい」と言って
配り終わってから、さあ、みんなで食べようって「ぱくっ」
「えええ!何、この歯が折れそうな蒸しパン!」「あっ、膨らし粉忘れてた!」
ご近所に配ってもたやないの・・・と、後の祭りでした

「カレー作っちゃる宣言!」もあって、食材を全部ミキサーにかけて
「これですぐに煮込めるからええんや」と言って、少しだけ煮込んで食べたら
口の中がザラザラして、食べれたものではなかったり・・・

私のアトピー性皮膚炎に効くからといって、マムシを焼いて食べさせたり・・・

そんな事は、日常茶飯事でした

本当に、家族みんなを振り回して生きている人だし、反発したりもしました
でも、嫌いではなかったんだろうなって思います


母曰く「小さくて既製服がなかった私」に、母が服を作ってくれていました

そして夏休みになると、お父さんが「布買ってきちゃったぞ」といって
私とお父さんとお母さんにお揃いの洋服を作ってくれと言って布を買ってきました
それで、お母さんが、私とお母さんにはお揃いのワンピース、おとうさんにはズボンを縫っていました
1枚ですが、白地にブルーのヨットの柄を着た私の写真が残っています
写真が好きだった父親が、色んな写真を撮っていました

私が一番好きな写真は、新幹線のホームでパンダのぬいぐるみを抱っこしている私です

ぬいぐるみは、ある日いきなり母に捨てられて泣いて文句を言ったけれど
父がこの写真を撮っておいてくれてよかったなって思いましたicon40

うちのお父さん

でも、この「パンダちゃん」を買ってくれたのは、父のすぐ上の兄(叔父さん)でした
叔父さんが「女の子がいないので遊びにおいで」といって
父が新幹線のホームで私を乗せて叔父さんが私を受け取ってくれました

私にとって新幹線の「青」は、自立の色でもあるような気がします

お父さんが買ってくれたのは「キティちゃん」というと「ミッフィーちゃん」になったり
「りかちゃん」というと「チューリーちゃん」に変化したりと
子ども心に「なんでやの・・・」と思っていましたicon_maro06
それなら一緒に買いに連れて行ってくれればいいのに「驚かしてあげよう」とか
「喜ぶ顔が見たい」と思っている人だったので、喜ばないと大変でした・・・face07

でも不思議なくらいに父親に似ている私は、お父さんが脳腫瘍になった後に、がんの告知を受けました
同じように放射線治療を受けたり・・・不思議なものだなって思いました


絵本を紙芝居にして色々なところで披露している父と久しぶりに話をしたら
「今、泣いた赤鬼の絵本を書いてる」と言っていました

昔々、父親が私に読んでくれた絵本です。

でも、本人はすっかり忘れていたみたいで「私、泣いた赤鬼の絵本好きやったわ」と言ったら
「そうやったんか」と言って、私が「あの、立て札のところが悲しくて・・・」というと
「そうやな。『私は心の優しい鬼です』ってところやな」と言っていました
どこかで似ているんだろうなって思いました

愛すべきキャラだった父親も今は、普通の人みたいになってますmomiji

現在の父の色は、ちょっと元気がなくなってしまったので以前よりも暗めの「青」です

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    2011年11月22日 Posted byすもも at 00:00 │Comments(0)がんと家族

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