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おひさま~大切なあなたへ



平原綾香

ひかりがさし 風が泳ぎ
生きてゆけると そう思えたの

出会えたのは 私の記念日

ごめん おおげさ?
本当の気持ちよ

あなたは私の奇跡
あなたは私の希望

暗い闇も行き止まりも
二人なら 軽いね

あなたと ともに笑って
あなたと ともに泣いたね

どこかで 私を 感じてて
それだけでいいのよ

目覚めてから 眠りにつく
すべていとおしい そう思えたの

笑うだけで 涙が出たわ

ごめん 大げさ?
本当の気持ちよ

あなたの喜びをもらい
あなたの痛みももらう

この暮らしが つづくのなら
何もいりはしない

あなたは私の奇跡
あなたは私の希望

必ずどこかで見ているわ
それだけでいいのよ

たとえ世界中が あなたの敵だって
私だけは いつでも味方だわ
大丈夫 信じて

あなたが忘れていても
私が忘れはしない

この命を 投げ出すのに
迷いなんてないわ

あなたは私の奇跡
あなたは私の希望

お願い
どこかで笑ってて
それだけでいい
それだけがいいのよ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日で1年目がきます

あの日から、何かが変わったと思います
「いいこと」も「悪いこと」もあったと思います

でも、毎日ちゃんと「おひさま」が登ります

今日をちゃんと生きていこう。。。  
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  • 2012年03月11日 Posted by すもも at 00:00Comments(3)東日本大震災

    東日本大震災 写真保存プロジェクト



    あの日、一瞬にして色々なものがなくなってしまいました

    失くしたものを元に戻すことは出来ないかもしれない

    でも、その記憶を取り戻すことができるかもしれない

    写真は、その手伝いをしてくれるものなのかもしれないですね


    仙台駅で地震にあって、高架は危ないからと避難している時にも
    携帯で写真を撮っている人が沢山いました「こんな時に、何をしているんだろう」と驚いたけれど
    避難所の中で、Twitterで見ている人がいて一緒に見てみると、新幹線の天井が落ちたところや
    地下鉄の被害などが次々にUPされていました

    そして、津波の被害にあった場所も段々とわかっていきました

    避難所の中では、新聞とラジオが唯一の情報源でしたが、そんな中でTwitterが
    こんなに役に立つなんてと驚きました

    ただ、これも携帯が通じる仙台市内だったからだと思います

    充電する場所も無く、携帯も通じなかった場所では新聞だけが頼みの綱でした

    また自宅にいた人も不安な日々だったと思います

    アメリカでは、9・11以降の携帯にはGPS機能が標準装備になったそうです
    日本でもあの時にそうなっていたら、もしかしたら・・・と思いました

    震災の事については、書きたいことも書きたくないことも沢山あります

    書いてもいいかなと思った時に、無理をせずに書いていこうと思います

    東日本大震災 写真保存プロジェクト:http://archive.shinsai.yahoo.co.jp/
      
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  • 2012年03月10日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)東日本大震災

    思春期と若年成人「AYA世代」のがん、課題山積

    産経新聞 3月8日(木)20時33分配信

     「AYA世代」と呼ばれる15歳から29歳にかけてのがんをメーンテーマにした「第34回近畿小児がん研究会」が10日、大阪府吹田市の大阪大学銀杏(いちょう)会館で開かれる。小児がんと成人がんの境界領域にあるこの世代のがんは、近年ようやく取り組みの必要性が指摘され始めたばかりで、現状把握もほとんどできていない。治療体制や療養環境をはじめ、進学や就職など世代特有の課題も多く、関係者は「(研究会で)埋もれている問題に光をあて、解決に向けた第一歩にしたい」と話している。

     ■定まらぬ治療法

     AYAは「Adolescent and Young Adult(思春期および若年成人)」の略。欧米では1つの世代ととらえられており、この世代のがんの特徴が明らかになりつつあるという。

     一方、日本のAYA世代のがんに対する取り組みは心許(こころもと)ない。今回の研究会の会長を務める大阪府立母子保健総合医療センターの小児外科副部長、米田光宏さんによると、この世代の患者をどこで、どう治療すべきかといった基本的な方針さえ定まっていないという。

