スポンサーリンク
消せないメール。。。
削除しようと思ってるけど、どうしても消せないメールってないですか?
私にとっては、このメールがそうかな
これは、テレビで鳥越さんが4度目の手術を終えたあとのものだったと思う
思わずHPにメールした
お元気ですか?
テレビをみて、なんかとっても自分の今の状況を伝えたくてメールしました
派遣でもって、癌差別。なんかなって思ってた
でも、悪いことばかりじゃないって事を忘れてました
私には、高校時代の友達で、癌と戦って無事に7年目を向かえている友達が2人います
1人は、私と同じ子宮頸がん。もう1人は乳がん。
どちらもステージ1期の早期がんでした
私が癌と診断されてから、その友達といろんな事を話しました
今の不安な状態を一番わかってくれた人たちです
その友達が言ってくれた言葉です
「癌に軽いも重いもないんよな。いつ再発するかわからん病気やねんから。
だから今を一生懸命生きていこうって思うねん
私はたとえ明日死んでも後悔はないねん。未練はあるけどな
でも、後悔と未練は違うねん。後悔は、やってしまった事で
未練はあんな事したかったって事やん。それなら私の人生に後悔はないわ
でも、未練はいっぱいあるけどな(笑)」 って言うてた
とっても嬉しかった。
私は、彼女が癌と宣告されたとき、ただ泣くしかできなかった
そして彼女も、ずっと泣いてたのに、今じゃすっかり大先輩やわって
癌でも、生きていけるんやなって、希望が見えた気がした
子宮頸がんに乳がんに精巣がん。
仲のいい友達が今の私の支えになってくれている
一人暮らしの私は、うつ病になるんじゃないかと毎日不安で仕方がなくって
夜中に何度も何度も目が覚める
でも、自分は生きてるんだって確認する
そんな毎日の中で、仕事では普通に。という矛盾が辛くて仕方がない
でも、毎日のように励ましてくれる友達がいる
感謝、感謝です。
鳥越さんの『遺言』の中にも、『人との係わり合いを考えさせられた』というような部分が
あったと思います(半分くらい泣いてて覚えてない・・・ネットにアップしてください)
本当にそうだなって思う
癌になったことを、批難する人。一緒に泣いてくれる人。
子宮頸がんなら大丈夫という人。
沢山の人がいて、沢山の反応がある
人は、自分の考えと同じではないんだな。
そして、自分も相手をきちんとわかってあげれてないんじゃないかなと思った
人はみんな違うんだって基本的なことを忘れてました
癌と同じですよね。
「天寿がん」がんを抱えながら天寿を全うすること。
私もその一人になった。でも、私はまだ死にたくないな。
告知1ヶ月+2日目の私でした。
42歳、女。
追伸:
鳥越さん、がんばってくださいとはなんだかいえないです
それは自分自身が、どうがんばるのかよくわからないから
痛みに耐える事が、がんばる事なのか
弱音を吐かない事が、がんばる事なのか
今の私にはこの状況を受け入れる事で精一杯です
そして、一緒に泣いてくれて喜んでくれる人が必要なだけです
ただ、ほんとうにそれだけです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天寿がん。私は、がんサバイバーよりこっちのほうが好きかな
なんか、サバイバーって言うとめっちゃ頑張っていかなきゃいけない気がして
「ごめんなさい・・・」って言いたくなる
私にとっては、このメールがそうかな
これは、テレビで鳥越さんが4度目の手術を終えたあとのものだったと思う
思わずHPにメールした
お元気ですか?
