たまりば

多摩の地域情報 多摩の地域情報三鷹市 三鷹市

スポンサーリンク

上記の広告は、60日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by たまりば運営事務局 at

がんのピアサポートのシンポジウムに行って来ました

30日に国立がんセンターで、がん総合研修プログラム策定シンポジウム『考えよう!がんのピアサポート研修プログラム』に行って来ました

去年も同じ時期に行われていましたが、今回はより具体的な報告を聞くことができました

ただ、朝からお腹が痛くてどうしよう・・・と思っていた私でしたが、仙台から患者会の方が来られるしミーネットの花井さんのお話が聞きたい~~と頑張って行きました

でも、異常に会場が寒くて・・・

必死で花井さんのところは生で見て、他は1階のロビーに設置されていたテレビで見ました
もしかしたら治療中の患者さんがいるかもしれないのに(基本的にピアなので)こういう寒い会場ってどうなんだろう??と思った
まあ、私のお腹のためにクーラーを上げてとも言えないけれど・・・

でも会場の椅子が痛いし、リンパ浮腫がつらい私は1階のソファーで正解だった気がします

今回、より実践的にピアサポーターと患者さんのやり取りを収めたDVDの試写がありました

私としては「こんな人がピアならしゃべれないな・・・」というのが本心でしたが
会場では、なかなかの好感触?だった気がします
確かにカウンセラーのようなピアを求めている人なら「完璧な」ピアサポーターさんだった気がします
でも私はちょっとした違和感がありました

今回、仙台の患者会から6名が東京入りでした

いつもは仙台で会う人たちに東京で会えたのって、なんだか嬉しい気持ちになりました
その中で、3年前に私が治療中に会ったきりだった方にも会えました

私は、仙台での入院を母に言った時にちょっともめました
最終的には「自分の好きなようにすればいい」と言ってくれたけれど、私としては入院中に
家族が心配して入れ替わり立ち代り病室に来る人たちを見ながら、少し複雑な思いがありました
がんみたいな大変な病気になっても、母は私を心配してくれないのか・・・という複雑な気持ちでした

その時に「みんながみんな家族とうまくいっている訳じゃない」?という事を教えてくれたのが彼女でした

えっと思った。でも、その後で「そうかもしれないな」って思った
そして、もしも私が母を頼っていたら、仙台に行くなんて考えもしなかっただろうしって思った
今の「自分の事は、自分で何とかする」というこの性格の元は、母との確執だったのかもって思います
でも、それが私の強さでもあると思った

そして、もしも私が母の言いなりになっていたら「受けたい治療」にもたどり着かなかっただろうし
もしかしたらそのことで私は、母を恨んでいたのかもしれないって思った
だったら、私は1人で入院してよかったと思った

患者にとっては自分が感じた普通の感情を、普通に伝えてくれるからこそピアがいいのだと思います

私も、もしも患者さんが「母親とは家族とはこうあるべき。」なんて言ったらきっと
そんなわけないやんface02。なんて言っているんだろうなって思った

確かにリスクも沢山あると思う

でも、患者同士だからこそストレートに言える事ってあるんじゃないのかな?って思った

告知されたと言うと「つらいですね」「大変ですね」とかって言われたけど、そうかな?って思った。
確かに「つらい」し「大変」だけど・・・

私自身は「悔しかった」し「悲しかったし」なにより自分に対して「腹が立った」
なんであの時、ちゃんと検査受けへんかったんよ、すもものアホたれ!って思った

そして不思議と「普通にしなきゃ」と思った。普通に家に帰らなきゃ。
病院からの帰り道でこんなところでフラフラして車に跳ねられて死んでたまるかって思った

変ですよね。「がんの告知」を受けたところなのに、交通事故では死ねないって・・・
いつもは信号なんて守らない私が、車もないのにきちんと待ってました

そういう気持ちをわかってくれるのって、やっぱりピアなんだと思う

「カウンセラーにはカウンセラーの仕事」があるように「ピアサポーターにはピアの役割」がある気がします。少なくとも「私よりもあなたのほうが軽いでしょ」と言う人でなければいいんじゃないのかな?なんて思った私でした  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


  • 2012年10月02日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)がんとこころ