     そのため、小児と成人では、投与量や組み合わせなどが違う抗がん剤の使用について、AYA世代の患者は、受診する施設や診療科によって小児対応になったり成人対応になったりと、同じがんでも治療内容が異なることも。「最初にかかる病院や、次に紹介される病院によって、患者の運命が大きく変わる」(米田さん)現状がある。

     ■世代特有の悩み

     学業の遅れへの懸念、就職など将来への不安、友人関係…。思春期や青年期の患者は世代特有の悩みを抱えているが、それに対応できる療養環境も整備されていない。「AYA世代は、小さい子供たちの間では浮いてしまうし、高齢者ばかりの中では話が合わない。カーテンを引いてベッドにこもる患者は少なくない」と米田さんは指摘する。

     そんな状況を改善しようと、同センターは平成22年4月、中学生やAYA世代を対象にした「青少年ルーム」を開設。1500冊の漫画や200巻のDVD、大型テレビ、パソコン、卓球台、キッチン、ソファなどを備えた。

     「AYA世代のための部屋の設置は、欧米では当たり前。独特の世代だからこそ、必要な空間と認識されている」と、同センターの後藤真千子さん。家庭にいるような空間を目指した青少年ルームには、車いすや点滴をつけたままの若者たちが訪れ、思い思いの時間を過ごしていく。

     後藤さんは「ストレス発散や気分転換になり、病気に立ち向かうエネルギーを獲得しているように思える」と話し、昨年度は延べ約千人が利用したという。

     ■放置できない問題

     AYA世代のがんに目を向ける新しい動きも生まれている。

     大阪では昨年3月、府がん診療連携協議会に「AYA部会」が設置され、専門家らが診療状況や治療実績、合併症などの解明や、患者サポートの充実に取り組み始めた。「放置できない問題」(米田さん)との認識も少しずつ広がり、今回の研究会のメーンテーマにつながったという。

     当日は学術発表以外に午後1時半から、一般の人も参加できる米国の専門家による講演や、医師、看護師、元患者らさまざまな立場の人によるシンポジウムが行われる。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    第34回 近畿小児がん研究会公開シンポジウム

    日時 2012年3月10日(土) 13:00より受付

    場所 大阪大学医学部銀杏会館 アクセス


    プログラム

    特別講演
    13:30~14:30 『Adolescence and Young Adult Oncology in the USA』
    講演者  レベッカ ブロック先生  
    Oregon Health and Science University<通訳:あり>

    シンポジウム

    14:30~17:00 『小児がんと成人がんの境界領域(AYA世代)のがんの特徴と問題点』
    講演者 山田 佳世 先生 奈良県立医科大学 小児科

    『大阪府におけるAYA世代のがん-罹患、生存率、そして受療動態』
    講演者 井岡 亜希子 先生 (大阪府立成人病センターがん予防情報センター)

    『AYA世代に必要な支援を考える~看護師の立場から~』
    講演者 柴田 多江子さん (大阪府立母子保健総合医療センター 4階西棟)

    『AYA世代の療養環境について-センターでの取り組み-』
    講演者 後藤 真千子 さん (大阪府立母子保健総合医療センター ホスピタルプレイ士)

    『AYA世代の治療経験者として』
    講演者 西村 剛直 さん (AYA世代に治療を受けた経験者)

    質疑応答

    17:00~17:30 司会
    井上雅美先生 (大阪府立母子保健総合医療センター 血液・腫瘍科 部長)

    冨森千恵子 
    (がんの子供を守る会ソーシャルワーカー)

    がんの子供を守る会:http://www.ccaj-found.or.jp/news/kansai/info0310-3/

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    『若いから、がんにならない』や『子供のがんは治らない』など、まるで迷信めいたことをいう人がいます
    何の根拠もない話だけれど、その話に傷つけられる人が沢山います