テレビをみて、なんかとっても自分の今の状況を伝えたくてメールしました
派遣でもって、癌差別。なんかなって思ってた
でも、悪いことばかりじゃないって事を忘れてました
私には、高校時代の友達で、癌と戦って無事に7年目を向かえている友達が2人います
1人は、私と同じ子宮頸がん。もう1人は乳がん。
どちらもステージ1期の早期がんでした
私が癌と診断されてから、その友達といろんな事を話しました
今の不安な状態を一番わかってくれた人たちです
その友達が言ってくれた言葉です
「癌に軽いも重いもないんよな。いつ再発するかわからん病気やねんから。
だから今を一生懸命生きていこうって思うねん
私はたとえ明日死んでも後悔はないねん。未練はあるけどな
でも、後悔と未練は違うねん。後悔は、やってしまった事で
未練はあんな事したかったって事やん。それなら私の人生に後悔はないわ
でも、未練はいっぱいあるけどな(笑)」 って言うてた
とっても嬉しかった。
私は、彼女が癌と宣告されたとき、ただ泣くしかできなかった
そして彼女も、ずっと泣いてたのに、今じゃすっかり大先輩やわって
癌でも、生きていけるんやなって、希望が見えた気がした
子宮頸がんに乳がんに精巣がん。
仲のいい友達が今の私の支えになってくれている
一人暮らしの私は、うつ病になるんじゃないかと毎日不安で仕方がなくって
夜中に何度も何度も目が覚める
でも、自分は生きてるんだって確認する
そんな毎日の中で、仕事では普通に。という矛盾が辛くて仕方がない
でも、毎日のように励ましてくれる友達がいる
感謝、感謝です。
鳥越さんの『遺言』の中にも、『人との係わり合いを考えさせられた』というような部分が
あったと思います(半分くらい泣いてて覚えてない・・・ネットにアップしてください)
本当にそうだなって思う
癌になったことを、批難する人。一緒に泣いてくれる人。
子宮頸がんなら大丈夫という人。
沢山の人がいて、沢山の反応がある
人は、自分の考えと同じではないんだな。
そして、自分も相手をきちんとわかってあげれてないんじゃないかなと思った
人はみんな違うんだって基本的なことを忘れてました
癌と同じですよね。
「天寿がん」がんを抱えながら天寿を全うすること。
私もその一人になった。でも、私はまだ死にたくないな。
告知1ヶ月+2日目の私でした。
42歳、女。
追伸:
鳥越さん、がんばってくださいとはなんだかいえないです
それは自分自身が、どうがんばるのかよくわからないから
痛みに耐える事が、がんばる事なのか
弱音を吐かない事が、がんばる事なのか
今の私にはこの状況を受け入れる事で精一杯です
そして、一緒に泣いてくれて喜んでくれる人が必要なだけです
ただ、ほんとうにそれだけです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天寿がん。私は、がんサバイバーよりこっちのほうが好きかな
なんか、サバイバーって言うとめっちゃ頑張っていかなきゃいけない気がして
「ごめんなさい・・・」って言いたくなる
2010年08月22日 Posted by すもも at 08:27 │Comments(0) │がん
告知
告知ってどんなイメージです?
医師が言いにくそうに「◎◎さん、残念ですがあなたはがんです」みたいな感じですか?
