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Being-Doing-Having
人は通常、得たいものを得るために行動している
Doing(行動)⇔Having(結果として得るもの)
ごく当たり前の生き方であるように感じるが、この生き方には次のような特徴がある
・得たいものが行動を決める
・得たいものが得られたかどうかが評価され、自分の価値がそこで決まると考える
・得たいものが得られなければ敗北感や自己否定感が生じる
・得たいものを得られることが目的化し、行動が無秩序、無制御になる
・行動自体が目的化する
・得たいものが得られない行動は無意味に感じられる
Being(あり方)⇒ Doing(行動)⇒ Having(結果として得るもの)
の生き方は、「あり方」を認識した生き方である
自分がどういう人間であるのかを自覚し、そこから行動を創りだす
得たいものが行動を決めるのではなく、あり方が行動を決める。
その行動が結果として得たいものを得ることにつながる
・あり方が行動を決める
・自分の価値は自分のあり方に照らして自分で決める
・あり方自体が目的であるので、行動にぶれがない
・得たいものが得られない行動にも、あり方に照らして意味を見出す
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久しぶりにコーチングの講座を受けてきました
コーチングのいいところは「病気の人を扱わないこと」
そして、あくまでも「0ゼロからプラスへ」と働きかけるものだからです
どんなにいいコーチであっても、病気を抱えているクライエントはやはり専門家の指示を仰ぐべきだと思います
精神的な健康をもってこそ、コーチングの意味がわかるような気がします
大阪の頃にお世話になった人が、椎間板ヘルニアの手術を受けることになりました
関西人には、馴染みの深い「十日恵比寿」が誕生日の彼女に電話をしました
その時に「あなたはいつも元気よね」と言われた
初めての大手術を受ける彼女としては、私の「大丈夫、大丈夫」という言葉も
「魔の呪文」のように聞こえるのかもしれないですね
でも「手術が受けれることの幸せ」を知っている私としては、やはり「大丈夫」と思う
だって、死にはしないんだもの・・・
「あなたはいつも元気」という言葉に「だって私、がん患者やで。暗かったら嫌やろ」と言った
きっと私はいつもそう思っているのだと思った
「自分の体験を語った時に、暗い部分にばっかり光を当てたくない。他の人が聞いて楽しそうな人生だったなと思ってもらえるように話したい」
それが私の「人生のあり方」だと思った

そして「もしも」私が明日死んでしまったとしても「未練はあっても、後悔はない人生だった」と思う
「あ~あ、部屋片付けとかなきゃ」とか「洗い物、ちゃんとしたかな?」とかって事はあると思う
でも「あんなことやらなきゃよかった」とかは思わない
それなりに人生、楽しく生きてきたし、美味しいものを食べてきたと思う
ただ「あと1回くらいは結婚してみたかったかな」とか「親よりは後に死んであげたかったな」とかって思いは残るかもしれない
でも、きっと「まっ、いいか。弟いてるし~~

「こうなったら自分を愛せる」とか「こういう自分だったら」と言っている人は、
いつまで経っても自分のことを愛せない人だと思う
今の自分が好きでない人は、どんな自分であっても文句がでるんじゃないのかな?と思う
ポジティブ心理学で「幸せになりたい」という人は幸せにはなれないという
どんなに小さな幸せであっても「幸せ」と感じることができなければ、それが叶っていても気がつかないからかな?と思った
そして「幸せになりたい」という人は、その言葉をつぶやく度に「実は自分は幸せではないのだ」と心で念じているのと同じだから。という事でした
何度も何度も「幸せじゃない」といい続けている人には幸せはやってこない。
なんか、それってわかるなって思った