    私が入院している時にも高校生の末期がん患者の女の子がいました
    彼女は個室で誰とも話すことなく、ずっと病室でお母さんと2人でいました

    何度か廊下で見かけたけれど、下を向いたままで体中で「話しかけないで」と言っているようでした

    私が退院してからしばらくして、彼女が亡くなったと聞きました

    どんな気持ちで、お母さんと彼女はあの部屋で過ごしていたのだろう・・・と思うと切なくなりました

    そして、お母さんはどうしているのだろうと思った
    自分よりも早く亡くなってしまった娘を受け入れることなどできない気がします

    子宮頸がんのワクチン接種には、色々な意見があります

    患者でも「受けさせたくない」という人もいます

    でも、私は「受けて欲しい」と思います

    ワクチンは完全ではないけれど、ワクチンと定期検査を受けることで子宮頸がんや子宮体がんの正しい知識を持ってもらいたい
    そして、自分たちと同じ世代の若年性がん患者さんの気持ちを考える機会を持って欲しいと思います

    そしたらきっと「若いから、がんにはならない」なんて言えないと思います

    今、がんに一番大切なの事は、すべての世代の人が正しい知識を持つことだと思います  
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  • 2012年03月09日 Posted by すもも at 12:00Comments(0)ニュース・・・がん

    捜索隊~2011.07.07~



    いつも見ている「広報松島」さんのブログで見つけました

    もっと早く紹介しようかと思ったけれど、見るだけで涙がでる写真だったので出せませんでした

    私の友人は、この近くにいます

    そして、南三陸で身内を亡くした友人には、警察官で見つかった遺体を綺麗にする作業に
    携わっていた人がいました

    自分の身内を亡くしながら、沢山のご遺体に接していかなければならないというのは
    どういう気持ちだったのだろうと思います

    神戸で地震にあった友人が、あの一瞬で全てが変わってしまった
    それでも潰れた家を見て「OOさん、大丈夫か!生きてるか!」と言って瓦礫をのけて
    助けようとしたという話を聞きました
    あの凄い衝撃で、家の中はめちゃくちゃになっていて、そんな中でも
    近所の人を助けようとした

    でも、それをボランティアの人にやってくれとは言えないと聞きました

    自分達は、あの出来事を経験したからできたけれど、そういうものを経験していない人に
    遺体をみせられないと言っていました

    同じ事を今回、被災した人からも聞きました

    極限状態を体験した人たちが、今、何を考えているのだろうと思います

    娘を亡くしたお母さんが、娘の旦那さんに「あんたのせいだ」と責めたというのを聞きました
    誰のせいでもないはずなのに・・・・
    でも、責めれる人はまだいい。でも責められる人はどうすればいいの・・・

    その人にも家族がいるのに・・・・

    あなただけでも、生きていてくれてよかった。

    今は、そう言ってくれたらと思います

    この立て札の人たちが見つかったのかな?と思いました
    あれから、1年がきます

    それでも、まだまだ見つかっていない人が沢山います

    そして、この光景が色々な場所で見られたのだと思います

    神戸の時には「私たちは、ここにいます」という種類の立て札でした

    まるで戦争の時の焼け野原のような中に立っていた立て札。
    それが、今はまた違う形であります

    どんなに文明が発達しても、どうにもならない時があるのだと思った

    もう2度とこんなのは見たくない。と思う

    でも、もしもが起きた時に1人1人がパニックにならずに、生きるための正しい選択をして欲しいと思います

    広報松島:http://minkara.carview.co.jp/userid/311064/blog/23061372/  
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  • 2012年03月09日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)東日本大震災

    「ごめん」…がれき置き場で遺体発見



     宮城県南三陸町の防災対策庁舎で津波に流され行方不明になっていた南三陸町職員、三浦亜梨沙(ありさ)さん=当時(24)=の遺体が1月に町内のがれき置き場で見つかっていたことが2月6日、分かった。DNA鑑定を終え、今月(2月)に入り無言の帰宅をした。

    ■遠藤未希さんと親友

     亜梨沙さんは、防災無線で町民に避難を呼び掛け続けて亡くなった南三陸町職員、遠藤未希(みき)さん=当時(24)=と高校の同級生。剣道を通じて小学生時代からの知り合いで、役場でも仲の良い親友同士だった。

     警察庁のまとめでは、大震災犠牲者の遺体発見は今年に入って2人だけ。母、悦子さん(54)は「もう遺体は戻ってこないと思っていた。『お帰り、遅くなってごめんね』と迎えてあげました」と涙を浮かべた。