私もそんな風に思ってました
心配そうな私に、優しく言ってくれる医師。
ほんと、そんなの甘い甘い幻想かも知れないって思った・・・
私は1月過ぎたくらいから出血があって「変だな?」って思ったけど、仕事が忙しかったのと生理があって出血があってだったから止まったら病院に行こうって思ってた
でも、なかなか止まらなくって2009年3月7日に吉祥寺駅の近くにある産婦人科に行った。その時は「ポリープがあります」ってそっけない感じで女医さんに言われて細胞検査された。
そういや後で思い出したんだけど、前にもその病院では検査をお願いしたけど、
感じの悪い女医で「何もないです」って言われた
でも今考えたらあの時きちんと見つけてくれてたらなって思う
その後、検査結果がでて「クラス3a」と言われて疑陽性で再検査してくださいって言われてまた検査。
そしたら、今度は「クラス5」で扁平上皮がんだった
そして、この診断結果の紙を渡された。でも、こんなんわかるか?って感じだった
病理診断:Squamous cell carcinoma
組織所見:提出された切片上には、Squamous cell carcinomaが認められます
得られた範囲内では上皮内に発育する病変が主体ですが、microvasive carainomaを含めた
invasive cancerの可能性が否定出来ません。
なんで、クラス3からいきなりクラス5?ってよくわからないかったけど、先生に「がんセンターに行きます」って言ったら「近くのほうがいいから」と進められて、近くの大学病院に行くことになった
先生に「今から皮膚科に行きます」って行ったら「そんなところに行ってる場合じゃないでしょ」と怒られて、そのままバスに乗って紹介された大学病院に行った。
その時、自分のなかでは「わたし、がんなんや」と思ってるけど「今日は皮膚科に行きたいからな」「帰ったら友達(彼女は子宮頸がん)に電話しよ」とか考えてた。で、紹介状を握り締めて大学病院について延々と待たされて、また検査。
帰って友達に「なんでクラス3aがいきなりクラス5になるんよ!」って聞いたら「がんってクラス4か5なんよ。だからクラス5って、がんやねん」って言われた。その時に「なんや私、がんなんや」って思った
不思議とたったそれだけの言葉なんだけど、自分はがんなんだって思った。じゃあ、この後どうしたらいいか考えようって思った 「告知ってドラマみたいなことないんやな」って友達に言ったら「そうそう、そんなん珍しくないもん。今なんて、明石のがんセンターなんか一杯で何ヶ月待ちやで」って。なんともあっけない言葉だった
:明石のがんセンター(兵庫県立がんセンター)
そっか~~がんって珍しくないんや。
確かに今話してる友達もそうだし、乳がんの友達もいるしなって思った
それから、大学病院に検査の結果を聞きに行くことになって行ったら初診の先生とは違う先生になってた
その医師は検査の結果を見るなり「クラス5で扁平上皮がんです」と言って「40過ぎたら子宮はいらないでしょ」って
なんやねんこいつ!って思った
「この病院でも不妊外来にいっぱい人がいるのに、何言ってるんですか!」って、文句を言ったら、びっくりした顔で「ごめん、ごめん」って。
絶対、こいつそんなん思ってないやろ!って思った
大学病院(この場合は、がん拠点病院)に来る人は、その前に告知をすまされてる人が多いから医師もがんであるって事を隠したり気にしたりする必要がないのかもしれないなってます
ただ、その後私が通うことになる病院では外来で「告知の有・無」の希望を言うことができます
患者が望めば告知はしないという選択もできます
3月27日 この日が、私の本当の意味での告知かも知れないなと思ってます
そして、これからが本当の意味での戦いだったなって思います
病理診断:Squamous cell carcinoma(扁平上皮がん)
組織所見:提出された切片上には、Squamous cell carcinoma(扁平上皮がん)が認められます
得られた範囲内では上皮内に発育する病変が主体ですが、microvasive carainoma(微小浸潤がん)を
含めたinvasive cancer(浸潤がん)の可能性が否定出来ません。
と、いうことが家に帰って調べてわかった
cancer:この日から私はがん患者になりました
がん診療連携拠点病院(がんしんりょうれんけいきょてんびょういん)
がん患者の生存率を高める目的で全国に整備された病院のことである。
一般的には、「がん診療拠点病院」とも呼ばれている。
東京都のがん診療拠点病院
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/03/20k3v300.htm
医師が言いにくそうに「◎◎さん、残念ですがあなたはがんです」みたいな感じですか?