     昨年3月11日。地震の後、悦子さんの携帯電話に1通のメールが届いた。「無事ですか!?6メーターの津波きます。役場流されたらごめん」。亜梨沙さんからだった。

     大事に取ってある最後のメール。「娘の人生はこれから。なんでこんなことに…」。亜梨沙さんの書いた「ごめん」の言葉に今も胸が締め付けられる思いを感じる。

     ■DNA鑑定で確認

     宮城県警や遺族によると、1月17日に南三陸町のがれき置き場の端で、通行人が一部の埋まった遺体を発見。着衣がオーダーメードだったため製造番号から亜梨沙さんとほぼ特定でき、最終的にDNA鑑定で確認した。

     東日本大震災の行方不明者は、2月6日時点で3320人に上る。亜梨沙さんの家族も10カ月以上、捜し続けており、悦子さんは「娘が見つかったことが、今も遺体を捜すご家族の希望になってほしい。娘もきっと喜ぶと思う」と話した。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    読みながら、涙が出てきた

    「ごめん」って・・・・

    同じところに逃げて亡くなった遠藤さんも彼女も、まだ24歳。
    できればみんなを生きてお母さん達に会わせてあげたかったな

    がれき置き場で遺体を発見するというのも、切なく感じた・・・
    もっと早くがれきの処理が終わっていれば、もっと早く彼女の存在に気がついてあげれれば・・・

    がれきの処理の遅さだけではなく、神戸の時には感じなかったものを感じる
    みんな『自分で精一杯』で、被災地を思いやってくれている人が段々と少なくなっている気がする

    先日「石巻で」という話をした時に
    「石巻って?」と聞かれて「津波の被害のあった場所だよ」と答えた
    あんなに沢山の被害が出て、連日報道されていた場所を覚えてないの?と思った

    たまたま?それとも何?

    確かに私もすべての被災地を覚えている訳ではないかもしれない
    でも、あれほどの被害があった場所の地名くらい覚えておいて欲しいと思った

    まだ1年なのに・・・忘れないで欲しい
      
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  • 2012年03月08日 Posted by すもも at 00:00Comments(4)東日本大震災

    信仰

    海外の末期がん患者の方は、最期の時に神父さんを呼んでもらうそうです

    私にはそういうものはない

    それを悲しいともつらいとも思ってはいない

    でも、不思議とこの病気になってから信仰について問われることがある・・・

    私の友人でも、がんに罹患後に洗礼を受けた人もいます

    信仰を持つことは、ある意味「強さ」でもあると思います

    ただ、それにかわる何か別のもので持っている人もいるのではないかと思う

    そして本当に必要なものであれば、自分で地を這って探してでも得るものだと思う

    私に信仰を問う前に「なぜ、私なのか?」を考えて欲しい

    がん患者だからですか?
      
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  • 2012年03月07日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)がんとこころ

    離婚

    結婚生活の中で、自分にとって一番大切なものが『食事』だったんだと気がついた

    その食事が一番ではなく、しかも、ほとんど一緒にいることがなかった彼とは
    何度かの話をして、自分の中では、別れるという結論を出しました

    その前に、CADの学校に通ってみたり他にも、一生の仕事となるといいのにという候補に行って見ました

    今考えたら、いい会社からの引き抜きもあったのに断ってしまった自分の選択に対して
    後悔がない訳ではないけど、きっとあの精神状態で自分にとって最良のものを選択するだけの
    分別はなかった気がします

    1日中、誰とも話さない日が何日も続いて、夜になると地元の友達に電話をしていました

    その私の部屋の壁を旦那が蹴っていました
    うるさいという訳でもなく、ただ、いきなり壁を蹴ってくる

    今なら、もっと早く別れればよかったのにな。とか、働けばよかったのに。と思う

    でもどこかで初めての土地で、どうしていいのかわからなくなっていた
    考えたら変な話で20歳で家を出て、ちゃんと働いて生活していたのに何でだろう?と思う

    ただ、学校に通いだして、離婚を決意した頃から何かが変わった気がする

    『1人で生きていこう』という「選択」をした瞬間から人は変わっていくのだと思う

    それまでは何もかもが『だんなのせい』だった

    でも、そんなことは自分の人生でどうでもいいような気がした
    誰かのせいにしても何も変わらない。それは、今の私の考え方の基本でもある気がする

    確かに壁を蹴られた時や、色々なことがあると相手のせいにしたくなるけれど、
    そうさせたのは、実は自分自身でもあると思うし・・・

    離婚後、10年くらいしてから社会保険事務所から保険が2重にかけられていたという連絡が来ました

    その時に、相手に「だんなの仕事先は?」とか「だんなの連絡先は?」とか色々なことを聞かれた
    そんなの知る訳ないやんか。と思った
    でも、相手は「なんでそんなこと知らないんですか」と、さも不愉快そうに私に聞いてきた

    やっとのことで手続きを終えて、その場から帰る道で、自転車に乗っていたら
    なんだか涙か出てきて「もう、許してあげよう」と思った
    私はずっと相手を憎んでいたけど、私だって大していい奥さんじゃなかったんだろうなって思った
    そしたら「私も許すから、あなたも許してね」と思った

    それからもしばらくは、だんなに似た人には苦しめられていたけど、今ならもう大丈夫かなと思う

    『人のせい』にして生きても何もかわらないし、相手は自分の鏡の部分でもあったんだと思う

    でも私がその後、ずっと結婚しなかったのはそれもあるんだろうなって思う
    あの生活がもしも繰り返してしまったらと思ったのかもしれないと思う

    今、こうやって書いているのは自分で自分を「セルフケア」しているのだと思う
    こうやって自分のことを書くことは、いいことばかりではないけれど、でも、書くことで整理されていくことも沢山在る

    そしたら、もう1度、誰かと暮らすこともできるんじゃないかな?って思った

    そしてなんとなくだけど「こういう人がいいな」というのが見えてきた気がします  
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  • 2012年03月06日 Posted by すもも at 00:00Comments(2)その他

    結婚生活



    私の結婚生活は、もうかれこれ17年くらい前で2年弱でした

    その時に自分と彼との家庭環境の違いから来る価値観というか
    結婚生活の考え方があまりにも違うことに戸惑いを感じました
    生活をしていて始めてわかることも沢山あるんだと思いました

    私の家は、父親が厳しい人で晩御飯の時は家族揃って食べるというのがありました
    だから、単身赴任の父が帰ってくる土日は、食事の時間には家にいなくてはいけなかった
    父は、私たちが食べ始める少し前から1品くらいをあてに食べながら飲む人で
    私たちに「今日は何があった?」と聞いて、色んな話をしながら食べていました
    そして、ご飯を食べ終わると必ず『ああ、美味しかった。ご馳走さま』と言う人でした
    そんな親に育てられたせいか、私も友達の家に遊びに行く時には必ず
    『おばちゃん、ご飯用意してね』とお願いしていました

    でも彼は、1人っ子で両親が仕事をしていたので食事の時はずっと1人だったそうです
    テレビを見ながらたった1人でご飯を食べるのが当たり前で、その日あった事を話をするという私の家とは違って
    誰かと食べることに慣れていないから、自分のペースで食べて自分の食事が終わると
    「ご馳走さま」と言って、席を立つ人でした

    2人でいるのに、1人でいるのと同じような生活でした

    不思議だったのは、彼は私の作ったご飯よりもコンビニや外食のほうがいいという人で
    実家にいる時もお弁当や市販のものを食べていたので、誰かが作ったものよりもいいという
    食事に対する価値観がまるで違っていました

    そんなところは他にも沢山あって、朝、会社に行くときにも『行ってきます』といわない人だと思っていました。でも、それを聞くと「言っている」という彼。よくよく聞いてみると「行ってきます」というのはドアを閉める時にいうので私が「行ってらっしゃい」と玄関に行くと、もう彼の姿は見えなくなっていました
    彼曰く、子どもの時に親が先に仕事に出かけているので自分で家のカギをかけて出るので彼が「行ってきます」というのは誰もいない家に言うから「行ってらっしゃい」というのを聞く必要がなかったということでした。
    お母さんが「今日は雨降るから傘持っていくんよ!」とか「今日は寒いから、マフラーしなさい」とかっていう当たり前の優しさや気遣いを知らない人なんだなって・・・