私もそんな風に思ってました
心配そうな私に、優しく言ってくれる医師。
ほんと、そんなの甘い甘い幻想かも知れないって思った・・・
私は1月過ぎたくらいから出血があって「変だな?」って思ったけど、仕事が忙しかったのと生理があって出血があってだったから止まったら病院に行こうって思ってた
でも、なかなか止まらなくって2009年3月7日に吉祥寺駅の近くにある産婦人科に行った。その時は「ポリープがあります」ってそっけない感じで女医さんに言われて細胞検査された。
そういや後で思い出したんだけど、前にもその病院では検査をお願いしたけど、
感じの悪い女医で「何もないです」って言われた
でも今考えたらあの時きちんと見つけてくれてたらなって思う
その後、検査結果がでて「クラス3a」と言われて疑陽性で再検査してくださいって言われてまた検査。
そしたら、今度は「クラス5」で扁平上皮がんだった
そして、この診断結果の紙を渡された。でも、こんなんわかるか?って感じだった
病理診断:Squamous cell carcinoma
組織所見:提出された切片上には、Squamous cell carcinomaが認められます
得られた範囲内では上皮内に発育する病変が主体ですが、microvasive carainomaを含めた
invasive cancerの可能性が否定出来ません。
なんで、クラス3からいきなりクラス5?ってよくわからないかったけど、先生に「がんセンターに行きます」って言ったら「近くのほうがいいから」と進められて、近くの大学病院に行くことになった
先生に「今から皮膚科に行きます」って行ったら「そんなところに行ってる場合じゃないでしょ」と怒られて、そのままバスに乗って紹介された大学病院に行った。
その時、自分のなかでは「わたし、がんなんや」と思ってるけど「今日は皮膚科に行きたいからな」「帰ったら友達(彼女は子宮頸がん)に電話しよ」とか考えてた。で、紹介状を握り締めて大学病院について延々と待たされて、また検査。
帰って友達に「なんでクラス3aがいきなりクラス5になるんよ!」って聞いたら「がんってクラス4か5なんよ。だからクラス5って、がんやねん」って言われた。その時に「なんや私、がんなんや」って思った
不思議とたったそれだけの言葉なんだけど、自分はがんなんだって思った。じゃあ、この後どうしたらいいか考えようって思った 「告知ってドラマみたいなことないんやな」って友達に言ったら「そうそう、そんなん珍しくないもん。今なんて、明石のがんセンターなんか一杯で何ヶ月待ちやで」って。なんともあっけない言葉だった
:明石のがんセンター(兵庫県立がんセンター)
そっか~~がんって珍しくないんや。
確かに今話してる友達もそうだし、乳がんの友達もいるしなって思った
それから、大学病院に検査の結果を聞きに行くことになって行ったら初診の先生とは違う先生になってた
その医師は検査の結果を見るなり「クラス5で扁平上皮がんです」と言って「40過ぎたら子宮はいらないでしょ」って
なんやねんこいつ!って思った
「この病院でも不妊外来にいっぱい人がいるのに、何言ってるんですか!」って、文句を言ったら、びっくりした顔で「ごめん、ごめん」って。
絶対、こいつそんなん思ってないやろ!って思った
大学病院(この場合は、がん拠点病院)に来る人は、その前に告知をすまされてる人が多いから医師もがんであるって事を隠したり気にしたりする必要がないのかもしれないなってます
ただ、その後私が通うことになる病院では外来で「告知の有・無」の希望を言うことができます
患者が望めば告知はしないという選択もできます
3月27日 この日が、私の本当の意味での告知かも知れないなと思ってます
そして、これからが本当の意味での戦いだったなって思います
病理診断:Squamous cell carcinoma(扁平上皮がん)
組織所見:提出された切片上には、Squamous cell carcinoma(扁平上皮がん)が認められます
得られた範囲内では上皮内に発育する病変が主体ですが、microvasive carainoma(微小浸潤がん)を
含めたinvasive cancer(浸潤がん)の可能性が否定出来ません。
と、いうことが家に帰って調べてわかった
cancer:この日から私はがん患者になりました
がん診療連携拠点病院(がんしんりょうれんけいきょてんびょういん)
がん患者の生存率を高める目的で全国に整備された病院のことである。
一般的には、「がん診療拠点病院」とも呼ばれている。
東京都のがん診療拠点病院
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/03/20k3v300.htm