    そして、そんな親を「うっとうしい」と思うことすらなかったって、なんだか少しだけ、可哀想だなって思った

    そんな彼と一緒にいると段々と自分が「存在しない人」のような気がしてきました

    私はここにいるのに・・・と思った

    携帯電話を買った時にも車を買い替えた時にも、何も言わない人である日、急に車が変わっていたりしていました。「なんで何も言ってくれないんだろう」と思いながら、でも、私が好きな車を買ってくれたりしていたけれど、どうしても納得できなかった私は、結局1度もその車に乗ることはなかった
    携帯電話は「会社の人との連絡に必要だから」と言われて、でも私がその番号を教えてもらうことはなかった

    どこかで1人でいる事を望んでいる彼と、せっかく結婚したんだから。という私とは違う価値観だったんだなって思います

    離婚後に付き合っていた彼とは、病気になって退院するまでだから、かれこれ15年くらい続いていました

    彼も食事の時に何も話さない人でしたが、私が話をして美味しく食べたいというとそうしてくれました
    私が望むことは、ほとんどをやってくれる人でした

    私が病気をした時にも「自分が一生、背負っていくから」と言ってくれました

    でも、今考えたら私は自分を背負っていってくれる人を求めていた訳ではないんじゃないのかな?と思った

    結局、彼とは退院後しばらくしてから連絡もとれなくて別れることも話をすることもできなくて
    終わったのか終わっていないのかわからない状態ですが、その時にも自分がそこにいないように感じた

    少し前に流行った『人格否定』みたいだなって思った・・・

    そのせいなのか、最近、よく別れた旦那の事を思い出します
    旦那のことを忘れるまで、かれこれ10年はかかりました

    一度、東大病院の前で旦那によく似た人をみて過呼吸になって座り込んだことがあります
    何かをされた訳でもないのに、まるでとてもひどい暴力でも受けたかのような気持ちでした

    でも、その後仕事をしていた時に、旦那にそっくりな人がいました
    人間3人は似た人がいるというのは、ほんまなんやわって思うくらいに似ていました
    最初に、その人を見た時にもやはり過呼吸のようになっていたのですが
    実はとてもいい人で、今ではいい飲み友達の1人になっています

    似ているからその人ではないのだと思います(当然なんだけど・・・)
    でも、つらい時にはそれすらわからないようになっていたんだと思った

    今は、別れた旦那も私を無視して去っていった彼も、わからなくないなって思う

    その時の自分は冷静ではなかっただろうし、病気の時の自分もやっぱり普通ではなかったと思います

    この前、飲んだ時に奥さんに『平等』と言われるという男の人の話を聞きました

    私には平等というのが、どういうものなのかわからないんだけど・・・と思った
    男女という身体的な事を考えても違うのに、それを同じに考えるって難しいな?って思った

    私は、そういうのを考えられる人ってきっと「賢い人」なんだと思う

    でも、ちょっと違和感がある・・・

    ご飯を食べて洗い物をしてくれる旦那さんっていいなって思う
    でも、それよりも「美味しかった」と言ってもらいたいという人もいると思う

    私の友人は、ご飯は旦那さんが作ってくれるので洗い物が好きな彼女はとっても嬉しいと教えてくれました
    飲んべえの2人は、食事をしながら飲むので酒のあてがとっても上手な旦那さんの料理はお酒が進んでとても美味しいと言っていました。

    色んな夫婦の形があるんだなって思った

    「平等ってなんだろうね?」と飲みながら友達に話したら「それって、ただの我がままだよ」と言っていました
    「ただ、自分を主張してるだけでしょ」って。ほう、そんな風にも考えるんだって思った
    私は、難しい言葉だし何をもってそういうのかが、まるでわからないのでこの事は忘れようと思ってますが、私だったら「今日はしんどいから、ごめん」というかなって思った

    仕事をして疲れていると「私がしたんだから、今度はあなたがして」っていう気持ちはとってもわかる

    ただ人には得て不得手というのがあると思うし何もかもが同じにはできないんじゃないのかな?と思った

    でも「今日は、疲れているみたいだからやっとく」と言ってくれたら嬉しいかな  
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  • 2012年03月05日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他

    フロー状態



    Cath Kidstonのパッチワークの本を買いました

    その中に『自分で作るバック』というキットの付録が付いていました

    とっても久しぶりにパッチワークをしました
    写真は、花びらを縫い終えたところです

    ミシンを踏んでいると、あの「ダーーーーーー」っていう音で、ほっとします
    それと一緒で縫い物をしていると、なんだか楽しくて時間が経つのを忘れます

    楽しくて時間を忘れる感覚。というのを、ポジティブ心理学では『フロー状態』というそうです

    この楽しい体験を沢山している人は、自分の人生の選択の時に
    悪い方向を選択しないというのがあるそうです

    確かに趣味がある人って、大変な状況になっても結構、楽観的だなって思います

    そして『幸せになりたい』という人ほど幸せにはなれないといいます

    それは『幸せになりたい』という願うたびに「自分はそうではない」と思うからだそうです

    それよりはどんなに大変な状態であっても『自分は幸せ』と思っているほうがいいということでした

    『なりたい』というのは、一見、いいことのように思うけれど『なりたい自分』よりも大切なのは
    『今の自分』ということなのかな?って思った私でした

    私のパッチワークは、まだですが楽しんで作ってますicon37  
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  • 2012年03月04日 Posted by すもも at 00:00Comments(6)その他

    末期すい臓がんの延命に効果の新薬

    進行すい臓がんに初の治療薬 国際治験で効果を証明

    膵臓がんには多くの種類がある。

    膵臓がんの80%以上は膵液を運ぶ膵管の細胞から発生する膵管がんである。しかし、1%程度しか発生しない「膵神経内分泌腫瘍(pNET)」というすい臓がんがある。このpNETというすい臓がんに罹ったのが、米アップルのCEOで昨年10月に亡くなったスティーブ・ジョブズ氏だった。

     膵臓は、胃や肝臓など多くの臓器に囲まれているため、がんが発生しても見つけるのが非常に難しい。そのため発見時には既に末期がんとなって手遅れというケースが多いことから、すい臓がんは難治がんの代表とされるのだ。

    すい臓がんの治療は手術が基本だが、がんが進行していると完全な切除ができず、もはや治療の選択肢は無いというのがこれまでのすい臓がん治療の実情だった。しかし、期待の新薬「エベロリムス」で治療環境は好転している。

     エベロリムスは、がん細胞だけを攻撃して正常細胞へのダメージを少なくする「分子標的薬」の一種だ。がんの増殖や成長、血管新生にかかわる「mTOR」というタンパクの働きを選択的に妨げるのが薬効。既に「根治切除不能または転移性の腎細胞がん」に対する治療薬として日本でも10年4月から使われており、すい臓がんpNETの効果効能は追加承認となった。

    日本人の膵臓がんに占めるpNETの割合はわずか1.1%で、増加傾向にあるものの国内で治療を受ける患者は年間3千人前後しかいない。これまでこのpNETというすい臓がんに対する治療薬が無かったが、「エベロリムス」(成分名)が初めて2011年12月に承認されたのだ。副作用としては、皮疹や口内炎、感染症、爪の障害、鼻出血、間質性肺炎などがあるが、すい臓がん治療への効果は大きい。

    エベロリムスはがんの進行リスクも65%も減少させるされている。さらに、日本人に限ると、「がんが悪化しない期間」を19.45カ月も延長するとされている。つまり2年以上の末期のすい臓がんでさえも2年近い延命が期待できるのだ。実際に治験参加者の中には、すい臓がん発見時に多発肝転移、リンパ節転移、骨転移から切除手術不能=末期がんを宣告されたがん患者だったが、4年近くまだまだご健勝なのである。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    すい臓がん。

    そう聞くと、ついつい「末期がん」だと思ってしまいます

    事実、私と同じ時期に友人の友人ですい臓がんが見つかった方がいましたが
    医師からは治療をせずに、自宅で普通に生活することを勧められたそうです
    その後、彼は家族に見送られて亡くなったそうです

    長い間、すい臓がんは切ることができないがんだと言われていました
    ほとんどのがんが切ることで患者の体力を奪ってしまうし、その中でも特に高難易度手術のがんです
    そして、無理をして切っても、あまり効果がないと言われていました

    その、すい臓がんの中でも切れる種類のものが、スティーブ・ジョブズ氏のがんでした
    でも彼は「切る時期を逃してしまった」と言われています

    ある先生が「がんには切れる時期がある。その時に切らなければ、後悔する」と言われていたのを思い出しました

    やはりどんなにいい抗がん剤であっても、すべての人に効果が見られる訳ではありません
    それを考えても、手術ができるのであれば、できれば手術を受けたほうがいいということです

    でも、この薬のように延命効果が得られたというのは、切れない人や体力的に問題がある人であっても
    少しでも長く生きることができるということです

    「1日でも長く生きたい」

    そう願っている人のためにも、嬉しいことだと思います  
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  • 2012年03月03日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)ニュース・・・がん

    「普通」って何?



    先日、NHKの「ハートをつなごう」を見ていた時に発達障害の男の子が鉄道博物館に行く。というのを見ました

    鉄道が大好きで、将来は鉄道関係に勤めたいという希望を持って専門学校に通っているそうです
    その彼が、まだ中学生の時の映像でした

    初めての友達とのお出かけ。そして、大好きな『鉄博』これは・・・と思ったら、やはりとんでもなく
    テンションの高い彼と、それに振り回されている友達の姿。思わず笑いながら見ていました

    なんかわかるな~~って思った

    本当はとっても『愛すべきキャラ』の持ち主でもある発達障害を持っている人たち

    でも、人との距離のとり方がわからない。好きなものを見ると一直線。くどいくらい同じ事を繰り返す。
    自分のこだわりがとても強い。など「普通の人」たちから見ると、違和感のあるところも沢山あります

    番組の中で「普通」って何?という問いかけがありました

    私も「がん患者」になって、よく感じます

    結婚して子供を産んで育てて、孫の顔を見て一生を終える。
    それが「普通の人生」なら、私はもう「普通」ではなくなったのかもしれない

    でも人によって「普通」は違っていていいと思います

    家庭によっても違っていたりすることもあるし・・・

    ちゃんと「自分は愛されている」って理解していれば、幸せなんじゃないのかな?って思う私です  
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  • 2012年03月02日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)がんとこころ

    いい人だな



    私は食事の好みにうるさい・・・

    といっても、別に「あれが好き・嫌い」ではなく
    同じスピードくらいで飲んで食べてくれる人が好き。というのがある

    あとは、美味しそうに食べてくれる人がいい

    先日、久しぶりに若旦那が会社に来たので飲みに行きました

    いつもなら、よく話をする人を誘うんだけど、今回は新人の可愛らしい女性と3人でした

    その時に、自然なのか見ていてなのかわからないけど、グラスが空くスピードが同じくらいでした

    ご飯を食べない時は、よく飲む私ですが、そうでない時はまあまあってところです

    今回は生中3杯に、まっこりを飲んでました

    最近、漢方の「五苓散」を飲んでいるせいか、トイレが近いicon_bikkuri

    しかもビール好きの私は、普段でも飲むとトイレが~~~icon_maro06

    なので今回は、ビールは3杯かなっとトイレに行きながら「次、まっこり頼んでおいて~~」と
    言い残してました

    といっても1杯では、とても足りないので後はボトルだったんだけど・・・

    そして、そういや若旦那、前に飲んだ時にも同じくらいのペースだったなと思った
    その時は、最後は日本酒の八海山だったんだけど、やはり同じように飲んでました

    あまりにも飲むペースが早い人や、すぐに酔っ払らう人もな・・・と思う
    何となく一緒で、同じくらいの酔い方がいいなって思う

    帰り道でそれに気がついたんだけど、なんだかちょっと嬉しかった

    自然なのかもしれないけど『いい人だな』って思った

    そして案外『幸せ』って、こういうものかもしれないなって・・・

    今度、誰かと一緒になるような事があればそういう人がいいなface16  
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  • 2012年03月01日 Posted by すもも at 00:00Comments(0)その他